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「 若い世代へ贈る、「海道東征」と「海ゆかば」 」櫻井よしこ
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    『週刊新潮』 2017年5月4・11日合併号
    日本ルネッサンス 第752回

    4月19日、池袋の東京芸術劇場で、関東では戦後初めて、「海道東征(かいどうとうせい)」が歌われた。大阪では「産経新聞」の主催でこれまでに2度、演奏されているが、残念乍ら私は聴く機会がなかった。
     
    今回も主催は産経。東京公演だというので早速申し込んで驚いた。2000席分の切符が完売だそうだ。そんなに多くのファンがいるのか。私は張り切って、私より一世代若い女性たちにも声を掛けた。

    「海道東征」は、日本建国の神話を交声曲で描いた名曲である。昭和15年に「皇紀2600年奉祝行事」のために書かれた。詩は北原白秋、曲は信時(のぶとき)潔である。
     
    民族生成の美しい歌でありながら、昭和20年の敗戦で、軍国主義などに結びつけられて長年葬り去られていた。作品は、戦後全くと言ってよい程、世に出ることがなかったのであるから、私もそうだが、声を掛けた70年代、80年代生まれの若い人たちが「海道東征」について知らないのも当然である。なんといっても、米軍の占領が終わって独立を回復してから、日本では、社会でも学校でも家庭でも、わが国の歴史や神話、民族の成り立ちなど、ほとんど教えてこなかったのだから。
     
    コンサートは、結論から言えば、本当にすばらしかった。堪能した。
     
    プログラムの前半で「管弦楽のための『神話』〜天の岩屋戸の物語による〜」が演奏された。
     
    天照大御神が天岩屋戸の中にお隠れになり、世界が闇に閉ざされてしまう。ちなみに古事記にはこのとき、天上も地上も共に闇に包まれたと書かれている。天照大御神は両方の世界を照らしておられるのだ。神々は大いに困り、何とか天照にお出になっていただきたいと工夫を凝らす。
     
    ここでナガナキドリが一声、高く大きく鳴くのである。それをトランペットが巧みに表現していた。

    日本の始まり
     
    伊勢神宮の20年毎のご遷宮では、古いお社から新しいお社に神様がお移りになるとき、まず、鳥が一声、鳴く。ご遷宮ではその場面は「カケコー」と声を発することで表現されるが、コンサートでは、トランペットだった。神様と鳥はご縁が深い。
     
    さて、鳥の声を合図に神々が肌も露わに踊り始め、賑やかな宴が始まる。岩の向こう側から楽し気な笑いさざめく声が聞こえる。岩屋戸の中にお隠れだった天照大御神は何事かと好奇心をそそられ、思わず、ちょっとだけ岩屋戸を押し開け、覗いてしまうのだ。
     
    その瞬間に、力持ちの神、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が岩の隙間に手を差し込んで天照大御神が戻らないように腕をとり、もう一度、お出ましを願う。すると陽光は戻り、天上も地上も、世の中は再び明るくなる。天照は機嫌をなおし、心優しい日本の神々と共に、この大和の国を再びお見守りになるのだが、演奏にはこの場面でボンゴなどが使われていた。
     
    天照大御神が戻って下さったうれしさに神様たちが喜んで歌い踊る場面が、絵になって浮かんでくるような楽しい演奏だった。
     
    そして第2部が、いよいよ、「海道東征」である。神々がおわす天上の国、高天原(たかまがはら)から、天照大御神の孫の神様、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日向の国の高千穂の峰に降臨なさった。
     
    北原白秋はこの日本の始まりを「海道東征」の第1章とし、「高千穂」と題した。格調高く、バリトンの原田圭氏が、瓊瓊杵尊の高千穂の峰への降臨を歌い上げた。
     
    第2章は「大和思慕」である。
     
    「大和は国のまほろば、
    たたなづく青垣山。
    東(ひむがし)や国の中央(もなか)、
    とりよろふ青垣山」
     
    その旋律に心が引き込まれる。
     
    第3章は「御船出」である。瓊瓊杵尊から数えて3代目、4人の皇子が日向を発って大和平定の旅に出た場面である。
     
    「日はのぼる、旗雲(はたぐも)の豊(とよ)の茜(あかね)に、
    いざ御船出(みふねい)でませや、
    うまし美々津(みみつ)を」
     
    光の中に船出する皇子たちの姿が目に浮かぶ。東へ向かう途中で荒ぶる神々との戦いがあり、嵐があり、4人の皇子の3人までもが命を落とす。末っ子の神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が大和に到達し、東征の事業を成し遂げるが、この神様が日本国の初代天皇、神武天皇になられた。
     
    こうして「海道東征」は第8章まで続く。時に美しく、時に力強く、清く澄みきった喜びに満ちた交声曲である。「海道東征」について何も知らなかった若い女性たちも、楽しんでいた。彼女たちはきっと、これから日本の神話や歴史に、また新たな角度から興味を抱くのではないかと、私はうれしく感じたことだ。

