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内閣府「社会意識に関する世論調査」
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    内閣府が1日に発表した「社会意識に関する世論調査」で、現在の社会に全体として「満足している」との回答が65・9%で、前回調査(平成28年2月)から3・9ポイント増加した。質問を始めた21年以降で最高となった。一方、「満足していない」は3・9ポイント減の33・3%で、過去最低だった。

     満足している点は「良質な生活環境」が43・2%で最も多く、「心身の健康が保たれる」(27・0%)、「向上心、向学心を伸ばしやすい」(17・8%)、「人と人が認め合い交流しやすい」(17・1%)、「働きやすい環境」(15・7%)などが続いた。反対に、満足していない理由のトップは「経済的なゆとりと見通しが持てない」(43・0%)だった。

     民意が国の政策に「反映されている」と思う人は、4・7ポイント増の34・6%で、過去最高水準に迫った。日本が良い方向に向かっていると思う分野では「医療・福祉」(31・4%)、「科学技術」(25・8%)、「治安」(22・0%)などが上位に挙がった。

    日本が悪い方向に向かっている分野を聞いたところ、「防衛」が28・2%で、前回調査から4・0ポイント増加した。質問を始めた10年以降で最高となった。北朝鮮が昨年だけで23発の弾道ミサイルを発射し、核実験を2回行うなど、安全保障上の脅威が高まっていることへの不安が顕在化したようだ。

     同じ質問で「外交」と答えた割合は26・7%と前回から8・1ポイント増えた。内閣府は北朝鮮情勢に加え、調査期間(1月19日〜2月5日)が米国の政権移行期と重なり、トランプ大統領の外交政策が不透明だったことが影響したとみている。

     また、国を愛する気持ちが他人と比べ「強い」と答えたのは55・9%、「弱い」が6・0%で、ともに横ばいだった。国を愛する気持ちを育てる必要があるかについて「そう思う」との回答は73・4%で、23年(81・0%)以降、6年連続の減少となった。

     日本人が「国民全体の利益」と「個人の利益」のどちらを大切にすべきか尋ねたところ、「国民全体」が5年ぶりに増加して49・3%、「個人」は6年ぶりに減少して32・7%だった。

    調査は昭和44年から原則毎年実施。これまで20歳以上が対象だったが、選挙権年齢が昨夏の参院選から「18歳以上」に引き下げられたことを受け、今回から18歳以上とした。1万人に面接方式で実施し、5993人が回答した。

    posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:03 | - | - | - | - |
    平成28年度 防衛大学校卒業式 内閣総理大臣訓示(平成29年3月19日)
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       本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、これからの我が国の防衛の中枢を担う諸君に心からのお祝いを申し上げます。

       卒業おめでとう。

       諸君の規律正しく希望に満ちあふれた姿に接し、自衛隊の最高指揮官として心強く大変頼もしく思います。

       諸君が、この防衛大学校の門をたたいたのは、私が、再び総理大臣に就任し、自衛隊の最高指揮官となった直後のことでした。

       我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中、責任を持って対応せよとの国民の声に背中を押され、政権交代が実現しました。

       そして4年前、正にこの場所に立って、諸君の先輩たちを前に、私が先頭に立って、国民の生命・財産、我が国の領土・領海・領空を守り抜く、その断固たる決意を表明したことを、昨日のことのように思い出します。

       その決意を実際の行動に移す。諸君たちが、ここ小原台で奮闘していた4年間、私も、安全保障政策の立て直しに全力を尽くしてきました。

       日本で初めての「国家安全保障戦略」の策定。

       NSC「国家安全保障会議」の設置。その事務局では、将官を筆頭に20名を超える自衛官が私を支えてくれています。

       新たな「防衛計画の大綱」では、10年間一貫して削減が続いていた防衛費を増加させていく方針を決定いたしました。

       さらには、「防衛装備移転三原則」。友好国の防衛能力の向上は、地域全体の平和と安全に大きく寄与するものであります。

       そして、平和安全法制の成立と施行。国際社会と手を携えて、戦争を抑止し、世界の平和と安全に貢献する。この法制は、世界から支持され高く評価されています。

       平和安全法制をめぐっては、国論を二分する大きな議論がありました。戦争法案といった、全く根拠のない、ただ不安だけをあおろうとするレッテル貼りが横行した。ここ小原台で学ぶ諸君の耳にも届いていたかもしれません。

       しかし、結果は、どうであったか。

       今月、北朝鮮が、またも安保理決議を踏みにじり、ミサイル発射を強行しました。国際社会への明確な挑戦であるだけでなく、3発のミサイルがEEZ内に着弾し、うち1発は能登半島からわずか200kmの場所に落下した。我が国の安全保障上、極めて深刻な事態であります。

       この、新たな段階に入った北朝鮮の脅威に対し、直ちに日米電話首脳会談を行いました。その際、トランプ大統領からは、米国は100%日本と共にあるとの明確な意思が表明された。そして、そのことを日本国民の皆さんにも伝えてほしい。米国を100%信頼してほしいとの力強い言葉がありました。

       助け合うことができる同盟は、その絆を強くすることができる。平和安全法制によって日米同盟の絆は、間違いなく、より強固なものとなった。今回の対応は、そのあかしであります。

       行動を起こせば批判が伴う。これは今も昔も変わりません。安保条約を改定した時も、PKO協力法を制定した時も、戦争に巻き込まれるといった無責任な批判がありました。
       しかし、果敢に行動してきた先人たちのお陰で、私たちは、戦後一貫して平和を享受することができた。そのことは、歴史が証明しています。

       先ほど國分学校長から御紹介があったように、本日はホーム・カミング・デーとして、昭和49年に防衛大学校を卒業したOBの皆さんもお集まりです。皆さんも在職中、心ない多くの批判にさらされてきたかもしれません。

       そうした批判にも歯を食いしばり、皆さんは、自衛隊の中枢にあって与えられた任務を立派に全うしてこられた。そして、米国や志を共にする民主主義諸国とともに、冷戦を勝利へと導きました。

       卒業生諸君、そして御列席の皆様。この大きな仕事を成し遂げ、本日、懐かしきこの学びやに戻ってこられたOBの皆さんへの心からの感謝と歓迎の気持ちと敬意を、私からも皆様と共に大きな拍手をもって贈りたいと思います。

       冷戦はもはや過去のものでありますが、世界は、今この時も私たちが望むと望まざるとに関わらず絶えず変化しています。

       北朝鮮による核・ミサイル開発は深刻さを増し、南西方面では、外国軍機による領空接近も増加している。テロの脅威は、世界に拡散し多様化しています。こうした現実から、私たちは、目を背けることはできません。

