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書評『南洲翁遺訓を読む  わが西郷隆盛論』(到知出版社)/渡部昇一
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    書評/宮崎正弘

     

    渡部さんに西郷を論じた本があるのは納得できる。
    なぜなら氏は山形県鶴岡出身。幕末、庄内藩は?川に忠実で、三田の薩摩屋敷を襲撃し、焼き討ちにした。
    官軍と戦った「東北列藩同盟」では、会津落城後も闘いつづけ、ついに降伏したときは、苛烈な処分を覚悟していたところ、「寛大な措置を」という西郷の決断のもと、会津がやられたような非道い処分がなかった。
    感激した藩士等が明治になってから、鹿児島へ何回も通い、西郷の訓話を集めて編纂されたのが『大西郷遺訓』(南洲翁遺訓)の初版の由来である。この旧庄内藩士の本は千部印刷されて、その後、いろいろな解釈本も出回り、どれほどの影響力を後世にもたらしたか計り知れず、平成の御代においても、岩波文庫版のほか、数種類が上梓されているほどである。
    渡部氏は、このなかで幾つかの重要なポイントを指摘され、原文と現代語訳のあとに、独自の解釈を付け加えているのだが、ここでは二つのことを採り上げたい。

    第一は革命家としての西郷の陰謀である。
    およそ戦時において軍事行動に謀略はつきものであり、これを冷徹に行える者が勝利を導く。つまり英雄にはつねにダークサイドがある。
    西郷の陰謀、じつは沢山あってきりがない。薩摩藩邸焼き討ちにしても、背後で庄内藩士を焚きつけたし、公武合体から倒幕に急変するや、坂本龍馬が邪魔になったため、隠れ家を内通させたのも、西郷と考えられている。
    渡部昇一氏はこういう。
    「若き日の西郷は策略軍略に長けた大軍師、大参謀でした」。(中略)その典型が「薩摩屋敷を根城にした関東攪乱です。西郷は相楽総三、伊牟田尚平などを使って、江戸中に火をつけたり強盗をしたりして、不安に陥れ」、「江戸取り締まりの庄内藩まで攻撃したので、(報復として)庄内藩は薩摩屋敷を焼き、それが鳥羽伏見の戦いに結びついた」
    相楽ら「赤報隊」の残虐非道も、用済みとなるや、「官軍にあるまじき非道」といって処刑している。
    その良心の呵責と反省から、西郷は「遺訓」のなかに、「一事の詐謀を用うべからず」という表現を披瀝していると渡部氏は解釈している。
    もう一点が税金である。
    『租税を薄くして、民を豊かにする』というのが西郷の基本信条である。
    それは「南洲は若い頃、取りたてられて郡方書役助(こおりかたかきやくすけ)という農村を見回って村役人を指導する役目でありました。給料は四石です。(中略)十年間、この仕事をしました。すなわち薩摩藩の一番底辺の世界に直接ふれたわけです。当時、日本中どこでも百姓が過酷な年貢で苦しめられていたと思いますが、薩摩藩はとくにひどくて、元来、同情心の強い」西郷は税金問題に鋭敏で、減税をなし国力を富ますという、政治テーゼが産まれた、とする。
    全体に、やさしい解説がなされ、西郷の人となりを学ぶ本となっている。
     

    posted by: samu | 書評 | 23:05 | - | - | - | - |
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