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小寺一矢先生、そして対馬/西村眞悟
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    西村眞悟の時事通信 平成29年5月26日より

     

    ここ数日、月刊誌への原稿書きに費やし、時事通信の書き込みをせず、
    昨夜は、清交社関大会において、
    故小寺一矢先生を偲ぶ講話を行った。
    そして、深夜帰宅して本日二十六日を迎え、これから対馬に出発し、
    明日五月二十七日、
    対馬北端の岬の丘で行われる日本海海戦勝利百十二周年の式典に出席する。

    思えば昨年、長岡京の小寺一矢先生のご自宅に伺ったとき、
    先生は、どういう訳か、「眞悟、この本、もっていけ」と言って
    一九〇五年、明治三十八年五月二十七日、
    バルチック艦隊の一員としてはるばるバルト海から対馬沖に来て
    我が連合艦隊と戦ったロシア人の書いた戦記「ツシマ」を下さった。
    何故、小寺先生が、
    本棚から「ツシマ」を選んで、
    「これ」と言われて私に渡されたのか分からない。
    しかし、昨夜の小寺先生を偲ぶ会の翌日に対馬に行く私は、
    不思議な符合を感じる。
    何故なら、昨夜の偲ぶ会で、私は、
    吉田松陰の「身、亡びて魂存する者有り」と言う言葉を掲げて、
    小寺一矢先生は、まさにその「魂存する者」である、と申したからだ。
    よって、
    小寺一矢先生について、
    そして対馬のことについて、記しておきたい。

    吉田松陰は、話を聞きに来た若者達に、
    死を覚悟して戦い抜いた楠木正成が、湊川で弟や部下七十余人と、
    微笑みながら自決する時のことを語るとき、
    ぽろぽろと涙を流しながら語ったと云われている。
    その時、松陰は、正成になりきっていた。
    三月十日に、亡くなった小寺一矢先生も、
    特攻隊や勇戦奮闘した将兵のことを話している最中によく泣かれた。
    これは、小寺先生も、
    吉田松陰と同じ魂、同じ情感の波動、をもたれていることを示している。
    それ故、昨夜の偲ぶ会では、
    この我が国の魂の伝統である
    死して生きる勇士達の言葉の系譜をメモして配布させてもらった。

    吉田松陰
    「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」
    昭和二十年四月二十二日午前十時、
    台湾から沖縄方面に突入していった十八歳から二十二歳の十四人の陸軍特別攻撃隊員
    「今、ここで死ぬのが、自分にとって最高の生き方です」
    昭和二十年五月に散華した神風特別攻撃隊西田高光
    「おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・」

    小寺先生のお父上は、軍医として戦場に赴かれた。
    その部下の従軍看護婦であった婦人は、生涯独身で、戦後も看護婦を続けられ
    定年退職後は昭和六十二年頃から癌で亡くなる前年の平成二十一年まで、
    二十年以上にわたって、毎年沖縄で戦死した兄を捜して沖縄で遺骨収集活動を行った。
    そして、八十七歳で亡くなる前年に、
    戦争中の上司であった軍医殿のご子息である小寺先生に、
    自分の遺産全額を託し、
    兄の御霊を祀る靖国神社と遺骨収集の実施団体などに寄付してほしいと依頼した。
    小寺先生は、じっくりと彼女の話を聞き取って遺言の執行にあたられた。
    これは、彼女にとっては、小寺先生に、自分の生涯の全てを委ねることである。
    これほど信頼される方は、めったにいるものではない。
    そして、この信頼は「一代」で生まれるものではなく
    小寺先生のご先祖から父上を通じて小寺先生に至っているものである。
    このご婦人と小寺先生との信頼の物語は、
    「兄の御霊へ・・・」と題して産経新聞の平成二十二年六月十七日夕刊で報道された。

    産経新聞は、
    小寺先生が亡くなってから二度にわたって「戦後72年 弁護士会」を特集した。
    その特集のなかで、小寺先生を
    「異例の保守派だった当時の大阪弁護士会会長、小寺一矢」
    として紹介している(平成二十九年五月十九日朝刊)。
    そう、小寺先生は、
    左翼傾向の強い弁護士会にあって「異例の保守派」だった。
    そして、弁護士の使命である人権の擁護と社会正義の実現に最も忠実な弁護士であった。
    小寺先生が、大阪弁護士会会長に選出されるや、
    大阪弁護士会は、
    横田めぐみさんのご両親を招いて、
    北朝鮮に拉致された日本国民の救出集会を開催した。
    驚くべきことであるが、
    今日に至るまで、人権擁護を使命として掲げる全国の弁護士会のなかで、
    拉致被害者救出集会を開催した弁護士会は、
    ただ大阪弁護士会だけである。
    特定失踪者調査会の代表荒木和博は、
    この小寺一矢会長による大阪弁護士会の拉致被害者救出集会開催を、
    「空前絶後」と言った。
    小寺一矢弁護士を、
    弁護士会長に選出した大阪弁護士会は、
    近い将来、歴史のなかで賞賛されるであろう。

    昨夜の小寺一矢先生を偲ぶ清交社関大会は、全員による「蛍の光」の合唱で終えた。
    筑紫の極み、道の奧、海山遠く隔つとも、
    そのまごころは、隔てなく、一つに尽くせ、
    国のため・・・


    さて、対馬であるが、
    五月二十七日は、日露戦争における我が国家の存亡をかけた
    対馬沖で行われた日本海海戦の日である。
    毎年、この日、対馬北端の海戦海域を遠望する丘の
    連合艦隊司令長官東郷平八郎の書碑と日露両軍戦没者の名が刻まれた慰霊碑の前で
    式典が行われている。

    二〇〇五年(平成十七年)は、
    イギリスでは、トラガルファー海戦二百年の年であり
    日本では、日本海海戦百年の年であった。

    従って、イギリスでは、この国家の存亡をかけた海戦の二百年の節目の記念日に、
    女王陛下がお出ましになって軍艦に座乗され
    Royal Navyの大観閲式が行われることになっていた。

    従って、我が国家の存亡をかけた日本海海戦の百年の節目の記念日に、
    海戦海域を見渡せる対馬において、
    我が日本も、
    Our Imperial Navyの大観閲式を行おうではないか。
    天皇陛下の御座乗がかなはなくとも総理大臣が観閲されたい。
    と、いうのが対馬の有志と私どもの願いだった。
    その準備は、百年目の前々年から行われ、私はその時、初めて対馬を訪れた。
    結局、百年記念の平成十七年五月二十七日は、
    大観閲式にはならず、
    海上自衛隊の掃海艇数隻が対馬に集結し、
    我々は、ロシア大使館員やウクライナ大使らとともに、その掃海艇に乗り
    海戦海域で靖国神社から持参した酒を海に注いで式を終えた。
    ささやかであり、イギリスのようにはできなかったが、
    対馬で日露戦争の日本海海戦の顕彰と慰霊が行われたのだった。
    そして、その後、地元対馬の有志は、
    毎年五月二十七日に、対馬駐屯の陸海空自衛隊員とともに、
    ロシアを招いて、時にロシア正教の坊さんも招いて、
    対馬北端の丘で、日本海海戦の顕彰と慰霊を続けている。
    私も、毎年かかさず出席している。

    小寺先生が、昨年の末、
    これ、といって「ツシマ」を私にくれたのは、
    来年は、おれも対馬に行くぞと言うサインだったのかなと思い、
    これから出発し、明日未明、対馬の厳原の港に着く。

    posted by: samu | 頑張れ日本 | 11:44 | - | - | - | - |
    「憲法九条」とは何か/西村眞悟
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      安倍総理が、憲法九条に自衛隊を明記すべしと明言した。
      憲法改正論において「九条」を射程にいれると明言したこと、
      これを高く評価する。