       そして、自らの手で自らを守る気概なき国を誰も守ってくれるはずがない。安全保障政策の根幹となるのは、我が国自らの努力であります。

       その最終的な力が、諸君たち自衛隊であります。我が国に直接脅威が及ぶことは許さない、万が一、脅威が及ぶ場合には、断固として、これを排除する。我が国の揺るぎない意思と能力を示すものであります。

       安全保障環境が厳しさを増す中で、我々は、我が国自身の防衛力を強化し、自らが果たしうる役割の拡大を図っていかなければなりません。

       いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしは守り抜く。そのために必要な制度をこの4年間で整えました。私たちの子や孫、その先の世代に、平和な日本を引き渡していくための法的な基盤をしっかりと築き上げることができた、と考えています。

       その新しい土台の上に諸君が、本日、自衛官としての新たな一歩を踏み出します。諸君は、新しい安全保障基盤を実行に移していく、いわば一期生であります。

       この場所から、新しい歴史をつくりあげるのは、正に諸君であります。諸君の活躍を大いに期待しています。

       PKO協力法が成立して25年。自衛隊の国際協力の歴史は、四半世紀に及びます。中でも、南スーダンPKOへの自衛隊派遣は、本年1月に5年を超え施設部隊としては過去最長となりました。

       この間、自衛隊は、首都ジュバから各地へと通ずる幹線道路を整備してきました。総延長は200kmを超えています。

       南スーダンの平和を守る国連の施設を建て、ジュバの人たちがスポーツに親しむグラウンドを整備したのも自衛隊の諸君であります。さらに、自衛隊が造成した土地の上には、ジュバ大学が建設され、南スーダンの未来を担う若者たちが学んでいます。

       施設部隊の諸君は、この5年余りの間に過去最大規模の実績を残してくれました。

       延べ3854名。第一次隊から第十一次隊に至るまで、5年もの長きにわたり、隊員一人一人が、アフリカの灼熱の大地に流した汗は、必ずや、南スーダンの平和と発展の大きな礎となるはずです。

       見事にその任務を全うしてくれた隊員一人一人に、また、彼らを送り出してくださった御家族の皆様に、最高指揮官として、改めて、心より感謝の意を表したいと思います。

       5月末を目途にジュバでの施設整備については、一定の区切りをつけますが、南スーダンのキール大統領からは、自衛隊のこれまでの活動を高く評価し、感謝する、との言葉もありました。

       世界の平和のため黙々と任務を果たす自衛隊を、世界が称賛し感謝し頼りにしています。

       その誇りを胸に、今後とも、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と安定のために力を尽くしてもらいたいと思います。

       もはや一国のみでは自国の平和を守ることはできない時代です。だからこそ、どうか、いつも、世界に目を向けてほしい。内向きであってはなりません。

       国際社会の冷厳なる現実を直視する。そして、我が国の平和と安定のために、今、何をなすべきか。そのことを常に自らに問いかけながら研さんを積み重ねてもらいたいと思います。

       諸君は、本日、ここから巣立ち、近い将来、最前線の現場において責任ある立場に就きます。

       警戒監視や情報収集に当たる部隊は、私の目であり耳であります。日々の艦艇や航空機の配置や動き、さらには、いかなる訓練をいかなる場所で行うか。様々な部隊をいかに配置するか。それらの全てが、我が国の確固たる意思を周辺国を始め世界に示すものであり、抑止力として大きな要素となっています。

       つまり、最前線の現場にあって指揮をとる諸君と、最高指揮官である私との意思疎通の円滑さ、紐帯の強さが、我が国の安全に直結する。日本の国益につながっています。

       昨年の熊本地震。私は、発災直後から政府全体に、被災者の皆さんの不安な気持ちに寄り添い、できることは全てやる、そう指示してきました。この大方針の下、被災地のそれぞれの現場では、従来の発想にとらわれることなく、能動的に行動してくれた自衛官たちがいました。

       第8連隊の諸君は、困難な状況にある一人一人の被災者のニーズに、きめ細かく対応してくれました。お年寄りが、壊れた屋根にブルーシートをかけたいと言えば手伝い、崩れた農道を見つければ土のうを積んで農家が通れるようにしてあげたといいます。

       要請がないことは、やらない。かつては、それが自衛隊の行動原理だと考えられてきました。しかし、第13旅団の諸君は、発災直後、各自治体が住民の安否確認に困難を極める中、自らの発意で、一軒一軒、村内の住宅を回り状況確認を行いました。

       南阿蘇村の方から寄せられた手紙を紹介します。

       陸の孤島になった時、自衛隊の車の列が見え、ホッとしました。見捨てられていないんだと感じたからです。・・・本当に、本当に、ありがとうございました。

       こう綴(つづ)られていました。

       本当に頼もしい。国民の負託に全力で応え、国民から揺るぎない信頼を勝ち得た自衛隊を、私は、誇りに思います。

       その大きな自信を胸に、諸君も、これから、それぞれの現場において最善を尽くしてもらいたい。受け身ではなく、国民の負託に応えるため、能動的に考え行動できる自衛官となってくれることを切に希望します。

       常識を発達させよ。見聞を広くしなければならぬ。小さな考えでは世に立てん。

       これは、明治維新の立役者の一人である大村益次郎の言葉であります。

       大村は、常に西洋の暦や世界地図を肌身離さず携帯するなど、進取の気性に富んだ人物でありました。だからこそ、欧米列強の脅威が迫る中、極めて短期間で軍の近代化という大事業を成し遂げることができたのだと思います。

       最後に、もう一度、言います。

       この場所から新しい歴史をつくりあげるのは、正に諸君であります。

       その気概を持って、いかに厳しい現場にあっても、鍛錬を積み重ねてもらいたい。自衛隊の中枢を担うという強い使命感と責任感の下に、いかなる時も、成長への努力を惜しまないでほしいと思います。

       そして将来、諸君の中から最高指揮官たる内閣総理大臣の片腕となって、その重要な意思決定を支える人材が出てきてくれる日を楽しみにしています。

       御家族の皆様。皆様の大切なお子様を隊員として送り出していただいたことに、自衛隊の最高指揮官として、心から感謝申し上げます。

       これほど礼儀正しく頼もしく立派な若武者ぶりを、どうか御覧ください。これもひとえに、すばらしい御家族の背中を彼らがしっかりと見て育ってきた。その素地があったればこそだと考えております。本当にありがとうございます。

       大切な御家族をお預かりする以上、しっかりと任務を遂行できるよう、万全を期すことをお約束申し上げます。

       最後となりましたが、学生の教育に尽力されてこられた國分学校長を始め教職員の方々に敬意を表するとともに、平素から防衛大学校に御理解と御協力をいただいている、御来賓、御家族の皆様に心より感謝申し上げます。

