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福澤諭吉もサジを投げた国/野口裕之
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    反日空想」の慰安婦・徴用工像は増殖 帝國陸軍教育を受けた英雄の像は撤去 福澤諭吉もサジを投げた国

     

    《歴史の捏造・粉飾》も《歴史の隠滅》も基本的には、どちらもいただけない。しかし、今次小欄はそこには深く触れない。そうは言っても、《歴史の隠滅》国の説明をしなければ、小欄のスタートを切れない。《歴史の捏造・粉飾》国とは言わずと知れた韓国だが、《歴史の隠滅》国とは米国である。

     米国では、白人至上主義への抗議に端を発し、南北戦争(1861〜65年)で奴隷制存続を主張した南軍の将軍像・記念碑を撤去する動きがエスカレートしている。さらに、ニューヨークはマンハッタン・セントラルパーク近くに建つクリストファー・コロンブス(1451?〜1506年)の像もターゲットになった。 

     コロンブスは、ヨーロッパ人によるアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模航海が行われた大航海時代(15世紀半ば〜17世紀半ば)において、キリスト教世界の白人としては最初に米国海域へ到達したひとり(諸説アリ)。ただ、先住民の土地を奪い虐殺したなどとして、長きにわたり歴史的評価が分かれてきた。現に、米メリーランド州のコロンブス記念碑は何者かによってハンマーで破壊され、米テキサス州でもコロンブス像に赤い塗料がかけられる事件が起きている。 

     人種差別は言語道断だ。けれども、当時は一定の“社会性”を持ち、当たり前のように施行されていた人種差別政策を「けしからん!」と憤って像を撤去するのか、それとも歴史の一部として捉え、「恥史」ではあるが後世、二度と繰り返さない歴史の悲しい教訓として残すのかの判断には、冷厳・冷徹な姿勢が求められる。

    かくして、米国は「像の撤去」へと舵を切り始めたが、韓国は慰安婦/徴用工「像の増殖」にふける。

     米国内の像は米国戦史上、最多の米国人戦死者を出した南北戦争や奴隷史がモチーフ。片や、韓国内の像は「日本軍に強制連行された従軍慰安婦の少女=性奴隷」「日本による朝鮮人の強制連行→強制労働を強いられた徴用工」などとする反日空想物語の産物。像がもの言わぬことを良いことにでっち上げた「ご当地キャラ」にも成り得ぬシロモノだ。

     米国では史実が「撤去」され、韓国では仮想が「増殖」中という不思議な状況なのだが、どうせなら米国内で林立の兆しがある慰安婦像も「撤去」してほしい。

    福澤諭吉いわく「国家に挺身する憂国の志士の少なさは、国家を滅亡させる」

     さて、今次小欄のテーマに入る。

     米国では南北戦争や奴隷史をめぐり意見の相違が顕在化しているが、韓国では歴史の捏造・粉飾を恥ともせず、反論も鳴りを潜める。

     反日であれば歴史の捏造・粉飾も許される「反日有理」は、韓国が輩出してきた英雄の数的限界にも根ざしている。福澤諭吉(1835〜1901年)も「国家に挺身する憂国の志士の少なさは、国家を滅亡させる」と言い切っており、支援し続けた朝鮮を最後は見限る。

     福澤の慧眼は、韓国海軍の潜水艦名となって現代で証明された。順を追って説明する。

     韓国海軍の214型潜水艦はドイツが輸出用に開発し、韓国企業が組み立てるが、韓国側の瑕疵などでトラブルが続出。韓国では「潜水できぬ潜水艦」を保有する世界的に珍しい海軍が誕生した。

    軍用艦命名にあたり、縁起の悪い「敗軍の将」の名をかぶせる海軍もまた、極めて珍しい。214型潜水艦の4番艦で、2013年に進水した《金佐鎮》はそうした珍例の一つ。

     もっとも韓国海軍には、日韓併合(1910年)に反対していた初代韓国統監・伊藤博文(元首相/1841〜1909年)を殺害し、むしろ日韓併合を後押ししてしまう頓珍漢なテロリスト・安重根(1879〜1910年)の名を3番艦に付けた“実績”がある。相も変わらず日本に凄味を利かせたつもりの奇行ではあるが、潜水艦・安重根は哀れなほど「締まり」のない艦に仕上がった。開発元のドイツ企業の締め付け強度要求を満たさぬボルトを韓国企業が製造し、艦橋と甲板を固定するボルトが緩んだり折れたり。