    先人たちの言葉
     
    そして最後にアンコール曲として「海ゆかば」が演奏された。大伴家持の詩に信時が曲をつけた。多くの人が立ち上がり、合唱した。私の隣りの方は朗々と歌った。

    「海ゆかば 水漬(みづ)く屍(かばね)
    山ゆかば 草むす屍
    大君の辺(へ)にこそ死なめ
    かえりみはせじ」
     
    教育勅語は、天皇のために死なせる教育だという的外れな批判が生まれるいま、「海ゆかば」の詩に、スンナリ入っていけない人も多いかもしれない。山折哲雄氏が『「海ゆかば」の昭和』(イプシロン出版企画)で「屍とは何か」と題して書いている。
     
    掻い摘まんで言えば、万葉集の挽歌でわかるように、死者の屍とは「たんなる魂の抜け殻」だというのだ。人はひとたび死ねば、その魂は亡骸から離脱し、山の頂や海の彼方、空行く魂となって、この国の行方を静かに見守ってくれる。あとに残された屍には何の執着も見せない。それがかつての日本人の、人の最期をみとるときの愛情であり、たしなみであった、と。
     
    同書で谷川俊太郎氏は「子どもの私はそれまでも音楽がきらいではなかったが、音楽にほんとうにこころとからだを揺さぶられたのは、『海ゆかば』が最初だった」「私が愛聴したのが北原白秋詩・信時潔曲の『海道東征』だ」と書いた。
     
    私の友人でもあった松本健一氏は、同書で、演出家で作家の久世光彦氏の文章を紹介している。

    「『海ゆかば』を目をつむって聴いてみるといい。これを聴いていったい誰が好戦的な気持ちになるだろう。・・・私は『海ゆかば』の彼方に日本の山河を見る。・・・美しい私たちの山河を護るために、死んでいった従兄たちの面影を見る」
     
    松本氏も、久世氏も、亡くなってしまった。けれど、彼らの言葉はどれもみんな、私の心に沁みる。コンサートホール一杯に広がった「海ゆかば」の合唱に、静かに感動した。
     
    若い女性の友人たちは、「海ゆかば」にとっつきにくいようだった。だからこうした先人たちの言葉を、私は彼女たちにそっと捧げてみたい。

    posted by: samu | 頑張れ日本 | 21:44 | - | - | - | - |
    時代を超えた芸術「海道東征」に愛国の神髄を聴いた/新保祐司
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      ≪日本の戦後精神史上の事件≫

       4月19日の夜、東京で交声曲「海道東征」が高らかに鳴り響いた。日本の戦後の精神史上における一つの転換を告げる事件であった。これは、「海ゆかば」の作曲家・信時潔の評価がその代表作の復活によって正されたということであり、戦後長きにわたって封印されてきたこの曲の真価が広く認められたということである。

       しかし、交声曲「海道東征」の復活を、戦前への回帰とか戦前の日本を良しとする考え方の表れだとかのとらえ方をする向きもあるようなので、ここでこの曲の芸術としての価値について書いておくのも無駄ではあるまい。

       昭和15年、紀元2600年の年に奉祝曲として作られたこの曲は、そのような機会音楽でありながら、それを超えた芸術的な高みに達している。確かにその頃、当時の時代思潮に「便乗」した芸術も多く作られたであろうが、たらいの水と一緒に赤子を流すようなことをしてはならないであろう。戦前のものに対して、そのような愚挙を戦後の日本人はしてきたのである。最近の教育勅語をめぐる騒ぎもそのようなものであろう。

      いつの世にも時代の風潮に「便乗」したものが出てくるもので、戦後には「戦後民主主義」に「便乗」したものが輩出したではないか。今、戦後の「贋の偶像」の凋(ちょうらく)が進んでいるが、一方、保守的な考え方が主流になってくれば、またそれに「便乗」したものが出て来るのは、このところ世間を騒がせている事件をみれば分かる。

       ≪時代を超えて評価された芸術≫

       この曲が発表された当時、どのように聴かれていたか、例を挙げよう。詩人の谷川俊太郎氏は、昭和6年生まれであるが、過日亡くなった大岡信氏が眼の詩人だとすれば、谷川氏は耳の詩人ともいえると思う。その氏が、戦後60年の年に出た「海ゆかばのすべて」というCDに付された解説書に「私の『海ゆかば』」と題した文章を寄稿している。その中で、「子どもの私はそれまでも音楽がきらいではなかったが、音楽にほんとうにこころとからだを揺さぶられたのは、『海ゆかば』が最初だった」と書いている。

      そして、「海道東征」については、「『海ゆかば』をきっかけに私は西洋音楽に目覚めたと言っていい。ベートーベン、バッハ、ショパン、ドボルザーク…自分の感動だけを頼りに、私は次々に好きな曲を発見していったのだが、それらと並んで私が愛聴したのが北原白秋詩・信時潔曲の『海道東征』だ。この八枚組のSPも手元にあるが、ジャケットがぼろぼろになっている」と経験を語っているのは、この曲が音楽として優れたものであることを示している。

       童謡「サッちゃん」の作詩でも知られる作家の阪田寛夫氏は、音楽を深く愛した人であった。平成17年に亡くなったが、大正14年生まれで「海道東征」を生で聴いている。昭和61年に発表した中篇小説「海道東征」の中で、昭和15年11月30日に大阪で初めてこの曲を聴いたときの感動を書いている。