       卒業生諸君の今後ますますの活躍、そして防衛大学校の一層の発展を祈念して、私の訓示といたします。

      平成29年3月19日
      自衛隊最高指揮官
      内閣総理大臣 安倍 晋三

      posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:02 | - | - | - | - |
      【特番】平成二十九年 新春特別対談 − 渡部昇一氏と語る[桜H29/1/2]
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        【特番】平成二十九年 新春特別対談 − 渡部昇一氏と語る[桜H29/1/2]

         

             https://youtu.be/1t-BOj1-Y34

         

         特番】平成二十九年 新春特別対談 − 日下公人氏と語る[桜H29/1/3]    

         

              https://youtu.be/TA8e7MfOu24     

        posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:56 | - | - | - | - |
        安倍政治/小川栄太郎
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           久しぶりに安倍政治について書く。
          北方領土問題、日露問題がどうなるかはわからないが、改めて思ふ事は、日本の戦後70年といふのは、本当に解決すべき事、本当に直面すべき問題から全て逃げ続けた70年だつたといふ一事だ。領土問題などタイミングを外せば「力による解決」以外はよほどのオプションをつけても解決困難になり続けるのは当然だ。時間が経つほどに、向こうは盗んだことは忘れ、逆に、自分のものを一方的に奪われるといふ国民感情になるのだから。全てにわたり日本の戦後はこの手の根源的な問題の悪い先延ばしが多過ぎた。
          安倍政権は、それら積み残しの宿題に取り組むといふ総理自身の決意と鳴り物入りとで登場し、二度目の今回4年を経過、理念としての総理の決意と現実に解決可能なレベルの落差が種々見えてきた。総理が現実に解決する意欲を持つてゐるからこそ、課題そのものが見えて来た、政権の歴史的意義が第一にそこにあると改めて感じてゐる。
          逆に言へば、戦後の積み残し、戦後の宿題を真面目にやるつもりのない総理しか存在しなかつた。少なくとも佐藤の沖縄返還の後はさうだ。だから、保守論壇も何...十年と左翼批判か自民党政権は駄目だ論の周りをぐるぐるまわつてゐた。
          しかし、安倍氏は少なくとも本質的な問題の解決を決意し、現実化しようと真面目に考へ続け、今もさうしてゐる。
          だからこそ、「それでも解決できない宿題」がやつと見えてきたといふべきだらう。安倍批判をするのは結構だが、現実に力になる批判ができるかどうか、つまり批判者の言説の力、政治的な力量も、これだけの課題を一人で解決するつもりの総理を批判する上では問はれる。例へば中西輝政氏の安倍談話、日韓合意批判、山岡鉄秀氏の外務省英語批判などは、政治的な成果に結びつけ得る生産的なものだと考へる。リフレ派による、財務省に政策をリードさせないための様々な牽制球も同様だ。批判者には、批判を政治に直かに反映させる努力も伴つてほしいと考へる。
          何しろ考へてごらんなさい。通常の国家運営をまともにやるさへ大変なのにそれに加へ、
          安倍総理の決意一つで、皇室弱体化、憲法の根本的な欺瞞、靖国参拝や歴史認識、北朝鮮の拉致、北方領土、日米同盟の対等化、中国の脅威への毅然たる対処など防衛力の飛躍的強化、新たな世界秩序の中での日本の方針と地位の確立、政党力の強化、財務省や外務省に代表される霞が関の病理や利権や外国勢力跋扈、過激な人権政策から子供や家族を守る国への転換、更に人口問題・地方の疲弊など若い世代の生命力の低下などが、全部鮮やかに解決できれば世話はない。
          しかし、安倍氏の解決への決意によつて、かうした問題の多くが真に解決すべき課題として見えてきた。総理がチャレンジしてゐるからこそ、不足点が見えて来た。駄目な点が見えて来た。方針の誤りがあればそれも見えて来た。
          それでも足りない、方向が違ふと批判するのも結構。いや大いにやつてゐると評価するのも結構。心ある皆の力で日本の宿題を解決しよう、その歩を前に進める言動ならば、全て大いに結構。私も自分の仕事の領域でそれをするつもりだ。

          posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:30 | - | - | - | - |
           天皇の譲位問題は時間をかけた議論が重要/秋篠宮家への手厚い支え/櫻井よしこ
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            天皇の譲位を認めるべきか否かについての専門家16人からの意見聴取が11月30日に終わった。意見は大きく3つに分かれている。(1)譲位を恒久的制度とする、(2)譲位を認めつつも、今回限りの特別措置とする、(3)譲位ではなく摂政を置く、である。

            私は専門家の1人として、天皇陛下のお気持ちに沿うべく、最大限の配慮をすると同時に、そうした配慮と国の制度の問題は別であることを認識して、(3)を主張した。皇室と日本国の永続的安定のためにもそれが良いと考えた。

            一方で、日本国民の圧倒的多数は陛下の「お言葉」を受けて、譲位を認めるべきという意見である。

            こうした中、陛下にごく近い長年の友人である明石元紹(もとつぐ)氏(82歳)が、陛下が譲位を「将来も可能に」してほしいと、以前より話されていたと、「産経新聞」に語った。同紙は12月1日の紙面で、明石発言を1面トップで報じた。さらに、11月30日に51歳のお誕生日を迎えられた秋篠宮さまも陛下の「お言葉」について、初めて公式に感想を述べられた。

            「お言葉」を通して、「長い間考えてこられたことをきちんとした形で示すことができた、これは大変良かった」「最大限にご自身の考えを伝えられた」「折々にそういう考えがあるということを伺っておりました」との内容だ。秋篠宮さまご自身、5年前のお誕生日前の会見で、天皇の「定年制」も必要だと語り、注目された。

            皇室から次々に、譲位に向けた強いお気持ちの表明がなされる中で、私たちに課せられた課題は前述したように陛下のお気持ちを尊重しつつ、国柄を維持する制度の問題を、どう融合させていくかという点であろう。陛下がお気持ちをこれほど強く表明される中で、政府および有識者会議は、歴史と、皇室を軸とする日本の国柄を踏まえ、賢い解決策を出さなければならない。

            政府の決定いかんにかかわらず、日本国として同時進行でしっかりと策を講じるべきこともある。次の世代の皇室をよりよく守り、支えるには、皇室の現状に多くの課題があることを認識しなければならない。皇位継承の安定はその筆頭だ。1つの方策として指摘されている旧宮家の皇族への復帰案などは、皇室典範の改正が必要であり、議論のための十分な時間が必要だ。