      そもそも九条を視野に入れない改正論など現実的ではない。
      即ち、有害なる空論である。
      何故なら、九条そのものが非現実的であるからだ。
      従って、非現実的なものを容認する改正論は有害なる空論となる。
      憲法は、具体的現実的な国家運用の基本方針であり、宗教団体の教義ではないのだから。

      しかし、九条が現実的であった時がある。
      その時とは、
      昭和二十年九月二日から同二十七年四月二十七日までの期間である。
      この期間は、我が国が、
      連合国(United Nations)に降伏し、
      連合国による軍事占領下にあった期間であり、
      連合国にとって九条は、我が国の
      帝国陸海軍の徹底的解体と武装解除状態の永遠固定化のために現実的であった。
      以下、先の時事通信(憲法記念日、何がめでたい)と重複する部分もあるが、
      「現実的であった時期の憲法九条」を述べる。

      まず、年表を記す。
      昭和二十年八月十四日、我が国政府ポツダム宣言受諾を連合国に通告
      同 八月十五日、天皇の国民に対する玉音放送
      天皇(大元帥)の陸海軍に対する積極的作戦行動の停止命令
      同 八月十六日、天皇(大元帥)の陸海軍に対する自衛以外の作戦行動の停止命令
      同 九月二日、米国戦艦ミズーリ号の艦上で降伏文書調印
      昭和二十一年二月四日〜十二日、GHQ民政局の二十五人、「日本国憲法」を起草
      同 四月二十九日(天長節)、極東国際軍事裁判(東京裁判)にA級戦犯起訴
      同 五月三日、東京裁判の審理開始
      同 十一月三日(明治節)、「日本国憲法」公布
      昭和二十二年五月三日(東京裁判審理開始一周年)、「日本国憲法」施行
      昭和二十三年十二月二十三日(皇太子誕生日)、A級戦犯七人の絞首執行

      我が国の九月二日に署名した降伏文書の内容の大半は、
      帝国陸海軍の武装解除に関する事項である。
      そのうえで、連合国総司令部(GHQ)が同時並行して直ちに開始したことは、
      言論の検閲と、
      東京裁判(戦犯裁判)と、
      「日本国憲法」の作成である。
      即ち、我が国の
      「武装解除」と「言論の検閲」と「戦犯裁判」と「日本国憲法」の作成は
      ともにGHQの我が国占領目的を達成する為に同時に行われた。
      その「占領目的」とは「対日戦争目的」そのもの、
      即ち「大日本帝国の徹底的打倒」による連合国のアジアにおける所領回復である。
      従って、「日本国憲法」も抽象的に書かれたのではなく、
      このGHQの具体的な占領目的を達成する為に書かれたのである。

      その時(昭和二十年八月十五日)、我が国の兵力は、
      「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」(佐藤守著)及び
      「大東亜戦争全史」(服部卓四郎著)付図「終戦時における日本軍の態勢概見図」によると、
      「本土及び島嶼に
      地上兵力五十三個師団、三十八個特科旅団、
      航空戦力約一万機、
      海上特攻戦力約三千三百隻、
      陸軍総兵力約二百三十九万、海軍総兵力約百九十七万
      アジア大陸のほとんどは、日本軍が占領中で、そこはまだ日本軍が健在だった。」

      この日本軍は、つい二週間前まで、
      連合国にとっては、
      死ぬのがわかっているのに最後まで戦うことを止めないどころか、
      確実に死ぬために突撃してくる恐るべき軍隊だった。
      従って、我が国を占領統治する役目を与えられたGHQにとって、
      この健在な日本軍は脅威そのものであり、
      本当に武装を解除するのかどうかが最大の関心事だった。
      それは、アメリカ軍の准将であったボナ・フェラーズが、
      我が国の降伏を振り返って、
      「七百万に及ぶ精神的にも肉体的にも強靱な日本軍は武器をおいて太平洋全域から帰国の途についた」と書き、これを
      「歴史上前例のない降伏」
      と表現していることから明らかであろう。

      それ故、
      未だ武装解除と日本軍兵士の帰還が進行中の昭和二十一年二月に
      「日本国憲法」を書いたGHQ民政局のチャールズ・ケーディスらは
      日本の武装解除を徹底し、
      日本が二度と再び武装しないように、
      まず自虐史観の毒を盛り込んだ「前文」を書き、
      次の「第一章」では、
      日本軍の精強さの源であり忠誠の対象である
      「天皇」から神聖なる「権威」を奪ったうえで、
      特に、「戦争の放棄」と題する「第二章」を設けて、
      そこに「九条」だけを入れた。
      その「九条」を書いたGHQのケーディスは、
      産経新聞の古森義久記者の取材に対し、「九条」を書いた目的を
      「日本を永久に武装解除されたままにおくことです」
      とあっさり答えた(平成19年7月1日、産経新聞朝刊)。

      「日本国憲法」の「第二章」は「九条」という一箇条だけの「章」である。
      このような記載の仕方は、他国の憲法にはない。
      この特異な記載の仕方からも、
      「日本国憲法」を書いた連合国のGHQが、
      如何に日本の武装解除の徹底に関心をもっていたかを知ることができる。

      斯くの如き状況の中で、
      斯くの如き目的の為に、
      アメリカ人が九条を書いた。

      以上、安倍総理が、「憲法」の改正として、
      九条に自衛隊を明記する旨表明したことをうけて、
      再度、記した次第である。
      冒頭に記したように、
      現在の政界の状況を眺めて、
      安倍総理の表明を高く評価する。
      そのうえで、
      誇りある祖国日本への愛と忠誠に基づき、
      吾は、
      総理の最終目的は、
      「加憲」ではなく、
      「自主憲法制定」
      であると信ぜむと欲す。

      posted by: samu | 頑張れ日本 | 13:29 | - | - | - | - |
      ◆陸上型イージス:「イージス・アショア」とは /海国防衛ジャーナル
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        北朝鮮の核・ミサイル開発の進行に対処するため、ミサイル防衛システムを強化する一環として陸上型イージス・システムの配備を検討するという報道がありました。

        イージス艦はその名の通り、海に浮かんだイージス・システムです。それゆえ、艦載イージスBMDを「イージス・アフロート(Aegis Afloat)」と呼んだりもします。このイージス・システムを陸上で使おうという計画が、現在着々と進められています。陸に揚がったイージスBMDのことを「イージス・アショア(Aegis Ashore)」といいます。これまでにもイージス・アショアについて何度か取り上げてきたので、本稿では過去記事をまとめる形でメモしておこうと思います。

         

        欧州ミサイル計画

        イージス・アショアは、欧州に配備される計画のもとで開発が進められてきました。弾道ミサイル防衛はNATOにとって集団安全保障上の "核心的要素"とされ(2010 Strategic Concept)、かねてからNATOは将来イランが大陸間弾道ミサイル(ICBM)を保有することになれば大変な脅威になるとみなし、米国の GBI(地上配備型迎撃ミサイル)配備を検討していました。

        しかし、ロシアの強い反発とイランのICBM開発がそれほど進んでいないことを受けて計画を変更。イランが現時点で保有する短距離・準中距離弾道ミサイルなどの喫緊の脅威に対応すべく、2009年に「
        欧州ミサイル防衛構想(European Phased Adaptive Approach:EPAA)」を発表しました。EPAAは28カ国が参加するNATO首脳会議で合意されたもので、NATOの総意としてミサイル防衛を本格的に運用するものです。段階は3つ(当初は4つでした)で、以下の通りです。
         