     やはり韓国企業製作のスクリュー・プロペラには151カ所もの亀裂が見つかった。敵を待ち伏せする通常型潜水艦の命は静粛・隠密性で、日本企業は芸術的ともいえる精度でプロペラを仕上げる。1カ所の傷でさえ「個性的な雑音」を発出し、敵に艦名を割り出される危険を伴うのに、151カ所とは…。ドイツ製に交換と成った次第。

     失敗だったのは、「マレー半島やマラッカ海峡をも作戦域に含む」とブチ上げた、韓国海軍が導入当初に口を滑らせた豪語。豪語の手前、9番艦までの建造予定を完遂せねばならず、「トホホ感」満載の214型は「頓珍漢なテロリスト=安重根」→「敗軍の将=金佐鎮」の次も“英雄”を墓場より掘り起こす必要に迫られた。その後も、韓国独立の「義士」「烈士」と畏敬される人物が潜水艦名に付けられたが、わが国からみれば紛う事なきテロリスト。他艦種の艦名も含め、名前の基になる英雄が早期枯渇する前に、歴史上の人物の命名を諦めて、花鳥風月にしてはどうかと、筆者は同情している。

    ここで、「敗軍の将=金佐鎮」を語るにあたり、歴史を1920年に戻す。

     当時、滿洲東部からロシア沿海州南西部にかけては李氏朝鮮時代以降、朝鮮人が多数移住した。深い森林が多く、朝鮮総督府の支配も届かず、無頼の朝鮮人や中国人による匪賊・馬賊の格好の根拠地となった。越境して朝鮮半島北部の町村を襲撃、無辜の朝鮮人らへの略奪を繰り返した。銀行券略奪や日本領事館が焼き打ちにされ女性や子供を含む13人が殺されるに至り、大日本帝國陸軍と中華民国軍が本格的掃討に乗り出す。

     匪賊・馬賊の類いと協力して帝國陸軍と戦ったのが、日韓併合に不満を持つ抗日武装集団・北路軍政署の頭目・金佐鎮(1889〜1930年)。

     冒頭で潜水艦名として祭りあげられてはいるが、金佐鎮が歴史上満足に顔をのぞかせるのは僅か1週間。近代史上、帝國陸海軍と戦わず米軍に解放してもらったはずの韓国が“対日戦争”などと言い張る、滿洲東部の《青山里戦闘》以外にない。当時〜現在まで、金佐鎮を“英雄”にし、青山里戦闘を「大勝利」へと、文字通り「導く」ため、韓国は歴史の粉飾を繰り返した。

     日本側は複数の資料(日時・場所記載のものもアリ)に、彼我の損害を克明に記録。《帝國陸軍の戦死11(将校の戦死ナシ)・負傷24/敵側の戦死130・死傷90以上・逃亡200》としている。

     これに対し、韓国側は帝國陸軍の被害を次第に誇張し始め「戦死の加納信暉・聯隊長以下3300人殺傷」と言い出した。ロクな調査もしておらず、ウソはあっけなくバレた。加納大佐は戦闘後の1922年まで聯隊長を務め、23年に予備役に編入されたのだった。

    しかも「金佐鎮将軍」は30年、「日帝の指図を受けた朴尚實の凶弾で殉死した」ことになっている。だが、朴は《共産勢力に属した朝鮮人の元部下》で、日本とは関わり合いがない。逆に、追い詰められた金ら600人は武器・資金の欠乏で、武装解除し農民に転向せんと、あろうことか資金援助を日本総領事に申し入れている。日本外務省は難色を示したが、お咎めナシ。暗殺するほどの大物ではなかった現実を裏付ける。

     ところが、韓国は1991年以来、金佐鎮の生家の聖域化事業を推進し、家屋や門を復元し展示館を建設。祠堂や駐車場など2880坪を造成した。毎年、青山里戦闘全勝記念祭りを開催してもいる。