            そうしたこと以前に、皇室典範や憲法改正を伴わずに今すぐできることもある。その緊急性を示したのが過日の交通事故である。

            11月20日、秋篠宮妃紀子さまと悠仁さま、ご学友が乗ったワゴン車が中央道で追突事故を起こした。紀子さまらにけがはなく、追突された乗用車の側も無事だったのは、何よりだった。だが、よりによって悠仁さまの乗った車がなぜ事故を起こしたのか。理由は秋篠宮家に対する支えの体制が不十分であることに尽きるだろう。

            皇位継承権保持者としてただ1人、若い世代の悠仁さまは、皇室にとっても日本にとっても掛け替えのない方だ。その悠仁さまの車になぜ、先導車が就かないのか、交通規制が敷かれないのか。天皇、皇后両陛下や皇太子ご一家のお出掛けでは、白バイが先導し、後方を警備車両が固める。信号は全て青になるよう調整され、高速道路には交通規制がかけられる。交通事故など、起こりようがない状況が整えられる。

            この当然の対応が、秋篠宮家に対しては一切取られていない。公務でのお出掛けでも、後方に警備車両が一台就くだけだ。理由は秋篠宮家は他の皇族と同じ扱いになるからだという。しかし、陛下の譲位が取り沙汰される中、皇位継承権保持者お二人を擁する秋篠宮家にはもっと手厚い支えをするのが筋である。安定した皇位継承体制をつくる法議論も必要だが、このような目の前の日常の事柄への配慮も欠かしてはならないと思う。

            posted by: samu | 頑張れ日本 | 11:52 | - | - | - | - |
             現行憲法が外国製であることの“異常”さ/加瀬英明
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              日本が占領下で自由を奪われていた間に、外国によって銃口を突きつけられて、強要された現行憲法は、日本国憲法と呼ばれているが、「日本国」の名に価いしない。

              天皇は、日本国の「象徴」(第1条)と規定されているが、「日本国憲法」の原文である英語では、「シンボル」と書かれている。

              日本の憲法の原文が、外国語の英語だというのは、異常なことではないか。

              「異常」という言葉は、「体の異常を訴える」とか、「精神が異常だ」という意味で、用いられる。

              原文が外国語であるということだけとっても、今日の日本は異常である。

              「日本国憲法」が制定されるまでは、「菊花は御皇室の象徴である」というように、象徴という言葉はあったが、日本語で人間を指して、「象徴」という使用法はなかった。シンボルという原文を、他に訳しようがなかったからだった。

              現行憲法のなかで一つ、それまで日本語に存在しなかったのに、日本語として新しく造られた言葉が、用いられている。

              ブンミン――「文民」という言葉だ。憲法第66条2項は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と、定めている。

              軍人であってはならない、というのだ。第九条が軍隊を保有することを禁じているから、軍人がいるはずがないのに、このような条項があるのは奇妙なことだが、大慌てでつくった、お粗末な“即席憲法”であることを、示している。

              占領軍がつくった原文では、この「文民」に当たる言葉は、「シビリアン」である。ところが、それまで「シビリアン」には「市民」とか、「民間人」という訳語しかなかったので、法律の用語として適切でなかった。

              もし、現憲法を日本の手でつくって、制定したとすれば、それまで存在しなかった、新しい言葉を造って、用いることはなかっただろう。このこと、一つだけをとっても、現憲法が外国製であることが分かる。

              私は「象徴」という言葉を、それまでなかった用いかたをしたり、「文民」という新しい言葉を造ったことを、非難しているのではない。

              明治以後、「社会」「個人」「宗教」「指導者」「独裁者」や、「恋愛」という、それまで日本語のなかになかった、おびただしい数にのぼる新語――明治翻訳語と呼ばれる言葉――が造られては、日本語に仲間入りしている。

              私は本誌の前号で、日本はいま生きている日本国民のものだけではないと、訴えた。

              当然のことだが、2000年以上にわたって、日本列島に生を享けて、日本という国を創ってきた御先祖たちも、この国の主人である。

              日本国はこの瞬間だけ、存在しているのではない。父祖代々にわたる深い根がある。根のない国にしてはならない。
              天皇が「日本国民の象徴」であるという時には、いま生きている日本国民の象徴であられるだけではなく、2000年以上にわたる日本国の象徴であられるのだ。

              昭和天皇は、今上陛下が御成婚になられた日に、「あなうれし神のみ前に 日の御子のいちせの契り結ぶこの朝」と、御製を詠まれている。天照大御神のお血筋を継がれていることを、祝われたのだった。

              posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:47 | - | - | - | - |
              「 天皇陛下のお言葉に応えるには 」櫻井よしこ
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                『週刊新潮』 2016年11月24日号
                日本ルネッサンス 第730回

                8月8日の今上陛下の「お言葉」で、私たちは改めて天皇の役割と日本国の在り方について根本から考える機会を得た。政府は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置。11月14日、私は専門家16人の1人として意見を述べた。
                 
                有体にいえば、陛下のお気持を人間としての思いを軸に受けとめる場合と、国の在り方を基に判断する場合とでは、結論は異なりかねない。従って、いますべきことは、いわば情と理の2つの次元が近づき融和するところまで叡智を絞って辿りつくことである。そのための努力が必要だと私は思う。
                 
                お言葉の趣旨は次のとおりだ。象徴天皇として国の安寧と国民の幸せを祈る祭祀を大切にしてきた。人々の傍らに立ち、寄り添うことも大切にしてきた。しかし高齢によって全身全霊で象徴天皇の務めを果たすことが難しくなった。国事行為や公務の縮小による解決には無理がある。摂政を置いても、天皇の重責を果たし得ないまま天皇であり続けることになる。国民の理解を得て、こうした事態を避ける方法を導き出したい。
                 
                丁寧な表現で示されたお言葉からは譲位を望まれていることが明確に伝わってくる。圧倒的多数の国民は陛下の思いに共感し、譲位を可能にすべきだという意思表示をした。
                 
                災害時には被災地に足を運ばれ、病む人々の施設を分け隔てなくお見舞され、内外の戦跡を訪ねては鎮魂の祈りを捧げて下さるお姿が国民の心にしっかり焼き付いている。全身全霊でご公務に打ち込んでこられたことを国民はよく知っており、両陛下に深く感謝している。それ故に、こうしたことが高齢の身には辛くなったと陛下が仰ったとき、一も二もなく、大多数がお言葉を受け入れ、陛下の仰るとおりにして差し上げたいと願った。
                 
                私とて例外ではない。1人の国民としての私の素朴な思いは両陛下への感謝と尊敬に始まる。御心よ安かれとの願いも強い。従ってお言葉を耳にしたとき、如何にしてお言葉に応え得るのかという視点で考え始めたのは、ごく自然なことだった。

