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講演/ ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(2)西尾幹二
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                (三)

     「暴力」が基本にあった・・・。正論12月号にホッブスを例に、中世のもっぱら暴力について書いているので憶えておられると思います。

    『西洋の歴史は戦争の歴史といったが、イコール掠奪の歴史でもあった。掠奪は経済活動ですらあった。』 『略奪し強奪しあうことこそ人間の生業であった。それは自然法に反すると考えられるどころか、戦利品が多ければ多いほど名誉も多いと考えられた。』

     その実例をここではたくさん書いています。どれか一つだけ例を挙げると分かり易いのですが・・・、一番最初に私が書いたトーマ・バザンの「シャルル七世の歴史」の一節からとった、分かり易い具体的な例です。読んだ人は知っているかと思います。

    『この辺りでは畠仕事は都市の城壁の中、砦(とりで)や城の柵の中で行われる。それ程でない場合でも高い塔や望楼の上から目の届く範囲内でなければ、とうてい野良(のら)仕事などできなかった。物見の者が、遠くから一列になって駆けてくる盗賊の群を見付ける。鐘やラッパはおろかなこと、およそ音のする物はことごとく乱打されて、野良や葡萄畠で働いている者たちに、即刻手近かの防御拠点に身を寄せよと警報を伝える。このようなことは、ごくありふれたことだし、またいたる所で絶えず繰り返されたのである。警報を聞くと、牛も馬もただちに鋤から解放される。長い間の習慣でしつけられているから、追うたり曳いたりするまでもなく、狂わんばかりに駆けだして安全な場所へと走って行く。仔羊や豚でさえ、同じ習慣を身につけていた』

     要するにそれぐらい無法なんです。今の「イスラム国」を見てください。無法でしょう?これはイスラムでなくヨーロッパの話なのですが、近代国家が生まれる前の「中世がえり」。世界は中世に近付いているということで、皆さんに今この話をしているわけです。

     

     
    『だから、大土地所有者は武装集団を抱えていたし、民衆も武器を常時携えていた。僧侶ですら武装していた。橋も砦になり、教会は城塞として造られ、僧院には濠、跳ね橋、防柵があり、地下牢や絞首台まで備えている所もあった。僧院や聖堂は掠奪の標的になり易かった。』

     暴力がいたるところに偏在しているで点は、平安末期の日本も恐らくそうでしょう。でも上に聳え立つ公権力が成立していれば、ことにそれが武家集団であれば、それほど無秩序にはならないんですね。ヨーロッパ中世には国家がないんですよ。国境がないんです。あったのは教会なんです。全体として、カトリック教会そのものが国家だった。これは精神的権威であっても政治的権威ではありませんから、ホッブスが「万人の万人に対する戦い」と言った姿が、ヨーロッパ中世の姿であった。

     戦争が日常であり、掠奪が合法であり、反逆とか復讐とかが当たり前なこととして横行していわけであります。Fehde(フェーデ)という言葉があるのですが、フェーデというのは、プライベートな戦争のことです。

     他人に対する想像力がひどく弱い時代で、相手の痛みの感じ方が無かったのではないか。例えば目玉をえぐり出すという刑罰がありました。しかもこれは「お情け」であった。「死刑にしないでやるから」と・・・。これは、最近の「イスラム国」の残虐処刑を思わせます。人類はあっという間に千年を飛び超えてしまったのではないかと・・・。

    『今の中国大陸もある程度そうかもしれないが、すくなくとも蒋介石時代の支那大陸はそうだった。あるとき黄文雄氏が「戦いに負けた方は匪賊になり、勝ち進んだ方は軍閥になる」という面白い言い方をされた。』

     私は名言だと思い憶えていますが、国家というものが無かった時代の大陸の無法状態の中で、強盗集団が軍事力になり軍閥になる。地方権力になる。だから今中東で起こっていることがまさにそれであります。

    『 面白いのは8世紀の西洋のある法典にも似たような規定があることだった。ウェセックス国の法典第十三条に、7人までは窃盗、7人から35人までは窃盗団、それを超えるものが軍隊である、という規定がある。盗賊と軍隊との違いは単数の相違でしかなかった。』

     まだ国家意識とかいったものもはっきりしなかった時代の話です。

     さて、そういう状況の中で最近の出来事を見ると、安倍総理は「法の必要」ということを頻りに言いますね。ここでいう「法」というのは「国際法」のことでしょうけど、「法」という言葉が通らない勢力に向かって「法」ということを言うわけですね。

     では、「国際法」とは何だったのか? あるいは安倍総理が言う「法」というのは、どういう形で出現したのか? 今を見ていると、確かに中世に戻ったようであり、そして、「法」はまさに「無法」なわけです。一方で私たちは、なにか何となく、主権国家というものがあって、それを当然の事とうけとめて、そして、「それに反している!」と怒っているわけです。しかし、もし「国家」だとしたら、爆撃または空爆することは「無法」ではないのでしょうか?

     ひと頃、「北朝鮮を核査察せよ」と言いましたね。それに対して、ひとつの国の主権国家の防衛権を、「なんとしても核を開発する」と言っている北朝鮮の主張のほうが、道理に合っていると言えないでしょうか? それは主権国家の自由ではないでしょうか? それは「日本の危険」ということとはまた別問題の問い、として言っていますが、「無法」といことを言うならば、どちらが「無法」かわかりません。いつの間にかヨーロッパやアメリカが決めている法秩序、国際法秩序つまり主権国家体制というものが自明のこととされています。そしてそれをヨーロッパ、アメリカの側が破ることはいくらでもあるのに、私たちはその主権国家体制というのを自明のことのように考えているのは、正しいのだろうか? おかしいのだろうか?
    いま現に展開している中東の情勢と、世界史を震撼させている新しい現象。突如として起こった奇怪な事態の数々・・・。しかしこの根は全部「歴史」にあるんです。大概の事は「歴史」にあるんですよね。

    それに対してわれわれが「許せない!」と言ったり、「無法だ!」と言ったり、安倍さんが「国際法というものがある!」ということを言ったりする。それをわれわれが常識として考えているのは、主権国家というものがしっかりと各国の体制を守り、警察と軍事力によって、内側には警察、外側には軍事力で、この単体としての国家体制というものを自存し、独立させているのが自明だと何となく思っているからなんです。そしてヨーロッパがの先鞭をつけて、そうした歴史の流れを作ったのが事実であって、日本はその必要があまり無かった国だった。そういう不思議な、幸運なポジションにあった国であった。そのように解り易く考えることが出来ると思います。

    ヨーロッパにおいては、激しい内部の争いが宗教戦争を招いてイスラム教徒とヨーロッパの関係だけではなく、十字軍も挙げられましょう。

    じつはイスラム教徒は寛大だった・・・。異教徒に対して寛大だったんですよ。イスラムの地域において、信仰の自由を許していたし、異教徒がそこで生活することも許していたし、キリスト教も布教が許可されていたんです。ところが怒涛のごとくキリスト教の側が襲いかかった、というのが実態で、そのことについて今日はテーマとしませんが、これは信じられないドラマなのです。

    そしてヨーロッパにモンゴルが襲来した時、もちろんモンゴルにも苦しめられますが、実はモンゴルと和解してでもイスラムを討ったのですよ。モンゴルとは話合いをしてでもイスラム教徒のほうが憎かった。それはヨーロッパに延々と続いているドラマなんです。

    イスラムは地中海のアジアへの入り口を抑えていましたから、ヨーロッパ人はアジアの方へ出るのに東に進むことが出来ずに、ご承知のようにコロンブスは大西洋を西に、ヴァスコ・ダ・ガマはアフリカ大陸を南下するという海路をとらざるをえなかったのは、何れもイスラム教徒に妨害されていたからで、そしてそれを打ち破ったのが、1571年、スペインのフィリップ二世のレパント沖海戦でした。イスラム教徒をとにかく抑え込むということで、ヨーロッパが東への出口を徐々に見出すようになるわけです。

    それでも、オスマン帝国は怯むことは無かったので、オスマン帝国が存在する間はイスラム教徒は文明的にも優位でした。先ほど言ったフェニキア文明やローマ文明をがっちりと受けとめていたのはイスラムであって、アリストテレスやその他の哲学も素文源も含めて、イスラム教徒がアラビア半島経由によって西ヨーロッパが初めて知るようになりました。これは有名な話なので、ここでお話してもしょうがありませんが、じつはキリスト教中世を通じてプラトンだけは受け継がれていました。プラトニズムというものは、キリスト教の中核に繋がったからなのだと思います。ただしアリストテレスは「自然学」でしたから、始めは知らなかったのですね。

    それで、今度はプロテスタントとカトリックの争いが始まります。ヨーロッパ人も、相互の争いがあまりにも激しく、これでは堪らないということで、中世におけるそういったものの崩壊に伴って各国の個別性や領域支配を前提とした体制を考えなければやっていけない、ということになります。ローマ教王や神聖ローマ帝国皇帝ではなくて、各国の君主ないし共和国の「主権」というものを最高の存在として定めます。そして諸国家間の相互システムを築いて、出来るだけ無駄な争いはしないようにしようと。その間ものすごい時間がかかっているわけです。いわゆる英仏戦争。それからドイツを舞台に繰り広げられた三十年戦役・・・。こういう戦争ばかりしていた地域ですから、徐々に武器の発達というものも伴って、さらに悲劇、惨劇が拡がって・・・。ヨーロッパ中世は13世紀まではいいのですが、14、5世紀というのは、疫病と戦禍と農業生産性の低さからくる餓えによって、地球上で最も悲惨な地域になります。それがなぜ15世紀から16世紀になって、にわかに立ち上がるのか? 言うまでもなくこれは世界史の最大の謎のひとつであります。

    つまり、われわれはヨーロッパが創った主権国家体制という国家が登場した16世紀、始めて「国家」が登場して、神の世界から「約束ごと」としての人の世界というものが成立する。新しい秩序が生まれてからこの方、それを「文明」と見做して、その文明を明治日本は受容れたのであって、そういう世界の姿しか日本は知らないのですよね。だから日本はそれを一所懸命モデル、手本にしたのです。

    でも、米ソ対立も終わり、今の「イスラム国」というドラマは、ひょっとすると、そういうことも全て虚しくなっているということかも知れないのですよ。日本が明治以来受け継いできたヨーロッパが考えた秩序、国家間の秩序・・・。それも虚しくなっているのかもしれません。

    そこですこし翻って、どういう形で国家というものが登場したのか考えてみる必要があるのです。16世紀ですね・・・。今も言われている「法」というのは何なのか? 戦争は相変わらず続くわけです。しかし戦争の仕方が滅茶苦茶ではなくなってくるのです。戦争は「決闘」に似てくるのです。互いに平等で、互いに正しいことをお互いに認める。だから「正しい戦争」という、どこか一方が「正しい戦争」ということは言わないようにしよう・・・。その意味から初めて第三国の「中立」という概念も初めて生まれてくる。「認め合う約束事」があって初めて「中立」が出来るのです。

    と同時にわれわれが歴史で習うのは、国家というものがなんとなく人格を持った、例えばイギリスはこう言っている、とか。フランス政府はこう言っている、何か国家の意思みたいな、人格、主体が言っているみたいにわれわれはニュースを聴いたりする。習近平が言っていることは中国の・・・? 全然そうではないはずなのに、中国の意思みたいにわれわれは扱っている。そのようにして、国家は擬人化される。あるいは主権的な人格を持っているかの如くにわれわれはそれを理解する。これは全てヨーロッパの、この「歴史」を潜りぬけたことが世界に拡がっているからなのです。

    どういうことかというと、「国際法」の進歩ということですね。戦争はするけれども、戦争を人道化する、歯止めが利く戦争をする、戦争の遣り方をルール化する、戦争の制限、限定が行われる。殲滅戦争はしない。もう相手を徹底的に滅ぼすようなことはしない。これはヨーロッパキリスト教文明圏の名においてしない。あまりにも酷い戦争を潜り抜けた結果としてですよ。それは、英仏戦争も三十年戦争も酷かったから、もう疲れたわけです。疲れてしまったその結果、政治と宗教を分けるという観念、政教分離が生まれるのもそれなのです。あまりに酷かったから、もう疲れたわけです。「正しい戦争」ということは言わない。大人になろうと・・・。以上はヨーロッパの話ですよ。アメリカの話ではありませんよ。アメリカは全部これが逆になるのですけれど・・・。

    「正しい戦争」ということは言わない。「正しい戦争」というと、相手は「不正」となるわけですから・・・。これは戦争の姿を恐ろしいものにしてゆくわけですね。私も「国民の歴史」にそのことを書いたではないですか? 『人類の名において戦争を裁くと、次の戦争はもっと恐ろしいものになる』と。徐々に々、世界は再びそのもっと恐ろしい戦争に近付いているのかも知れないのですよ。まぁ、まだまだ100年くらい変らないのかもしれないけれど。分かりませんね、これだけは・・・。

    16世紀から18世紀にかけて、戦争の形式化、ルール化が行われるようになります。「戦争をやったとしても、どこまでもヨーロッパの土地の秩序とそのバランスの体系内に留まるものとする」という暗黙の了解が各国間に生まれます。つまり利己的な権力欲拡大の、無規則な無秩序、カオスにはしない、という約束で。ここに出てきたのはカントの「永久平和論」です。つまり啓蒙主義の成立ということです。ご承知のように、この延長線上にハーグ陸戦法規やジュネーヴ条約とかが出来て、戦争のルールをひきます。

    明治日本はその当時、「文明国」になろうとしたからそれを懸命に学んだわけです。日本が世界史の仲間入りをしたのは、このヨーロッパの主権国家体制が19世紀の末ごろに完成しますから、それを「文明」と見て、福沢諭吉も内村鑑三も、世界の歴史はこのまま進歩発展すると信じました。日本はそれを目指せ。日本が文明国になれば、もし他の国が非文明国になったときに日本はヨーロッパに学んだ文明国の名において、一等国として他の国を見下せる立場になれる。一等国になろう・・・。だから日清戦争のとき、日本は「文明国」であり、支那、朝鮮は別だと・・・。

    そうなるとですね、今の中国あるいは韓国をみて日本人は密かに軽蔑感と優越感を抱いておりますけれども、これはヨーロッパが創った文明の基準に合わせて日本は一等国で、彼等はまだまだ駄目なんだという認識が日本人の中にあるからで、その基準が根底から狂ったら、全然ナンセンスな話になるのです。亡くなった坂本多加雄さんが、「きっと福沢諭吉が日清戦争のときのように、文明の名において日本があらためて大陸の諸国を見下すときが来て、そのとき云々・・・」ということを書いてましたけど、実際その通りで、今日本はそういう心理に入っています。われわれは、文明国であると・・・。ノーベル賞も獲っているではないか、その他国際条約に従順ではないか・・・。

    でも、第一次世界大戦前だってそういうことがあって、第二次世界大戦前だって日本は国際法をよく守り従順で、それでも駄目だったんですよ。だから、なにが起こるか分からないんですよ。日本は国際法に対して本当に立派な遵法国家だったのですから。だから南京大虐殺なんて無かったというのは・・・、ハーグ陸戦法規に違反することはやっていないからですよね。1,000人ぐらいの便衣兵、スパイは射殺しているでしょう。これは、国際法に則っていたのです。でも、それを「虐殺」というわけです。今の彼等の歴史観でいけばそうなるわけです。なんでも自分たちに都合のいい歴史ですから。どこかに絶対正しい国際法が有るわけではないのですから、この問題は難しいのです。唯われわれは、あくまで西洋が作ったハーグ陸戦法規を盾にして主張してゆけばいいんです。いいんですけど、「そんなものは駄目だ!」と中国は言っている訳だから、中国はすでに西洋先進国が作ったルールを否定すると言っているのです。尖閣を攻めてきたのも其れですから・・・。そしてアメリカが危ういことに、其れに対してグラグラしているということです。

    話を元に戻しまして、あくまで16世紀から18世紀にかけて行われたヨーロッパ啓蒙主義ですが、海洋、海は、ところがその取決めの外にあったのです。いま、ヨーロッパが狭い中で取決めて、お互いに戦争しないようにしようと言ったのは、あくまで彼等の領土の内部、陸の話に過ぎない。海洋は別だったのですよ。これが大きな問題になるのですね。

    海賊国家イギリスの出現です。イギリスが如何に徹底した海賊であったかということは、私の連載の3回位前に書いていますね。酷い海賊だった。非国家的な自由な枠を作ってしまった。「海洋は全く自由だ。」と主張したわけです。そして、じつは1815年から1914年まで。1815年というのはウィーン会議です。もう少し前のトラファルガーの海戦からといってもいいのですが、そこから第一次世界大戦まで、Pax Britannica(パクス・ブリタニカ)イギリスの平和だったのです。イギリス帝国が治めた平和が19世紀ヨーロッパから戦乱を免れたわけです。フランス革命の後ですね。なぜパクス・ブリタニカが成功したかというと、イギリスは海を抑えたからです。じつはフランスは悔しいけれど駄目だった。オランダは、とっくの昔にイギリスに封じ込められてしまった。フランスも一所懸命にやるけれども抑え込まれて、イギリスに遅れをとります。

    イギリスの遣り方がが、どんなに凄いかも私はどこかに書いていますし、今度出ました本にもその話を書いています。「GHQ焚書図書開封第10巻 地球侵略の主役イギリス」、なかなか面白い話がとくに後ろの方に書いてあります。マダガスカルという島があって、植民地戦争で永い間イギリスとフランスが争っていましたが、あっさりとイギリスはマダガスカルをフランスに譲ってしまいます・・・。でも、それは驚くべきことでも何でもない事と日本の地政学者、京都大学の先生が分析して書いていて、それを紹介していますが。じつはイギリスはマダガスカルの周りの島々を全部抑えているのです。対岸のケニアもイギリス領になっていますね。そうすると、「フランスに任せておけばいいじゃないか。ちっとも何ともないよ。」マダガスカルのひとつぐらいは、という・・・。イギリスはそれをいたる所でやったのです。