        • フェイズ1(〜2011年)
          AN/TPY-2 レーダーを配備し、現行の海上配備型SM-3ブロック1Aで欧州の同盟国に対する短距離・準中距離弾道ミサイルの脅威に対応する。
        • フェイズ2(〜2015年)
          準中距離弾道ミサイル脅威への対処能力向上のために、海上配備型と陸上配備型SM-3ブロック1Bを配備。イージス・アショアをデベセル(ルーマニア)に建設予定。
        • フェイズ3(〜2018年)
          SM-3ブロック2Aを配備予定。短距離、準中距離、中距離弾道ミサイルへの対処として、2つめのイージス・アショアをレジコボ(ポーランド)に建設予定。
          地図を見ると、将来、イランがベルリン、パリ、そしてロンドンを攻撃可能な5,000km級弾道ミサイルを保有した場合に備えて、イージス・アショアが配置されていることが分かります。

          EPAAのフェイズ1は初期運用能力に達しており、トルコのクレシクにAN/TPY-2レーダーが、そしてドイツのラムシュタインに指揮統制センターが配備されました。2011年にはSM-3ブロック1Aを搭載したUSSモンテレーが地中海に配備され、2014年からは米国やスペインが、イージス艦×4隻(ドナルド・クック、ロス、ポーター、カーニー)をスペインのロタに展開させています。

          フェイズ2もすでに着手され、2013年10月に、陸上発射型SM-3ブロック1Bのイージス・アショアの建設がルーマニアで開始(
          過去記事)。2014年4月23日には海上発射型SM-3ブロック1Bを搭載した米軍艦が配備されています。
        フェイズ3の2基目のイージス・アショア建設も、ポーランドのレジコボにて2016年3月から着工しています。

        イージス・アショアとは?

        イージス・システムは、海上でさんざん実験を重ねた信頼性の高いシステムということもあり、SPY-1レーダーやC4Iシステム、Mk 41ミサイル垂直発射システム(VLS)、ディスプレイ、電源・水冷装置などアーレイ・バーク級イージス艦の設備がそのまま陸上でも使用されます。

        ルーマニアとポーランドのイージス・アショアには、8セルのMk 41VLSが3基配備されるので、24発のSM-3ブロック1B/ブロック2Aを配備予定ということになります。

        また、イージス・アショア施設の特徴のひとつが、移設可能("removable")な設計であるという点です。実際にイージス・アショアの設備は、まず初めにニュージャージー州・ムーアズタウンのロッキード・マーチン社敷地内でテストされ、その後にモジュール化されたコンポーネントを分解してハワイのカウアイ島に送り、試験施設(Aegis Ashore Missile Defense Test Complex(AAMDTC))として運用されています。

         

        イージス・アショアの価格は?

        ポーランドのイージス・アショアのために2017会計年度で米議会が計上した予算は6億2,140万ドルです。この額は施設建設、ウェポン・システムのアップグレード、SM-3ブロック2Aを含めたものです。これに加えて、2016会計では装備調達費(Aegis Ashore Equipment)として約3千万ドル、施設建設費(Construction of Aegis Ashore)として1億6千900万ドルが計上されているので、計8億2千万ドルほどかかっています。

        システムの維持管理や人件費などの差もあるので、一概にコストを試算するのは適切ではありませんが、日本が有償援助調達(FMS)でイージス・アショアを調達するとなると、このあたりが目安になると思われます。

         

        すでに迎撃実験にも成功済

        2015年12月9日、イージス・アショアによる標的ミサイルを用いた初の迎撃実験「FTO-02イベント1a」が実施され、成功を収めました。

        実験の概要は、以下の通りです。

        ハワイ・カウアイ島沖にて、空軍のC-17から準中距離弾道ミサイル標的が発射され、AN/TPY-2レーダー(前方配備モード)がこれを探知、追跡データをC2BMCシステムへ送信。イージス・アショアのイージス・ウェポン・システムがデータを受信し、AN/SPY-1レーダーを用いて標的を追跡、交戦のための火器管制を行い、イージス・ウェポン・システムがSM-3ブロック1Bを発射、標的を直撃し、運動エネルギーによって破壊に成功。

         

        日本に配備すると迎撃範囲はどうなる?

        現行のブロック1Aの射程が1,200kmであるのに比べて、ブロック2Aは2,000km。舞鶴や横須賀にいる海上自衛隊のイージス艦が1隻で日本全国をカバーできるようになります

        イージス・アショアを2基設置してみます。設置場所は迎撃に適した場所や政治的に問題を招かないなど様々な要因を考慮したアセスメントを経て決定されますが、ここでは仮に新潟の佐渡分屯基地と鹿児島の下甑島に置いてみました。いずれも航空自衛隊の運用するFPS-5レーダーが設置されている場所です。

        日本列島を十分にカバーします。もちろんここに海上自衛隊のイージス艦のSM-3ブロック2Aも射手として待ち構えることになります。ブロック2Aの射程を最大化するためには、早期警戒監視レーダーや前方配備レーダーなどの
        リモートセンシング・ノードがネットワーク化されてローンチ・オン・リモートおよびエンゲージ・オン・リモートが可能になっていること前提ではありますけども。
         
        (※佐渡からだと迎撃できないとの指摘があったようなので以下追記します)。

        シミュレーションの一つとしてノドンが北朝鮮・元山から東京に向けて発射されたとします。
        元山から東京までは約1,150kmです。ノドンのバーンアウト速度を秒速3,234m(マッハ9.5)とします。佐渡分屯基地の山地から発射されるSM-3ブロック2Aのバーンアウト速度を秒速4,410m(マッハ13)とします。SM-3ブロック2Aのブースターの加速度やノドンの加速度など他の要素もだいたい伝えられる諸元のとおりとしておきます。

        この場合、ノドン発射から298.5秒後、SM-3ブロック2A発射から175.4秒後に元山から水平に542km、高度358kmの日本海上空・大気圏外で迎撃に成功します。SM-3ブロック2Aはマッハ15を超えるともされているので、実際にはもっと余裕をもって迎撃できるでしょう。ノドンの条件を変えずにSM-3ブロック2Aを青森の車力から発射しても、やはり337秒後に迎撃できました。

        これらは文字通り机上の計算ではありますが、イージスBMDはすでに実際の迎撃試験でこれらを成功させてきているので、否定するにはよほどの裏付けが必要となります。

        EPAAにおいてイージス・アショアがイランから数千km離れたところに配置してあるのは、それくらい離れた所でしか迎撃できないからではなく、そもそもEPAAは米本土に向かうイランのICBMを迎撃することを最終的な目的(SM-3ブロック2Bによる「フェイズ4」、現在は凍結)として発足したからであり、SM-3ブロック2Aの技術的理由からではありません。

         

        イージス・アショアの対地攻撃能力は?