                永続性と安定性
                 
                お言葉には「2年後には、平成30年」という表現もあった。それまでの譲位を望まれているとすれば、時間は限られている。皇室典範を大幅に改正する余裕などどう考えてもない。ならば、制限された時間の中で、特別立法で対処するのがよいのか。法技術に関しては政府が叡智を集めれば道は開けるはずだ。このような考えが脳裡に浮かび続けた。
                 
                だが、その間にも、譲位を恒久制度化して問題はないのか、そもそも譲位を認めることは国の在り方とどう関わってくるのかという問いが、心の中にあった。皇室の安定と日本の形はどうなっていくのかという疑問も募った。
                 
                周知のように明治以前、譲位は度々行われた。だが、長い鎖国が破られ、弱肉強食の国際環境の中に日本が立たされたとき、先人達は譲位の制度をやめた。明治維新は、もはや機能しなくなった徳川幕府に代わって、天皇が政治、軍事、経済という世俗の権力の上位に立ち、国民の心を統合して成し遂げた大変革である。
                 
                国内事情だけを見ていれば事は治まったそれ以前の時代が去り、安定した堅固な国家基盤を築かなければ生き残れない国際競合の時代に入ったとき、先人たちは皇室にもより確かな形で永続性と安定性が必要だと考えたのではないか。国民統合の求心力であり、国民の幸福と国家安寧の基軸である皇室の安定なしには、日本の安定もないと考えたのではないか。それが譲位の道を閉ざした理由のひとつではないか。
                 
                歴史において譲位は度々政治利用された。時には国家・社会の混乱にもつながった。このことも譲位の制度をやめた一因ではなかったか。
                 
                それに対して、譲位の悪用などもはや現在の日本ではあり得ないとの声がある。そうかもしれない。だが、100年後、200年後はどうか。国の基盤については、長い先までの安定を念頭に、あらゆる可能性を考慮して、万全を期すことが大事だ。
                 
                明治の先人たちが智恵を絞って考えた天皇の在り方は、その後の歴代天皇によっても固く守られてきた。昭和天皇は病いを得ても、ご公務がかなわなくとも、譲位なさらず、天皇として一生を完うされた。
                 
                今上陛下のお言葉が発せられたことを考慮しても、このような歴史を振りかえれば、私たちは慎重でなければならないとの思いが湧いてくる。
                 
                ご高齢の陛下への配慮が当然なのは言うまでもないが、そのことと国家の在り方の問題は別である。この大事なことを認識しなければならない。結論からいえば、私はご譲位ではなく摂政を置くべきだと考える。日本国の選択として、これまでのように天皇は終身、天皇でいらっしゃるのがよいと考える。皇室典範第16条2項に「又はご高齢」という5文字を加えることで、それは可能になる。

                祭祀を中心軸に
                 
                だが、ここで再度、強調したい。大事なことは、国家の制度をきちんと守りながら、人間として、陛下の思いを丁寧に掬い上げ、その思いを実現すべく最大限の努力を、官民あげてすることだ。智恵を絞るのだ。それが圧倒的多数の国民の期待するところでもあろう。有識者会議が具体的目的として、ご高齢の両陛下の過重なお務めを如何にして削減するかを掲げた理由もそこにあると思う。
                 
                早急にできることがある。天皇陛下のお仕事は現在、➀国事行為、➁公的行為、➂祭祀、➃私的行為に分類されている。長い伝統に基づけば、皇室本来のお務めで第一に来るべきは➂である。しかし連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、国民のために祈る最重要のお務めを私的行為と位置づけた。
                 
                その順位をいま、実質的に変えるのである。天皇のご日常を➂を最優先して、➂➀➁の順に組み替えればよい。憲法や皇室典範を持ち込む必要はないだろう。地方や海外への行幸啓の折も、陛下は多くの公式行事の合間を縫うようにして祭祀をなさっている。天皇陛下に祭祀のための時間的余裕を設けることで、祭祀を中心軸とするご日常が可能になるのではないか。
                 
                このようにしたうえで、天皇陛下のお仕事を祭祀、国事行為、公的行為のそれぞれで整理し優先順位をつけ、普段から皇太子様や秋篠宮様との分担体制を工夫しておくのはどうか。祭祀、国事行為、公的行為は、現行制度の下でも皇太子様や秋篠宮様に代行していただくことが可能である。それをもう少し整理して進めることに何の問題もないはずだ。
                 
                現行法の下でできることは実は少くない。現実的な工夫と努力を、摂政制度に重ねながら実践することで、陛下の御心にも沿えるのではないかと、私は願っている。

                posted by: samu | 頑張れ日本 | 14:02 | - | - | - | - |
                すべってころんで 山がひっそり高齢社会を考える/加瀬英明
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                  75歳の誕生日を迎えてから、ほどなく4年目が過ぎようとしているが、実感がない。

                  だが、草原のライオンも、イエネズミも、自分の年齢を知らないし、知ろうとしない。

                  私には動物の逞しさが、身についているのだろう。

                  それでも、休む間がない。先日、月刊『HANADA』の花田紀凱氏と会ったところ、「引退したら、どう毎日を過したらよいのか、分からない」と、同意してくれた。花田氏も70代になった。

                  『労働経済白書』が求めていること

                  9月に、厚生労働省が『労働経済白書』を発表したが、少子高齢化による労働力不足を解消するために、「今後増え続ける高齢者の就労が重要」だとして、高齢者の労働市場参加を促す環境づくりをすることが必要だと、述べている。

                  60歳以上の人口が、この10年間で937万人から、1264万人に増えたという。

                  これまで振り返ると、凡倉(ぼんくら)が山道をのぼったり、降りたりしてきたが、「すべってころんで 山がひっそり」という山頭火の句がぴったりする。

                  生きることは生かされること

                  私は無為を勧める老子に憧れてきたが、無為徒食という訳にゆかないので、物書きとして糊口の道を選ばざるをえなかった。

                  鳥は向い風があるから飛べるが、荊妻(けいさい)を養い、食扶持(くいぶち)を稼ぐために、締め切りの強風に立ち向う、繰り返しだ。

                  荊妻は、西晋の皇甫謐(216年〜284年)の『烈女伝』にでてくる美談だが、後漢の文人だった梁鴻(りょうこう)の妻が、夫に負担をかけてはならないと思って、飾ることなく、庭先で摘んだ荊(いばら)を簪(かんざし)として、いつも髪にさしていたことに因(ちな)んでいる。

