PR
Search
Calendar
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>
New Entries
Category
Archives
Profile
Links
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
破壊されたバーミアン大仏から見えてくるもの/加瀬英明
0

    爆破された貴重な仏教遺跡

    10月に東京においてアフガニスタンで2001年に無惨に破壊された、バーミアンの大仏を再建する方策を検討する国際シンポジウムが開かれた。

    私はシンポジウムを取り上げたテレビのニュースを見ながら、西洋のキリスト教の歴史と、今日のイスラム教に思いを巡らせた。

    バーミアンはアフガニスタン中央部の盆地にあって、南北交易路の要衝だったことから、9世紀まで仏教王国として栄えた。

    山腹に刻まれた巨大な2軀の大仏立像があったが、イスラム過激派のタリバン政権によって爆破された。

    2体とも、世界的に貴重な仏教美術遺産だった。東西2軀のうち西側の大仏は、高さが55メートルもあった。

    私はタリバンが爆破した瞬間を撮影した映像が、テレビで放映された時も、ヨーロッパの歴史を思った。

    シリアではイスラム国(IS)によって、3世紀に遡るローマ時代の多神教の壮麗なパルミュラ遺跡が、イスラム教を冒涜するものとして、破壊されたことはよく知られる。

    私たちは眉を顰めるが、これらの遺跡を破壊するのに当たって、タリバン政権も、イスラム国も神の意志を代って行っていると、固く信じていたはずである。

    イスラム教の2大宗派による抗争

    今日、中東と北アフリカでは、イスラム教の2大宗派であるスンニー派と、シーア派が、アフガニスタン、イラク、シリアから、リビアまで血を血で洗う凄惨な抗争を繰りひろげている。まったく終わりが見えない。

    10月に、クルド族によるシリア民主軍が、イスラム国の“首都”だったラッカを制圧したが、ISが解体したとしても、今後、シリアに平和が甦ることはないだろう。

    宗教戦争が進んでいるのだから、アラビア半島まで混乱が波及して、サウジアラビアをはじめとする、湾岸産油諸国を呑み込む可能性もあろう。

    私たちはイスラム教が寛容をまったく欠いており、暴力を手段とする“変種”の宗教であると、奇異の眼をもってとらえがちだ。しかし、イスラム教はユダヤ・キリスト教を母胎として生まれたが、キリスト教の再来であると考えれば、“変種”ではけつしてない。

    大英博物館を訪れて

    ローマ帝国によって迫害されていたキリスト教が、ローマ帝国の国教として採用されたのは、後に大帝と呼ばれたコンスタンティヌス1世が、312年にキリスト教徒の助けによって、テレベ河の戦いに勝ったのが切っ掛けとなった。キリスト教化すると、異教となった多神教の神殿や、彫像、列柱が、帝国の全域にわたって破壊された。

    キリスト教は偶像崇拝を禁じたから、ギリシアのアテネ、シリアのパルミュラから、エジプトにあった神殿まで、容赦なく破壊された。

    私はロンドンの大英博物館で案内してくれた学芸員から、展示された多くのギリシア・ローマ時代の神像や、彫像が大きく破損しているのは、キリスト教徒の手によるものだと、説明をきかされた。

    大理石の彫像や、列柱が粉々に砕かれて、キリスト教会を建てるために、モルタルとして使用されたということだった。キリスト教徒は、タリバンや、ISの先駆けだったのだ。

    イスラム教は、まだ若い宗教なのだ。キリスト教より600年後に、開祖マホメッドによって生まれた。

    今日、イスラム世界に起っていることは、キリスト教が300年前まで行っていたことだと、考えればよい。ヨーロッパでは、カトリック(旧教)教徒とプロテスタント(新教)教徒が、2世紀にわたって宗教戦争を戦うことによって、大量の人命が奪われ、ヨーロッパ全土を荒廃させた。