        イージス・アショアのランチャーはタイコンデロガ級やアーレイ・バーク級イージス艦と同じMk 41VLSですので、対地巡航ミサイル「トマホーク」が収まります。イラクやシリアを攻撃したあのトマホークです。北朝鮮に対する敵基地攻撃論が沸き起こっている中でのイージス・アショア導入となれば、当然敵も味方も第三者も日本が対地攻撃能力を保有することに踏み切った、と考えるかもしれません

        しかし、同じイージスBMDでもソフトウェアにさまざまなバージョンがあり、"イージス・アショアのベースライン9Eは巡洋艦・駆逐艦とはソフトウェア、火器管制ハードウェアなどが異なり、対地攻撃はできない"(大西洋評議会におけるブライアン・マケオン筆頭国防副次官代行(政策)の
        インタビュー)とのことです。これは、米国がINF条約を順守する姿勢をロシアに示し、EPAAに反発するロシアを説得するために必要な措置であるようです。

        ベースラインの書き換えによって対地攻撃は可能になるでしょうが、日本の場合もルーマニア、ポーランドと同じ仕様で対地攻撃できないイージス・アショアを導入すると思われます。とはいえ騒ぐ勢力はどのサイドにも現れそうです。

        迎撃面での拡張性としては、SM-6が発射でき、
        NIFC-CAが運用できるようになると面白いかな、と思いますが、、、。
         
        ◇ ◇ ◇

        EPAAのフェイズ3が計画通りに進むと、2018年には海上発射型ブロック2AがイージスBMD5.1システム搭載艦に、陸上発射型がポーランドのイージス・アショアに配備される計画です。海上自衛隊のブロック1Aも2021年にはブロック2Aに更新予定です。

        イージス・アショアを含めたEPAA全体の今後の課題としては、レーダーの能力向上、費用問題、大気圏外迎撃体(EKV)の開発ペースといった点がGAO(会計検査院)やDSB(国防科学委員会)などから指摘されています。また、ミサイル防衛局は、ミサイル弾頭とデコイ(おとり)の識別能力が将来の技術的なハードルになるという認識を持っています。ただ、「将来の」と表現したとおり、現在の "ならずもの国家" による弾道ミサイル脅威に対しては十分な能力があるというのが、MDAやGAOの大筋で一致している見解です。

         

        日本全土及び北朝鮮と中国主要部をカバーできる!

         


        株式日記と経済展望ブログより(私のコメント)

        北朝鮮問題は、なかなか不可解な面を持っており、一種のヤラセみたいなものを感じます。アメリカも中国もその気になれば北朝鮮をいつでも潰せるのに、潰さずに生かさず殺さずで来ている。狙いとしてはMD開発予算を獲得するためであり、NATO諸国や日本に買わせることで採算を取ろうというのでしょう。

        イランや北朝鮮は「悪役」として十分な働きをしていますが、アメリカの本当の敵はロシアであり中国だ。MDは防衛的な兵器であり、非常に高価であり開発費もべらぼうにかかる。日本にとっては核武装するのが一番手っ取り早い防衛手段ですが、一番安上がりな防衛手段になる。北朝鮮が核武装したのも一番安上がりだからだ。

        アメリカは北朝鮮の核武装やミサイル開発を放置しているのは、防衛予算獲得のためだ。ミサイル防衛システムは非常に開発に金がかかるものであり、ロシアや中国ではまだ無理だろう。何しろマッハ15で飛ぶミサイルを打ち落とすのだから、非常に優れたレーダーシステムと迎撃用ミサイルを開発しなければならない。その根幹をなすのがコンピューターソフトであり、実験を重ねないとできない。

        ミサイルや核弾頭などはそれほど金をかけずに開発ができる。北朝鮮でも出来るくらいだから、多くの国は核武装もミサイル開発も可能だろう。問題はミサイル迎撃システムであり、それが出来るのはアメリカと日本くらいだろう。ロシアには金がなく中国には技術がない。

        私自身は防衛評論家ではなく、軍事オタクでもないので最先端の防衛技術についてはよくわからない。中東での戦争がなかなか終わらないのは、ロシアやアメリカにとっての格好の新兵器の開発現場だからであり、報道されないだけでいろんな新兵器が試されている。兵器は実戦で使ってみないことには価値がわからない。

        イージス艦にしても、大型の護衛艦程度の知識しかありませんでしたが、ミサイル迎撃システムをまるごと載せたものであり、それをさらに改良して陸上でも使えるようにしたイージス・アショアはTHAADよりも高性能らしい。一隻のイージス艦で日本全土が防衛できるほどのものであり、二ヶ所に設置すれば日本のみならず中国主要部も射程圏内に入るようだ。

        中国にしてみれば、北朝鮮が核やミサイルでアメリカを刺激するので、アメリカが本格的な迎撃ミサイルシステムを開発してしまう。これが完成して日本がこれを実戦配備されると中国は打つ手がなくなってしまう。日本は二重三重のミサイル防衛網を配備して、飽和攻撃に対しても飽和防御されれば意味がない。

        「株式日記」でも以前にレールガンを紹介しましたが、レールガンはミサイルではなく超高速砲弾であり200キロ先のミサイルを迎撃できる。砲弾だからミサイルに比べれば安価であり数百発の砲弾を短時間に発射できる。これではミサイルの飽和攻撃もお手上げだろう。

        ミサイルが単発小銃ならレールガンは機関銃のようなものであり、火薬を使わない電磁砲だから完成すればミサイルよりもコストも安い。プラズマやレーザー兵器はまさに未来の兵器ですが、アメリカは実用化を目指していますが、これが完成すればミサイル攻撃は無用の長物になる。しかし非常に電気を食うので原子力発電でないと対処できない。

        韓国へのTHAAD配備を中国が嫌うのは、MDの威力を中国は認識しているからだろう。せっかく韓国や日本に対する中距離ミサイルを開発して配備してきたのに無力化する恐れがある。もしミサイルが全部撃ち落とされて日本から反撃されたら最悪の事態になる。中国は南シナ海の岩礁を埋め立てて軍事基地を建設していますが、最新の軍事技術から見ればあまり意味がないのだろう。防御手段がないからだ。

        posted by: samu | 頑張れ日本 | 21:59 | - | - | - | - |
        「 若い世代へ贈る、「海道東征」と「海ゆかば」 」櫻井よしこ
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          『週刊新潮』 2017年5月4・11日合併号
          日本ルネッサンス 第752回

          4月19日、池袋の東京芸術劇場で、関東では戦後初めて、「海道東征(かいどうとうせい)」が歌われた。大阪では「産経新聞」の主催でこれまでに2度、演奏されているが、残念乍ら私は聴く機会がなかった。
           
          今回も主催は産経。東京公演だというので早速申し込んで驚いた。2000席分の切符が完売だそうだ。そんなに多くのファンがいるのか。私は張り切って、私より一世代若い女性たちにも声を掛けた。

          「海道東征」は、日本建国の神話を交声曲で描いた名曲である。昭和15年に「皇紀2600年奉祝行事」のために書かれた。詩は北原白秋、曲は信時(のぶとき)潔である。
           
          民族生成の美しい歌でありながら、昭和20年の敗戦で、軍国主義などに結びつけられて長年葬り去られていた。作品は、戦後全くと言ってよい程、世に出ることがなかったのであるから、私もそうだが、声を掛けた70年代、80年代生まれの若い人たちが「海道東征」について知らないのも当然である。なんといっても、米軍の占領が終わって独立を回復してから、日本では、社会でも学校でも家庭でも、わが国の歴史や神話、民族の成り立ちなど、ほとんど教えてこなかったのだから。
           
          コンサートは、結論から言えば、本当にすばらしかった。堪能した。
           
          プログラムの前半で「管弦楽のための『神話』〜天の岩屋戸の物語による〜」が演奏された。
           
          天照大御神が天岩屋戸の中にお隠れになり、世界が闇に閉ざされてしまう。ちなみに古事記にはこのとき、天上も地上も共に闇に包まれたと書かれている。天照大御神は両方の世界を照らしておられるのだ。神々は大いに困り、何とか天照にお出になっていただきたいと工夫を凝らす。
           