       当日演奏された3曲のうちで「圧巻は二百人以上の合唱のついた『海道東征』だった。第一章『高千穂』の越天楽のような連続音の中から、いきなり心ひろびろと歌いだすバリトン独唱がすばらしかった。言葉がよく聞えて、しかも輝かにひびきわたり、ふしはいい気持でなぞりたくなるほど明るく楽しげだから、『神坐(かみま)しき』とか『み身坐(みま)しき』といった耳なれぬ言葉ごと、いきなりそっくり覚えてしまった」と回想している。そして阪田氏も、谷川氏が持っていた8枚組みのSPレコードを手に入れていた。

      これらは戦前の経験の話だが、平成15年に紀尾井ホールで「海道東征」が演奏されたとき、これを聴いた川本三郎氏は『白秋望景』の中で「予想をはるかに超えた神々しいばかりに美しい曲で、粛然、陶然とした。とくに児童合唱団が歌うところはその美しさに圧倒された」と書いている。このように、ものの本質を聴き取る耳を持った人たちの高い評価を考えれば、この曲が時代状況を超えた芸術であることが知れるであろう。

       ≪似せがたい高い「姿」に倣え≫

       本居宣長に「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉がある。愛国の精神であろうが保守の心であろうが「意」は誰でも「便乗」して言えるのである。似せ易いことである。しかし、北原白秋と信時潔が作った芸術に表現された国を思う心の姿は似せがたいのである。われわれは、この曲を聴いて自分の精神をこの高い「姿」に倣うように努めなければならない。「意」にただ同調してみても仕方がないのである。

      今回のプログラムは、シベリウスの交響詩「フィンランディア」から始まった。当時帝政ロシアの圧政下にあったフィンランドの独立への強い願いが込められた名曲である。私は、信時潔は日本のシベリウスといってもいい存在ではないかと思っているが、この2人の名曲によって、至純なる愛国心の神髄を聴き取ることができた、すばらしい春の一夜であった。(文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 しんぽ ゆうじ)

       

      posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:54 | - | - | - | - |
      渡部昇一氏を悼む/宮崎正弘
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        渡部昇一氏が4月17日に亡くなった。振り返れば、氏との初対面は四半世紀以上前、竹村健一氏のラジオ番組の控え室だった。文化放送で「竹村健一『世相を斬る』ハロー」とかいう三十分番組があって、竹村さんは一ヶ月分まとめて収録するので、スタジオには30分ごとに四人のゲストが待機するシステム、いかにも超多忙、「電波怪獣」といわれた竹村さんらしい遣り方だった。
        ある日、久しぶりに呼ばれて行くと、控え室で渡部氏と会った。何を喋ったか記憶はないが、英語の原書を読んでいた。
        僅か十分とかの待機時間を、原書と向き合って過ごす人は、この人の他に村松剛氏しか知らない。学問への取り組みが違うのである。
        そういえば、氏のメインは英語学で、『諸君!』誌上で英語教育論争を展開されていた頃だったか。
        その後、いろいろな場所でお目にかかり、世間話をしたが、つねに鋭角的な問題意識を携え、話題の広がりは世界的であり、歴史的であり現代から中世に、あるいは古代に遡及する、
        その話術はしかも山形弁訛りなので愛嬌を感じたものだった。

        近年は桜チャンネルの渡部昇一コーナー「大道無門」という番組があって、数回ゲスト出演したが、これも一日で二回分を収録する。休憩時に、氏はネクタイを交換した。意外に、そういうことにも気を遣う人だった。
        そして石平氏との結婚披露宴では、主賓挨拶、ゲストの祝辞の後、歌合戦に移るや、渡部さんは自ら登壇すると言いだし、ドイツ語の歌を(きっとお祝いの歌だったのだろう)を朗々と歌われた。
        芸達者という側面を知った。情の深い人だった。
        政治にも深い興味を抱かれて、稲田朋美さんを叱咤激励する「ともみ会」の会長を務められ、ここでも毎年一回お目にかかった。稲田代議士がまだ一年生議員のときからの会合で年々、参加人員が増えたことを喜んでいた。
        最後にお目にかかったのは、ことしの山本七平授賞式のパーティだったが、氏は審査委員長で、無理をおして車椅子での出席だった。「おや、具体でも悪いのですか」と、愚かな質問を発してしまった。
        訃報に接して、じつは最も印象的に思い出した氏との会話は、三島由紀夫に関してなのである。
        三島事件のとき、渡部さんはドイツ滞在中だった。驚天動地の驚きとともに、三島さんがじつに偉大な日本人であったことを自覚した瞬間でもあった、と語り出したのだった。渡部さんが三島に関しての文章を書かれたのを見たことがなかったので、意外な感想に、ちょっと驚いた記憶がふっと蘇った。三島論に夢中となって、「憂国忌」への登壇を依頼することを忘れていた。
        合掌。

        posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:11 | - | - | - | - |
        評論家の渡部昇一氏が死去 第1回正論大賞、「知的生活の方法」など著書多数/産経新聞
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          正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子(みちこ)さん。後日、お別れの会を開く。ここ数日、体調を崩していた。

           昭和5年、山形県鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授をへて教授に。専門は英語学で、「英文法史」「英語学史」などの専門書を著した。

           48年ごろから評論活動を本格的に展開し、博学と鋭い洞察でさまざまな分野に健筆をふるった。51年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超のベストセラーとなった。

          57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。平成27年、瑞宝中綬章。主な著書に「日本史から見た日本人」「ドイツ参謀本部」など。フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」など翻訳も多数手がけた。