    例えばハワイがアメリカに抑えられる前、カナダとオーストラリアがイギリスのものになります。イギリスは、オーストラリアとカナダの間に海底ケーブルを引こうとするのです。そのために太平洋の小さな島々、名もなき島々までも、ずうっと抑えています。すごいですね、その頃は明治日本ですよ。

    ところが、アメリカが言うことを聞かないでハワイを先に取ってしまいました。そして、その計画は実現できませんでした。ハワイを略取されることについて、日本政府は大隈重信以下、激しく抵抗したこの話を私は何度も本に書いています。だけど当時の外務大臣 大隈重信ら、あの時代の日本の政治家は、よもやハワイを無視してイギリスが勝手に長距離の地下ケーブルを引こうと思ていたことまでは知らなかったと思いますよ。つまり地球支配というのは、そういうことを着々とやっていた、ということですね。

    さて、パクス・ブリタニカというのは相手の廃止でも戦争の廃止でもなく、戦争の限定、法に満たされている状態をつくること、そして強大国の指導性を維持すること、これは大人の考え方で、占領というものは、征服ではない、負けた者の私有権も既得権も認める、例えば王様の廃位はあるけど、その人格を侵すことはしない、また、その側近を処罰することはあるかもしれないけれど、主権の変動は起こさない。軍事的占領は必ずしも敗戦国の政府の変動をひき起こさない、もちろん憲法の改変も・・・、そういう暗黙の取り決めでヨーロッパで成立したものです。1870年から80年代というのは、ヨーロッパは最大のオプティミズムの時代で、ヨーロッパの領土の権利を相互に認め合って、1885年ベルリン会議が行われます。これはビスマルクの力ですが、もうこれ以上領土の奪い合いをしないというヨーロッパの暗黙の約束が出来上がって、文明と進歩と自由貿易への希望に満ちた時代だといわれていたわけであります。イギリスが世界中を勝手に抑えることは我慢して認める。その代わりヨーロッパの中は平和で行く・・・。

    ところが間もなくしてそれが難しくなる事態が起こります。一つは、アメリカの介入が始まる。2つ目は、アフリカの土地を巡る争いが始まる。3番目は、ドイツがイギリスを許さない、と言い出すようになる。これが19世紀の終わり頃から起こるドラマですね。

    1890年から1914年のあいだ、ヨーロッパの国家内の相互の合理的約束、利害調整の秩序というものが出来上がって、それを「国際法」というわけですが、そしてそれを第一次世界大戦が始まる頃に、その国際法をヨーロッパの外の世界に適用しようと・・・。これが、我が国にだんだん禍をもたらすわけです。それはしかしヨーロッパ側からすると、自分たちの考え方が世界に拡大するわけで(日本もそれに同調するわけですわけですが・・・)それをヨーロッパの勝利、文明の勝利というふうに言っていたわけですね。

    ところが今言ったように、かならずしもそうはならなかった。文明の支配は不可能になってまいります。アメリカがそれを邪魔し始める。ドイツが台頭して言うことを聞かなくなる。パクス・ブリタニカは壊れるわけです。1919年のパリの講和会議はヨーロッパの国際法の会議ではなくて、世界の秩序はヨーロッパによって取り決められるのではなくて、ヨーロッパの秩序が世界によって取り決められる、という逆の事態が発生してしまいます。つまりアメリカの発言権の増大と西欧の没落、というこが起こってしまうわけであります。この事態を見て、いわゆる「国際法」というのは雲散霧消してしまうわけです。力を失うわけです。

    それでは何がそこで登場するかということを今日の話で少し解って頂こうと思うのですが、「中世」の次は「近世」或いは「近代」。その次には「現代」というふうに、何となくわれわれは考えておりますが、果たしてそんなことが正しいのでしょうか? 私は自分で今、歴史を書いていて古代や中世を絶えず行き来します。「近世」という概念は別としても、「中世」と「近代」の間には、深い溝があると皆考えています。そうでしょう? 皆さん。「中世」と「近代」との間には深い溝があると考えます。それはある程度あるんですよ。でも本当でしょうか? 「ポストモダン」というのは、「モダン」の概念を強く意識するから「ポストモダン」という概念です。だから「ポストモダン」というのは、「モダン」の側に入っているわけですが・・・。

    一方「中世」と「近代」との間の断絶というのは決定的ではないというのが、「イスラム国」が挑戦していることなんですよ。この大混乱はそこに起因しているんですね。そしてヨーロッパが決めたあの戦争のルールは、第一次大戦の前に虚しくなって、アメリカはそれをぶっ壊しますけれど・・・、またまた虚しくなっているわけですね。

     それでは、なぜアメリカがヨーロッパに取って代ろうとする力になったか? 多様な考え方があって、今の私の連載ではそれを追究していて、全部終わってからでないと確たることは言えませんが、ひとつだけ今日お話しできるのは、古代から中世を経て、ひとつの考え方があるんですよ。「アメリカとヨーロッパ中世は似ている」ということなんです。中世の無秩序と暴力社会ということは、先ほどお話ししましたね。今のアメリカはやっとここまで来たのであって、やっとここまで両大陸は来たのであって、また無秩序に戻りつつあるけど・・・。アメリカは最初、とにかく南アメリカも北アメリカも中世的な無秩序状態、自然状態だった。

     アメリカというのは、予想外に「ヨーロッパの過去」に根を持っているんですよ。幾つか原因がありますが、一つは「宗教過剰」ということです。Theopolis 「神の国」をアメリカ人は信じています。アメリカ人の信じ方、これは凄いですよ。ピューリタニズムに覆われたアメリカは、とりわけ「朽ち衰えるヨーロッパと、新しい、未来の輝かしいアメリカ合衆国。」「腐敗のヨーロッパと、純潔のアメリカ。」これがアメリカが最初から意識した、それこそ、ワシントン、ジェファーソン、アダムスらが言っていることですが、アメリカはこれによってヨーロッパを超えようとしたわけです。しかしそれは、ヨーロッパに始まっているんですよ。先ほどから何度も言っているルターやカルヴァンに始まっているんです。つまりそのことは宗教改革に始まっているのであって、そしてローマ教王は「アンチクリスト」であるというふうなことで、世界を蘇らせたあのエネルギーというものがまた始まるのです。

     いまひとつ申し上げたのは「宗教過剰」ですが、もうひとつは、「帝国の思想」というのがヨーロッパにあり、それがアメリカにのり移った、ということです。ジァファーソンも「帝国」ということを言っていますが、そういうアメリカの要人が言っていたことよりもっと広く、ヨーロッパ中世のバック・ボーンを成す「神話」があるんですよ。私もまだ詳しくはなく勉強中なのですが、「四つの帝国」という「神話」があるんです。皆さん、この話知っていますか? 旧約聖書の「ダニエル書」に出てきて、それは「ヨハネ黙示録」に並んで過激な・・・、というよりピューリタニズムの柱を成した思想です。ヨーロッパの歴史の中で、4つの帝国が移動してゆくんです。ネブカドネツァルは聞いたことあるでしょう? ネブカドネツァルというのは、イスラエルを滅ぼしてバビロンへ連れて行った・・・、「バビロンの捕囚」を行った王様ですね。彼が不思議な夢を見て(それに悩まされ)、予言者ダニエルが(内容を言い当て)解釈した。

    その思想・・・。

    『 王様、あなたは一つの像をご覧になりました。それは巨大で、異常に輝き、あなたの前に立ち、見るも恐ろしいものでした。それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿(もも)が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました。見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみ殻のようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです。これが王様の御覧になった夢です。さて、その解釈をいたしましょう。』

    ・・・ということで、ひとつひとつの帝国がそこに準えられていて、第一の帝国(純金の頭)がシリア、第二の帝国(銀の腕)がペルシャ、第三の帝国(青銅の腹と腿)がギリシャ、第四の帝国(鉄と陶土の足)がローマ、というふうに、帝国が移り変わった。その次に今度は時代が中世ヨーロッパになって、この「夢」は新たに解釈し直されて、四つの帝国は、第一に古代ローマ帝国、第ニにビザンツ、東ローマ帝国、第三にカール大帝のフランク帝国、カロリング王朝ですね。最後にオットー大帝の神聖ローマ帝国です。これは何れも古代と中世のヨーロッパの帝国がこの夢であったと、帝国の移り変わりの思想です。この帝国の移り変わりは、優れてヨーロッパ中世的なヨーロッパが「自分たちを凄いぞ」、といって自讃するイデオロギーの中核にありました。

     この「帝国の移転」の思想は、ヨーロッパでは消えてゆきますが、ところがそれがアメリカへ移ったということなんです。第四から第五の帝国(自然に切り出された石がは像の全てを打ち砕き、山となって全土に広がった、五番目の帝国「永遠の国、神の国」)、「アメリカ」が出てきます。それがアメリカの神話的根拠。これを言いだしたのは、なんと哲学者バークリなんです。バークリを通じてこの思想がアメリカに伝わったのです。

     皆さんは、オサリヴァンの「マニュフェスト・ディステニー」のことは知ってますね。「明白なる運命」などと訳されます。19世紀にオサリヴァンという新聞記者が言った「マニュフェスト・ディステニー」というのは、西へ西へとアメリカは膨張し拡大して行き、それは神のお告げであり意思であり「神慮」であるということです。女神が空を飛んでいて、西へ向ってゆく、そしてインディアンなどを蹴散らしてゆく・・・、そういう絵もあります。その西へ行くエネルギーがカリフォルニアに到達しハワイに行き、やがて日米戦争を惹き起したというのが、全体として考えられる問題なんですが、このドラマ、「マニュフェスト・ディステニー」は最初に誰が言ったかというと、哲学者バークリだというのが驚くべき話であって、古田先生のこの本((二)の最後で紹介)は、バークリから始まっているんですよ。古田先生はドイツ哲学よりも、イギリス哲学のほうがより根源的だというお考えです。バークリという人は、実際に物が存在するということを、「実在は人間の視覚と感覚を通じて認識されるから存在するのであって、それ自体が存在するわけではない」ということを最初に言いだした人で、それに対してまた否定論がいろいろあって、カントに繋がってゆくわけですけれど・・・。

     バークリは大知識人であり、西洋史の一角を築いた人ですが、実は五番目、「第五の王国」としてアメリカを措定し、「新しいイスラエルを建国して世界の終末までこの世を支配するであろう(アメリカは・・・)」そういう詩を書いていて、それが1752年に公表されまして、その10年ほどの間に10回以上も印刷され多くの人々の間で回覧されます。それに対する研究もあります。

     皆さんはカリフォルニア州立大学バークレー(バークリ)校をご存知でしょう。あれはまさにそうなのです。第二代学長(カリフォルニア州立大学バークレー校の) D.C.ギルマンが1872年、つまりバークリより120年くらいあとの学長就任演説で、

    『 大学の場所がバークリ、学者で神学者の名を冠しているのは宗教と学問の双方にとって善の兆しである。彼つまりバミューダ諸島にカレッジを創ろうとしたイギリスの聖職者をロードアイランドのニューポートへと運んだロマンチックな航海から、まだ一世紀半もたっていない。……彼の名声は、……大陸を横断した。そして、いま、地球のまさにこの果てで、ゴールデンゲート海峡の近くで、バークリの名はよく知られた言葉となるに違いない。彼の例をみならおう。……彼のよく知られたヴィジョンが真実になるように働き、かつ祈ろう。
     「帝国の進路は西にあり
    最後の四幕は すでに閉じ (四幕というのは、古代と中世の四つの帝国です。)
    その日とともに ドラマが終わるは 第五幕
    もっとも高貴なる時代 そは 最後の第五幕」 』

     こういうバークリの言葉があり、そして「明白なる運命」というのは、単に終末論、終末論ではなくて、アメリカ的楽天主義、進歩の理念に結びつく。そしてそれが、教育と科学技術の展開になってゆく・・・。これがどんなに根強いものであるか、ということにわれわれは深く思いを致さなければならないんですね。

     古代ローマ帝国、東ローマ帝国、フランク王国(カロリング朝ですね)、神聖ローマ帝国、古代近世、中世にかけての帝国。これは最初、古代地中海世界に生まれた帝国が中世ヨーロッパで開花し近代アメリカに移転した・・・。アメリカ合衆国は近代のトップランナーであると同時に旧約的な帝国思想の継承者であり代弁者である。すくなくともその思想は、地下水脈として延々と19世紀と20世紀のアメリカ合衆国に流れつづけたということです。

     19世紀と20世紀の世界を支配したのは、近代国家システムだと信じられています。これは国家だけが暴力を支配することを許し、暴力の発動は警察か軍隊か、つまり国家は内側には警察、外側には軍隊、こういう主権国家の特権として、それを基にして今の世界は成り立ってはいるわけですけど、それが本当に守られているでしょうか? それが今、おおいに疑問として突き付けられていることなのですね。21世紀の世界では、主権国家よりも宗教や民族や何か別のものが結合体として動いているケースが強い。略奪や私的な虐殺などが横行する・・・。中世と同じような現象が顕れ始めているわけですね。

     加えてその帝国、アメリカは、例えばアメリカと中国の今の関係はというと? 私にはアメリカは中国に阿片戦争を仕掛けていると思っております。またまたやってるな・・・と。「阿片」というのは、中国人に阿片の代りに「甘美なる近代生活」を味あわせたわけです。便利で豊かなモダンな生活を中国人の一部の人にでも与えたわけですね。これは麻薬のごとく中国人を虜にし、そしてそれによって踊らされて、あっという間に中国はそういう製品に溢れた国になっていったわけです。でも買いきれなくなって、今度はいよいよドルを放出せざるを得なくなってくる。いまはもう行き詰まりにきています。これはさながら嘗て、お茶を売って銀がどんどん流入していたイギリスと支那の関係で、どんどんどんどん流入した銀がある段階から流出に転じて・・・、それで支那はご承知の通り滅茶苦茶になってしまうわけですね。いまそういう境目に来ているんじゃないですか? 支那大陸は・・・。

     つまり歴史というのは案外同じことが繰り返されるわけですが、これはアメリカが仕掛けているんですよ。これが「アメリカ帝国」なんですよ。やっぱり帝国の思想なんですよ。そして日本にはひたすら従順であることを要求しているわけです。しかし、ついこの間まで円高で日本を苦しめていたのは同じアメリカですからね。

     一方ヨーロッパはどうかというと、ルールを守ろうとして、「ヨーロッパの中だけは、うまくやろうじゃないか」と。そういう理念は啓蒙主義の時代に生まれているわけですから、それは分かるわけですね。それがEUというものを創ったわけですが、でもEUというのは積極概念ではなくて、あるものに対する恐れから始まったのであって、それはアメリカと日本に対する当時の恐れだったわけです。アメリカはご承知の通り1971年にドルの垂れ流しのような、金兌換性を否定するニクソン・ショックというドラマがありましたね。ドルは垂れ流しになるわけでしょう。つまり、ドルはいくらでも刷って良いというこの恐るべきシステムにヨーロッパは吃驚するわけです。約束が違うのだから・・・。そして地球の40%まで、日米経済同盟で支配されてしまう。あれがヨーロッパを狂ったようにさせたEUのスタートなんですよ。EUは恐怖から始まっているんですね。そしてそれが湾岸戦争で、ドルの支配とユーロと争ったけど、結果としてアメリカはヨーロッパを許さなかった。そして結果として、アメリカはEUには軍事力を認めなかった。NATOがあくまで頑張れよと。

     EUに独自の政治国家は許さないということですから、結局EUは何のために創ったのか分からないということになってしまいます。もともと昔争っていた国々が、なんとか「合理的」に和解していこうとしていたところですから、内部の対立が激しくなれば、直ぐに箍(タガ)がガタガタと狂うのは当たり前で、このままいけば、10年もたないうちにマルクやフランが独立することになるのではないでしょうか? もちろんギリシャが脱落するだけではなく、マルクもフランもリラも・・・。全部そろそろ別々にやろうという話になるんじゃないか、と私は何となく思っていますが、まぁ、どっちに行くかわかりかせんが・・・。輝かしいEUの未来というのは考えられないと私は最初から思っておりました。また怪しくなっているから・・・。まぁ、それで歴史は同じことを繰返しているんですよね。

     それは各国みな基本にあるのはエゴイズムなので、ちゃんとそれを見ていれば、そういうことはよく分かるのです。ヨーロッパがなんとか創った形の秩序、法秩序、国際秩序、国際法 International Law というものがその基本に有るわけですが、日本はそれを一所懸命守って「文明国」になって、それでもなお且つそれで、イギリスの裏切りとアメリカの無法で、痛い目にあわされて。そしていまだにイギリスとアメリカが大きな顔をして地球を「理念的」に支配している構造が続いているために、日本は仕方なくて頭を下げて我慢して生きているという・・・。こういう状態が続いていると私は理解しております。

     ですから、今度の「イスラム国」は、それに我慢できなかった人たちが居るわけで、これは恨み辛みがたくさんあって・・・。そのようになったと思えるのは、おもに「イスラム国」に参加している人々が移民の2世、3世ですよね。フランス、ドイツ辺りにいる移民の子供達ですね。だからそれは如何に閉塞感があって・・・。つまり、ここで「日本は移民をやってはいけない」んだよ、と・・・。移民をやると碌なことが起こらない。これは絶対やらない・・・。ということでいかなければいけないのに安倍総理は、移民問題だけはだらしないところがあるので非常に心配です。これは断固、皆で反対しなければいけないテーマですが・・・。しかし私も言うのに疲れてしまって、皆さんの力もお借りしなければいけないと思っておりますが・・・。もう、目の前でこれだけのドラマを見ていながら、まだ「移民だ」などと言っているのだから・・・。それにテレビがいちばんいけないのは、「移民は危ない」と以前よりは言うようになったけれど、それが「イスラム教徒」というんですよ。日本の移民で怖いのは「イスラム教徒」ではないですよ。「中国人」に決まっているではありませんか? ところがテレビは、「中国人が怖い」とは言わないんですよ。言ったら首が飛ぶのかな? よく判らないけど・・・。私は「中国人に対する「労働鎖国」のすすめ」という本も書いているんですよ。そんなこと、遠慮していてどうするのでしょうか? まぁ、そういうところでしょうか。では、このへんで終わりにしましょう。

    posted by: samu | 講演会 | 09:44 | - | - | - | - |
    講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(1)/西尾幹二
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      坦々塾講演  ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)