          ここでナガナキドリが一声、高く大きく鳴くのである。それをトランペットが巧みに表現していた。

          日本の始まり
           
          伊勢神宮の20年毎のご遷宮では、古いお社から新しいお社に神様がお移りになるとき、まず、鳥が一声、鳴く。ご遷宮ではその場面は「カケコー」と声を発することで表現されるが、コンサートでは、トランペットだった。神様と鳥はご縁が深い。
           
          さて、鳥の声を合図に神々が肌も露わに踊り始め、賑やかな宴が始まる。岩の向こう側から楽し気な笑いさざめく声が聞こえる。岩屋戸の中にお隠れだった天照大御神は何事かと好奇心をそそられ、思わず、ちょっとだけ岩屋戸を押し開け、覗いてしまうのだ。
           
          その瞬間に、力持ちの神、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が岩の隙間に手を差し込んで天照大御神が戻らないように腕をとり、もう一度、お出ましを願う。すると陽光は戻り、天上も地上も、世の中は再び明るくなる。天照は機嫌をなおし、心優しい日本の神々と共に、この大和の国を再びお見守りになるのだが、演奏にはこの場面でボンゴなどが使われていた。
           
          天照大御神が戻って下さったうれしさに神様たちが喜んで歌い踊る場面が、絵になって浮かんでくるような楽しい演奏だった。
           
          そして第2部が、いよいよ、「海道東征」である。神々がおわす天上の国、高天原(たかまがはら)から、天照大御神の孫の神様、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日向の国の高千穂の峰に降臨なさった。
           
          北原白秋はこの日本の始まりを「海道東征」の第1章とし、「高千穂」と題した。格調高く、バリトンの原田圭氏が、瓊瓊杵尊の高千穂の峰への降臨を歌い上げた。
           
          第2章は「大和思慕」である。
           
          「大和は国のまほろば、
          たたなづく青垣山。
          東(ひむがし)や国の中央(もなか)、
          とりよろふ青垣山」
           
          その旋律に心が引き込まれる。
           
          第3章は「御船出」である。瓊瓊杵尊から数えて3代目、4人の皇子が日向を発って大和平定の旅に出た場面である。
           
          「日はのぼる、旗雲(はたぐも)の豊(とよ)の茜(あかね)に、
          いざ御船出(みふねい)でませや、
          うまし美々津(みみつ)を」
           
          光の中に船出する皇子たちの姿が目に浮かぶ。東へ向かう途中で荒ぶる神々との戦いがあり、嵐があり、4人の皇子の3人までもが命を落とす。末っ子の神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が大和に到達し、東征の事業を成し遂げるが、この神様が日本国の初代天皇、神武天皇になられた。
           
          こうして「海道東征」は第8章まで続く。時に美しく、時に力強く、清く澄みきった喜びに満ちた交声曲である。「海道東征」について何も知らなかった若い女性たちも、楽しんでいた。彼女たちはきっと、これから日本の神話や歴史に、また新たな角度から興味を抱くのではないかと、私はうれしく感じたことだ。

          先人たちの言葉
           
          そして最後にアンコール曲として「海ゆかば」が演奏された。大伴家持の詩に信時が曲をつけた。多くの人が立ち上がり、合唱した。私の隣りの方は朗々と歌った。

          「海ゆかば 水漬(みづ)く屍(かばね)
          山ゆかば 草むす屍
          大君の辺(へ)にこそ死なめ
          かえりみはせじ」
           
          教育勅語は、天皇のために死なせる教育だという的外れな批判が生まれるいま、「海ゆかば」の詩に、スンナリ入っていけない人も多いかもしれない。山折哲雄氏が『「海ゆかば」の昭和』(イプシロン出版企画)で「屍とは何か」と題して書いている。
           
          掻い摘まんで言えば、万葉集の挽歌でわかるように、死者の屍とは「たんなる魂の抜け殻」だというのだ。人はひとたび死ねば、その魂は亡骸から離脱し、山の頂や海の彼方、空行く魂となって、この国の行方を静かに見守ってくれる。あとに残された屍には何の執着も見せない。それがかつての日本人の、人の最期をみとるときの愛情であり、たしなみであった、と。
           
          同書で谷川俊太郎氏は「子どもの私はそれまでも音楽がきらいではなかったが、音楽にほんとうにこころとからだを揺さぶられたのは、『海ゆかば』が最初だった」「私が愛聴したのが北原白秋詩・信時潔曲の『海道東征』だ」と書いた。
           
          私の友人でもあった松本健一氏は、同書で、演出家で作家の久世光彦氏の文章を紹介している。

          「『海ゆかば』を目をつむって聴いてみるといい。これを聴いていったい誰が好戦的な気持ちになるだろう。・・・私は『海ゆかば』の彼方に日本の山河を見る。・・・美しい私たちの山河を護るために、死んでいった従兄たちの面影を見る」
           
          松本氏も、久世氏も、亡くなってしまった。けれど、彼らの言葉はどれもみんな、私の心に沁みる。コンサートホール一杯に広がった「海ゆかば」の合唱に、静かに感動した。
           
          若い女性の友人たちは、「海ゆかば」にとっつきにくいようだった。だからこうした先人たちの言葉を、私は彼女たちにそっと捧げてみたい。

          posted by: samu | 頑張れ日本 | 21:44 | - | - | - | - |
          時代を超えた芸術「海道東征」に愛国の神髄を聴いた/新保祐司
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            ≪日本の戦後精神史上の事件≫

             4月19日の夜、東京で交声曲「海道東征」が高らかに鳴り響いた。日本の戦後の精神史上における一つの転換を告げる事件であった。これは、「海ゆかば」の作曲家・信時潔の評価がその代表作の復活によって正されたということであり、戦後長きにわたって封印されてきたこの曲の真価が広く認められたということである。

             しかし、交声曲「海道東征」の復活を、戦前への回帰とか戦前の日本を良しとする考え方の表れだとかのとらえ方をする向きもあるようなので、ここでこの曲の芸術としての価値について書いておくのも無駄ではあるまい。

             昭和15年、紀元2600年の年に奉祝曲として作られたこの曲は、そのような機会音楽でありながら、それを超えた芸術的な高みに達している。確かにその頃、当時の時代思潮に「便乗」した芸術も多く作られたであろうが、たらいの水と一緒に赤子を流すようなことをしてはならないであろう。戦前のものに対して、そのような愚挙を戦後の日本人はしてきたのである。最近の教育勅語をめぐる騒ぎもそのようなものであろう。

            いつの世にも時代の風潮に「便乗」したものが出てくるもので、戦後には「戦後民主主義」に「便乗」したものが輩出したではないか。今、戦後の「贋の偶像」の凋(ちょうらく)が進んでいるが、一方、保守的な考え方が主流になってくれば、またそれに「便乗」したものが出て来るのは、このところ世間を騒がせている事件をみれば分かる。

             ≪時代を超えて評価された芸術≫

             この曲が発表された当時、どのように聴かれていたか、例を挙げよう。詩人の谷川俊太郎氏は、昭和6年生まれであるが、過日亡くなった大岡信氏が眼の詩人だとすれば、谷川氏は耳の詩人ともいえると思う。その氏が、戦後60年の年に出た「海ゆかばのすべて」というCDに付された解説書に「私の『海ゆかば』」と題した文章を寄稿している。その中で、「子どもの私はそれまでも音楽がきらいではなかったが、音楽にほんとうにこころとからだを揺さぶられたのは、『海ゆかば』が最初だった」と書いている。