           

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          産経新聞正論メンバーで論壇の重鎮として活躍した渡部昇一さんが17日、86歳で亡くなった。

           人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、ここにはとても書けないような罵詈(ばり)雑言を浴びた。渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。

           もっとも有名な“事件”は「神聖喜劇」で知られる作家、大西巨人さんとの論争だろう。週刊誌で、自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は、子供をつくるのをあきらめるべきではないか、という趣旨のコラムを書いた渡部さんは「ナチスの優生思想」の持ち主という侮辱的な罵声を浴びた。

           批判者は《「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である》と渡部さんが同じコラムの中で書いているにもかかわらず、その部分を完全に無視して世論をあおったのだ。

          大ベストセラーとなった「知的生活の方法」も懐かしい。蒸し暑い日本の夏に知的活動をするうえで、エアコンがいかに威力があるかを語り、従来の精神論を軽々と超え、若者よ、知的生活のためにエアコンを買えとはっぱをかけた。

           また、英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていたレジナルド・F・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」を読み直し、岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。

           繰り返す。勇気ある知の巨人だった。(桑原聡)

           

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          「日本について解説できる、かけがえのない存在」櫻井よしこさん

           

          ジャーナリストの櫻井よしこさんの話「非常に博識で、歴史問題や東京裁判などあらゆるテーマについて精通しておられた。日本の国柄について、優しい語り口で解説することができる、かけがえのない存在です。今、日本はとても大事なところに立っていて、渡部先生に先頭に立って日本のあるべき姿を論じていただけたら、どんなに力になったかと思うと本当に残念です」

           

          posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:45 | - | - | - | - |
          内閣府「社会意識に関する世論調査」
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            内閣府が1日に発表した「社会意識に関する世論調査」で、現在の社会に全体として「満足している」との回答が65・9%で、前回調査(平成28年2月)から3・9ポイント増加した。質問を始めた21年以降で最高となった。一方、「満足していない」は3・9ポイント減の33・3%で、過去最低だった。

             満足している点は「良質な生活環境」が43・2%で最も多く、「心身の健康が保たれる」(27・0%)、「向上心、向学心を伸ばしやすい」(17・8%)、「人と人が認め合い交流しやすい」(17・1%)、「働きやすい環境」(15・7%)などが続いた。反対に、満足していない理由のトップは「経済的なゆとりと見通しが持てない」(43・0%)だった。

             民意が国の政策に「反映されている」と思う人は、4・7ポイント増の34・6%で、過去最高水準に迫った。日本が良い方向に向かっていると思う分野では「医療・福祉」(31・4%)、「科学技術」(25・8%)、「治安」(22・0%)などが上位に挙がった。

            日本が悪い方向に向かっている分野を聞いたところ、「防衛」が28・2%で、前回調査から4・0ポイント増加した。質問を始めた10年以降で最高となった。北朝鮮が昨年だけで23発の弾道ミサイルを発射し、核実験を2回行うなど、安全保障上の脅威が高まっていることへの不安が顕在化したようだ。

             同じ質問で「外交」と答えた割合は26・7%と前回から8・1ポイント増えた。内閣府は北朝鮮情勢に加え、調査期間(1月19日〜2月5日)が米国の政権移行期と重なり、トランプ大統領の外交政策が不透明だったことが影響したとみている。

             また、国を愛する気持ちが他人と比べ「強い」と答えたのは55・9%、「弱い」が6・0%で、ともに横ばいだった。国を愛する気持ちを育てる必要があるかについて「そう思う」との回答は73・4%で、23年(81・0%)以降、6年連続の減少となった。

             日本人が「国民全体の利益」と「個人の利益」のどちらを大切にすべきか尋ねたところ、「国民全体」が5年ぶりに増加して49・3%、「個人」は6年ぶりに減少して32・7%だった。

            調査は昭和44年から原則毎年実施。これまで20歳以上が対象だったが、選挙権年齢が昨夏の参院選から「18歳以上」に引き下げられたことを受け、今回から18歳以上とした。1万人に面接方式で実施し、5993人が回答した。

            posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:03 | - | - | - | - |
            平成28年度 防衛大学校卒業式 内閣総理大臣訓示(平成29年3月19日)
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               本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、これからの我が国の防衛の中枢を担う諸君に心からのお祝いを申し上げます。

               卒業おめでとう。

               諸君の規律正しく希望に満ちあふれた姿に接し、自衛隊の最高指揮官として心強く大変頼もしく思います。

               諸君が、この防衛大学校の門をたたいたのは、私が、再び総理大臣に就任し、自衛隊の最高指揮官となった直後のことでした。

               我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中、責任を持って対応せよとの国民の声に背中を押され、政権交代が実現しました。

               そして4年前、正にこの場所に立って、諸君の先輩たちを前に、私が先頭に立って、国民の生命・財産、我が国の領土・領海・領空を守り抜く、その断固たる決意を表明したことを、昨日のことのように思い出します。