                       (一)

       「イスラム国」を名乗るテロ集団による日本人の犠牲が出て、国の政治が停止してしまったかのような狼狽が見られました。

       アメリカ人やフランス人の殺害は対岸の火事でした。なぜ日本人が? という疑問と、やっぱり日本人も? というついに来たかの感情が相半ばしています。

       今のこの時代にこんな原始的な脅迫殺人が起こるとは考えられない、と大抵の人は心の奥に底冷えする恐怖を感じたでしょう。時代の潮流が急速に変わりつつあるのかもしれません。

       アメリカからは脅迫に屈するな、の声が日本政府に届いていました。アメリカ人ジャーナリストがオレンジ色の衣を着せられ脅迫されたときには、アメリカ国民は慌てず、いうなれば眉ひとつ動かさず、犠牲者を見殺しにしました。イギリスもそうでした。たしかにテロリストと取引きすると、事態はもっとひどくなります。福田赳夫元首相がダッカのハイジャック犯に金を払って妥協してから北朝鮮の拉致は激化しまた。それだけではありません。取引することはテロ集団を国家として認めることにもつながるのです。

       それでもなぜ日本人が? の疑問は消えないでしょう。日本人は宗教のいかんであまり興奮しない国民です。イスラム教とキリスト教の2000年の対立が背景にあり、パリの新聞社襲撃テロを含めて何となくわれわれには地球の遠い西方の宗教戦争であり、日本人には関係ないと思う気持ちがありました。せっかく親日的なイスラム教徒とは対立関係になりたくないという心理もありました。「イスラム国」のテロリストは他のイスラム教徒とは違うとよく言われます。この事件でイスラム教やイスラム教徒に偏見を持ってはいけないとも言われています。それはその通りです。けれどもキリスト教徒に問題はないのでしょうか。

       イスラム教とキリスト教の宗教戦争が根っこにあり、イギリス、フランスの20世紀初頭の中東政策への怨みが尾を引いているのは間違いないでしょう。中世までイスラム文明が西ヨーロッパ文明に立ち勝っていた上下関係が18〜20世紀にひっくり返った歴史も、イスラム教徒の許し難い気持ちを助長させていることでしょう。

       4世紀のゲルマン民族大移動とローマ帝国の崩壊の後のユーラシア西方全体の歴史に、対立は深く関係しています。最初イスラム教徒が圧倒していました。キリスト教徒11世紀より後に「十字軍」を遠征してまき返します。13世紀にヨーロッパにモンゴルが襲撃してきたときでも、キリスト教徒はモンゴルより憎んでいたのがイスラムでした。モンゴル軍と妥協してでもイスラムを撃ちました。イスラムの方が比較的寛容でした。地中海の東方の出口を抑えていたからで、レパントの海戦(1571年)でイスラムが敗れ、キリスト教徒はインド洋、太平洋を制圧し、形勢を逆転させました。その後はキリスト教文明優位のご承知の通りの歴史の展開です。

       イスラムは、かつては文明的に野蛮な西ローマ帝国やフランク王国を見下していました。それが今はすっかり逆になっていしまった。キリスト教国に押さえこまれてきた歴史の長さ、重さ、劣等感がついに過激なテロの引き金を引かせる心理の一部になっているのは紛れもない事実でしょう。ヨーロッパのイスラム系移民の2世、3世が「イスラム国」に参加している例が多いことからみても、やはり歴史の怨みと現代の閉塞感が重なった宗教戦争の色濃い出来事であるとはいえるでしょう。

       歴史的反省をしたがらないヨーロッパやアメリカなどのキリスト教国は、あえてこのことを見ないで、「テロは許せない」とか「たとえ宗教批判になっても言論の自由はある」といった一本調子の観念論で、やや硬直した言葉を乱発していますが、これもキリスト教国側が承知で宗教戦争を引き受けている証拠なのです。

       こう見ていくと、日本人はどちらにも肩入れしたくない。公平な立場でありたいと願います。ところが、イギリス、アメリカ、フランスなどのキリスト教国側に乗せられ、キリスト教国でもないのに「テロは許せない」の西側同盟の一本調子のキャンペーンに参加している観があります。オバマ政権から脅迫に屈するな、の声が届けられ、テロリストと取引をしてはいけない、の教訓に縛られていたように見えます。それでいて、西側諸国と違って軍事力は行使できません。それならば何もしなければいいのです。日本は神道と仏教の国。宗教戦争には手を出さない、の原則を貫いた方がいいのではないでしょうか。「イスラム国」から被害を受けた地域の犠牲者に2億ドル(240億円)の救済金を出すと胸を張って宣言したような今回の日本外交のやり方は、関係者は気がついていないかもしれませんが、事実上の「宣戦布告」なのです。

       軍事力を行使しなくても戦争はできます。否、軍事力を行使する戦争をしたくないばかりに、それでいて戦争をしたふりをしないと西側に顔が立たないので、いつものように引きずられるようにカネを差し出す。平和貢献と称する度重なるこの欺瞞は今度の件でほんとうに最終的に壁にぶつかったと考えるべきでしょう。

       「イスラム国」のテロリストからは今回は脅迫されただけでなく、完全にからかわれたのです。二億ドルというぴったり同額のどうせ実現できないと分かっているほどの巨額の身代金を求められたではありませんか。しかも直後にカネはもう要らない、女性の死刑囚との交換をせよとあっという間に条件を替えられたではありませんか。相手が非道で異常なのは事実ですが、日本は愚弄されたのです。テロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥をさらしたのです。

       もちろんオバマ大統領はじめ西側諸国はそうは言わないでしょう。日本の積極姿勢を評価するでしょう。差し当たり他に日本に打つ手がなかった、という政府擁護論にも十分に理はあります。

       ですが、日本は「のらりくらり作戦」がどうしてもできない政治体制の国なのだ、とあらためて思いました。そして、いわゆる西側の「正論」に与する前に、ほんの少しでもイスラム教とキリスト教の2000年に及ぶ宗教戦争の歴史に思いが及んだだろうか、と政府当局者に聞いてみたいと思います。さらに、国際社会の「法」と呼ばれるものがいつ、どのようにして形成されたかを、これもヨーロッパの中世より以後の歴史の中で検証したことがあるのだろうか、と疑問とも思えるのです。

       日本人の安全はカネを差し出すのではなく、本当の意味での実力行使以外に手はなく、他の手段で自国民を守れないという瀬戸際についに来ていることをまざまざと感じさせる事件でした。

       中国や韓国が戦後の日本からの経済支援に感謝しないばかりか、国民に支援の事実を知らせもしない、とわれわれのメディアはこれまでもしばしば怒ってきました。しかし一般に外国からの経済支援はその国の政治指導者を喜ばせるかもしれませんが、その国の国民には歓迎されないものです。歓迎されないのが普通です。アメリカからの戦後日本へのララ物資は日本人を救ったはずですが、われわれは家畜に食わせる餌を食わせた、と言わなかったでしょうか。どの国民にもプライドがあります。他国からの経済支援に感謝するのはそのときだけで、あっという間に忘れてしまうのが普通です。それがむしろ健全です。そして外国からの支援金でなにがしかの成功を収めると、自国の力が発揮された結果だとその国の政府も言うし、国民もそう信じたがります。中国や韓国が格別に不徳義なわけではありません。彼等が口を噤んでウソをつくのは許せませんが、カネを支払う平和貢献を軍事的威嚇のできない代用とする日本外交のいぜんとして変らぬ思い込みの方がはるかに大きな問題です。馬鹿々々しいだけでなく、今や醜悪でさえあります。ことに命の代償に240億円が数え立てられ、かつ取り下げられたテロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥さらしたのです。

       オスマントルコ脅威の時代にイスラムが西洋を文明的に圧倒していたと同じように、中国は宋の時代まで日本に優越していました。中国人自身の主観では清の時代まで中国大陸優越を想定しているでしょう。ところが近代史に入って日本優位に逆転しました。それが中国人には許せません。口惜しさ劣等感が尾を引いていることはRecord Chinaなどに現れる観光客その他ネット情報を見ているとよく分ります。韓国人にも似たような一面があります。 

       中韓両国による対日批判は今や世界中に伝えられ、地球の不協和音の一つに数えられていますが、先の大戦が主原因と思われていて、アメリカやヨーロッパではよもや他の原因があるとは考えられていません。しかし戦争の歴史解釈は動機いかんで変わります。中韓両国民の動機は何に基いているか。イスラム教徒の歴史は欧米人の歴史像とはまったく違った展開になっているはずです。中韓両国の対日批判の動機もイスラム教徒の欧米批判の動機に似ていて、不合理で、情緒的で、宗教ドグマ的で、先の大戦をめぐる実証主義に基く客観性を著しく欠いています。そのことを欧米世界に、日本人はキリスト教とイスラム教の宗教対立を例にあげて説明し、日本における神仏信仰、皇室尊崇心と、中韓における朱子学(現われ方いかんでは一神教に近い)とでは水と油であることを分らせるよう働きかけるべきです。

       朝鮮半島と日本との間には、パレスチナとイスラエルとの間にある宗教的なへだたりにも似たへだたりがあることを、例えばオバマ大統領に知らせることは、このうえなく重要です。

       いたずらにわが国が右翼傾向を強めているなどと欧米から批判的に見られるのは、先の大戦の全像の見方を(少なくともドイツと日本とは違うことを)欧米側がいささかも変更しないことにあります。しかも中韓両国の感情的な対中批判を鏡に用いて、それに照らして、日本は歴史修正主義を志しているなどと言うのです。中韓の批判はイスラム教徒のキリスト教文化圏に対する劣等感に基く混迷な原理主義的感情論にも似ているのです。日本が「イスラム国」に対処するのにアメリカやフランスやイギリスの姿勢に合わせるのもいいのですが、それなら欧米が中国や韓国の主張に対処するのに、欧米の基準だけでものを言うのではなく、日本の姿勢にあわせることに道理があることを訴えていくべきです。

              (二)

       イスラム教徒とキリスト教の対立の背景は、皆さんも相当ご存知かと思いますが、最近の話ではなく、2000年前から始まっていました。

       19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したベルギーの有名な大歴史家、アンリ・ピレンヌに、「マホメットとシャルルマーニュ」という1937年に出版された著書があります。フランス語のシャルルマーニュCharlemagneとはドイツ語でKarl der Große カール大帝のことです。この大著のさわりをご紹介しようと思います。まず、ゲルマン人がローマ帝国に侵入した時と、イスラム教徒がローマ帝国に侵入した時の違いをまず論じています。

       ゲルマン人がローマ帝国に侵出したときは、帝政の成立以前から直ちにローマに同化されつつ、ローマの文明を必死に守り、その社会の仲間入りを果たすべく、ゲルマン人は精神的には従順且つ従属的でした。ゲルマン民族の侵入は、ローマ帝国が誕生するより前から、徐々に北方から入っていたのです。

       これに反して、アラビア半島との間には、ローマ帝国は長い間交渉らしい交渉を持っていませんでした。ゲルマン人との間では長い間ローマ帝国は長い交渉があったのですが、アラビア人はマホメットの時代まではほとんど接触がなかったのです。

      『 ヨーロッパとアジアの両方に対して同時に始まったアラビア人の征服は先例をみない激しいものであった。その勝利の速やかなこと、これに比肩し得るものとしては、アッティラが、また時代が降ってはジンギスカン、ティムールが、蒙古人帝国を建設した際の勝利の速さがあげられるのみである。しかし、この三つの帝国が全く一時的な存在であったのに対して、イスラムの征服は永続的なものであった。(中略)この宗教の伝播の電光石火のような速やかさは、キリスト教の緩慢な前進に比較するとき、全く奇跡とも言うべきであろう。
       このイスラムの侵入に比べるならば、何世紀もの努力を重ねてやっとローマ世界Romaniaの縁をかじりとることに成功したにすぎない、ゲルマン民族のゆるやかで激しいところのない侵入など問題ではなくなる。
       ところがアラビア人の侵入の前には、帝国の壁は完全に崩れ去ってしまったのである。』

       つまり、よく歴史の教科書にゲルマンの侵入がローマ帝国を崩壊させたと書かれていることについて、ピレンヌの学説は「違うんですよ。」といっているのです。ゲルマン人は武勇、智勇に優れているけれど、しかし文化面ではローマ人に包摂されて、侵入は速やかではなく徐々にでした。

       それに対して、ローマ人は

      『ゲルマン民族よりも明らかに数の少なかったアラビア人たちが、高度の文明を持っていた占領地域の住民に、ゲルマン民族のように同化されてしまわななかったのは何故であろうか、』

      ということを、ピレンヌは問題にしています。

       

      『ゲルマン民族がローマ帝国のキリスト教に対抗すべき信仰を何ももっていなかったのに反して、アラビア人は新しい信仰にめざめていた。このことが、そしてこのことのみがアラビア人を同化することのできない存在にしたのである。』

       つまり、ゲルマン民族はなにも信仰をもっていなかったというのです。そこへローマ帝国との接触が始まったというのです。アラビア人はそうでなかった、とピレンヌは言うのですが、これには問題があります。いうまでもなくゲルマンにはゲルマンの信仰はありました。それは我が国の信仰にも似ているような一種のアニミズム、洞穴とか樹木の霊とかそういうもの。或いはまたゲルマン神話というのは、忠勇、武勇の神々、英雄たちの乱舞する皆さんもご存知の、後にワーグナーが楽劇にするような、そういう神話世界がありました。ゲルマン人に信仰がまったく無かった、などということは全く無ありません。そのことは、私が今日お渡しした雑誌(正論3月号)の中にきちんと書いていますので、読んでいただきたいと思います。

       ゲルマン人に信仰が無かった訳ではありませんが、しかしながら、「一神教」ではありませんでした。ローマはその頃すでにキリスト教化していたのですが、イスラム教はキリスト教と旧約聖書を同根に持つ一神教です。

      『アラビア人は驚くばかりの速さで自分たちの征服した民族の文化を身につけていったのである。かれらは学問をギリシャ人に学び、芸術をギリシャ人とペルシャ人に学んだ。少なくとも初めのうちはアラビア人には狂信的なところさえなく、被征服者に改宗を要求することもなかった。しかし、唯一神アラーとその予言者であるマホメットに服従することをかれは被征服者に要求したし、マホメットがアラビア人であることからアラビアにも服従させようとした。アラビア人の普遍宗教は同時に民族宗教であり、そしてかれらは神の僕(しもべ)だったのである。』

       こういう点では、ユダヤ教も似ていると言ってもよいでしょう。それに対して、

      『 ゲルマン民族はローマ世界Romaniaに入るとすぐにローマ化してしまった。それとは反対に、ローマ人はイスラムに征服されるとすぐにアラビア化してしまった。』

       アラビア人がいちばん凄いということですね。

      『コーランに源泉をもっているその法がローマ法に代わって登場し、またその言語がギリシャ語、ラテン語にとって代った。』

       そしてアラビア語が支配することとなったために、西ヨーロッパの言語にとんでもないことが起こるのです。ローマ帝国の末期頃、公の言葉、国際語のギリシャ語が使われなくなり、代わりにイタリア、フランス、スペイン、ドイツ、という各地方の方言が使われるようになり、ラテン語も衰微していってしまうのです。

       その方言の使用が次の時代、だいぶ経ってからヨーロッパが生まれる理由ともなるのです。しかし、それにはさらに数百年から千年ぐらい時間がかかり、ダンテはイタリア語で神曲を書き、ルターが1500年代に聖書をドイツ語訳する。こういった民族の興隆には、およそ1000年くらいの時間がかかっているのです。

       イスラムがどれほど支配的であったかがこれでお判りかと思います。これまでの間にどのようなことが起こったか?これが根本問題で、皆が知っているヨーロッパは二つに分断されます。ローマを中心とする西ローマ帝国およびビザンチンと言われる東ローマ帝国。真ん中には地中海があり、そこには交通がありましたが、イスラムによって分断されてしまいます。

       『 リヨン湾の沿岸も、リヴィエラ地方からティベル河の河口にかけて海岸も、艦隊をもっていなかったキリスト教徒たちが戦争と海賊の荒らしまわるがままに任せたから、いまでは人煙稀な地方となってしまい、海賊の跳梁する舞台と化してしまった。港も都市も打ち棄てられてしまった。東方世界とのつながりも絶たれ、サラセン人(アラビア人)たちの住む海岸との交流もなかった。』

       地中海は押さえ込まれたということです。

       『ここには死の風が吹いていた。カロリング帝国は、ビザンツ帝国とは極めて著しい対照を示す存在であった。それは、海への出口を全くふさがれてしまったため、純然たる内陸国家であった。嘗てはガリアの中でも最も活況を呈し、全体の生活を支える要(かなめ)ともなっていた地中海の沿岸諸地方が、今では最も貧しい、最も荒涼とした、そして、安全を脅かされること最も多い地方となってしまった。ここに史上初めて、西欧文明の枢軸は北方へと押し上げられることになり、』

       つまりヨーロッパといわれるものは、いまはじめて我々が知っている西ヨーロッパのほうへ、つまりローマ地中海から北方へグーンと押し上げられてしまった。今でこそ、車で行けば行ける距離、あるいは飛行機で行けばひとっ飛びの距離でありますが、当時は封じ込められてしまったのです。