            そして、「海道東征」については、「『海ゆかば』をきっかけに私は西洋音楽に目覚めたと言っていい。ベートーベン、バッハ、ショパン、ドボルザーク…自分の感動だけを頼りに、私は次々に好きな曲を発見していったのだが、それらと並んで私が愛聴したのが北原白秋詩・信時潔曲の『海道東征』だ。この八枚組のSPも手元にあるが、ジャケットがぼろぼろになっている」と経験を語っているのは、この曲が音楽として優れたものであることを示している。

             童謡「サッちゃん」の作詩でも知られる作家の阪田寛夫氏は、音楽を深く愛した人であった。平成17年に亡くなったが、大正14年生まれで「海道東征」を生で聴いている。昭和61年に発表した中篇小説「海道東征」の中で、昭和15年11月30日に大阪で初めてこの曲を聴いたときの感動を書いている。

             当日演奏された3曲のうちで「圧巻は二百人以上の合唱のついた『海道東征』だった。第一章『高千穂』の越天楽のような連続音の中から、いきなり心ひろびろと歌いだすバリトン独唱がすばらしかった。言葉がよく聞えて、しかも輝かにひびきわたり、ふしはいい気持でなぞりたくなるほど明るく楽しげだから、『神坐(かみま)しき』とか『み身坐(みま)しき』といった耳なれぬ言葉ごと、いきなりそっくり覚えてしまった」と回想している。そして阪田氏も、谷川氏が持っていた8枚組みのSPレコードを手に入れていた。

            これらは戦前の経験の話だが、平成15年に紀尾井ホールで「海道東征」が演奏されたとき、これを聴いた川本三郎氏は『白秋望景』の中で「予想をはるかに超えた神々しいばかりに美しい曲で、粛然、陶然とした。とくに児童合唱団が歌うところはその美しさに圧倒された」と書いている。このように、ものの本質を聴き取る耳を持った人たちの高い評価を考えれば、この曲が時代状況を超えた芸術であることが知れるであろう。

             ≪似せがたい高い「姿」に倣え≫

             本居宣長に「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉がある。愛国の精神であろうが保守の心であろうが「意」は誰でも「便乗」して言えるのである。似せ易いことである。しかし、北原白秋と信時潔が作った芸術に表現された国を思う心の姿は似せがたいのである。われわれは、この曲を聴いて自分の精神をこの高い「姿」に倣うように努めなければならない。「意」にただ同調してみても仕方がないのである。

            今回のプログラムは、シベリウスの交響詩「フィンランディア」から始まった。当時帝政ロシアの圧政下にあったフィンランドの独立への強い願いが込められた名曲である。私は、信時潔は日本のシベリウスといってもいい存在ではないかと思っているが、この2人の名曲によって、至純なる愛国心の神髄を聴き取ることができた、すばらしい春の一夜であった。(文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 しんぽ ゆうじ)

             

            posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:54 | - | - | - | - |
            渡部昇一氏を悼む/宮崎正弘
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              渡部昇一氏が4月17日に亡くなった。振り返れば、氏との初対面は四半世紀以上前、竹村健一氏のラジオ番組の控え室だった。文化放送で「竹村健一『世相を斬る』ハロー」とかいう三十分番組があって、竹村さんは一ヶ月分まとめて収録するので、スタジオには30分ごとに四人のゲストが待機するシステム、いかにも超多忙、「電波怪獣」といわれた竹村さんらしい遣り方だった。
              ある日、久しぶりに呼ばれて行くと、控え室で渡部氏と会った。何を喋ったか記憶はないが、英語の原書を読んでいた。
              僅か十分とかの待機時間を、原書と向き合って過ごす人は、この人の他に村松剛氏しか知らない。学問への取り組みが違うのである。
              そういえば、氏のメインは英語学で、『諸君!』誌上で英語教育論争を展開されていた頃だったか。
              その後、いろいろな場所でお目にかかり、世間話をしたが、つねに鋭角的な問題意識を携え、話題の広がりは世界的であり、歴史的であり現代から中世に、あるいは古代に遡及する、
              その話術はしかも山形弁訛りなので愛嬌を感じたものだった。

              近年は桜チャンネルの渡部昇一コーナー「大道無門」という番組があって、数回ゲスト出演したが、これも一日で二回分を収録する。休憩時に、氏はネクタイを交換した。意外に、そういうことにも気を遣う人だった。
              そして石平氏との結婚披露宴では、主賓挨拶、ゲストの祝辞の後、歌合戦に移るや、渡部さんは自ら登壇すると言いだし、ドイツ語の歌を(きっとお祝いの歌だったのだろう)を朗々と歌われた。
              芸達者という側面を知った。情の深い人だった。
              政治にも深い興味を抱かれて、稲田朋美さんを叱咤激励する「ともみ会」の会長を務められ、ここでも毎年一回お目にかかった。稲田代議士がまだ一年生議員のときからの会合で年々、参加人員が増えたことを喜んでいた。
              最後にお目にかかったのは、ことしの山本七平授賞式のパーティだったが、氏は審査委員長で、無理をおして車椅子での出席だった。「おや、具体でも悪いのですか」と、愚かな質問を発してしまった。
              訃報に接して、じつは最も印象的に思い出した氏との会話は、三島由紀夫に関してなのである。
              三島事件のとき、渡部さんはドイツ滞在中だった。驚天動地の驚きとともに、三島さんがじつに偉大な日本人であったことを自覚した瞬間でもあった、と語り出したのだった。渡部さんが三島に関しての文章を書かれたのを見たことがなかったので、意外な感想に、ちょっと驚いた記憶がふっと蘇った。三島論に夢中となって、「憂国忌」への登壇を依頼することを忘れていた。
              合掌。

              posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:11 | - | - | - | - |
              評論家の渡部昇一氏が死去 第1回正論大賞、「知的生活の方法」など著書多数/産経新聞
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                正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子(みちこ)さん。後日、お別れの会を開く。ここ数日、体調を崩していた。

                 昭和5年、山形県鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授をへて教授に。専門は英語学で、「英文法史」「英語学史」などの専門書を著した。

                 48年ごろから評論活動を本格的に展開し、博学と鋭い洞察でさまざまな分野に健筆をふるった。51年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超のベストセラーとなった。

                57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。平成27年、瑞宝中綬章。主な著書に「日本史から見た日本人」「ドイツ参謀本部」など。フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」など翻訳も多数手がけた。

                 

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                産経新聞正論メンバーで論壇の重鎮として活躍した渡部昇一さんが17日、86歳で亡くなった。

                 人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、ここにはとても書けないような罵詈(ばり)雑言を浴びた。渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。

                 もっとも有名な“事件”は「神聖喜劇」で知られる作家、大西巨人さんとの論争だろう。週刊誌で、自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は、子供をつくるのをあきらめるべきではないか、という趣旨のコラムを書いた渡部さんは「ナチスの優生思想」の持ち主という侮辱的な罵声を浴びた。

                 批判者は《「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である》と渡部さんが同じコラムの中で書いているにもかかわらず、その部分を完全に無視して世論をあおったのだ。

                大ベストセラーとなった「知的生活の方法」も懐かしい。蒸し暑い日本の夏に知的活動をするうえで、エアコンがいかに威力があるかを語り、従来の精神論を軽々と超え、若者よ、知的生活のためにエアコンを買えとはっぱをかけた。