                  凡倉はぼんやりしていて、世事に昏(くら)いことをいう。世事に昏いから、毎日、学ばなければならない。一日向上しなければ、一日退歩する。

                  凡倉に生まれついているのは、天の恵みだ。

                  幼な兒がはじめて目を大きく開いて、目の前にひろがる世界を見るたびに、新鮮な発見をして喜ぶように、退屈することがない。

                  だから、休む暇がない。

                  レールからの解放

                  この春に、自民党の委員会の「2020年以降の経済財政構想小委員会」が、今後のあるべき社会を討議して、『レールからの解放――22世紀へ。人口減少を強みに変える、新たな社会モデルを目指して』という、報告書を発表した。

                  この報告書によれば、これまで国民の大多数が終身雇用制度のもとで、「20年学び、40年働き、20年休む」のが、常態であってきたらしい。

                  20年休むだって? いったい、この小委員会は、どのようなメンバーを集めたのだろうか、知りたいものだ。

                  だが、そんな銀の匙(シルバー・スプーン)ならない、銀のレールのうえを、快(こころよ)く揺られながら走ってきた者は、国民のほんの一部でしかないはずだ。

                  自民党のレポートは、22世紀を論じているから、慌てふためかなくてもよいだろう。

                  働くかぎり青春が続く

                  ちょうど、月刊『文藝春秋』10月号が送られてきたので、ページをめくっていたら、「将来、日本から『正社員』が消える」という見出しが、目に入った。

                  将来というと、もっと間近だ。そうなると、正社員として禄を食んでいる人々や、正社員を目指す人々にとっては、深刻な問題だろう。

                  銀のレールの上を走りたいというのも、山道を歩もうというのも、人それぞれ好みによるものだ。

                  だが、人生は転ばなければ、掴めないものも、たくさんある。

                  法華経は、凡夫を「凡夫浅識」といって、慾望に駆られるために迷い、悟りをえることができない愚かな人として見下しているが、私はもっともっと働いて、いつか妻に感謝して、荊にかえて、銀の簪を買ってやりたいと思っているから、あと10年か、20年は、凡夫でいたい。

                  65歳から老人だというが

                  9月に「敬老の日」が巡ってきた。65歳から、老人になるという。

                  このごろ、日本では「父の日」とか、「母の日」とか、「豆腐の日」「眼鏡の日」「食パンの日」とか、毎日が何かの日となっている。

                  かつては、老人や、父母は、毎日敬われたから、そのような日は必要なかった。

                  清少納言の『枕草子』に、「ただ過ぐるもの」として、「帆をあげた船、人の齢(よわい)、春夏秋冬」とあるのを、思い出した。

                  どうして「敬老の日」を、秋に据えたのだろうか。春にしてほしい。

                  先の報告書に戻ると、「20年休む」というが、いったい、どうやって休むのだろうか?

                  忙しいなかで休むのは楽しいが、来る日も来る日も、四六時中休んでばかりいたら、休むことができるものだろうか。

                  このごろの夫婦は、名勝を巡ったり、クルーズ、海外へ観光旅行へ出かけたりして、散財を楽しむようだ。

                  いつのまにか、労働者がいなくなって、全員が消費者になった。経済を優先して、人までが消費されている。

                  自分まで消費してしまってよいか

                  先進経済諸国では、あらゆるものに値札がついている。あらゆるものの価値が、金(かね)の多寡(たか)によってはかられる。

                  だが、シャンデリアが下っている高級クラブで、1瓶10数万円もするブランデーをのんだり、客単価が3、4万円もするようなレストランで食事をして、いま、自分が贅沢をしていると思うほど、貧しいことはないだろう。これほど、寒(さ)む寒(ざ)むしいことはない。

                  贅沢をしても、そう感じないことが、ほんとうの贅沢だ。妻に「お休み」をいう時、2人で茶を喫する時、これ以上の贅沢はない。

                  たまに茶屋に遊びにいっても、目もとの涼しい芸妓がいなくなった。だが、芸事に励(いそし)んでいるのが、嬉しい。

                  家庭安楽は安心が与える

                  銀座の高級クラブには、誘われないかぎり、足が遠のいている。30年前よりも、ホステスの化粧がうまくなったが、シロウトの女性と同じように、表情が険しくなった。

                  家にいるほうが、楽しい。

                  やはり、タダのものがよい。

                  テレビや、CMや、雑誌が、大企業の金儲けのために都合のよい客観ばかりによって、人々の頭をみたしてゆく。客観ばかりに身を委ねると、自分を失ってしまう。無目的な動によって、支配されてはなるまい。

                  人の心の働き――主観のほうが、尊いはずだと思う。

                  秋だ。昨日は、庭で鈴虫が鳴いていた。
                  「鈴虫が声かりたつる秋の夜は あわれにもののなりまさるかな」と、和泉式部が嘆いている。

                  『万葉集』『古今和歌集』をはじめとする歌集を、古典だと思ってはならない。そう思った瞬間に、歌が生命(いのち)を失う。私にとって、額田王(ぬかたのおおきみ)や和泉式部は、同世代の人だ。

                  原稿に向かう筆を休めると、白楽天(772年〜846年)が、「秋来 タダ一人ノタメニ長シ」と、耳もとで囁く。

                  しばし、まどろむ。『ドンキ・ホーテ』のセルバンテスが、「眠れば、帝王も牧童も平等」と、述べている。16世紀の人だ。

                  主観を大切にしよう

                  同じ眠りでも、『百人一首』のなかで小野小町が、「夢と知りせば覚めざらしを」と歌っている。

                  やはり、日本文化のほうが洗練されている。

                  古人が「秋寒(あきさむ) ややさむき 夜寒(よざむ)など」と詠じている。

                  今夜は、秋雨が降っている。風や、雨にも、想いを寄せる。

                  庭先の梢から、玉の滴(しずく)が落ちている。和泉式部が限りない恋慕を、「身を知る雨と思いけるかな」と、訴えている。

                  posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:29 | - | - | - | - |
                  「 核燃料サイクルの技術継承を断ち切る「もんじゅ」の廃炉決定は大きな誤り 」櫻井よしこ
                  0

                    『週刊ダイヤモンド』 2016年10月1日号
                    新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1151

                    政府は9月23日、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉を閣議決定した。他方、核燃料サイクルは堅持するとの方針だ。だが、もんじゅ廃炉は日本の核燃料サイクルの技術継承を断ち切ることであり、政府の主張は矛盾している。
                     
                    政府はフランスの次世代高速増殖炉アストリッドの開発に協力することで技術継承を可能にすると説明する。ところが、東京大学大学院教授の岡本孝司氏は、そもそももんじゅとアストリッドでは目的やシステムが全く異なると指摘する。
                     
                    もんじゅは発電しながらプルトニウム燃料を生産するが、アストリッドは発電ではなく高レベルの放射性廃棄物処分のための設備だというのだ。加えて、日仏間には決定的な自然条件の差があるため、フランスの技術の導入は日本の高速増殖炉の技術開発や核燃料サイクルの完結にはつながらない。
                     