       『その後幾世紀間かは、セーヌ、ライン両河の中間に位置することになった。』

       つまり、その辺りにゲルマン人とローマ人が混血し、文化程度が著しく堕ちたカロリング王朝が位置することになったのです。

       『そして、それまでは単に破壊者という否定的な役割を演じていたにすぎないゲルマン諸民族が、今やヨーロッパ文明再建の舞台に肯定的な役割を演ずる運命を担って登場したのである。
      古代の伝統は砕け散った。それは、イスラムが、古代の地中海的統一を破壊し去ったためである。』

       つまり、古代の伝統、つまりギリシャ、ローマの伝統が、ずっと続いていましたが、それが今言ったイスラムの侵出により・・・。これが言語問題にものすごく影響してしまい(今日お渡しした正論3月号の最後の方に書いてありますが・・・)、ギリシャ語の聖書も消えてしまい、ギリシャ語を話す者さえも居なくなってしまったのです。

       カール大帝は文盲で(皆ひとに遣らせていた)、教養の程度も著しく低く、西ヨーロッパは文字を読むのは一部の聖職者に限られ、伝統からも情報も絶たれた、文化的にも著しく遅れた野蛮な地域でした。それゆえに迷信も蔓延り、キリスト教がその迷信を加速させました。キリスト教はもちろん一神教ですが、その他の信仰、マニ教、グノーシス主義、ゾロアスター教、そしてアニミズムがゲルマン民族を捉えつつも、カトリックはそれらとある程度の共存をしたのです。それらを認めはしないけれど、直ちに弾圧、攻め滅ぼすことはなく、いわば許していたのです。

       現代のカトリックは少し違いますが、基本的にカトリックは「自然」というものを尊重するところがあり、一神教以外の神の概念をまったく認めない、ということはありません。

       一番象徴的な例は、戦後、靖国神社がマッカーサーの命令により焼却される危険に曝されたとき、反対したのはカトリック教会でした。それは「自然法」というものを尊重している。自然法というのは、法律以前に自然の定めで決められていること、解り易くいえば、結婚は男と女がするものである、とか、敗者といえども自分の民族を守った者は祀られてしかるべきであるのも自然法のひとつですから、靖国神社を焼き滅ぼすなどとんでもないというカトリックの考えで、そのカトリック教会に靖国神社は守られたのです。そういった意味でカトリックが諸宗教に寛大であることがお解りかと思います。

       ところがプロテスタントはそれが許せないのです。その話が正論3月号の最後の方に出てきますが、簡単に言うとプロテスタントは神をもう一度、再確認したのですから、キリスト教の復興、カトリックと大いなる戦争をしたのですから、カトリック側にも当然新しい選択を迫られた。自覚的な信仰の再宣託が行われたので、両方の宗教にとって近代化ということになるわけですが、ニーチェは面白いことを言っています。

      『ところがルターは教会を再興したのであった、つまり彼は教会を攻撃したからだ。・・・・・・』(「アンチクリスト」第61節)

       「プロテスタントは、キリスト教を攻撃したために蘇らせてしまった・・・、本来亡くなって然るべきキリスト教が、ルターの、あるいはカルヴァンの攻撃によって自覚が蘇り、カトリックまで復活してしまった。」とニーチェは残念がって言っていた。そのようなパラドクスがあるわけですが、大きな流れで言うとそのようなことが言えるわけです。

       先を急ぎます。フランスのカルカソンヌ城をご存知ですか? フランスに行くと必ず観るのですが、そんなに(ご覧になった方は)居ないのですか?南フランスに旅行すると必ず観るのですが、意外と知らないのですね。素晴らしい古城で、夜はライトが照らされていて本当に素晴らしい・・・。トゥールーズのあたりです。

       この古城は異教徒の城で、それを法王が攻め滅ぼしてしまうのです。それはまさに中世のいろいろな十字軍がありますが、十字軍というのは外に出ていくもの、と皆さん思っているかもしれませんがヨーロッパの中をも攻撃する十字軍も当然あるのです。つまり、キリスト教に一元化するために「異教徒が一人でもいたら怪しからん」ということで、凄まじい戦争をしてトゥールーズの城カルカソンヌは何万という人を殺して潰されてしまう、という歴史があるんですよ。

       それは、今日お渡しした雑誌(正論3月号)の連載の前半の終結部分にだんだん近付いていて、日本が始まるのは未だもう少し先なのですが、ぜひ読んでおいていただくと有り難いのですが、言わなくても読んでいる人はきっと読むから・・・。だけど知っているんですよね。言っても読まない人はきっと読まないんですよね。学生に教えていたころから知っているんですよ。こう言っては皆さんに無礼かもしれないけれど。小川さんは「先生、プレゼントをしなくても、皆さん買って読みますよ!」と言っていましたが、それは「3分の1くらい」の方はそうでしょうから差し上げた訳でして・・・。ただ、単独で読んで頂いても纏まっていて、読切りの短編になっていますから、前とのつながりが無くてもわかります。

       その意味で、プロテスタントはキリスト教最高の運動になると同時に、プロテスタント自体がキリスト教の内部に対する「十字軍」だった、と言えないこともありません。(つまり、外に対しては「十字軍」。内部では「プロテスタント」)それぐらいルターとカルヴァンの思想、行動は峻厳だったんですね。ですから、いろいろな雑駁な異教徒の流れを汲む様々な理念や思想は潰されていったということがひとつ言えます。

       さて、今までの話でイスラム教徒とヨーロッパ文明との対決が、いかに根が深いかお判りになったと思います。もちろん同時にキリスト教の側は、その遅れた教養も低い鎖された地域の彼らは、信仰心だけは固めつつ、異文明に対してチャレンジしてく・・・、有名なのは、「十字軍」ですね。

       ご承知のように、十字軍は11世紀にはじまります。具体的な説明はしませんが、イスラエルがひとつ、それから北の方のラトビアとかポーランドへ向けての十字軍、イベリア半島スペイン・・・。つまり地中海は全て抑えられますから、地中海の異教徒を追払うということ。それから、最後には2つのアメリカ大陸に進出すると・・・。じつは、これら全て十字軍なんですよ。つまり信仰の旗を掲げて、そして、異教徒を改宗させるか、殺戮するか。「改宗か? 然らずんば死か?」そして、それを実行するために、内部の綱紀が緩むために粛清する。これが数多くの粛清劇、魔女狩りとか・・・、先ほどのカルカソンヌ城の異教徒退治もそのひとつですね。

       つまり、内部を徹底的に時々厳しくやり、そして外対して、異教徒に対しては妥協したり拡げたりする。いろいろな形で柔軟にやるのです。さながらその姿は、「私たち異教徒」から見ると、ソヴィエト共産党と中国共産党みたいなものに見えますね。つまり、外部に対しては外交的に狡猾で、そして、内部に対しては一寸した異端も許さない粛清劇をする。非常によく似たところがあるんですよ。ですから、「棄教」といって、教えを棄てる聖職者がいると、それを許さないだけでなくそれに対する尋問をしたり、それが後々までどんな影響を持つかということを徹底的に論争するという、激しいものがあります。そういう点も、共産党を辞めてしまうことに対する手厳しい攻撃によく似ていますよね。それが中世ヨーロッパのエネルギーであると同時に、それがまた世界史に拡がっていくパワーだと私は思っています。

       善かれ悪しかれキリスト教のヨーロッパ中世からはおそらく3つのもの、ひとつは「暴力」、ひとつは「信仰」、そしてもうひとつは、16世紀に産まれる「科学」がありますね。今日はその話は出来ませんが、自然科学は、何と言ってもポジティヴで、そして自然科学はキリスト教そのものから産まれたのであって、それは他の宗教に類例を見ない出来事、ドラマなのです。自然科学は一般的で普遍的であると思われるかもしれませんが、根っこはキリスト教にあったということは、また一つ大きな問題であります。そのテーマは、今日お見えになっているかどうか・・・?古田(博司)先生、いらしてますか?(小川揚司さん:4時ごろお見えになります。)古田先生の「ヨーロッパ思想を読み解く―なにが近代科学を生んだか」(ちくま新書)という本がありまして、これはひじょうに難しい本ですが、いろいろなことを考えさせられます。

      posted by: samu | 講演会 | 09:40 | - | - | - | - |
      坦々塾 呉善花先生講義
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        日本人にはわからない「韓国人の精神性」

         私は来日して三十年になります。これまでの間、常に日本を知りたい理解したいとつとめて学んできました。日本人についても相当わかるようになりました。けれど、理屈でわかっているつもりでも、ついていけないもの、慣れないものが三十年を経た今でもたくさんあります。

         その一つが言葉の発音です。日本語にあって韓国に無いもの、それが濁音です。韓国人は濁音が苦手でしゃべることも聞き取ることもむずかしい。話に夢中になっていると、濁音なのか半濁音なのか、判別できないことがよくあるのです。「今のはテンテン(濁り)ありますか?」と私はよく訊くものですから、私は〈テンテン病患者〉だと言われてしまいます(笑)。ですから今日の私のお話も流れから内容を掴んでいただきたいとお願いしておきます。

         日本では、「敬語」の使い方でも大いに戸惑います。世界で一番敬語が多いのが日本語と韓国語。ところが、日本と朝鮮とでは、敬語の使い方がまるで逆なのです。韓国は儒教社会で、身内を大事にいたします。そこで父親が留守という場合、「うちのお父さんにはいらっしゃいません」と言わなければなりません。日本では「只今、父はおりません」です。正反対なんです。今でも私は、どう言うべきかと迷うことがあります。ある会社の社長に電話をかけたら「鈴木は席を外しています」と返事をする。韓国の人なら「鈴木社長は舐められているのではないか」と思うに違いありません。

         外国に行って韓国人と日本人は似ているので、すぐ仲良くなります。互いに言葉が通じないときは英語で会話します。通じていくと互いに異国人であることさえ忘れてしまうほどです。しかし、だんだん相手の中に入っていくと、全然違う。最初は通じていても利害が生じると、小さな違いが大きくなります。

         同じ東洋人で顔も似ている。九割は似ている、しかし一割が違う。この一割がとても大きいのです。ここを見つめておかないと本格的な付き合いはできない。徹底的に見つめて目をつぶらず俎上にあげていくこと。これは大事です。

         十年くらい経つでしょうか。韓流ブームが日本に起きました。『冬のソナタ』を皮切りにたいへん盛り上がりました。あの〈冬ソナ〉のドラマを観た日本人は、昔の日本に出会ったような懐かしさを感じたと言います。確かに、そういをところがあるのでしょう。あっという間に主役のペ・ヨンジュンが大人気になりました。とくに「ヨンさま、ヨンさま」と中高年の女性の間ではたいへんな熱中ぶりでした。しかし、ヨンさまは商品として日本で売れたのです。

         あの頃、私は韓国に行きまして中高年女性達に聞いてみたことがあります。当然のように返ってきます。「なぜ、あんななよなよした男がいいんだろ。ほんとにわからない」と不思議がっていました。一般に韓国ではああいった軟弱な男は魅力がないのです。むしろイ・ビョンホンのほうがいい。ここにも韓国人と日本人の感じ方、男女に対する意識、価値観が大きく違っています。

         日本でいうと、鎌倉時代に当たりますか。朝鮮では、朝鮮時代に入り、仏教を排除、弾圧して儒教の朱子学だけを重んじる社会になります。国の統治から人々の礼儀作法まで、徹底した朱子学の価値観を敷いてゆきます。朝鮮半島は男権社会。女性にとっても完璧で強い男がいいのであって、慕われ、尊敬されるのは強そうな男性です。つまり、イ・ビョンホンのようなタイプ。よりによって、ヨンさまが騒がれること自体、自国の女性にはわかりにくい。

         では、なぜ日本でヨンさまが受けたのでしょうか。日本という社会は一見、男尊女卑に見えます。韓国人も「日本は韓国以上に男尊女卑だろう」と言います。イメージとして武士の夫婦があります。主人が勤めに出るとき、玄関先で「いってらっしゃいませ」と三つ指をついて妻が見送る。これが頭にあるので、男尊女卑だと私も思っておりました。

         しかし、日本におりますと、実は男性は表面だけで威張っていることがわかってくる。この社会は実は女性によって支えられていると思いました。この精神性は何なのか。〈かかあ天下〉と言ったり〈亭主関白〉と言ってみたり。けれど大抵は〈かかあ天下〉と女性を上に置いて、巧くいくんだという家庭が多い。

         韓国は違う。結婚したわが夫が絶対的なのです。女は夫を絶対唯一の神様のように支えなければならない。妻の役目がそうです。したがって〈かかあ天下〉に相当する言葉が無くて、逆はたくさんある。「雌鳥が鳴くと家が亡ぶ」と言い、「三日殴らないと女は天にのぼる」とも言います。男からいえば女は厳しくしつけておかないといけない、ということになります。

         一方、私は日本には母系社会が底辺に流れていると思っています。

         やはりここに母系社会と感じられるものがあるのです。もっと幅広くとらえると、日本には女神の存在が大きい。大の男たちが大勢、伊勢参りに行きます。富士山の祭神も女神です。それほど魅力があるわけです。

         拝む存在として女性を、男が拝むということは韓国ではありません。韓国の女性は完璧な男に憧れますが、日本の女性は、ちょっと物足りない男に魅力を感じる(笑)。それでやすらぎが感じられるみたいですね。

         けれど韓国では、自信がなくっても男は「俺は完璧だ」というところを見せます。そうして女性を口説く。日本の女性にとってわかりにくいでしょうね。韓国男性は嘘っぽくても強くなければいけないと思う。中国もそうですね。習近平も強く見せるでしょう。それに比べると、安倍さんでもどこかナヨナヨしているように見えてしまう。

         韓国ブームでキムチも定着しました。けれど、雲行きが怪しくなってから、両国の実情は少しずつ変わってきています。李明博前大統領が竹島に行って岩に登って日本を批難した。すると、日本人の韓国行きが減ってしまった。私が生まれた済州島も観光地です。日本からのお客が激減しました。半面、中国人の観光客が増えているが、現地は嘆いています。日本人はマナーが良くてお土産文化があるけど、中国人は土産を買わない。

        もう多くの日本人が気づいていることですが、韓国の歴代の大統領は支持率が落ちると反日をあらわにしてきました。毎回、同じことを繰り返しています。

        李明博前大統領も竹島で品のない反日発言、反日パフォーマンスをしましたね。がっかりしますが、この傾向は直りません。経済発展を遂げたら、多少は反日意識が変わるかとも思いましたが、教育によってつくられたものですから根が深い。日本のことがわからないまま、韓国では反日感情が沸き上がってしまうのです。韓国人が叫ぶ「正しい歴史認識」とは何ですか?いったい何が正しい認識だというのでしょう。

        ここから大事な話をしていきたいのですが、ふつうは「正しい歴史認識」という場合、互いに立場が異なるのですから、「正しい」とそれぞれみなしている問題について話し合いをはじめましょう、というのがあるべき順序ですね。ところが反日だけしか頭にない韓国人は「なぜ話し合いをする必要があるのか」と言います。未来に向きましょう、という意味は、「韓国は正しい」「日本は間違っている」ということを日本が理解すること、それ以外には話し合いもへったくれもないというわけです。そんなふうに感情が沸き上がっている。

        したがって日本統治時代の評価は一切できません。親日イコール売国奴なのです。もう既に、彼らは教え込まれている段階ではなく、すっかり頭がそうなってしまっている。じわじわと根付いてしまっている。

        さらには、韓国のマスコミは日本の評価が全くできない。マスコミが立ちあがらなくてはならないのに、何も言えないという状況になっています。

        私について言えば、親日派の代表であり、イコール売国奴という烙印を押されています。

        日本統治時代は良いことも悪いこともあったなどと言ったなら、韓国では袋叩きに会います。私は韓国人でありますが日本の国籍を持っています。真実を言わなければならないと思ってやってきましたが、去年入国拒否になって、私は韓国に入れません。

        朝日新聞の誤報というより捏造で明らかになってきた慰安婦問題。このことは皆さんが注視しておられることですが、たとえ捏造されたということがわかってきても、反日韓国の態度は一向にかわることなく、慰安婦と歴史問題を携えて日本憎悪を強めていくことでしょう。そんな中で、最近、新しい事実がわかってきました。韓国における米軍のための慰安婦、つまり米軍兵士のための従軍慰安婦問題がこれこそ確実な証言、証拠を揃えたうえで立ちあがっています。基地で何があったのか、韓国はどう協力したのかといった核心がこれから明らかになってきます。

        韓国は自壊していくのではないでしょうか。けれどもそんな危機感もなく、一本調子で日本人に対する憎悪と侮蔑を募らせています。韓国は何があっても日本人を貶めたい、賤しい存在であるかということを世界に広めたい。とにかく謝って謝って日本人は一生過ごすべきなのだというふうに思っているのです。朝日の捏造記事で曲げられてきた真実が是正されてきました。しかし、韓国はそんなことは関係ない。女性を卑しめた日本人はあくまでいやらしいのだ、と世界に喧伝します。そして原発事故を起こした日本の食べ物はすべて汚染されているのだ、とこれもまた世界に流布します。日本の産品はスーパーから消えてしまいました。日本の食品を食べるとからだが溶けてしまう、日本の若者が草食動物みたいにくねくねしているのもそのせいだと言っています。とにかく貶めたいのです。

        彼らは矛盾しています。こうして軽蔑していながら韓国から日本へ観光に押し寄せている。観光客は増えているのです。「日本はいいね、温泉がいっぱいあって」と全国各地の名所を訪ねたりしている。もともと韓国にはお風呂の文化はないのです。日本統治時代に日本式の銭湯をたくさんつくってもらった。そこからお湯の文化が始まったのです。

        温泉地に限らず、日本人の〈おもてなし〉の姿勢には感動します。懐石料理は韓国人には味が薄く刺激が少ないけれど、見ているだけでうつくしい。韓国では料理は大抵、大皿にどーんと盛ってまいります。食器も樹脂製だったり味気ない。日本は違います。旅館ではお小皿にこまごまと一品料理が色とりどりに並びます。これだけ芸術作品のような調理をするのは手間もかかるでしょう。一人にひとつずつ鉄鍋を用意してくれたり、ほんとうにすばらしいなあと感じます。