                 また、英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていたレジナルド・F・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」を読み直し、岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。

                 繰り返す。勇気ある知の巨人だった。(桑原聡)

                 

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                「日本について解説できる、かけがえのない存在」櫻井よしこさん

                 

                ジャーナリストの櫻井よしこさんの話「非常に博識で、歴史問題や東京裁判などあらゆるテーマについて精通しておられた。日本の国柄について、優しい語り口で解説することができる、かけがえのない存在です。今、日本はとても大事なところに立っていて、渡部先生に先頭に立って日本のあるべき姿を論じていただけたら、どんなに力になったかと思うと本当に残念です」

                 

                posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:45 | - | - | - | - |
                内閣府「社会意識に関する世論調査」
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                  内閣府が1日に発表した「社会意識に関する世論調査」で、現在の社会に全体として「満足している」との回答が65・9%で、前回調査(平成28年2月)から3・9ポイント増加した。質問を始めた21年以降で最高となった。一方、「満足していない」は3・9ポイント減の33・3%で、過去最低だった。

                   満足している点は「良質な生活環境」が43・2%で最も多く、「心身の健康が保たれる」(27・0%)、「向上心、向学心を伸ばしやすい」(17・8%)、「人と人が認め合い交流しやすい」(17・1%)、「働きやすい環境」(15・7%)などが続いた。反対に、満足していない理由のトップは「経済的なゆとりと見通しが持てない」(43・0%)だった。

                   民意が国の政策に「反映されている」と思う人は、4・7ポイント増の34・6%で、過去最高水準に迫った。日本が良い方向に向かっていると思う分野では「医療・福祉」(31・4%)、「科学技術」(25・8%)、「治安」(22・0%)などが上位に挙がった。

                  日本が悪い方向に向かっている分野を聞いたところ、「防衛」が28・2%で、前回調査から4・0ポイント増加した。質問を始めた10年以降で最高となった。北朝鮮が昨年だけで23発の弾道ミサイルを発射し、核実験を2回行うなど、安全保障上の脅威が高まっていることへの不安が顕在化したようだ。

                   同じ質問で「外交」と答えた割合は26・7%と前回から8・1ポイント増えた。内閣府は北朝鮮情勢に加え、調査期間(1月19日〜2月5日)が米国の政権移行期と重なり、トランプ大統領の外交政策が不透明だったことが影響したとみている。

                   また、国を愛する気持ちが他人と比べ「強い」と答えたのは55・9%、「弱い」が6・0%で、ともに横ばいだった。国を愛する気持ちを育てる必要があるかについて「そう思う」との回答は73・4%で、23年(81・0%)以降、6年連続の減少となった。

                   日本人が「国民全体の利益」と「個人の利益」のどちらを大切にすべきか尋ねたところ、「国民全体」が5年ぶりに増加して49・3%、「個人」は6年ぶりに減少して32・7%だった。

                  調査は昭和44年から原則毎年実施。これまで20歳以上が対象だったが、選挙権年齢が昨夏の参院選から「18歳以上」に引き下げられたことを受け、今回から18歳以上とした。1万人に面接方式で実施し、5993人が回答した。

                  posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:03 | - | - | - | - |
                  平成28年度 防衛大学校卒業式 内閣総理大臣訓示(平成29年3月19日)
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                     本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、これからの我が国の防衛の中枢を担う諸君に心からのお祝いを申し上げます。

                     卒業おめでとう。

                     諸君の規律正しく希望に満ちあふれた姿に接し、自衛隊の最高指揮官として心強く大変頼もしく思います。

                     諸君が、この防衛大学校の門をたたいたのは、私が、再び総理大臣に就任し、自衛隊の最高指揮官となった直後のことでした。

                     我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中、責任を持って対応せよとの国民の声に背中を押され、政権交代が実現しました。

                     そして4年前、正にこの場所に立って、諸君の先輩たちを前に、私が先頭に立って、国民の生命・財産、我が国の領土・領海・領空を守り抜く、その断固たる決意を表明したことを、昨日のことのように思い出します。

                     その決意を実際の行動に移す。諸君たちが、ここ小原台で奮闘していた4年間、私も、安全保障政策の立て直しに全力を尽くしてきました。

                     日本で初めての「国家安全保障戦略」の策定。

                     NSC「国家安全保障会議」の設置。その事務局では、将官を筆頭に20名を超える自衛官が私を支えてくれています。

                     新たな「防衛計画の大綱」では、10年間一貫して削減が続いていた防衛費を増加させていく方針を決定いたしました。

                     さらには、「防衛装備移転三原則」。友好国の防衛能力の向上は、地域全体の平和と安全に大きく寄与するものであります。

                     そして、平和安全法制の成立と施行。国際社会と手を携えて、戦争を抑止し、世界の平和と安全に貢献する。この法制は、世界から支持され高く評価されています。

                     平和安全法制をめぐっては、国論を二分する大きな議論がありました。戦争法案といった、全く根拠のない、ただ不安だけをあおろうとするレッテル貼りが横行した。ここ小原台で学ぶ諸君の耳にも届いていたかもしれません。

                     しかし、結果は、どうであったか。

                     今月、北朝鮮が、またも安保理決議を踏みにじり、ミサイル発射を強行しました。国際社会への明確な挑戦であるだけでなく、3発のミサイルがEEZ内に着弾し、うち1発は能登半島からわずか200kmの場所に落下した。我が国の安全保障上、極めて深刻な事態であります。

                     この、新たな段階に入った北朝鮮の脅威に対し、直ちに日米電話首脳会談を行いました。その際、トランプ大統領からは、米国は100%日本と共にあるとの明確な意思が表明された。そして、そのことを日本国民の皆さんにも伝えてほしい。米国を100%信頼してほしいとの力強い言葉がありました。

                     助け合うことができる同盟は、その絆を強くすることができる。平和安全法制によって日米同盟の絆は、間違いなく、より強固なものとなった。今回の対応は、そのあかしであります。

                     行動を起こせば批判が伴う。これは今も昔も変わりません。安保条約を改定した時も、PKO協力法を制定した時も、戦争に巻き込まれるといった無責任な批判がありました。
                     しかし、果敢に行動してきた先人たちのお陰で、私たちは、戦後一貫して平和を享受することができた。そのことは、歴史が証明しています。

                     先ほど國分学校長から御紹介があったように、本日はホーム・カミング・デーとして、昭和49年に防衛大学校を卒業したOBの皆さんもお集まりです。皆さんも在職中、心ない多くの批判にさらされてきたかもしれません。

                     そうした批判にも歯を食いしばり、皆さんは、自衛隊の中枢にあって与えられた任務を立派に全うしてこられた。そして、米国や志を共にする民主主義諸国とともに、冷戦を勝利へと導きました。

                     卒業生諸君、そして御列席の皆様。この大きな仕事を成し遂げ、本日、懐かしきこの学びやに戻ってこられたOBの皆さんへの心からの感謝と歓迎の気持ちと敬意を、私からも皆様と共に大きな拍手をもって贈りたいと思います。

                     冷戦はもはや過去のものでありますが、世界は、今この時も私たちが望むと望まざるとに関わらず絶えず変化しています。

                     北朝鮮による核・ミサイル開発は深刻さを増し、南西方面では、外国軍機による領空接近も増加している。テロの脅威は、世界に拡散し多様化しています。こうした現実から、私たちは、目を背けることはできません。