               その決意を実際の行動に移す。諸君たちが、ここ小原台で奮闘していた4年間、私も、安全保障政策の立て直しに全力を尽くしてきました。

               日本で初めての「国家安全保障戦略」の策定。

               NSC「国家安全保障会議」の設置。その事務局では、将官を筆頭に20名を超える自衛官が私を支えてくれています。

               新たな「防衛計画の大綱」では、10年間一貫して削減が続いていた防衛費を増加させていく方針を決定いたしました。

               さらには、「防衛装備移転三原則」。友好国の防衛能力の向上は、地域全体の平和と安全に大きく寄与するものであります。

               そして、平和安全法制の成立と施行。国際社会と手を携えて、戦争を抑止し、世界の平和と安全に貢献する。この法制は、世界から支持され高く評価されています。

               平和安全法制をめぐっては、国論を二分する大きな議論がありました。戦争法案といった、全く根拠のない、ただ不安だけをあおろうとするレッテル貼りが横行した。ここ小原台で学ぶ諸君の耳にも届いていたかもしれません。

               しかし、結果は、どうであったか。

               今月、北朝鮮が、またも安保理決議を踏みにじり、ミサイル発射を強行しました。国際社会への明確な挑戦であるだけでなく、3発のミサイルがEEZ内に着弾し、うち1発は能登半島からわずか200kmの場所に落下した。我が国の安全保障上、極めて深刻な事態であります。

               この、新たな段階に入った北朝鮮の脅威に対し、直ちに日米電話首脳会談を行いました。その際、トランプ大統領からは、米国は100%日本と共にあるとの明確な意思が表明された。そして、そのことを日本国民の皆さんにも伝えてほしい。米国を100%信頼してほしいとの力強い言葉がありました。

               助け合うことができる同盟は、その絆を強くすることができる。平和安全法制によって日米同盟の絆は、間違いなく、より強固なものとなった。今回の対応は、そのあかしであります。

               行動を起こせば批判が伴う。これは今も昔も変わりません。安保条約を改定した時も、PKO協力法を制定した時も、戦争に巻き込まれるといった無責任な批判がありました。
               しかし、果敢に行動してきた先人たちのお陰で、私たちは、戦後一貫して平和を享受することができた。そのことは、歴史が証明しています。

               先ほど國分学校長から御紹介があったように、本日はホーム・カミング・デーとして、昭和49年に防衛大学校を卒業したOBの皆さんもお集まりです。皆さんも在職中、心ない多くの批判にさらされてきたかもしれません。

               そうした批判にも歯を食いしばり、皆さんは、自衛隊の中枢にあって与えられた任務を立派に全うしてこられた。そして、米国や志を共にする民主主義諸国とともに、冷戦を勝利へと導きました。

               卒業生諸君、そして御列席の皆様。この大きな仕事を成し遂げ、本日、懐かしきこの学びやに戻ってこられたOBの皆さんへの心からの感謝と歓迎の気持ちと敬意を、私からも皆様と共に大きな拍手をもって贈りたいと思います。

               冷戦はもはや過去のものでありますが、世界は、今この時も私たちが望むと望まざるとに関わらず絶えず変化しています。

               北朝鮮による核・ミサイル開発は深刻さを増し、南西方面では、外国軍機による領空接近も増加している。テロの脅威は、世界に拡散し多様化しています。こうした現実から、私たちは、目を背けることはできません。

               そして、自らの手で自らを守る気概なき国を誰も守ってくれるはずがない。安全保障政策の根幹となるのは、我が国自らの努力であります。

               その最終的な力が、諸君たち自衛隊であります。我が国に直接脅威が及ぶことは許さない、万が一、脅威が及ぶ場合には、断固として、これを排除する。我が国の揺るぎない意思と能力を示すものであります。

               安全保障環境が厳しさを増す中で、我々は、我が国自身の防衛力を強化し、自らが果たしうる役割の拡大を図っていかなければなりません。

               いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしは守り抜く。そのために必要な制度をこの4年間で整えました。私たちの子や孫、その先の世代に、平和な日本を引き渡していくための法的な基盤をしっかりと築き上げることができた、と考えています。

               その新しい土台の上に諸君が、本日、自衛官としての新たな一歩を踏み出します。諸君は、新しい安全保障基盤を実行に移していく、いわば一期生であります。

               この場所から、新しい歴史をつくりあげるのは、正に諸君であります。諸君の活躍を大いに期待しています。

               PKO協力法が成立して25年。自衛隊の国際協力の歴史は、四半世紀に及びます。中でも、南スーダンPKOへの自衛隊派遣は、本年1月に5年を超え施設部隊としては過去最長となりました。

               この間、自衛隊は、首都ジュバから各地へと通ずる幹線道路を整備してきました。総延長は200kmを超えています。

               南スーダンの平和を守る国連の施設を建て、ジュバの人たちがスポーツに親しむグラウンドを整備したのも自衛隊の諸君であります。さらに、自衛隊が造成した土地の上には、ジュバ大学が建設され、南スーダンの未来を担う若者たちが学んでいます。

               施設部隊の諸君は、この5年余りの間に過去最大規模の実績を残してくれました。

               延べ3854名。第一次隊から第十一次隊に至るまで、5年もの長きにわたり、隊員一人一人が、アフリカの灼熱の大地に流した汗は、必ずや、南スーダンの平和と発展の大きな礎となるはずです。