        意外とお思いになるかもしれませんが、韓国の人が日本に来て何が食べたいかというと、焼き肉なんです。焼き肉というと韓国の十八番でしょう。しかし、日本の牛肉、例えば松坂肉の美味しさといったら格別で、こんな口のなかでとろけるような肉は食べたことがないと感動して帰ります。勿論、国内でも和牛はあるんですよ。和牛といっても豪州産和牛ですけれども。やはり味が落ちます。日本の牛の旨さにはかなわない。私の友人もおいしい、おいしいと言って感激しておりました。
        料理の美味しさ、おもてなしのすばらしさ、これを体験して韓国人は日本はすごい、日本人は親切だと感じて帰ります。なのに、帰国すると彼らはまた反日に戻るのです。

        ここでこの精神状況というものを、少し詳しく紐解いておきたいと私は考えます。

         日本を訪ねた韓国人はすなおに日本のすごさ、すばらしさを認めます。料理に限りません、例に挙げると「ものづくり」。これもあらゆるものが精緻で美しく機能的で、かつ伝統に裏打ちされている。あらゆる分野での工芸品の水準の高さは目を見張ります。また、先端技術が生かされた高度な社会システムが構築され、秩序は乱れない。
         
         世界の人々が驚いた東日本大震災のときの日本人の姿。極限の自然災害に遭遇しても、人に譲って自分をあとにするという道徳心をまざまざと見ました。韓国人も衝撃を受けました。なぜ、あんなことができるんだろうと。こうして敬意をはらうと同時に、頭が混乱するのです。「日本人とはいうのは全くわからない国民だ」ということになるのです。

         日本人の精神の軸。そう呼べるものがいったい何なのか。全くわからない永遠の謎なのです。

         韓国は基督教社会です。一神教の社会というのはその点でわかります。勿論、朱子学の儒教社会はわかります。韓国の軸と言えるでしょう。日本人は何が軸と言えますか?神道ですか、または武士道ですか。ある人はそれではなく仏教だというでしょう。ほかにもあるかもしれません。韓国人はそこで戸惑ってしまうのです。

         つまり軸が一つではない。日本には至る所に神社がある、寺もある。その神社というのも八百万の神々を祭っているので同じではない。太陽であったり樹木であったり自然をうやまうアフリカの人ならわかる。日本人も自然をうやまいますがわかりにくい。バラバラなんです。もしかしたら悪魔を信じているのではないか。そのように韓国人は思うわけです。

         正月には初詣に神社に行って、その足で寺にお参りするような日本人だってざらにある。

         どういう精神性なのかと頭が混乱するのです。ほとんどの韓国人はここで困ってしまう。そして、混乱するだけではなく、許せないということになるのです。私も長い間、そうしたどこか許容できないという気持ちをもっていた。

         韓国の人は先祖以外は拝んではいけません。いろんなものを拝むのは迷信の部類です。韓国はちょうど日本が鎌倉時代のころ、仏教を棄ててそれから陽明学も弾圧して、朱子学だけを大切にするという転換を行いました。朝鮮における文治主義の徹底です。日本は鎌倉時代以降も野蛮な武士の戦いがいっこうにおさまらない。どうにもならない国だと、私たちの先祖は思っていたわけです。

         日本人にはひとつの価値とか道徳がない。なんだかわからない。韓国人の善はわかりやすいのです。一つだけある。儒教に説かれている聖人君子がその善を体現している。金正日一人が善を実現できる人で、それ以外は悪である。一番偉い人が一番正しい。朱子学の教えはこれであると。

         そしてデタラメな基準で生きている日本人はこれが理解できないから、いつも頭を叩いておかないと彼らは何をするかわからない。考えを変えてしまう。常にきちんと教え込んでおかないといけない。韓国人が言うところの「歴史認識」とはこれであって、双方の国民がそれぞれ意見を主張しあって互いに歩み寄る、というものでは決してないのです。日本人がやることは韓国が主張するものを受け取るだけ。反論や異論等とんでもない。繰り返し繰り返し、韓国の言うことを日本人は心して聞けということです。

         日本人にしてみると実に不可解なことだと思うでしょうが、現在の韓国の朴政権は戦後いちばん外交で成功しているという評価を国内ではしています。

         普段は日本人はぼおっとしている。けれど何か一つ掴んだときの集団主義は怖しい。韓国人はそういう恐怖心で見ています。事あれば、いつ軍国主義になるか知れない。震災のときもそうでした。ここから日本人はさっと変質していくのではないか。軍国主義に走るのではないかと心配しています。

         日本人と韓国人の価値観について、もう一つお伝えしておきたいと思います。

         「もののあわれ」というものを日本人なら感覚的に、情緒的に知っています。一方、韓国人は「恨」の国民だと自他共に認めています。二つの国民性は大きく異なっています。もののあわれというのは何でしょう。秋になると日本人は物悲しいと言ったりします。虫の声が聴こえると、ああ秋だと言います。木の葉が紅く染まってくるとこれも秋を感じますね。
         
         韓国人は日本人ほど虫の音が聴きわ分けられません。日本人は敏感なのです。柿の木に実が成っていたが、秋も深まり三つしか残っていない。こうした情景も日本人は美しい感じたりします。しかし韓国人がこれを見たら美など感じません。三つしかない、これは不吉なのです。韓国人は花が咲き、木が生い茂っているなら、永遠に咲いて永遠に繁っていてほしいと思うのです。「なぜ枯れて(衰弱して)いくのか?」。この感情も「恨」なのです。枯れること、弱ること、衰えること、すべてあってはならないのです。

         私は昔、日本の茶道をまなぶ機会がありました。茶室に招かれて、お点前を待っていました。部屋の一角の花筒に今にも落ちてしまいそうな枯れ葉がありました。私はこれがイヤで「生き生きとした花ならまだしも」と思って質問したのです。すると先生は、「この瞬間にしかみられない生命の儚さ」というものがあるのです、と説明してくれました。初めてそんなことを知りました。

         日本の人たちは桜をこよなく愛します。桜の花といっても僅か三日か四日。長くて七日くらいで散ってしまいます。雨風が来てたった一日で花が終わることもあります。けれど日本人はこの儚い花を観るために花見に繰り出します。散り際が美しいとも感じます。韓国人にはこの感覚がわからないだけでなく、怖いのです。潔いという美意識が怖い。日本人は親切なときは親切。ですが、あまとはぱっと斬ってしまう。朝鮮人はそう思うのです。日本人はわがままも聞いてくれるが、桜の花のようにさっと態度を変えるかもしれない。

         恋愛の話をすると、日本の男性は好きな女性に告白して、受け入れられないなら、大抵、さっと身を引きます。ところが韓国の男性はそうはしない。好きな女性に対してはいつまでもどこまでも未練がましく追いかける。女性が結婚してもまだ告白している。韓国人は自ら、それを「情が深い」と自讃しているのです。韓国人は水に流すことはできない。過去をずっと携えて言う。相手が、相手である日本人が水に流すのは許せない。だから、善である韓国人は、善でない日本人に対してずっと言いつづけなければいけない。そう思っているわけです。

         永遠に咲いている花なんてこの世にありません。しかし、韓国人はそれを望んでいるのです。だから、韓国には至るところに造花を飾ってあります。公の場所、ホテルのフロントなどでも見かけるでしょう。造花はいつまでも枯れない、萎れない。したがって韓国の国花は「むくげ」なのです。華やかとはいえないけど、散らないからです。

         韓国人はユダヤ人が大好きです。私たちは一度も侵略したことがない。善なる民族である。同じく受難がありながらユダヤ人のように優秀で強くありたい。朱子学の教えでは、善なるものは枯れたり、萎れたりしてはいけない。つまり死んではいけない。だから息子を産むことです。そうすれば遺伝子が代々継いでくれ、明るい未来になる。若いときに勉強するのは将来、苦しみが少なくて済むと思うからです。「私には苦しみがあってはならない」。そう深層にはそういう意識があるのです。
         私には苦しみがあってはならないはずなのに、日本人のせいでこんな苦しみを負わされている。こうした偏った性向が嵩じたのか、「火病」という世界で韓国人にしか罹らない珍しい病気があります。「火病」の症状は体の片方に熱がこもって、もう片方が冷たくなる。原因はストレス。嫁と姑の間で葛藤が生じて、女性に多かったが最近は男性患者も増えている。ストレスの内容ですがやはり「恨」、恨みつらみと関係があるとされています。

         日本人が韓国人に話し合いましょうと言ってもうまくいかない。当面は、日本人の知恵であります「間」をおくこと、それから立ち向かっていくことが大切だと私は思っています。                    (了)

        posted by: samu | 講演会 | 10:08 | - | - | - | - |
        中国は日米と戦争するか /村井友秀
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          中国は日米と戦争するか スケープゴートは日本 尖閣に手を出す可能性は「ある」

          群馬「正論」懇話会の第36回講演会が10月30日、前橋市の前橋商工会議所会館で開かれ、防衛大教授の村井友秀氏が「東アジアの『戦争と平和』」と題して講演、パワーシフト理論を使って米中、日中間で戦争が起きる可能性を分析し、「米中は戦争しないが、日中は起こり得る」と指摘。戦争を抑止するために、日本が軍事力を増強する必要性を訴えた。詳報は以下のとおり。

          軍事力の変動から説くパワーシフト理論

           戦争が起こる仕組みをパワーシフトの理論を使って説明したい。この理論は過去500年間に欧州で起きた200件の戦争について言えることだ。

           仮に今、Bという国がAという国よりも軍事力の点で優位で、B国がA国に追い付かれそうになっているとする。この状態でB国がA国に仕掛ける戦争を「予防戦争」と呼ぶ。逆にA国がB国をすでに追い越し、追い越したA国が自国の優位を固めるためにB国に起こす戦争を「機会主義的戦争」と呼ぶ。戦争には、この2種類しかない。戦争は軍事上、強い方が始める。

           予防戦争の例を挙げると、1941年の日米戦争が当てはまる。当時の国力は米国を5とすると、日本は1。それなのに、なぜ日本は戦争を仕掛けたのか。日本の方が強いと思ったからだ。なぜか。太平洋に展開できる海軍力は日本の方が上だったからだ。

          米中間のパワーシフト

           今、米国と中国の間でパワーシフトが起こっているといわれている。この理論において、戦争が起きやすい軍事力の差はプラスマイナス20%ぐらいといわれている。圧倒的な差が付くと戦争は起きない。戦争をしなくても圧倒的な差があれば、弱い方は言うことをきくからだ。

          米中間のパワーシフトを考える上で重要なのは、どの場所で衝突が起こるかということだ。(米ハーバード大教授の)ジョセフ・ナイ氏は「米中間のパワーシフトは起こらない。今の実力は米国を10とすると中国は1。軍事力が将来にわたって逆転することはない」といった。しかし、この議論は雑だ。これでは日米戦争を説明できない。

           これを説明するには、軍事力は距離が遠くなればなるほど落ちるLSGという理論が必要になる。制空権は距離の2乗に反比例するといわれている。

           日本周辺の東シナ海、西太平洋でみると、米国の場合、軍事力はあまり下がらない。制空権がなければ制海権はなく、制海権がなければ、上陸(地上戦)はできないとされるが、米国の特徴は、航空母艦を多数抱え、肝の制空権が下がらない点だ。9万トンの空母なら90機、6万トンなら60機の戦闘機を載せられる。これは動く飛行場で、9万トンの空母が3隻あれば日本の航空戦力(約200機)に匹敵する。米国の空母は原子力で動くため航続距離も長いから、距離が離れても軍事力はほとんど下がらない。

           中国はどうか。何とか空母は造ったが、技術的な問題で、スピードが出ない。スピードが出ないと重い飛行機を飛ばせないから、それほど脅威にならない。

           今の戦争は何が攻めてくるか。戦艦でも飛行機でもない。ミサイルだ。中国は沿岸、陸上に数多くのミサイルを保有するが、中国が飛ばせるミサイルの距離はせいぜい600キロ。日本周辺で比較すると、米国の方が上だ。

          弱きをたたく航空母艦、強きをくじく潜水艦

           航空母艦の役目は何か。空母は自分より弱いものをたたくときに圧倒的な効果を発揮する。逆に強い相手には弱い。防御が脆弱だからだ。強大な相手には「走る棺桶」になってしまう。世界一の軍事力を持つ米国は、だから空母を世界中に展開している。英国とフランスも空母を持っているが、それは米国に対するものではない。自分たちよりも弱い相手に向けてのものだ。

           一方で、自分より強いものを相手にするときに有効なのが潜水艦だ。弱い国は空母ではなく、潜水艦を持つ。中国も、これまでは潜水艦を造り続けてきている。

           では、なぜ今、中国は空母を造ったのか。想定しているのは米国ではなく、東南アジア、南アジア。そう、自分より弱い相手に向けて、自分の強さを、より効果的に展開しようとしている。

           そういった点を考慮すると、現時点で米中間にパワーシフトは起こっていない。だから、米国と中国は戦争しないということになる。

          日中戦争は起こり得る

           日本と中国ではどうか。日本と中国では、パワーシフトが起こっているといわれている。戦争が起きる可能性が高いのは、米中ではなく、日中の方だ。

           では、日中間では、どういった戦争が考えられるか。

           戦争には、大・中・小がある。中国共産党は合理的な政府で、徹頭徹尾、損得の利害で動く。異質なのは韓国。あの国は利害関係を無視し感情的に走ることがある。中国は米国が出てくるような大規模な戦争はしない。負けるからだ。

          では、中規模なものならどうか。これも米国が出てくるから、やらないだろう。

           米国の国益の考え方には、死活的国益、戦略的国益、周辺的国益の3つがある。死活的国益は、例えば「9・11」(2001年米中枢同時テロ)だ。周辺的な国益では、例えばソマリア内線がある。ソマリアでは作戦中、米兵に死者が18人ほど出ただけで撤退した(1993年のモガディシュの戦闘)。「9・11」は、まったく異なる。

           日本を見捨てれば戦略的国益に影響が出る。「米国は同盟国を守らなかった」という評価が世界中に流れるのは、米国にも非常にデメリットが大きい。だから中規模な日中戦争なら米国は出てくる。中国はそう考えているはずだ。

          中国が考える日中戦の勝機は「米国抜き」

           中国が日本に勝てる条件は、絶対に米国が出てこないこと。この視点から問題になるのが、尖閣周辺などで想定される小規模な戦争だ。中国は小さい戦争なら米国は出てこないとみている。その根拠は何か。米国は尖閣について2つの立場、見解を示す。1つは「日米安保条約の適用範囲だ」という。一方で、領有権について「米国は中立の立場だ」ともいっている。これはどういう意味か。中国にも日本にも「尖閣に出てくるな」ということだ。双方を抑止しようとしているということで、だから中国は尖閣をめぐる戦争に米国は出てこないと思っている。

           日本と中国との間に戦争が起きないようにするには、どうすればいいか。それは、日本が単独でも勝てるようになるか、中国に米国が必ず出てくると思わせるかのどちらかしかない。しかし、米国が必ず出てくると思わせることは無理だ。なぜなら、あの国(中国)は同盟というものを信じていないからだ。

          だから、日本が単独でも勝てるようにするしかない。

          尖閣を先鋭化させたのは中国の国内事情

           中国が尖閣に手を出す可能性はあるか否か。私はあると思う。

           ここでスケープゴート理論というものを説明したい。

           そもそも、尖閣をめぐって日中関係が緊張しだしたのは、日本による尖閣の国有化とは関係がない。尖閣については中国は2008年から動き出した。中国は日本をスケープゴートにしようとしているからだ。その最大の原因は国内の暴力的なデモだ。中国ではデモが頻発している。年間10万件を軽く超えているだろう。しかもデモの特徴は大規模で暴力化、凶暴化している。体制にとって、これは深刻な危機なのだ。

           原因は何か。すさまじい国内格差だ。中国では今から20年前に経済改革が始まったが、当初は一部が富を得て、遅れて貧しい者も豊かになるといわれた。だが、そうはならなかった。格差は広がり、ひどくなる一方だ。金持ちしか偉くならない共産主義に、貧しい者たちが激しく抗議している。

           そんな内部でたまった国民の不満を外に向けて、目をそらそうとしている。日中間の緊張と日本の国内状況は関係ない。国内の緊張を外に向けて、緊張を一定範囲内に保とうとしている。だから緊張が下がりすぎると工船を日本領内に侵入させたりして緊張を高め、緊張が高まりすぎると下げる。今の中国の動きも、日本との関係改善をしようとしているわけではない。緊張関係を操作しているだけだ。

           中国のスケープゴートは日本でなければいけないのか。スケープゴートになるのは、国民的に盛り上がる存在でなければいけない。中国には日本以外にロシアという格好の国がいるが、中国は選ばない。ロシアは危険すぎるからだ。あの国は何をするか分からないところがあって、本当に怖い。逆に日本はちょうどいい、安全な敵なのだ。

          反日キャンペーン、中国の目的はアジアの覇権

           中国は今、世界中で反日キャンペーンをやっている。目的はアジアの覇者になるためだ。なぜ反日キャンペーンか。日本をおとしめるためだ。

           中国は経済力、軍事力などで日本を追い抜いたが、まったくかなわない決定的なものがある。ソフトパワーだ。ソフトパワーは、その国の影響力。いい国だと思わせる力、説得力。相手は、その国を信用し、言うことを聞いてくれる。今の中国には、その力が日本より遥かに劣る。だから中国は80年も前の日本を持ち出してきて非難する。80年前の日本と今の中国を比べようとしている。

