PR
Search
Calendar
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
New Entries
Category
Archives
Profile
Links
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
書評『出会いの幸福』(ワック)曾野綾子
0

    宮崎正弘/書評


    人生は『出会い』であり、ふとした出会いが印象深い想い出となる
    ほんの数分の出会いでも貴重な邂逅となった人々がいた

    名エッセイを次々と書かれて世に問われる曾野さんには、ファンが多い。WILL巻頭の随筆も随分長いこと続いていると思っていたら本になった。一度読んで忘れているのもあれば、初めて読んだ箇所もある。
    とくにこの随筆集に強烈な印象をもつ人が何人もでてくるが、曾野さんはペルー大統領辞任直後から自宅にフジモリ大統領を匿った逸話は広く知られる。
    その『亡命』生活の最中だったか、評者(宮崎)も加瀬英明邸でフジモリ大統領と会ったことがある。
    おどろくほど日本語が上達されていた上、英語もかなり流暢だった。矢継ぎ早に、中国経済の現状について質問が飛び出した。曾野さんは、フジモリ大統領が曾野家のプレハブ住宅に突如移り住んでからの生活ぶり、そして食事から興味の範囲までを克明に記憶して、この最後のサムライの日本での生活を書いた。
    チリの章も面白く読んだ。
    というのも、チリでアジェンデ大統領の社会主義政権の腐敗、大統領府を武器庫にしたあとに軍事クーデターがおこり、その直後に曾野さんはサンチャゴに入った。その時に抱いた率直な印象は貴重な記録でもある。
    これまた評者の個人的なことだが、先月にサンチャゴに立ち寄って、クーデターの現場となった大統領府をみたが、前の広場にはアジェンデ大統領の巨大な銅像があり、逆にピノチェット大統領の銅像がない、という価値倒錯の現在のチリの思想状況を知っていたので、往時との格差について思いを走らせたのだった。
    もう一つの思いが百瀬博教氏のことである。
    曾野さんは、ある日突然、無名の百瀬を名乗る青年から詩集を贈られ、なぜかひらめくものがあって読んだそうである。そしてフランス料亭に彼を招いて食事をして、というような付き合いをされていた由。
    思い出したのだ。
    百瀬博教氏は2008年1月28日に急逝した。
    新聞には百瀬博教さんのことを「裕次郎の用心棒」と報じたが自宅風呂場で発見。自殺?事故死?(同日夕刊、29日産経朝刊)。
    「三島由紀夫の用心棒」を自称する作家の安部穣二氏は、雑誌『室内』を主宰されていた山本夏彦氏が、その文才を見つけ出した。安部さんと小生は45年近いき合いだが、最初は小金井一家の代貸しと言っていた。
    藤島さんの事務所によく訪ねてきて、話が滅法面白く、抱腹絶倒。あれを小説化したら面白い、と当時から指摘していたのは作家の藤島泰輔氏だった。藤島さんは安部氏の第七番目だかの奥さんとの結婚式で介添えを務めた。
    六年間のオツトメを終えて娑婆に戻った百瀬さんのトレードマークは『永遠に若く』の帽子だった。
      百瀬博教氏の文才を最初に発見し、大胆にも『週刊文春』に手記を連載させたのは花田紀凱氏である。文士とはもっとも縁が薄い人物が濃密で情緒的な裕次郎時代の回想を綴った。
    その花田さんの紹介で、評者も百瀬氏を知ったが、初対面の時から妙にウマがあって、『三島さんに会いたかった。あの自決には衝撃を受けた』と語った。
    そしてなぜか百瀬さんは詩集をくれた。その詩集は純朴そのものの作風で、いまとなっては遺書代わりとしか思えない。そのときに連れてきていた秘書に一緒の記念写真を撮らせ、その写真をなぜか次に偶然サイデンスティッカーさんの追悼会で会ったら、持参してくれていた。
    「どうして私が、この会にでると分かったのですか?」と訊くと、
    百瀬さんが『カンですよ、第六感』と言って笑った。
    百瀬氏とサイデンスティッカーさんとが、どこでどうつながっていたのか、うっかり聞かなかった。 
    こうして思いで深き人々が次々と登場してくるのが曾野さんの新著の特色で、読み込む内に夕食をとることを忘れていた。

    posted by: samu | 書評 | 09:26 | - | - | - | - |
    スポンサーサイト
    0
      posted by: スポンサードリンク | - | 09:26 | - | - | - | - |