               見事にその任務を全うしてくれた隊員一人一人に、また、彼らを送り出してくださった御家族の皆様に、最高指揮官として、改めて、心より感謝の意を表したいと思います。

               5月末を目途にジュバでの施設整備については、一定の区切りをつけますが、南スーダンのキール大統領からは、自衛隊のこれまでの活動を高く評価し、感謝する、との言葉もありました。

               世界の平和のため黙々と任務を果たす自衛隊を、世界が称賛し感謝し頼りにしています。

               その誇りを胸に、今後とも、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と安定のために力を尽くしてもらいたいと思います。

               もはや一国のみでは自国の平和を守ることはできない時代です。だからこそ、どうか、いつも、世界に目を向けてほしい。内向きであってはなりません。

               国際社会の冷厳なる現実を直視する。そして、我が国の平和と安定のために、今、何をなすべきか。そのことを常に自らに問いかけながら研さんを積み重ねてもらいたいと思います。

               諸君は、本日、ここから巣立ち、近い将来、最前線の現場において責任ある立場に就きます。

               警戒監視や情報収集に当たる部隊は、私の目であり耳であります。日々の艦艇や航空機の配置や動き、さらには、いかなる訓練をいかなる場所で行うか。様々な部隊をいかに配置するか。それらの全てが、我が国の確固たる意思を周辺国を始め世界に示すものであり、抑止力として大きな要素となっています。

               つまり、最前線の現場にあって指揮をとる諸君と、最高指揮官である私との意思疎通の円滑さ、紐帯の強さが、我が国の安全に直結する。日本の国益につながっています。

               昨年の熊本地震。私は、発災直後から政府全体に、被災者の皆さんの不安な気持ちに寄り添い、できることは全てやる、そう指示してきました。この大方針の下、被災地のそれぞれの現場では、従来の発想にとらわれることなく、能動的に行動してくれた自衛官たちがいました。

               第8連隊の諸君は、困難な状況にある一人一人の被災者のニーズに、きめ細かく対応してくれました。お年寄りが、壊れた屋根にブルーシートをかけたいと言えば手伝い、崩れた農道を見つければ土のうを積んで農家が通れるようにしてあげたといいます。

               要請がないことは、やらない。かつては、それが自衛隊の行動原理だと考えられてきました。しかし、第13旅団の諸君は、発災直後、各自治体が住民の安否確認に困難を極める中、自らの発意で、一軒一軒、村内の住宅を回り状況確認を行いました。

               南阿蘇村の方から寄せられた手紙を紹介します。

               陸の孤島になった時、自衛隊の車の列が見え、ホッとしました。見捨てられていないんだと感じたからです。・・・本当に、本当に、ありがとうございました。

               こう綴(つづ)られていました。

               本当に頼もしい。国民の負託に全力で応え、国民から揺るぎない信頼を勝ち得た自衛隊を、私は、誇りに思います。

               その大きな自信を胸に、諸君も、これから、それぞれの現場において最善を尽くしてもらいたい。受け身ではなく、国民の負託に応えるため、能動的に考え行動できる自衛官となってくれることを切に希望します。

               常識を発達させよ。見聞を広くしなければならぬ。小さな考えでは世に立てん。

               これは、明治維新の立役者の一人である大村益次郎の言葉であります。

               大村は、常に西洋の暦や世界地図を肌身離さず携帯するなど、進取の気性に富んだ人物でありました。だからこそ、欧米列強の脅威が迫る中、極めて短期間で軍の近代化という大事業を成し遂げることができたのだと思います。

               最後に、もう一度、言います。

               この場所から新しい歴史をつくりあげるのは、正に諸君であります。

               その気概を持って、いかに厳しい現場にあっても、鍛錬を積み重ねてもらいたい。自衛隊の中枢を担うという強い使命感と責任感の下に、いかなる時も、成長への努力を惜しまないでほしいと思います。

               そして将来、諸君の中から最高指揮官たる内閣総理大臣の片腕となって、その重要な意思決定を支える人材が出てきてくれる日を楽しみにしています。

               御家族の皆様。皆様の大切なお子様を隊員として送り出していただいたことに、自衛隊の最高指揮官として、心から感謝申し上げます。

               これほど礼儀正しく頼もしく立派な若武者ぶりを、どうか御覧ください。これもひとえに、すばらしい御家族の背中を彼らがしっかりと見て育ってきた。その素地があったればこそだと考えております。本当にありがとうございます。

               大切な御家族をお預かりする以上、しっかりと任務を遂行できるよう、万全を期すことをお約束申し上げます。

               最後となりましたが、学生の教育に尽力されてこられた國分学校長を始め教職員の方々に敬意を表するとともに、平素から防衛大学校に御理解と御協力をいただいている、御来賓、御家族の皆様に心より感謝申し上げます。

               卒業生諸君の今後ますますの活躍、そして防衛大学校の一層の発展を祈念して、私の訓示といたします。

              平成29年3月19日
              自衛隊最高指揮官
              内閣総理大臣 安倍 晋三

              posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:02 | - | - | - | - |
              【特番】平成二十九年 新春特別対談 − 渡部昇一氏と語る[桜H29/1/2]
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                【特番】平成二十九年 新春特別対談 − 渡部昇一氏と語る[桜H29/1/2]

                 

                     https://youtu.be/1t-BOj1-Y34

                 

                 特番】平成二十九年 新春特別対談 − 日下公人氏と語る[桜H29/1/3]    