           だから、中国の土俵で戦ってはダメ。今の日本、将来に向けた日本で勝負すべきだ。

          戦争と平和のコストから見る日本の道

           最後に今の日本はどうしたらいいか、述べたい。

           日本が望むのは中国と戦争しないことだ。日本には2つの選択肢がある。戦争でいくか、平和でいくか、だ。どちらを取るかは軍事的コストで選ぶ。戦争のコストが小さければ、戦争をする。大きければ戦争はしないで、平和的な手段を取る。合理的な政権であれば、そうする。

           日本の選択肢は軍事力を大きくするか、小さくするかの2つ。軍事力を小さくしたら日本と戦争したときの中国のコストは小さくなる。小さければ戦争をする。軍事力を大きくして日本が強くなれば、中国が日本と戦争したときのコストは大きくなる。そうすると戦争はしない。
          日本が中国との戦争を防ぐには、日本の軍事力を大きくすることだ。大きくすると平和になる。こういうメカニズムだ。軍事力を大きくすれば戦争になり、小さくすれば平和になるという単純な発想では平和は維持できない。これはローマ以来、つまり「平和を欲すればすなわち、戦争に備える」「軍備を怠るな」。それが平和を維持するためのポイントだ。これは2000年前からの世界の常識。日本は世界の常識に従うことだ。

           もちろん、こういう議論もある。日本が軍事力を拡大すれば、中国も軍事力を拡大する。戦争にはならないが、軍拡競争になる。確かに、これは大きなマイナスだ。戦争をすれば経済的に儲かるというのは、他国が戦争しているときであって、自分が戦争して得になることはない。

           では、軍拡したら損ではないのか。もちろん、コストはかかる。問題は、軍拡したときのコストと、戦争になったときのコストだ。軍拡したときのコストは軍拡競争というコスト。でも軍縮したら、その最大のコストは戦争になる。

           合理的な選択とは何か。最大の損害の小さい方を取ることだ。これが国際関係での合理的な選択で、だとすると、軍縮したときの最大のコストは戦争。軍拡したときの最大のコストは軍拡。私は戦争のコストの方が軍拡よりも大きいと思う。だから、より小さなコスト、すなわち軍拡を取る。

          posted by: samu | 講演会 | 10:25 | - | - | - | - |
          渡部昇一先生講演録 大東亜会議70周年
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            私の記憶する大東亜会議、その意義
            渡部昇一(上智大学名誉教授)
            大東亜会議が開催されたとき、私は中学校一年生でございました。日本はアジアの資源がほしくて戦争を始めたと、戦後はよく言われておりますが、そんなことはありません。勿論資源も一つの理由ではありましたが、もっと大きな目的があったことは、その2年前、私が小学校5年生の時に大東亜戦争が始まったのですが、始まるとすぐに歌を教えられたんです。そこには「東亜侵略百年の 野望をここに覆す」という詩がちゃんとありました。それは昭和16年10月に教えられた歌です。ですから初めからあの戦争のときは、我々子供も、これは東亜の解放戦争であるということを教えられておりました。
            しかし戦後、不思議なことに、大東亜会議という名前は誰も口にはされなくなり、言葉も出なくなりました。そしてある時、作家の深田祐介さん,日本航空の大変偉い人だったですけれど、一緒に外国に行ったとき、大東亜会議をみんな忘れてしまっているねえ、などと言う会話をしましたら、そうだなあとか言われて、その後、深田先生が、戦後初めて、大東亜会議について非常に詳しくかつ公正な本を書かれました。
            私もいろいろ記憶を蘇らせてみて、調べてみまして、戦後日本では立派な百科事典が出ておりますけれど、そこには大東亜会議は項目として出てきません。2,3行触れられることはあっても、敵側の会談や会議はそれこそ何十ページも出て来るのに、大東亜会議はほんの2,3行。ああ、これが戦後というものだなと思いました。
            最近広辞苑を研究した方がおられましてね。広辞苑は大変いい辞書ですけれども、こと近現代史に関してはいい加減なことを書いていますので、前に亡くなった谷沢永一先生と、広辞苑の嘘という本を書いたこともありましたが、最近までずうっと広辞苑には大東亜会議の事は触れられていなかったんです。それが、第6版になって、ようやく項目に入りました。しかしそこには、まあ3,4行の簡単なものですが、日本とアジアの親和的な国々の会議、日本と仲のいい国が集まった会議という、そんな意味のことが書いてある。しかし、考えてもみてください。当時日本と仲のいい政権、いや、仲の悪い政権でもいい、そもそも政権と名の浮くものは蒋介石政権以外にはほとんどいないんですよ。後はほとんど植民地だったんですからね。
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            そして、ひとつ面白いことがあるんです。広辞苑はようやく大東亜会議の事を入れてくれたんです。しかし、大東亜会議のメンバーが書いていないんです。しかしですよ、これは調べてくれた人も言っていましたし、僕もチェックして確かめましたが、真田十勇士、猿飛佐助だとか三好青海入道とか、まあ僕も子供のころは名前を全部覚えていましたけど、そういうのは載っているんですよ。しかし大東亜会議のメンバーは載っていない。僕は真田十勇士の名前は少し忘れてしまったけど、大東亜会議のメンバーは覚えていますよ。東條さん、そして北から云いましょうか、満州国の張景恵さん、中華民国の王清衛さん、フィリピンのラウレルさん、タイのワイワイタイヤコーンさん、ビルマ、ミャンマーのパー・モウさん、そして独立は当時していませんでしたけど、オブザーバー参加ですが、最後の、トリの演説をしましたから、それなりに重要視されていたと思いますね、インドのチャンドラ・ボースさん。インドネシアはスカルノさんが日本に来たんですが、まだ独立をしていなかったから参加できなかったんですね。それでも天皇陛下は、わざわざ、スカルノさんを読んでくれたんです。それ以後、まあそれ以前からと思いますけれどもね、スカルノさんは日本を愛し、非常に感動しておりました。そして日本の女性をお嫁さんにしたことは、皆様よくご存じのとおりであります。
            そして、大東亜会議をだれが発案したかと言いますと、重光さんという人です。重光葵さんという方で、東條内閣の三代目の外務大臣になりました。そして重光さんは、大東亜戦争の戦争目的と理想をちゃんと表明しないといかん、と言ったんですね。そしたら、東條首相も、そうだそうだと同意して、そして、昭和天皇陛下も大変に喜ばれた。資源がほしいとか、そういうことで戦争をしたんじゃないことを明らかにしようと。他の国は、植民地というのは資源がほしい、資源を獲るためだけですから、日本もそのために戦争を始めたと考えている。そうじゃないんだ、我々中学生まで歌の中で、「東亜侵略百年の野望をここに覆す」という風に歌っていたんですよ。
            しかし、この大東亜会議が、昭和17年だったらもっと良かっただろうと思うんですね。一年遅れました。昭和18年の春ごろにようやく重光さんが外務大臣になって、すぐにこの大東亜会議を画策、画策というと悪いみたいですね、計画されたわけです。そして当時そのころは戦場がソロモンでして、アッツ島が玉砕しているわけです。それでもまだ絶対国防圏の外ですから、まだ敗色が出てき始めたという感じで、まだ全然勝っていたわけですが、それでも敏感な諸国は、例えばタイ国とかは本当はビブン首相が出てくるところなんですけれ
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            ど、ワイワイタヤコーン殿下が来るとか、ちょっと危ないなと思い始めたと思うんです。集まったアジアの人たちはみんな政治家ですから、ちょっとそろそろ日本も危ないかなあと思い始めていたかもしれませんが、やはり使命感に燃えてみんな集まってきたわけです。そして、このせいでしょうか、二週間ちょっとくらい経ったら、アメリカとイギリスがあわてまして、カイロ会談をやったんです。カイロ会談というのは、チャーチルとルーズベルト、それから呼んだのが蒋介石でしょう。大東亜会議には蒋介石入っていませんから、蒋介石が降伏されたら困ると思って、あわててカイロ会談というおべんちゃらの会議を開いたわけです。そちらの方は、戦後の辞書にも大きく載っています。
            重光さんがこの会議を計画して開いたこと、そして東條さんが賛成し、天皇陛下が喜ばれたこの会議がいかに重要かということを、世界に知らしめられると、勝った方の国は困りますから、絶対にそれを知らせないような政策が勝者によってとられたんだと思います。要するに日本の左翼も含めて、絶対にこの会議を知らせないようにしたのだと思いますね。重光さんは敗北の時に、ミズリー号で、敗戦の署名をやったわけです。その時造られた歌が、「願くは御国の末の栄え行き 吾名さげすむ人の多きを」という、敗戦の署名をしたような私を、あいつは駄目な奴だとそしる人が沢山出るくらいに、将来日本がさかえてほしいという意味の歌を歌っているんです、本当の愛国者でいらっしゃいました。
            さらに重光さんの重要性を言いますと、この方は、東京裁判有罪です。有罪ですけれど死刑じゃなかったので、復活して、鳩山内閣、と言ってもあのへんな鳩山内閣じゃなくて、お爺さんの鳩山内閣の副総理、外務大臣として、日本が1956年国連に加盟した時に国連に行って、日本が世界の懸け橋になると言って、万雷の拍手を受けた、そして、これで私の日本に対する務めは終わったと言って、帰ってくると、バッタリ倒れて亡くなったのです。それを聞いた国連が、黙とうをささげた。
            これは何を意味するかというと、東京裁判の戦犯なんてものはないんですよ。東京裁判のA級戦犯だった人が国連で黙とうをささげられているんですから。重光さん一人だけでも、東京裁判史観を覆すのは十分ですけれど、まだ日本人の中でも、東京裁判史観で、A級戦犯がどうだとかごちゃごちゃ言っている人がいる。重光さんが、どうしてもこれはたたえなければならないということで、重光賞も作られました。第一回の受賞者は深田さんですけれどもね。しかし、大東亜会議は語られることは今もほとんどありません。私の世代は思い出して
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            くれる人がいるというだけです。しかし、加瀬さん、頭山さんのご尽力によって、70周年記念大会がこうして開かれ、盛大に行われたことはまことにうれしいことです、私も中学一年生の時のあの記憶、あの感動がまた蘇ってきたような気がします。そして日本のこれからの外交方針では、すぐに直接出すといろいろ問題あるかもしれませんが、外交をやる人は腹の底で、この大東亜会議の精神を治めて、世界と交渉してもらいたいと思っております(終)
            posted by: samu | 講演会 | 10:16 | - | - | - | - |
            「 認識せよ、情報と謀略こそ国防の要 」櫻井よしこ
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              10月19日、シンクタンク「国家基本問題研究所」(国基研)主催のシンポジウム「国際情報戦をどう戦うか」で明らかになったことは、日本は戦前から現在に至るまで情報戦に完敗してきた国だという、今更ながらの事実だった。

              シンポジウムの論者は国基研副理事長の田久保忠衛氏、前防衛大臣の小野寺五典氏、国基研企画委員で朝鮮問題専門家の西岡力東京基督教大学教授だった。

              田久保氏は基調講演で春日井邦夫氏の『情報と謀略』(国書刊行会)の要点を紹介したが、その内容は衝撃的だった。

              春日井氏は、1965年から22年間内閣調査室で働いた情報の専門家である。25年生まれの氏が今年8月25日に出版したのが、第二次世界大戦を舞台にした前述の書である。

              日本が戦った大東亜戦争は第二次世界大戦の一部にすぎず、第二次世界大戦の主役はチャーチル、ヒトラー、スターリン、ルーズベルト、蒋介石だった、就中、真の主役はウィンストン・チャーチルだったと、田久保氏は述べる。

              チャーチルが全身全霊を込めて考えたことは二つ。如何にヒトラーとの戦いに勝つか、如何にルーズベルトのアメリカを参戦させるかだった。そのために彼は何をしたか。それが春日井氏の著書に、幾十幾百の具体的事例として描かれている。

              チャーチルは、自分の右腕だったカナダ生まれのスティーヴンスンをルーズベルトの下に派遣した。彼はイントレピッドという暗号名を持つ大物スパイだ。スティーヴンスンはヒトラーの野望は欧州だけではなく、必ずアメリカに及ぶとルーズベルトに伝え、アメリカは孤立主義を掲げて、反戦平和主義に耽っている場合ではない、と説いた。

              チャーチルはスティーヴンスンに二つのことを提案させている。英米による原爆の共同開発と、エニグマとして知られるドイツの暗号機の解読技術をアメリカに提供することだ。

              全力でエニグマを追う

              エニグマとは古代ギリシャ語で「謎」を意味するそうだ。オランダの発明家が特許を得た機械式暗号機をドイツの技師が譲り受け、それをナチスの公安諜報部が改良した。ナチスはこれを解読不可能と信じて広く使用し、38年には持ち運び出来るほどに小型化し、国境部隊に配布した。ヒトラーの各将軍への指示から部隊間の重要な連絡までが、エニグマを介して行われていたわけだ。

              情報こそ全ての力の根源である。イギリスは全力をあげてエニグマを追う。そして、エニグマの小型機がベルリン近郊の工場で量産されており、39年早々にトラックで輸送されるとの情報を得た。彼らはドイツ侵略の脅威に晒されていたポーランドの情報機関と協力して、エニグマ搬送の軍用トラックを待ち伏せし、攻撃した。工作員らはトラックを焼き討ちにする一方で、1台のエニグマを無傷で手に入れ運び去る。ドイツ側はトラック積載の全てのエニグマ機が焼失したと思い込まされた。

              奪ったエニグマはポーランドの首都ワルシャワ経由でロンドンに送られ、イギリスの天才数学者アラン・チューリングのほか、伝統的に数学に秀でていたポーランドからも数学者を呼びよせ解析作業を急いだ。これがナチスドイツによるポーランド侵攻の1週間前、39年8月末だった。

              エニグマを入手した連合国側は、戦争の終結までに、ヒトラーと部下の将軍間の連絡の大部分を傍受できるようになった。田久保氏が語る。

              「アメリカを参戦させるために、チャーチルは2年余り、努力をしたのです。そして遂に日本が開戦したのを見て、チャーチルはこの戦争にイギリスは勝ったと密かに思った。アメリカを戦争に引き込んだことはそれ程大きな意味があったのです。

              しかし、チャーチルはエニグマや原爆の共同開発だけでアメリカを動かしたのではありません。チャーチルはルーズベルトに、ナチ占領下にあっても、地下軍隊はゲリラ戦を展開する決意だと伝えています。イギリス国民は最後の一人までナチスと徹底的に戦う覚悟だと伝えたのです。アメリカに守ってもらうことばかり考え、自身では集団的自衛権の行使にも消極的な日本人との、これが大きな違いです」

              情報を読まれていたのは、日本も同様である。春日井氏は「41年までに、アメリカは日本最高レベルの軍事および外交の暗号を解読し、ついで、日本大使館で使用されていた複雑な暗号解読機の作製に成功した」と書いている。田久保氏は山本五十六元帥の戦死に関しても日本の暗号解読を確信するという。

              ミッドウェー海戦の情報は全部読まれていた。6機のゼロ戦機が護衛する中、編隊飛行していた各機の中で、米軍機の攻撃は一式陸上攻撃機の山本五十六機に集中した。ゼロ戦機のパイロットだった人物は、銃弾が自分の機を通りすぎて五十六機に集中するのを見てそう感じたと、田久保氏は元パイロットから直接聞いた。

              但し、情報が全て読まれているとの実感は、基地に戻っても口に出来なかった。そんなことを言えば殺されかねないと、パイロットは感じたそうだ。情報力で日本が極端に劣っているのは、現実を見ようとしないことに加えて、国家にとって情報の持つ意味を理解していないことが根本にあるのではないか。

              日本の情報戦の相手は中国

              22年のワシントン会議当時、全権の幣原喜重郎・駐米大使はひょんなことから、自身が
              送った電報の内容を米国務省が知っていることに気づく。そのことについて、幣原の回顧録『外交五十年』の文章を田久保氏が指摘した。

              「暗号の解釈は勿論筒抜けに国務省に入手されたに違いない。もしそうだとすれば、暗号を盗まれたおかげでアメリカでは幣原を一本調子な正直な人間として受け取ったであろうと密かに会心の笑みを漏らした次第であった」

              馬鹿もここまでくると救いようがない。情報戦における日本の遅れは戦前、戦中、戦後、さらに現在も同様ではないか。その典型が現在の慰安婦問題であろう。

              シンポジウムに参加した元内閣情報調査室長・大森義夫氏も語った。

              「世界には二つ、情報と謀略に優れている国があります。英国と中国です。とりわけ中国は庶民に至るまで、歴史的に、天性のものがあります。対照的に、日本の実力は大層低い」

              その中国がいま、日本の情報戦の相手である。主戦場はアメリカである。状況は容易ではないが、私たちは、中国はじめ世界が仕掛けてくる情報戦の渦の中で生き残らなければならない。日本国憲法前文に書かれている虚構の世界は存在せず、国家は自力で国民と国土を守るものであり、そのために、私たちは戦後の非現実的な思考を脱しなければならない。

              posted by: samu | 講演会 | 09:59 | - | - | - | - |
              正論懇話会・百田尚樹氏講演/「罪悪感でゆがめられ続けた日本人」
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                みなさんこんにちは。最近めちゃくちゃ忙しいです。忙しさの半分は朝日新聞たたき(笑い)。昨日も「そこまで言って委員会」(よみうりテレビ)の収録があり、朝日新聞の悪口を言いまくりました。

                 2週間前、読売新聞の幹部とお会いしたところ、「今、読売は朝日たたきに総力をあげている」と。朝日の慰安婦報道をただすチラシを作り、配ったらしい。私は「偉そうなこと言うなよ。あんたら、ずっと黙っとったやないか」と言いました。産経新聞が言うなら分かるけど。朝日が弱なったら、猫もしゃくしも朝日たたきです。

                 (「吉田調書」をめぐる誤報を謝罪した朝日新聞木村伊量社長の)記者会見は、ひどいですね。『所長の命令に反して(原発の所員が)撤退した』という記事が、検証した結果、誤っていましたという説明は大嘘です。あの日、なぜ朝日が謝ったか。政府が調書公開に踏み切ったからです。全部嘘がばれてしまうので「もうアカン、謝ってまえ」ていうことなんです。