                    地震国日本は全ての原子力関連の施設に特別の対策を必要とする。フランスも他の諸国もタンク型と呼ばれる高速増殖炉を開発してきたのに対して、日本がループ型と呼ばれる独自の型を開発してきた理由もそこにある。
                     
                    簡単に言えば前者は液体金属ナトリウムを入れた大きなおけの中に炉心や熱交換器などを浸した形であり、後者は原子炉を収納した原子炉容器や熱交換器、蒸気発生器などを固定して、配管でつなぐ形である。
                     
                    ループ型はもう1つの高速増殖炉の問題にもよく耐えることで知られている。高速増殖炉は、使用するナトリウムが入り口で400度、出口で550度となり、150度の激しい温度差にも耐えなければならない。そのため、タンクの壁は可能な限り薄くする。厚ければ急激な温度差で破壊されかねないからだ。一方、日本では耐震のため原子炉容器は小型で堅固に、タンクの壁は相対的に厚くする。温度差に対して壁は薄く、地震には厚く。相反する二つの要素を同時に満たすのがもんじゅのループ型だ。
                     
                    アストリッド計画への日本の参画は研究資金の提供が柱となるが、将来フランスの技術が完成しても、前述のように、異なる性格の技術を導入できるはずがない。
                     
                    そのとき日本は再び、地震国の自然条件を満たすループ型高速増殖炉の開発を始めなければならない。しかし、それまで一体日本の誰が技術を継承するのか。いま、もんじゅを廃炉にすれば、技術は確実に途絶える。それは今回の決定を主導した経済産業省も自民党も十分に理解しているはずだ。
                     
                    廃炉支持派の人々はもんじゅが1995年のナトリウム漏れ事故以来ほとんど稼働していないと非難する。確かにもんじゅは問題続きだ。だが、メディアの感情的かつ非科学的非難報道の前で、問題の性質とあるべき対処を説明してこなかったのは政府である。
                     
                    もんじゅのナトリウム漏れの原因は温度計の形状にあった。それは原子炉の安全には全く影響がないと証明された。にもかかわらず、もんじゅは15年間も運転を止められた。
                     
                    いま政府・経産省が学ぼうとしているアストリッドはこれまでに30回もナトリウム漏れ事故を起こしている。だが、その都度、原因を究明し対策を講じ、完成度を高めてきた。フランスにできて、なぜ、日本にできないのか。フランスは高速増殖炉という新しい技術に対するのに専ら科学的アプローチを大事にした。日本は感情論に埋没したまま今日に至るからであろう。
                     
                    政治に期待されることは、国益の為の中・長期的戦略を地道に実行することだ。時に正論は孤立を招く。それでも政治家は言葉を尽くして国民を説得しなければならない。もんじゅ廃炉は核燃料サイクルの挫折であり、資源小国の日本は将来、この分野で中国の属国になりかねない。今回の決定に、私は強く抗議するものである。

                    posted by: samu | 頑張れ日本 | 21:33 | - | - | - | - |
                    拉致被害者救出とシベリア抑留/西村眞悟
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                      九月十七日の、北朝鮮による拉致被害者救出国民大集会に参加した私の鞄のなかには、
                       シベリアに抑留されて生還した方からの手紙が入っていた。
                       手紙の主は、昭和二十年八月、
                       満州の関東軍石頭予備士官学校に在籍した
                       帝国陸軍士官候補生、荒木正則軍曹(九十二歳)である。
                       荒木正則氏は、
                       満州においてソビエト軍と戦って戦歿し、
                       ソビエトによる苛酷なシベリア抑留のなかで殺されていった
                       知られることなき多くの戦友・同胞のことを語り継ぎ、
                       彼らの遺骨を日本に帰還させることを、
                       残された人生の使命とされている。
                       そして、本年七月にもシベリアに遺骨収集に赴かれた。
                       
                       そのシベリアに抑留された荒木正則氏の手紙が、
                       九月十七日の拉致被害者救出集会の場にあったことは、
                       勿論、特に意図したことではない。
                       しかし、後になって振りかえれば、
                       シベリア抑留者と拉致被害者は、
                       共に意に反して強制抑留された同胞である。
                       そして、シベリア抑留者に関する我が国と国民の意外な無関心が、
                       拉致された被害者同胞を、
                       長い間見て見ぬふりをした冷淡さにつながっているのではないか。
                       反対に、シベリア抑留者を救出しなければならないという激しい思いがあれば、
                       北朝鮮による拉致を未然に防止し、
                       拉致された被害者があれば直ちに救出しようとする行動につながったのではないか。
                       この意味で、荒木正則氏の手紙が、
                       拉致被害者救出集会の場にあったことは不思議な符合と云うべきである。

                       日本国と日本国民は、
                       拉致され抑留されている同胞を断じて忘れず、
                       断固として救出しなければならない。
                       
                       その断じて忘れてはならない拉致抑留された同胞とは、
                       七十一年前にソビエトによってシベリアに抑留された同胞であり、
                       断固として救出しなければならない同胞とは、
                       現在、北朝鮮に拉致され抑留されている同胞である。

                       しかるに、北朝鮮による拉致被害者救出に関して、
                       既に九月十七日の国民集会の報告で述べたように、
                       我が国政府は、この拉致を
                       
                       「北朝鮮による主権侵犯としてのテロ・戦争状態」
                       
                       として対処することはなく、
                       日朝友好=国交樹立の為に解決すべき「日朝友好の障害」
                       として扱い、
                       一貫して北朝鮮との「話し合い=交渉・取引による解決」を目指してきた。
                       その結果、
                       ただいたずらに年月だけが経過し、
                       遅まきながら政府が拉致被害者救出のためと銘打って拉致対策本部を設置してから
                       現在で十年が経過しているが、
                       その対策本部は、
                       その間に一人の拉致認定者を追加した訳でもなく、
                       被害者の家族が亡くなれば官僚組織らしくきっちり葬儀に出席し、
                       年末には政府主催の関係者の立食パーティーと
                       「拉致被害者救出コンサート!」を繰り返すだけで
                       現在に至っている。
                       この間、
                       拉致被害者の、横田めぐみさんや有本恵子さんの、ご両親は、
                       既に八十歳を越えるご高齢となり、
                       恵子さんのお母さんは、
                       現在、床につかれて療養されており、
                       めぐみさんのお父さんは、
                       体調不良で十七日の国民集会への参加を断念されている。

                       この状況では、いたずらに、
                       拉致問題のシベリア化を待つのみではないか!
                       シベリア化とは、忘却である。