                 

                      https://youtu.be/TA8e7MfOu24     

                posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:56 | - | - | - | - |
                安倍政治/小川栄太郎
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                   久しぶりに安倍政治について書く。
                  北方領土問題、日露問題がどうなるかはわからないが、改めて思ふ事は、日本の戦後70年といふのは、本当に解決すべき事、本当に直面すべき問題から全て逃げ続けた70年だつたといふ一事だ。領土問題などタイミングを外せば「力による解決」以外はよほどのオプションをつけても解決困難になり続けるのは当然だ。時間が経つほどに、向こうは盗んだことは忘れ、逆に、自分のものを一方的に奪われるといふ国民感情になるのだから。全てにわたり日本の戦後はこの手の根源的な問題の悪い先延ばしが多過ぎた。
                  安倍政権は、それら積み残しの宿題に取り組むといふ総理自身の決意と鳴り物入りとで登場し、二度目の今回4年を経過、理念としての総理の決意と現実に解決可能なレベルの落差が種々見えてきた。総理が現実に解決する意欲を持つてゐるからこそ、課題そのものが見えて来た、政権の歴史的意義が第一にそこにあると改めて感じてゐる。
                  逆に言へば、戦後の積み残し、戦後の宿題を真面目にやるつもりのない総理しか存在しなかつた。少なくとも佐藤の沖縄返還の後はさうだ。だから、保守論壇も何...十年と左翼批判か自民党政権は駄目だ論の周りをぐるぐるまわつてゐた。
                  しかし、安倍氏は少なくとも本質的な問題の解決を決意し、現実化しようと真面目に考へ続け、今もさうしてゐる。
                  だからこそ、「それでも解決できない宿題」がやつと見えてきたといふべきだらう。安倍批判をするのは結構だが、現実に力になる批判ができるかどうか、つまり批判者の言説の力、政治的な力量も、これだけの課題を一人で解決するつもりの総理を批判する上では問はれる。例へば中西輝政氏の安倍談話、日韓合意批判、山岡鉄秀氏の外務省英語批判などは、政治的な成果に結びつけ得る生産的なものだと考へる。リフレ派による、財務省に政策をリードさせないための様々な牽制球も同様だ。批判者には、批判を政治に直かに反映させる努力も伴つてほしいと考へる。
                  何しろ考へてごらんなさい。通常の国家運営をまともにやるさへ大変なのにそれに加へ、
                  安倍総理の決意一つで、皇室弱体化、憲法の根本的な欺瞞、靖国参拝や歴史認識、北朝鮮の拉致、北方領土、日米同盟の対等化、中国の脅威への毅然たる対処など防衛力の飛躍的強化、新たな世界秩序の中での日本の方針と地位の確立、政党力の強化、財務省や外務省に代表される霞が関の病理や利権や外国勢力跋扈、過激な人権政策から子供や家族を守る国への転換、更に人口問題・地方の疲弊など若い世代の生命力の低下などが、全部鮮やかに解決できれば世話はない。
                  しかし、安倍氏の解決への決意によつて、かうした問題の多くが真に解決すべき課題として見えてきた。総理がチャレンジしてゐるからこそ、不足点が見えて来た。駄目な点が見えて来た。方針の誤りがあればそれも見えて来た。
                  それでも足りない、方向が違ふと批判するのも結構。いや大いにやつてゐると評価するのも結構。心ある皆の力で日本の宿題を解決しよう、その歩を前に進める言動ならば、全て大いに結構。私も自分の仕事の領域でそれをするつもりだ。

                  posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:30 | - | - | - | - |
                   天皇の譲位問題は時間をかけた議論が重要/秋篠宮家への手厚い支え/櫻井よしこ
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                    天皇の譲位を認めるべきか否かについての専門家16人からの意見聴取が11月30日に終わった。意見は大きく3つに分かれている。(1)譲位を恒久的制度とする、(2)譲位を認めつつも、今回限りの特別措置とする、(3)譲位ではなく摂政を置く、である。

                    私は専門家の1人として、天皇陛下のお気持ちに沿うべく、最大限の配慮をすると同時に、そうした配慮と国の制度の問題は別であることを認識して、(3)を主張した。皇室と日本国の永続的安定のためにもそれが良いと考えた。

                    一方で、日本国民の圧倒的多数は陛下の「お言葉」を受けて、譲位を認めるべきという意見である。

                    こうした中、陛下にごく近い長年の友人である明石元紹(もとつぐ)氏(82歳)が、陛下が譲位を「将来も可能に」してほしいと、以前より話されていたと、「産経新聞」に語った。同紙は12月1日の紙面で、明石発言を1面トップで報じた。さらに、11月30日に51歳のお誕生日を迎えられた秋篠宮さまも陛下の「お言葉」について、初めて公式に感想を述べられた。

                    「お言葉」を通して、「長い間考えてこられたことをきちんとした形で示すことができた、これは大変良かった」「最大限にご自身の考えを伝えられた」「折々にそういう考えがあるということを伺っておりました」との内容だ。秋篠宮さまご自身、5年前のお誕生日前の会見で、天皇の「定年制」も必要だと語り、注目された。