    今日でも、先進国イギリスの北アイルランドにおいて、1990年代にカトリックとプロテスタント住民のあいだで停戦合意が行われたものの、いまだに銃撃戦が発生している。

    「宗教」という言葉は明治になって造られた

    中東に戻れば、イスラム国が倒されたとしても、イスラム過激主義というイデオロギーが、消滅することはない。いくら激しい空爆や、砲撃を加えたとしても、理想主義(イデオロギー)を破壊することはできない。

    このところ、ヨーロッパがイスラムによるテロ事件によって悩まされているが、イスラムがヨーロッパを呑み込もうとしており、まだ始まったばかりのところだと、考えるべきだろう。

    イスラム過激主義は、東南アジアにも拡がりつつある。日本に入国する外国人観光客や、人手不足を補うための研修労働者が増えるなかで、不断の警戒を怠ってはならない。

    日本は幸いなことに、明治に入るまで宗教と無縁だったために、国内の安寧が保たれた。

    「宗教」という言葉は、明治に入ってから新しく造語された、おびただしい数にのぼる明治翻訳語の一つである。それまで日本語のなかには、「宗門」「宗旨」「宗派」という言葉しか、存在しなかった。宗門や宗派は争うことなく、共存――共尊していた。

    キリスト教という寛容を欠き、他宗を認めることを拒む信仰が入ってくると、それまでの日本語では表現できなかったので、「宗教」という新語を造らねばならなかった。

    福沢諭吉が『西洋事情』のなかで明治訳語について、「西洋の新事物輸入するに」あたり、「恰(あたか)も雪を知らざる印度人に雪の詩を作らしむ用の沙汰なれば(略)新日本の新文字を製造したる其(その)数亦尠(またすく)なからず」と、書いている。「宗教」も、その一つだった。

    心を用いる神道は宗教ではない

    日本の在来信仰である神道は信仰であるが、宗教ではない。人がまだ文字を持つ前に生まれ、開祖も、経典も、聖書も、言葉を多用した煩雑な教えも存在しない。

    宗教では、人が中心になっているのに対して、神道は万物のなかに霊力が宿っていて、自然全般が神々しい存在とされている。

    「レリジョン」(宗教)の語源は、ラテン語の「レリギオ」だが、類語の「レリガーレ」は「固く縛る、束縛する」を意味している。神道を宗教とみなすのは、インド人に雪について詩を書かせるようなことだ。

    神道という言葉も、新しい。それまで名がなかったが、仏教が儒教とともに伝来した時に、仏教と区別するために生まれた。

    宗教は言葉から成り立っている。日本は中国大陸や朝鮮半島と違って、冗舌であったり、言葉によって成り立っている論理を、本能的に嫌った。

    日本では太古の昔から言葉が対立を招いて、和を損ねることを知っていたから、「言挙(ことあ)げしない」といって、言葉を多用することを戒めてきた。また「言霊(ことだま)」といって、言葉を用いる時には、よい言葉を発しなければならないと、信じた。

    宗教が言葉を使って組み立てられているのに対して、神道は心の信仰である。人は心を分かち合えるが、論理はかならず対立をもたらす。

    「指導者」や「独裁者」という言葉も、明治に入るまで日本語に存在しなかった明治翻訳語である。天照大御神は最高神として権威を備えていたが、西洋、中東や、中国、朝鮮の最高神が独裁神であるのと違って、つねに八百万(やおよろず)の神々と合議している。日本には、全能の神という発想がなかった。

    神道こそが世界を救う

    「根回し」「稟議」という言葉は、ヨーロッパ諸語にも、中国語、韓国語にもなく、日本語にしかない独特なものだ。今日でも、日本には論理によって人々の上に立つ「指導者」や、「独裁者」が存在していない。

    自然を尊んで、自然が神々だとする信仰はエコロジーであり、今日の人類にとってもっとも進んだ教えである。

    私は神道が、世界を救うと信じている。この和の信仰を国際化して、全世界にひろめたいと願っている。

    posted by: samu | 政治認識 | 10:07 | - | - | - | - |
    スポンサーサイト
    0
      posted by: スポンサードリンク | - | 10:07 | - | - | - | - |