                 ついでに慰安婦の吉田(清治氏)証言をめぐる誤報も謝った。(評論家の)宮崎哲弥さんらは「チェック機能がおろそかだ」というんですけど、そういう問題ではない。朝日は日本人をおとしめたいだけ。「日本は悪い国、日本人はなっていない」と言うことが第1の目的です。その目的のためにはどんな嘘もつくんです。

                 吉田証言も、歴史学者らが現地の済州島の人に聞いたら嘘やとわかった。それなのに、何年間もほっかむりしていた。
                私は今58歳ですが、小説家になったのは50歳です。それまで大阪で、バラエティ番組専門の放送作家として生活していました。

                 49歳の暮れ、「年が明けたらもう50やな。このままやったら、さびしいな」と思った。同時に「何かにチャレンジするには遅いわ…」とも思ったんです。

                 そのとき、私が担当していた番組「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送)で、20年近く前の「世界最高齢マジシャン」を取り上げた回を見たんです。

                 福岡の方で年齢は94歳。本職は整体師で、こちらは88歳のときに始めたというんです。49歳なんか、88歳からみたら、はなたれ坊主じゃないですか。そこで小説でも書いてみようかと思ったんです。

                 最初に書いた作品が「永遠の0(ゼロ)」です。ですから永遠のゼロの生みの親は94歳のじいさんだったわけです(笑い)。

                 私が生まれた昭和31年当時、大阪には戦争の跡がそこらへんにあったんです。だが、戦地に行った親戚も、(作家への転身を決意した時には)亡くなっていた。私の親父も末期ガンで余命半年といわれていた。あの大東亜戦争を戦った人が歴史の舞台から消えようとしているんだなと感じ、「次の世代に残さないといけない」と思ったんです。
                日本は70年の間、思想的にゆがめられてきました。

                来年がちょうど戦後70年。日本の占領期、米軍は徹底して日本人に贖罪(しょくざい)意識を植え付けた。「戦争で300万人が死に、都市が破壊されたのは、お前達が悪いことをしたんだ」と。これを「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争への罪悪感を植え付けるプロパガンダ戦略)と言います。

                今の日本人は、自分たちが悪かったと心の底から思い込んでいる。こういう贖罪意識が常にあったからでしょう。南京大虐殺や靖国参拝、慰安婦問題など、朝日新聞の捏造(ねつぞう)を日本人は素直に受け入れてしまいました。

                吉田清治という人が大嘘をつき、朝日が記事を書きました。善良な日本人は「私たちのおじいちゃんはこんな恥ずかしいことをした」と思ってしまいました。

                韓国は朝日の記事を利用し、日本人は20万人を慰安婦にしたうえ強姦した、とむちゃくちゃなことを言っています。

                3年前にスランプに陥りました。理由は東日本大震災です。「こんな状況で、小説を書いていても誰が読みたいのか」と思うと、半年くらい書けない状態が続きました。

                この気持ちが変わったのは、「日章丸事件」を知ったからです。放送作家仲間が教えてくれました。
                昭和28年、中東のイランで起きた事件です。

                イランの石油を支配していた英国の国営会社「アングロ・イラニアン」に対し、イランの首相が石油を国営化しました。すると、英国はイランを海上封鎖し、タンカーを撃沈すると脅しました。

                福岡出身で出光興産創業者の出光佐三は28年4月、反対を押し切り、自社のタンカー「日章丸」をイランに差し向けた。船長は英海軍の包囲網を突破してイランに入り、たんまりと石油を積み込み、遠く離れた日本に、丸腰のまま戻ったんです。

                この事件の資料を読んで体が震えた。全身汗びっしょりになった。

                人間ドラマがすごかった。何よりすごいのが、計画を立案し実行した出光佐三です。これほどの男がいたのかと思った。銭儲けだけではない。日本のために戦ってきた男です。

                出光佐三は終戦時は60歳だった。30年以上かけて築いた財産は敗戦ですべて没収され、失った。でも、そこから立ち直ったんです。

                敗戦から2日後の昭和20年8月17日、社員を集めてこう言いました。

                「日本は戦争に負けたが、3千年の歴史と誇りを失ったわけではない。日本は再び立ち上がる。世界は再び日本に驚くだろう」

                そして、海外から帰ってくる社員の1人もクビを切らなかった。社員は「もう一度出光のおっさんとやってみよう」と会社に残り、8年後、日章丸事件で世界を驚かせたんです。

                東日本大震災が起き、不況も重なった。でも69年前、日本はもっとひどい状況だったが、立ち直ったじゃないか。そんな思いで、「海賊とよばれた男」を書きました。
                「永遠のゼロ」と「海賊」を書いて気付いたことがあります。戦争を戦った男たちと、戦後経済を築いた出光興産の社員たち。彼らは同じ世代、大正生まれです。彼らは20歳前後の人生で最も素晴らしい時期を戦場で過ごしたんです。

                そして故郷は丸焼けでした。雨露をしのぐ住む家さえなかった。(昭和20年)当時の日本は地球上で世界最貧国だったんですよ。

                それがたったの約20年で、米国や英国が「不可能な技術」と言っていた高速鉄道(新幹線)を開通し、東京五輪を開催した。そして、GNP(国民総生産)で米国に次ぐ世界2位の経済大国になった。

                これは奇跡や。日本人全員が働いたのですが、もっとも働いたのは、戦争から帰ってきた大正生まれの男です。戦場で身も心もボロボロになったのに、丸焼けの祖国を一から建て直したのです。

                大正生まれ世代には本当に頭が下がる思いがします。大正世代は、ひと言でいうと「人のために生きた世代」。私は本当に素晴らしい国に育ちました。

                「永遠のゼロ」は、ゼロ戦のパイロット・宮部久蔵という架空の人物が主人公です。宮部の孫が、「自分のおじいちゃんはどんな男だったんや」と全国の戦友を訪ね歩く物語です。

                現在の豊かさの上にあぐらをかいたままあの世に行ったのでは、父親や親戚に顔向けできません。私があと何年生きるかわからないけれど、世のため人のために尽くして死にたいなと思います。今日はありがとうございました。

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                「日本の新聞はおもねる」 作家・曽野綾子氏

                長州「正論」懇話会の第5回講演会が27日、山口県長門市の「ルネッサながと」で開かれ、作家の曽野綾子氏が「世界の中の日本」と題して講演した=写真(中川春佳撮影)。

                曽野氏は、作家として63年間活動する中で、大手新聞社から、中国を批判したコラムの掲載を拒否された経験を紹介した。「産経新聞を除き、日本の大手新聞は言論弾圧を続けてきた。朝日新聞の問題でも明らかなように、日本の新聞はいろいろなものにおもねるので、自分ならどう考えるか、常に知的な空間で戦い続けることが大切だ」と訴えた。

                また、「私が何度も訪問したアフリカでは、国旗の前で立ち上がり敬意を払うことで、自分は危害を加える人物ではないと認めてもらえる」と述べ、日本の教職員組合が教育現場で国旗や国歌を長年、否定してきたことを批判した。

                posted by: samu | 講演会 | 09:37 | - | - | - | - |
                ニューヨークに興る日本ルネッサンス運動/西村眞悟
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                  十五日から、ニューヨークそしてポーツマスを訪れて二十二日の晩に帰国した。
                  アメリカ在住の日本人によって構成されている「ニューヨーク歴史問題研究会」を主宰するニューヨークの実業家である高崎康裕氏からの、元航空幕僚長の田母神俊雄氏とともに共同講演をするようにとのご依頼によって渡米し、同氏のお世話になって、ニューヨークから北のポーツマスまで足を伸ばすことができた。

                  まず、ニューヨークでは、田母神俊雄元航空幕僚長とともに「ザ・ユニバーシティークラブ」で講演をさせていただいた。
                  講演の演題は
                  「これからの日本を考える・・・国家の自立と安全保障問題」
                  主催は、「ニューヨーク歴史問題研究会」である。
                  この共同講演会は、事前に日本語新聞によって広報されており、百五十人ほどの皆さんが参加された。

                  また、会場の「ザ・ユニバーシティークラブ」は、ニューヨークの五番街角にある歴史を感じさせる重厚でクラシックな石造りの建物である。
                  ここで、百十年前の日露開戦に際し、当時の大統領セオドア・ルーズベルトとハーバード大学で同窓だった金子堅太が、
                  アメリカの政財界の主立った面々を招いて、対露開戦に至った経緯を説明し日本への支持を訴えた。このように、我が国にとって、忘れ得ない歴史的な建物だ。

                  従って、金子堅太が百十年前に日本の運命を背負って演説した同じ場所で講演をさせていただくことは、非常に名誉なことだった。同時に、緊張感がこみ上げてきた。
                  何故なら、あの時と同じように、我が日本は、岐路に立っているからである。

                  私は、まず、
                  昭和二十年二月二十三日に硫黄島の擂鉢山の山頂に星条旗を掲げようとしているアメリカ海兵隊兵士達の写真を会場に掲げた。この写真から、ワシントンのアーリントン墓地の入り口にある巨大なアメリカ海兵隊記念碑ができた。
                  そして、言った。
                  「我々日本人は、この写真や海兵隊記念碑を見て、そこに、「星条旗」だけではなく、翻っている「日の丸」を見なければならない。何故なら、この「星条旗」が掲げられた翌日の二十四日の朝、擂鉢山の上に翻っていたのは、この「星条旗」ではなく「日の丸」だったからである。
                  アメリカ軍は、驚いて擂鉢山を滅茶苦茶に砲撃し、日本兵を皆殺したと思って再び擂鉢山に登って「日の丸」を降ろして焼き捨てて「星条旗」を掲げた。
                  しかし、翌二十五日の朝、彼らが見上げた擂鉢山の上には、日本兵の血で染めた「日の丸」が翻っていたのだった。再び、アメリカ軍は狂ったように擂鉢山に大砲を撃ち込んだ。
                  何故、日本兵は、命と引き替えに「日の丸」を山頂に掲げに行ったのか。それは、兵士一人一人が、一日でも長く硫黄島を死守すれば、それだけアメリカ軍の本土空襲が遅れ、東京や大阪の子供達が疎開できて助かることを知っていたからである。
                  この「星条旗」しかない写真を見て、同時に翻る「日の丸」を見ることが、即ち、歴史を回復することである。
                  我々は、歴史を回復しなければならない。何故なら、
                  『過去は過ぎ去った日付けのところにあるのではなく、われわれとともにある。われわれは過去である』からだ(オルデカ・イ・ガセト)」。

                  次に、私は、「明治と現在」また「戦前と戦後」の連続性を実証して回復するために、
                  明治天皇が明治元年三月十四日に「五箇条の御誓文」と共に発せられた「国威宣布の宸翰」と
                  昭和天皇が昭和二十一年一月一日に発せられた「年頭、国運振興の詔書」(通称、新日本建設に関する詔書、もしくは、人間宣言)を配布して、我が国は、志において、
                  「明治と現在」また「戦前と戦後」は、
                  何ら断絶なく連続していることを説明した。

                  欧米諸国、例えば、アメリカは「独立宣言」によって、
                  フランスは「人権宣言」によって、「国家の志」を示す。
                  ならば、我が国は、
                  天皇の詔書と宸翰が、「国家の志」を示す!

                  遙かニューヨークの歴史の威厳がしみ込んだような重厚なルーム内に座る参加者の皆さんは、実に熱心に耳を傾けられ、共に天皇を戴く国家の同胞(はらから)であった。
                  私は、この充実した思いをもって講演を終えさせていただいた。

                  ところが、後で研究会の主宰者である高崎康裕会長の話を聞くと、このニューヨークの歴史問題研究会では、既に高崎康裕会長を講師として、天皇の詔書また教育勅語の勉強会を積み上げてこられており、年々会員は熱心になってきているということだった。
                  内地(日本国内)ではなく外地のニューヨークで、天皇の詔書、詔勅そして勅語の勉強会が何年も続いてきているのである。
                  むしろ外地であるからこそ、忙しい仕事を抱えながら、人々は内地よりも真剣に日本回復の為の勉強会を続けてこられた。

                  ニューヨークは、人種のルツボである。そのなかで、中国・朝鮮人が、声高に朝から晩まで、ありもしないウソを掲げて日本非難を繰り返し、近くのニュージャージーの町に「従軍慰安婦」の像まで建てて、日本軍によって朝鮮人少女二十万人が性奴隷にされたと説明している。
                  講演の翌々日、私は、高崎康裕会長の案内で、この「慰安婦」による反日宣伝の場所を訪れた。外国において、恥もなく、ここまでウソをつく韓国・朝鮮人のマインドには、哀れみさえ感じる。
                  しかし、同時に、「戦後特有の歴史忘却の隙」を突かれていることは確かであるから、人種のルツボのニューヨークにおいてこそ、真剣な自覚的な日本人のアイデンティティーと歴史の回復、即ち、「日本の回復」は急務となる。

                  中世から近世に転換する際に興った文芸復興を、ルネッサンスというのならば、今のニューヨークにおける「日本の回復」への努力は、戦後から脱却する際に興る「日本ルネッサンス運動」だ。
                  その担い手である、高崎康裕会長と会長が主宰するニューヨーク歴史問題研究会の皆様に、深く敬意を表して感謝する。

                  高崎会長のお世話になって訪れた日露講和の地ポーツマスについては後日語らせていただきたい。

                   
                  posted by: samu | 講演会 | 16:22 | - | - | - | - |
                  講演会/大東亜戦争の文明論的意義から/西尾幹二
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                    「戦後から戦前を見ている」という意味(講演会まとめ)

                    坦々塾会員 伊藤悠可

                     三時間に及ぶ講演はまたたく間に過ぎました。傍観をゆるさない言葉の力は西尾幹二先生特有のものですが、この日は特に胸に響きました。自分自身の問題として考えなければならず、部外者面ができない話がいくつも含まれていたからです。

                     展開は世界と日本、前後二つのフレームを用意され、第一次大戦後の遠い過去に罠を仕掛けた欧米と、民族の地熱によって近代的自我に目覚めた日本との文明的攻防の歴史をたどるというかたちを採られました。尖閣や慰安婦問題における不快と忍耐は、国際連盟成立時の英米の不可解な立ち回りからして、百年前と殆ど変わっていない事実を示されました。

                     しかし、狡猾、悪事、詐術にさいなまれながら、それを撥ね除け孤独な戦いをしなければならなかった歴史の運命を知り、危急において民族使命を恢復させた跡をたどり、わが国がこれからも、どのような信仰を得てどのように真実を追求していくべきか、という点が重要であるとして講演は進められました。このことはとりもなおさず、現下の日本人に投げかけられた命題にほかなりません。

                     人道や平和の守護者のような顔をして勝手な振る舞いをしてきたアメリカに、“人類の概念”を吹き込んだ「国際法」の誕生があること。翻って、わが国が孤塁を守るのではなく高い理想を掲げて世界を相手に戦えたのは、国体思想の礎をつくった水戸学が原動力であったこと。

                    これらを詳説されたことによって、改めて大東亜戦争に至るまでの彼我の足跡と交点がはっきり見えてきたのですが、ここでは私が急所と思われる一点に絞って考えを述べたいと思います。

                     同講演を告知するリード文にも挿入しましたが、西尾先生がしばしば、洩らしておられた数多ある戦争論や昭和史に対する感想。それは「戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るということをしていない」というものです。これを聞いた人はたくさんいるはずです。けれど、私は正直何を言っておられるのか、長い間わからなかった。

                     ――現代は戦争からとうに遠ざかった戦後である、その戦後を生きている人間があの戦争を論じる場合、当然戦後から戦前を見るということにならざるを得ない。戦前の人の目で戦前を見るというのは不可能である。一知半解で済ませるのは居心地が悪い。いったん棚に上げておこうとということで、そのまま卸せないできた。とにかくこんなに平易な言葉でこんなに不明になるとは解せない。

                     こうして放っておいたのですが、講演の後段ではたと悟るところがありました。「戦後から戦前を見ていて、戦前から戦前を見ようとしない」ひとつの例として、長谷川三千子氏の『神やぶれたまはず』を挙げられました。この夏に上梓され保守層読者の間で話題になっている書です。

                     タイトルは折口信夫が終戦直後に書いた詩「神 やぶれたまふ」に対するものであり、「昭和二十年八月十五日正午」という副題をみても、〈終戦〉を核にした論考であることは広告ですぐわかりました。購入し折口信夫、橋川文三、桶谷秀昭、太宰治と読み進めたところでした。私の知人の一人もまた賞賛していました。どこに感銘したのかと問うと、「終戦の日のあの瞬間、日本人が立ち返るべき特別の瞬間ということを教えてくれている」と言います。私より少し上の長谷川氏と同じ戦後生まれですが、終戦の日の追憶に深く共感したのでしょうか。

                     例えば、終戦の詔勅を聴いてとどめた河上徹太郎氏の有名な一節があります。記憶している人もあるでしょう。「それは、八月十五日の御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬である。理屈をいひ出したのは十六日以降である」。これについて長谷川氏はこう書くのです。―――「あのシーンとした国民の心の一瞬」といふ河上徹太郎氏のこの言ひ方は、舌足らずのやうでゐて、その「言葉にならぬ」絶対的な瞬間の相貌をよくとらへてゐる。

                     終戦の日のあの瞬間。全論考が玉音放送とその関連で書かれているわけではありませんが、〈特別の瞬間〉に対する静かな、そしてたしかな視線を注いだ、或いは注ぎ直して紡いだ長谷川氏の熱い思いであることはまちがいないでしょう。死を覚悟して散っていった人たちへの鎮魂の気持ちが込められていると言ってもよいものです。しかし、私は知人が共感したほどに感銘はしませんでした。立ち止まった保守知識人から出てくる〈情感の完成形〉を感じるのです。