                    皇室から次々に、譲位に向けた強いお気持ちの表明がなされる中で、私たちに課せられた課題は前述したように陛下のお気持ちを尊重しつつ、国柄を維持する制度の問題を、どう融合させていくかという点であろう。陛下がお気持ちをこれほど強く表明される中で、政府および有識者会議は、歴史と、皇室を軸とする日本の国柄を踏まえ、賢い解決策を出さなければならない。

                    政府の決定いかんにかかわらず、日本国として同時進行でしっかりと策を講じるべきこともある。次の世代の皇室をよりよく守り、支えるには、皇室の現状に多くの課題があることを認識しなければならない。皇位継承の安定はその筆頭だ。1つの方策として指摘されている旧宮家の皇族への復帰案などは、皇室典範の改正が必要であり、議論のための十分な時間が必要だ。

                    そうしたこと以前に、皇室典範や憲法改正を伴わずに今すぐできることもある。その緊急性を示したのが過日の交通事故である。

                    11月20日、秋篠宮妃紀子さまと悠仁さま、ご学友が乗ったワゴン車が中央道で追突事故を起こした。紀子さまらにけがはなく、追突された乗用車の側も無事だったのは、何よりだった。だが、よりによって悠仁さまの乗った車がなぜ事故を起こしたのか。理由は秋篠宮家に対する支えの体制が不十分であることに尽きるだろう。

                    皇位継承権保持者としてただ1人、若い世代の悠仁さまは、皇室にとっても日本にとっても掛け替えのない方だ。その悠仁さまの車になぜ、先導車が就かないのか、交通規制が敷かれないのか。天皇、皇后両陛下や皇太子ご一家のお出掛けでは、白バイが先導し、後方を警備車両が固める。信号は全て青になるよう調整され、高速道路には交通規制がかけられる。交通事故など、起こりようがない状況が整えられる。

                    この当然の対応が、秋篠宮家に対しては一切取られていない。公務でのお出掛けでも、後方に警備車両が一台就くだけだ。理由は秋篠宮家は他の皇族と同じ扱いになるからだという。しかし、陛下の譲位が取り沙汰される中、皇位継承権保持者お二人を擁する秋篠宮家にはもっと手厚い支えをするのが筋である。安定した皇位継承体制をつくる法議論も必要だが、このような目の前の日常の事柄への配慮も欠かしてはならないと思う。

                    posted by: samu | 頑張れ日本 | 11:52 | - | - | - | - |
                     現行憲法が外国製であることの“異常”さ/加瀬英明
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                      日本が占領下で自由を奪われていた間に、外国によって銃口を突きつけられて、強要された現行憲法は、日本国憲法と呼ばれているが、「日本国」の名に価いしない。

                      天皇は、日本国の「象徴」(第1条)と規定されているが、「日本国憲法」の原文である英語では、「シンボル」と書かれている。

                      日本の憲法の原文が、外国語の英語だというのは、異常なことではないか。

                      「異常」という言葉は、「体の異常を訴える」とか、「精神が異常だ」という意味で、用いられる。

                      原文が外国語であるということだけとっても、今日の日本は異常である。

                      「日本国憲法」が制定されるまでは、「菊花は御皇室の象徴である」というように、象徴という言葉はあったが、日本語で人間を指して、「象徴」という使用法はなかった。シンボルという原文を、他に訳しようがなかったからだった。

                      現行憲法のなかで一つ、それまで日本語に存在しなかったのに、日本語として新しく造られた言葉が、用いられている。

                      ブンミン――「文民」という言葉だ。憲法第66条2項は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と、定めている。

                      軍人であってはならない、というのだ。第九条が軍隊を保有することを禁じているから、軍人がいるはずがないのに、このような条項があるのは奇妙なことだが、大慌てでつくった、お粗末な“即席憲法”であることを、示している。

                      占領軍がつくった原文では、この「文民」に当たる言葉は、「シビリアン」である。ところが、それまで「シビリアン」には「市民」とか、「民間人」という訳語しかなかったので、法律の用語として適切でなかった。

                      もし、現憲法を日本の手でつくって、制定したとすれば、それまで存在しなかった、新しい言葉を造って、用いることはなかっただろう。このこと、一つだけをとっても、現憲法が外国製であることが分かる。

                      私は「象徴」という言葉を、それまでなかった用いかたをしたり、「文民」という新しい言葉を造ったことを、非難しているのではない。

                      明治以後、「社会」「個人」「宗教」「指導者」「独裁者」や、「恋愛」という、それまで日本語のなかになかった、おびただしい数にのぼる新語――明治翻訳語と呼ばれる言葉――が造られては、日本語に仲間入りしている。

                      私は本誌の前号で、日本はいま生きている日本国民のものだけではないと、訴えた。

                      当然のことだが、2000年以上にわたって、日本列島に生を享けて、日本という国を創ってきた御先祖たちも、この国の主人である。

                      日本国はこの瞬間だけ、存在しているのではない。父祖代々にわたる深い根がある。根のない国にしてはならない。
                      天皇が「日本国民の象徴」であるという時には、いま生きている日本国民の象徴であられるだけではなく、2000年以上にわたる日本国の象徴であられるのだ。

                      昭和天皇は、今上陛下が御成婚になられた日に、「あなうれし神のみ前に 日の御子のいちせの契り結ぶこの朝」と、御製を詠まれている。天照大御神のお血筋を継がれていることを、祝われたのだった。

                      posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:47 | - | - | - | - |