                     そして、自らの手で自らを守る気概なき国を誰も守ってくれるはずがない。安全保障政策の根幹となるのは、我が国自らの努力であります。

                     その最終的な力が、諸君たち自衛隊であります。我が国に直接脅威が及ぶことは許さない、万が一、脅威が及ぶ場合には、断固として、これを排除する。我が国の揺るぎない意思と能力を示すものであります。

                     安全保障環境が厳しさを増す中で、我々は、我が国自身の防衛力を強化し、自らが果たしうる役割の拡大を図っていかなければなりません。

                     いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしは守り抜く。そのために必要な制度をこの4年間で整えました。私たちの子や孫、その先の世代に、平和な日本を引き渡していくための法的な基盤をしっかりと築き上げることができた、と考えています。

                     その新しい土台の上に諸君が、本日、自衛官としての新たな一歩を踏み出します。諸君は、新しい安全保障基盤を実行に移していく、いわば一期生であります。

                     この場所から、新しい歴史をつくりあげるのは、正に諸君であります。諸君の活躍を大いに期待しています。

                     PKO協力法が成立して25年。自衛隊の国際協力の歴史は、四半世紀に及びます。中でも、南スーダンPKOへの自衛隊派遣は、本年1月に5年を超え施設部隊としては過去最長となりました。

                     この間、自衛隊は、首都ジュバから各地へと通ずる幹線道路を整備してきました。総延長は200kmを超えています。

                     南スーダンの平和を守る国連の施設を建て、ジュバの人たちがスポーツに親しむグラウンドを整備したのも自衛隊の諸君であります。さらに、自衛隊が造成した土地の上には、ジュバ大学が建設され、南スーダンの未来を担う若者たちが学んでいます。

                     施設部隊の諸君は、この5年余りの間に過去最大規模の実績を残してくれました。

                     延べ3854名。第一次隊から第十一次隊に至るまで、5年もの長きにわたり、隊員一人一人が、アフリカの灼熱の大地に流した汗は、必ずや、南スーダンの平和と発展の大きな礎となるはずです。

                     見事にその任務を全うしてくれた隊員一人一人に、また、彼らを送り出してくださった御家族の皆様に、最高指揮官として、改めて、心より感謝の意を表したいと思います。

                     5月末を目途にジュバでの施設整備については、一定の区切りをつけますが、南スーダンのキール大統領からは、自衛隊のこれまでの活動を高く評価し、感謝する、との言葉もありました。

                     世界の平和のため黙々と任務を果たす自衛隊を、世界が称賛し感謝し頼りにしています。

                     その誇りを胸に、今後とも、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と安定のために力を尽くしてもらいたいと思います。

                     もはや一国のみでは自国の平和を守ることはできない時代です。だからこそ、どうか、いつも、世界に目を向けてほしい。内向きであってはなりません。

                     国際社会の冷厳なる現実を直視する。そして、我が国の平和と安定のために、今、何をなすべきか。そのことを常に自らに問いかけながら研さんを積み重ねてもらいたいと思います。

                     諸君は、本日、ここから巣立ち、近い将来、最前線の現場において責任ある立場に就きます。

                     警戒監視や情報収集に当たる部隊は、私の目であり耳であります。日々の艦艇や航空機の配置や動き、さらには、いかなる訓練をいかなる場所で行うか。様々な部隊をいかに配置するか。それらの全てが、我が国の確固たる意思を周辺国を始め世界に示すものであり、抑止力として大きな要素となっています。

                     つまり、最前線の現場にあって指揮をとる諸君と、最高指揮官である私との意思疎通の円滑さ、紐帯の強さが、我が国の安全に直結する。日本の国益につながっています。

                     昨年の熊本地震。私は、発災直後から政府全体に、被災者の皆さんの不安な気持ちに寄り添い、できることは全てやる、そう指示してきました。この大方針の下、被災地のそれぞれの現場では、従来の発想にとらわれることなく、能動的に行動してくれた自衛官たちがいました。

                     第8連隊の諸君は、困難な状況にある一人一人の被災者のニーズに、きめ細かく対応してくれました。お年寄りが、壊れた屋根にブルーシートをかけたいと言えば手伝い、崩れた農道を見つければ土のうを積んで農家が通れるようにしてあげたといいます。

                     要請がないことは、やらない。かつては、それが自衛隊の行動原理だと考えられてきました。しかし、第13旅団の諸君は、発災直後、各自治体が住民の安否確認に困難を極める中、自らの発意で、一軒一軒、村内の住宅を回り状況確認を行いました。

                     南阿蘇村の方から寄せられた手紙を紹介します。

                     陸の孤島になった時、自衛隊の車の列が見え、ホッとしました。見捨てられていないんだと感じたからです。・・・本当に、本当に、ありがとうございました。

                     こう綴(つづ)られていました。

                     本当に頼もしい。国民の負託に全力で応え、国民から揺るぎない信頼を勝ち得た自衛隊を、私は、誇りに思います。

                     その大きな自信を胸に、諸君も、これから、それぞれの現場において最善を尽くしてもらいたい。受け身ではなく、国民の負託に応えるため、能動的に考え行動できる自衛官となってくれることを切に希望します。

                     常識を発達させよ。見聞を広くしなければならぬ。小さな考えでは世に立てん。

                     これは、明治維新の立役者の一人である大村益次郎の言葉であります。

                     大村は、常に西洋の暦や世界地図を肌身離さず携帯するなど、進取の気性に富んだ人物でありました。だからこそ、欧米列強の脅威が迫る中、極めて短期間で軍の近代化という大事業を成し遂げることができたのだと思います。

                     最後に、もう一度、言います。

                     この場所から新しい歴史をつくりあげるのは、正に諸君であります。

                     その気概を持って、いかに厳しい現場にあっても、鍛錬を積み重ねてもらいたい。自衛隊の中枢を担うという強い使命感と責任感の下に、いかなる時も、成長への努力を惜しまないでほしいと思います。

                     そして将来、諸君の中から最高指揮官たる内閣総理大臣の片腕となって、その重要な意思決定を支える人材が出てきてくれる日を楽しみにしています。

                     御家族の皆様。皆様の大切なお子様を隊員として送り出していただいたことに、自衛隊の最高指揮官として、心から感謝申し上げます。

                     これほど礼儀正しく頼もしく立派な若武者ぶりを、どうか御覧ください。これもひとえに、すばらしい御家族の背中を彼らがしっかりと見て育ってきた。その素地があったればこそだと考えております。本当にありがとうございます。

                     大切な御家族をお預かりする以上、しっかりと任務を遂行できるよう、万全を期すことをお約束申し上げます。

                     最後となりましたが、学生の教育に尽力されてこられた國分学校長を始め教職員の方々に敬意を表するとともに、平素から防衛大学校に御理解と御協力をいただいている、御来賓、御家族の皆様に心より感謝申し上げます。

                     卒業生諸君の今後ますますの活躍、そして防衛大学校の一層の発展を祈念して、私の訓示といたします。

                    平成29年3月19日
                    自衛隊最高指揮官
                    内閣総理大臣 安倍 晋三

                    posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:02 | - | - | - | - |
                    【特番】平成二十九年 新春特別対談 − 渡部昇一氏と語る[桜H29/1/2]
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                      【特番】平成二十九年 新春特別対談 − 渡部昇一氏と語る[桜H29/1/2]

                       

                           https://youtu.be/1t-BOj1-Y34

                       

                       特番】平成二十九年 新春特別対談 − 日下公人氏と語る[桜H29/1/3]    

                       

                            https://youtu.be/TA8e7MfOu24     

                      posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:56 | - | - | - | - |