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歴史の誤報を反論できる日本に/平川祐弘
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    歴史教科書問題はデリケートだ。不愉快極まるのは誤報事件で、日本の文部省が検定で「華北への侵略」を「進出」に書き換えさせたと新聞が一斉に報じた。1982年のことである。中国・韓国が猛反発した。しかしそれは日本のメディアが日本を傷つけた例のフェイク・ニュースだった。

     ≪あたふたしただけの日本政府≫

     あのとき文部省は誤報だと最初からわかっていたのだから、大声をあげて反論すればよかった。担当官が職を賭して憤り、辞表を叩(たた)きつけていればまだしも救いはあった。戦前の官吏なら割腹自決して抗議したかもしれない。しかし日本政府があたふたしたのがよくなかった。宮沢喜一官房長官は及び腰で、談話は「アジアの近隣諸国に配慮する」と明記した近隣諸国条項へと発展、中韓による「外圧検定」騒ぎとなった。

     だが渡部昇一教授が『諸君!』10月号に「萬犬虚に吠えた教科書問題」を寄稿、日本の大新聞の報道は事実無根と真相を明かすや世間は唖然(あぜん)とした。さらによくなかったのは、誤報の経過を述べ詫(わ)びたのが『産経新聞』(9月7、8日付)だけで、他の新聞は訂正しなかったことだ。日本を傷つける分には虚報も許されるかのような風潮を広めた。

    国際関係を悪化させる誤報は放置してよいのか。1929年12月、南京で出た『時事月報』に中国訳『田中義一上日皇之奏章』なるものが載った。そこには日本の内外蒙古への軍人スパイの派遣、鉱山の獲得、朝鮮人の移住、鉄道の建設、満蒙特産品の専売など全21条にわたる満蒙の征服・経営の方策が具体的に出ている。

     27年、田中首相から昭和天皇に上奏されたとされたが、実は偽書で作者は王家禎(後の国民政府外交部次長)だとわかっている。しかし『タナカ・メモランダム』は中国侵略計画書として世界に喧伝(けんでん)され、東京裁判でも取り上げられた。中国の歴史教科書には『田中上奏文』が今も載っている。

     ≪排日思想を煽った外国の教科書≫

     他国の教科書の誤りを指摘すると、相手の反発を招きかねない。戦前の日本は中国の教科書が排日思想を煽(あお)っているとして再三申入れを行った。それで効果が出たかは疑問だ。並木頼寿・大里浩秋・砂山幸雄編『近代中国・教科書と日本』はその間の事情を中国側研究者とともに調べている。東大に提出された徐冰教授の博士論文『中国近代教科書中的日本和日本人形象』(商務印書館)はバランスのとれたアプローチで両面を見ている。この種の研究は早く日本語版も活字にしてもらいたい。

    私は前にこんな文章を読んで驚いたことがある。「学校で使われている教科書を読むと、執筆者は憎悪の炎で国粋主義を燃え上がらせ、悲壮感を煽り立てているような印象を受ける。学校に始まり、社会の各層で行われている激しい外国排斥プロパガンダが学生を政治運動に走らせ、時には官庁や閣僚、高級官僚への襲撃、政府転覆の企(たくら)みへと駆り立てている」

     近年は外国と連動する一部日本左翼が、新しい歴史教科書が出るたびに非難を浴びせる。これは一体どの教科書ヘの批判か。わが国の教科書はこれほど過激でない。現行のものには排外主義で若者を扇動する記述はない。実はこれは中華民国の教科書に関するリットン調査団の報告だ。私は英国人リットン卿が中国の肩を持つ報告をするから日本は国際連盟を脱退した、と思っていただけに驚いた。

     ≪世界に向け事実に基づく発信を≫

     近年の最大の教科書問題はアメリカだ。「慰安婦。日本軍は14歳から20歳にいたる20万の女を強制的に徴用し、銃剣をつきつけて慰安所と呼ばれる軍隊用の女郎屋で無理矢理に働かせた。日本軍は女たちを天皇陛下の贈物として提供した。逃げようとした者、性病に罹(かか)った者は日本兵によって殺された。敗戦の際にこの件を隠すために日本兵は多数の慰安婦を虐殺した」

    マグロウヒル歴史教科書のジーグラー氏執筆のこの記述は誇張と歪曲(わいきょく)によって私たちをいたく驚かせた。だが日本側が訂正申込みをしても応じるどころか、北米の歴史学会員が逆に、教科書擁護の声明を出した。韓国慰安婦にまつわる誤情報が朝日新聞によって流された経緯は日本でこそ知られているが、海外では知られていない。

     その中で朗報は、秦郁彦氏の客観的な研究『慰安婦と戦場の性』の立派な英訳 Comfort Women and Sex in the Battle Zone がアメリカのハミルトン社からついに出たことだ。日本が不当に扱われると憤激する正論派は多いが、内弁慶では反撃の効果はない。国際的に通じる、きちんと註のついた学術書を世界に向けて発信する。それが日本の汚名をそそぐ捷径(しょうけい)だ。

     私たち日本の学者も外交官も相手の言い分を理解する語学力はあるが、相手の言葉で説得的に反論できる力が足りない。歴史問題では問題点を確かめ、相手の誤りを事実に即して上手に知らせるがよい。そのためにはこの種の英文書籍を活用することが大切だ。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわすけひろ)

     

    posted by: samu | 産経正論 | 16:35 | - | - | - | - |