                       ここにおいて、過去ではなく現在の問題として、
                       シベリア抑留を体験した荒木正則氏の
                       使命感と無念の思いを記しておくことが、
                       拉致被害者を含む同胞のことを忘却の彼方に置き去ることなく、
                       救出への断固とした意思を持続する為に必要と考え、
                       以下に紹介することにする。

                       ソビエトが日ソ中立条約を無視して、
                       八十個師団百五十万の大軍を満州に侵攻させた昭和二十年八月九日、
                       荒木正則氏は士官候補生として満州東部の石頭にある予備士官学校にいた。
                       突如開始されたソビエト軍の侵攻に対して、
                       石頭の士官候補生八百五十名は、「猪俣大隊」を急遽編成して
                       石頭の北部の磨刀石(まとうせき)で
                       蛸壺を掘ってその穴に隠りソビエト軍を迎撃する。
                       しかし、
                       野戦部隊ではない士官学校には十分な武器はなかった。
                       それで士官候補生八百五十名は、
                       学校にあった工業用爆薬を十キロずつを鞄などに詰めて手榴弾で起爆するようにし、  
                       その鞄を持って蛸壺の中で敵戦車の接近を待ち受け、
                       蛸壺から敵戦車目がけて突っ込んで自爆すると同時に
                       敵戦車を破壊する戦法でソビエト軍を迎撃した。
                       二日間続いたこの戦闘で、
                       士官候補生八百五十人のうち七百五十人が戦死した。
                       生き残った荒木正則氏らは捕虜となってシベリアの強制収容所に送られた。
                       この「磨刀石の戦い」の目的は、
                       関東軍主力の防御態勢確立までの時間稼ぎと
                       邦人が無事南下するための楯となることだった。
                       この「磨刀石の戦い」は日本では忘れられ、
                       二十歳の仕官候補生七百五十名の遺骨は、
                       磨刀石の荒野に埋もれ、
                       また野晒しになって土に還り消え去ろうとしている。
                       しかし、ソビエト軍は、
                       日本軍士官候補生たちの肉弾特攻におそれをなし、
                       今もロシアで、
                       日本軍の「陸の特攻」として語り継がれている。
                       それ故、先年、遺骨収集にシベリアに行った荒木正則氏を、
                       ロシアのマスコミは「陸の特攻の生き残りが来た」と熱心に取材し、
                       荒木正則氏の写真は、当地の博物館に永久保存することになった
                        (以上、第三十六連隊長近藤力也一等陸佐「噛みしめよ!大先輩の思い」より)。

                       以上が荒木正則氏が捕虜となった
                       知られることなく二十歳の若者が邦人を助ける為に散華していった
                       「磨刀石の戦い」である。
                       次ぎにその荒木正則氏の私への手紙をそのまま記す。

                       私儀、今年も九十二歳の老い、加えて足腰癒えぬ肢体を引きずり、
                       戦友の亡骸、我が肩我が胸に抱き祖国へ連れ還さんと、
                       今年十三回目のシベリア遺骨収集(7月)に参加、
                       無事その任務を果たし帰国したものの、其の結果は歴然・・・、無理はたたり、
                       今なお、杖を頼り、歩行困難な日々を過ごしています・・・。
                       このような状況で、長い間ご無沙汰ばかりの日々を過ごし、
                       失礼の段、心より深くお詫び申し上げます。
                       それから、シベリアへの遺骨収集も早戦後71年を過ぎ、
                       あの日あの時、辛い思いをともにし、最後、無念の死を遂げた戦友たちの亡骸は、
                       悲しいかな・・・、今や白樺林の中に朽ち果て様として居ります。
                       そして、何時も脳裏から離れません・・・、
                       此の「シベリア強制抑留」たるものの真因とは何か・・・、
                       それは、知る人ぞ知る・・・歴然たる、北海道北半分割譲要求と引き替えに行われた、「国家領土賠償の生け贄」だったのではないでしょうか。
                       此の歴史的一大事件も、現世、或いは、戦い破れたるの故ありとは云え、
                       この問題を喉に突き刺さった棘の如く厄介化し、
                       一日も早い其の風化消滅を計り来たった史実は、
                       後世是を、史上最大の汚点禍根として歴史に刻み込まれるのでは無いかと思います。
                       ・・・   ・・・   ・・・
                       振りかえる敗戦と云う名の為す所は、
                       今に至るも、國の為捕虜と云う極限の世界を生き抜いてきた我々、
                       シベリア強制抑留者に対し、単なる「抑留経験者」と呼び・・・、更に、
                       シベリアの荒野に若き命絶えた10万とも云える英霊に対しても、
                       是は「戦没者」では無い・・・、
                       たんなる「抑留中死亡者」と呼び捨てられている事実は、
                       是も敗戦・・・の、依って然らしめる故なるかとは、一部理解し得る所ですが、
                       内心忸怩たる想いの癒され尽きる事はありません・・・。
                       然し、今回、
                       従来の、シベリア抑留中死亡者は「戦没者」ではないと明記されていたが、
                       今回、國の事業に、明確に「戦没者」と認めていることは、
                       (永年、シベリア抑留中に死亡した戦友の遺骨収集を続けている荒木正則氏に
                       厚生大臣が「戦没者遺骨収集感謝状」を贈ったこと、西村補筆)
                       将に国家再興復興の兆しとも云え、将に溜飲の下がる思いは、
                       亡き戦友たちの歓びにも通じ、万感胸に迫るの思いに耽りました。
                       最後に、
                       身、不肖愚かにて、齢92歳の余命は、幾何も無き人生ですが・・・、
                       戦い・・・とは、
                       そして、
                       シベリア強制抑留とは如何なるものであるか・・・、
                       其の
                       身を以て対峙体験した実態等は、
                       後世に歴史真実の一端として語り継ぎ、
                       之を知らしめるが己が使命責務と感じ、
                       老兵老骨を鞭打ち頑張りますので、
                       向後とも、更なるご指導ご鞭撻を宜敷くお願い申しあげながら、
                       乱文をも省みませず失礼させて戴きます。

                       以上が荒木正則氏の手紙である。
                       ソビエトに抑留され強制労働のなかで斃れていった十万に及ぶ人々の思いが偲ばれる。
                       なお、
                       本通信では一般に云われているように「シベリア抑留」と記したが、
                       ソビエトによる日本軍兵士約七十万の抑留地は、
                       シベリアのみではなく全ソビエト地域およびモンゴル人民共和國に及ぶ。
                       また、北朝鮮が
                       日本人を日本域内で拉致を始める遙か以前の、
                       昭和二十年八月十五日前後に、
                       北朝鮮域内で殺害しまたは拉致抑留した
                       多くの婦女子を含む日本人の総数は未だ判明せず闇のなかである。

                      posted by: samu | 頑張れ日本 | 15:14 | - | - | - | - |