    2個中隊で1個師団を撃破した帝國陸軍の朝鮮人指揮官像は撤去

     韓国は「対日戦で勝利して独立を勝ち取った」との“建国神話”を完結する必要があった。そうしなければ、燃えたぎる対日コンプレックスを拭い去ることがかなわない。韓国の悲劇は捏造・粉飾を恥とも感じず、一方でコンプレックスは消えることがない、屈折した負のスパイラルにある。

     ついには、コンプレックスを消し去るべく、「日本色」を徹底的に葬った。韓国に真の英雄が少ないのは、「日本色」を有した英雄を抹消した結果でもある。

     例えば韓国陸軍の金錫源・少将(1893〜1978年)。

     と、ここまで書いて、思い出した。韓国は「像の増殖」だけでなく、米国に先駆け「像の撤去」へと舵を切っていた。後述する。

    金錫源氏は帝國陸軍の幼年学校→士官学校と進み、韓国成立後に師団長(准将)に任官する。

     折しも、朝鮮戦争(1950〜53年休戦)が起きる。米陸軍のダグラス・マッカーサー元帥(1880〜1964年)の「国連軍」総司令官就任後の軍議で、金錫源氏は愉快そうにこう言い放ち、日本刀を仕込んだ軍刀の柄を叩いた。

     「帝國陸軍を破った男が帝國陸軍を指揮するのか。よろしい。帝國陸軍が味方にまわればどれほど頼もしいか、存分にみせつけてやりましょう」

     時あたかも、「国連軍」は朝鮮半島最南端・釜山に追い詰められ、敗戦濃厚。首都ソウルを見捨て、いち早く逃亡した日本嫌いの李承晩・大統領(1875〜1965年)はようやく、禁じていた帝國陸軍の教育を受けた韓国人のみの部隊編成を裁可した。

     金錫源将軍の指揮する帝國陸軍得意の突貫に、北朝鮮・朝鮮人民軍は後退する。なのに、金錫源将軍は退却を命ずる。当然、敵は追撃に転じた。朝鮮人民軍は重装甲のソ連製戦車を多数有しており、火力がまるで劣る韓国軍にとり絶体絶命の危機。と、朝鮮人民軍戦車部隊に突如、沖合より米海軍艦隊の猛烈な艦砲射撃が加えられ、戦車部隊を粉砕した。

     前夜、金錫源将軍は米艦隊に連絡将校を派遣。自らが囮になる作戦への協力を要請していた。ただ、訓練・経験不足の上、部隊を置き去りにして敵前逃亡する韓国軍将校を見てきた米軍は作戦成就を信じなかった。が、帝國陸軍の大佐だった軍歴に加え、支那事変(1937〜45年)で2個中隊の寡兵をもって1個師団を撃破し、朝鮮人初の功三級金鵄勲章を贈られたと知るや、作戦参加を決心する。

    あわや朝鮮半島が赤化される巨大な危機・朝鮮戦争に際し、身を挺して祖国を守った紛う事なき救国の士に対し、韓国の仕打ちは酷かった。「親日」を理由に「親日反民族行為者ブラックリスト」に載せ、予備役編入後に理事長を務めた高校の敷地に在った将軍の像を撤去する。

     金錫源将軍に限らず、大日本帝國陸軍などの教育を受けた多くの英雄が「ブラックリスト」に掲せられ、国史よりデリートされてしまった。

     こういう国柄だ。

     《脱亜論》《朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す》《文明論之概略》などを総合・意訳すると、福澤諭吉の朝鮮・中国観は次のようになる。

     (1)過去に拘泥し、国際紛争でも「悪いのはそっち」と開き直って恥じない。この二国に国際常識を期待してはならない。

     (2)国際の法やマナーを踏みにじって恥じぬ二国と、隣国故に同一視されるのは一大不幸。

     (3)二国には国際の常識・法に従い接すべし。(国交は別として)気持ちにおいては断交する。

     (4)文明とは智徳の進歩なり。

     (5)大国に擦り寄り右往左往する事大主義、国家に挺身する憂国の志士の少なさは、国家を滅亡させる。

     韓国は今なお、福澤が失望した時代をさまよっている。福澤の溜息が聞こえる。

     

    posted by: samu | 政治認識/中国韓国 | 18:13 | - | - | - | - |