                     講師もまたこの書を認めません。これを是としない語調は強いものでした。先生の発言をやや詳しく文字で再現しておきます。

                     「あの戦争でなぜ進んで死を選ぶことができたのだろう、などということを言いますが、私はおかしいと思っているんです。戦後の保守を含めて、どうして死を選べたのか、特攻隊はなぜ行けたのか、そういった興味ばかりです。戦争というのは生と死を越えていくのであって、また戦前まで日本人には大義の自覚があったのです。銃後の人にしてもそうです。なぜ死ねるのでしょうではなくて、なぜもっとよく戦えなかったのだろうと考えないのか」

                     「長谷川氏は終戦の瞬間に思いを寄せるが、そんな無時間・超時間の抽象ではなく、また八月十五日に至るまでの戦争の歴史ではなく、われわれ民族の世界史における使命に起った日本人があったんです。死は生物として恐れますよ。だが、歴史を自分の運命だと知っていた日本人はさっさと越えていった。死ぬことが生きることだと知っていたんです。あの戦争は正しかったというのが最大の鎮魂になるのではありませんか」

                     講師は、拝読してある種の疑問を抱かざるを得ないのです、といって上記の気持ちを語っていたのです。思うに、このとき、西尾幹二は文芸評論家でも思想家でも学者でもないのです。歴史の中の日本民族の一人として語っています。ということは、われわれもまたサラリーマンとして教師として元何々として聞いているわけではない。民族の一人です。

                     したがって講師は長谷川美千子氏の作品を批判したのではなく、作品以前に著者が見ている眼の先を批判したのです。戦争ができるまでに近代国家をつくりあげた父祖の姿が全然見えていないと先生が指摘したのです。

                     戦後から戦前を見る。それは恰も半分を見てあと半分は見ないということのようです。仕切りをつくって仕切りまでは見るが、そこから奥は見ないで引き返すということのようでもあります。いずれにせよ、私には、「一回終わった日本」と見ている人が片方にいて、もう一方に「戦いは一度も終わっていない」と見ている人がいるように映ります。そして戦前から戦前を見られるという人は、戦いはこれからだと考えているはずです。うまく表現することがむずかしいのですが……。

                     戦前から戦前を見る。これはどうか。「戦前の人の目で戦前を見るというのは不可能である」と右往左往した自分ですが、不可能ではないようです。先生が紹介した杉本中佐は死ぬ寸前まで、四人の息子に遺書を綴っています。これが『大義』になりました。世界史において使命を帯びるという意識で、「実はたくさんの議論が戦前はなされていたんです」と講師は強調されましたが、戦前の人間の、戦いに対する高い意識はいくらでも確かめてみることができます。

                     原随園は京都帝国大学の西洋史の先生ですが、昭和十九年に『戦力の根源』を発表しています。第一次欧州大戦の結末に冷静な研究を進め「ドイツの敗因は複雑なものがあるにしても、その有力な一つは戦力といふものを、単に武力に傾注して、他の国力を軽視してといふことにあった」と論断しているものです。「真の戦力とは単に武力ではなく、むしろ戦争に傾けられる国民の実力であり精神力でなければならない」。

                     この人は、武力戦の終結を以て戦争終れり、とするのは危険だと説いています。「衰へ行く道義心を以てしては、たとへ武力戦に於いて一旦の勝利を得るといっても、それは民族の永遠の歴史の上からするならば、敗北の第一歩でなくて何であるか」と書きました。そして「この恐るべき道義の低下を防ぐ道は、唯一つ民族使命の自覚あるのみである。この意味に於いても、民族精神の昂揚こそ真の戦力といひうる唯一のものである」と言い切っております。

                     真の戦力とは民族的自覚にほかならぬ。西尾先生が命題とされた冒頭の言葉と寸分変わりません。

                     もう一例を取りあげます。同時期に広島文理大学で理論物理学を研究していた三村剛昴教授は、米国が物量という新兵器を唯一の武器として日本にのしかかって来ているのに対し「日本独得の兵器とは何かといふと飽くまで日本精神なのだ。日本精神こそ独特の兵器であり何れの国も真似出来ない偉大な兵器である。これは現在、特攻隊としてその形がはっきりと現れている。特攻隊精神は新兵器中の兵器である」と高らかに主張しています。

                     この明朗さは、戦後から戦前を見てきた人にはわからないし、前者の議論にもこの後者の先生の主張にも、まったく戦後的なるものを見い出すことができません。生と死は問題外であったことは認めなければならないわけです。

                     昭和十一年当時、沖縄の尋常小学校六年の女子生徒が書いた次の作文はどうでしょうか。

                    ――日本の女子の覚悟
                    我々が毎日、安楽にくらす事の出来、学ぶ事の出来るのは何故でありませう。それは申すまでもなく大日本帝国民であるからです。一番大事な年は昭和十一年だといふことを校長先生や、集会ある毎の偉い人々から話を聞いています。何故非常時の一番大事な年かと申しますれば、それは今ロンドンにかいさい中に軍縮会議だそうです。我国は正義の元でいろいろの問題を提出しておりますが、連盟各国が此の問題をみとめてくれなかったら、時によっては戦争にならんとも限らないからであります。(略)世間には軍人だけが戦争をするものと考へる人もおるが、これは大ひにまちがったお話だと思ひます。(略)一朝ある時は男子に負をとらず、国防にあたらぬばならんと思ひます。(沖縄県八重山郡石垣尋常高等小学校 尋六 下地ヨシ=全国小学児童綴方集)

                    自らを保守だと言う人がこの講演会に来られ、「石油も何もないのになんであんな戦争をしたのか」と、戦後このかた幾百と聞いてきた戦前嘲笑をしていましたが、保守でも左でも中間でも何でもよいから、並ぶ店を間違えないでほしいと言いたい。「大ひにまちがったお話だと思ひます」。

                    私が雑誌の取材でお会いする、埼玉トヨペットの創業者で現会長の平沼康彦さん(九十三歳)は、特攻隊機を掩護する第二二四隊の戦闘機に乗り、四度不時着しながら生き残った奇跡の人です。「特攻隊が離陸した後を追ってわれわれも飛び立ち、その上空を編隊を組んで掩護して行く。もう大丈夫というところまでついて行って引き返してくる。無言の別れは何ともつらかった」と自著に書いています。八日市基地で玉音を聴いたのだが、ラジオの音が悪くて何もわからず、「ソ連が参戦したからお前たち頑張れって言っているんだろう」ぐらいにしか思わなかったと言います。

                    まもなく敗戦を知ったとき「勝ちはしないけど負けるのは早いよ」と思わず口に出していたそうです。「祖国のために死ぬのは当たり前と思っていたから、生も死も考えなかった」がそのまま本心です。掩護の途中、敵機と遇えば空中戦です。良く死ぬことが良く生きることであるということを体現してきた人で、こういう人はどこかケロッとしています。

                    私が戦前の目で戦前を見られているかどうかはわかりません。『大義の末』で杉本中佐を描いた城山三郎でさえも、戦前の目を遠くに置いて忘れ、戦後人の感覚だけになってしまったかと思われる時期があります。昭和五十年八月一日付の東京新聞(夕刊)に『真の勇者とは』と題するこんな随筆を書いています。

                    「『八紘一宇』とか『大東亜共栄圏建設』とか『鬼畜米英撃滅』とかの大合唱。それは非の打ちどころのない理想のように見えたが、実態はどうであったか。国をあげての大合唱のおそろしさ、愚かさ」。この平板な物の言い方はなんでしょう。

                    昭和十七年に書かれた田中晃(九州帝国大学助教授)の『生哲学』に、歴史の運命を受けとめ生きて死ぬこととは何かと、追求した部分があります。一節を引いてまとめにしたいと思います。

                    「日本民族の念願した永生は『七生報国』であって、個人としての永生ではなかった。そこに真の死を公の立場に於いてとらえた意義がある。公とは何であるか。それは個人を越ゆる物であるが、個人を断絶した普遍者ではない」

                    「いのちは生まれたものであるが故に、いのちの死もまた公なのであった。さすれば、いのちの生まれた源が国家であるとき、その国家に死することが真に公なのである。祖国の体験はそこにある。しかして祖国が、真に祖(おや)なる国としての原理的意義を有するのは、ただ日本に於いて云はれ得ることでなければならぬ」

                     戦前の日本人に具わっていて戦後の日本人に欠いてしまったものは何か。この講演で西尾幹二先生が投げかけた問題は、日本人である限り自分は例外だといえないものを含んでいます。
                    (了)

                    posted by: samu | 講演会 | 09:56 | - | - | - | - |
                    文化防衛論シンポジウム講演録/佐々木俊夫
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                      『「文化防衛論」と国防思想』
                                          


                      はじめに
                      よく、軍事思想とか戦略思想という言葉は耳にするが、国防思想とは一体どのように理解したらいいのだろうか。そして、それを文化防衛論の中からどのように読みとったらよいのか。それが私に与えられた命題である。
                      実は、文化防衛論の中に、国防思想に関する記述は多くはない。守るべき対象としての文化をどのように理解すべきかに多くが割かれている。そこで本論では、文化防衛論を主軸に、同論が世に問われた和43年前後に発表された他の論文も参考にしながら論を進めていきたい。

                      日本文化の危機
                      三島氏は文化防衛論の冒頭で、日本文化について「断弦の時があった」と言っている。占領政策によって菊と刀の永遠の連環が断たれたとき、文化の連続性が断たれたというのである。 それによって我が国に何がもたらされたのか?
                      三島氏は言う。
                      「平和愛好国民、華道や茶道の心優しい文化は威嚇的でない、しかし大胆な模様化を敢えてする建築文化は、日本文化を代表するものになった。そこには次のような、文化の水利政策がとられていた。すなわち、文化を生む生命の源泉とその連続性を、種々の法律や政策でダムにおしこめ、これを発電や灌漑にだけ有効なものとし、その反乱を封じることだった。すなわち、『菊と刀』の連環を断ち切って、市民道徳の形成に有効な部分だけを活用し、有害な部分を抑圧することだった。」
                       占領政策は、後期になると次第に抑圧が解かれていったが、何故そうなったのかについて三島氏は、占領政策が完成したからだと理解した。つまり、「断弦」が成功したと解釈したのである。
                       だからこそ三島氏は、断ち切られた弦を再びつなぎ合わせるために、文化防衛論を執筆する必要性を感じたのだろう。

                      守るべき文化とは
                      目に見える文化を守るだけで文化を守れるものではない。目に見えないもの、すなわち目に見える文化を構築してきた意識構造こそ守るべき価値である。たとえば、運慶や快慶の仏像、東大寺の大仏などの目に見える文化や、茶道や華道、歌舞伎など、目に見える様式を持った文化だけでなく、そうしたものを作り上げてきた私たちの内面にあるものを共有している集団、それが文化共同体としての日本である。ゆえに、文化を守ることとはすなわち、日本を守ることに他ならない。
                      一方で、目に見える文化を守るために、国民の精神を放棄した国もあった。
                      三島氏は第2次世界大戦におけるフランスで、ペタン元帥がパリに花開いた建築物や都市計画の足跡などの目に見える文化を破壊から守るためにパリを開城して降伏した例を挙げている。
                      「パリは、一フランスの文化であるのみではなく、人類全体の文化遺産であるから、これを破壊から守ることについては敵味方は一致するが、政治的局面においては、一方が他方に降伏したのである。そして国民精神を代償として、パリの保存を購ったのである。このことは明らかに国民精神に荒廃をもたらしたが、それは目に見えぬ破壊であり、目に見える破壊に比べたら、はるかに恕しうるものだった。」

                      これに対して日本の歴史は違うことを教えてくれる。日本は先の大戦において、東京を廃墟にされようとも敢然と戦いを挑み続け、各地で玉砕し、特攻を続け、敵国将兵を恐怖に陥れた。最終的に日本は敗れたが、目に見える文化を台無しにしてでも精神の維持を選択したのだった。
                      三島氏はよく、「私たちは日本文化の最後の継承者である」と言っていた。
                      私たちが日常使っている言葉も、米を炊いて食事を取ることも、木の柱を立てて家を作り、畳を敷いてそこで寝起きする生活様式も、鎮守の森で春には豊作を祈り、秋には収穫を感謝する祭を行うのも、全て今日ある文化は、今できたものではなく、長い時間的連続の果てに出来上がったものであり、時間のリレーを継承してきた最終走者が自分たちの世代である、という認識であった。
                      その過程で流行して新たに取り入れられて文化もあり、廃れて忘れられていった文化もあった。
                      そして、そのリレーは次の時間に引き継がれ、次の世代が最終走者としてその次の世代までを走り抜けるのである。
                      日本文化とは、今日形として現れているものだけではなく、それを創り上げてきた長い時間の連続=歴史=をも含み、且つ、それらを続けてきた人の営み=伝統=をも含むものなのである。ゆえに三島氏は、守るべき価値は家でも、土地でも、家族でもない、国でもない、と言っている。

                      三島氏は石原慎太郎氏との対談でも「守るべき価値」について議論しているが、石原氏がそれを「自由」だというのに対して三島氏は、自由は与えられたものであり、もっと根源的なところに守るべき価値があると指摘する。そして「三種の神器」に辿り着くと表白している。

                      守られるべき対象
                      「三種の神器」とは、皇祖天照大神以来、皇統に連綿と伝えられている鏡と剣と勾玉のことである。天皇は践祚に際してこの神器を受け継ぐ。天皇であることの印なのである。
                      我が皇統は神武天皇即位2673年の歴史を繋いでいるが、一度として途絶えることはなく、歴史の混迷に際しては天皇の存在が復元力として働いてきたことを三島氏はこの対談で指摘し、天皇の存在こそが日本が日本である所以であることを説いている。
                      世界には190有余の国が存在するが、それぞれに建国の意義を持っているからこそ存在していると言える。そうでなければ淘汰され、この地球上から消えてなくなってしまうのである。事実、滅んでいった国もあった。
                      アメリカという国は、信教の違いからイギリスを追われ、新天地を目指して作られた国である。そこにはさまざまな人種入り交じり、「自由」であることを至上として国が作られた。ゆえにアメリカは「自由であること」が存在理由といえよう。
                      イギリスは「イギリス国教会の教えを信じる」「女王陛下が統治する国」であって国王が存在してこれを統治することがイギリスの存在理由である。中国は中国共産党が、北朝鮮は金王朝が統治することが存在理由である。
                      では日本の存在理由とは何なのか?
                      別の見方をすれば、日本が日本でなくなるときとはいかなる時なのか。これを突き詰めて考えてゆくと「天皇」の御地位に辿りつくのである。天皇の存在しない日本が一体日本と言えようか。
                      三島氏はそう考えたのである。
                      その象徴的な存在として三島氏は守るべき最終の価値を「三種の神器」と言ったのである。

                      守る行為
                      では、守る行為とはどのように表現されるのだろうか。
                      それは常に剣の論理である。
                      非武装を主張する人々は、文化は文化で守り、言論は言論で守るなどと偽善ぶって恥じるところがないが、最終的に守る行為は剣でなければ果たせない。
                      昭和16年初頭、日米通商航海条約の期限切れを受けて日本はアメリカとの交渉に入ったが、既に対日戦を企図していたアメリカのルーズベルト大統領は言を左右にして交渉を長引かせ、最後にはハルノートを突きつけて日本に開戦を決意させた。最後に雌雄を決するのは常に剣の論理なのである。
                      しかし一方で三島氏は、剣はそうたやすく使われるものであってはならない、という。剣はいったん鞘を離れたらば、血を吸わねば鞘には戻れないものだというのである。
                      きわめて比喩的な表現をしているが、武力とは、最後の手段であって、武力が発動されたときは一切の逡巡なく敵を殲滅するために行動するものである。だからこそ武力の発動には慎重の上にも慎重を期さなければならない。
                      三島氏の市ヶ谷台での檄にも次の一文がある。
                      「我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。」
                      剣は、相手を斬ることを目的に抜き放たれるものであり、たやすく抜く剣は脅しでしかない。別の見方をすれば、剣はそう簡単に使ってはならないことを教えているのだ。それに加えて、その剣を使う人間について三島氏はこうも言っている。
                      「守るという行為には必ず危険がつきまとい、自己を守るにすら自己放棄が必須になる。平和を守るには常に暴力の用意が必要であり、守る対象と守る行為との間には、永遠のパラドックスが存在するのである。」

                      三島氏が言う「戦後の文化主義」とは、まさにこのパラドックスを回避して目を瞑り続けてきたものだったといえよう。
                      三島氏は「文化主義」という言葉に込められた意味を、守られる側に着目した、歌舞伎や茶道など形が見える、害毒がない文化にと捉えている。しかし実はそうではなく、血みどろの、血に塗られた行為まで含めて規定しなければ文化を明らかにすることはできない。それが三島氏が言う「文化の全体性」であり、全体としての文化こそが守るべき対象であり、そしてその中にこそ守る行為が含まれてくるのである。
                      「ダチョウの平和」という言葉がある。ダチョウは危険に遭遇すると、小さな頭を土の中に突っ込んで目を逸らすことで危険はないんだと思い込む。戦後憲法の精神を後生大事に抱え、日本が軍隊を持たなければ戦争に巻き込まれることはないんだと主張して非武装中立を訴えてきた勢力の人たちもまたダチョウの平和そのものと言えよう。

                      しかし同じ時期、多くの国民が非武装中立など絵に描いた餅に過ぎないと思っていた。だが彼らの多くもまた、そうした風潮から目を背けて、非武装中立論を指弾する人は一部に過ぎなかった。
                      三島氏が文化防衛論を通じて私たちに教えてくれていることは、偽善を暴き、真実に目を向けて、本来の日本を取り戻さなければならないのだということである。

                      剣の論理と自己放棄
                      守る対象と守る行為とのパラドックスについて更に考えてみたい。
                      かつて「人の命は地球よりも重い」と言い放った宰相がいた。本当なのだろうか?
                      人の命は大事だと人は言う。確かに大事だ。しかし最終的に守るべき価値なのだろうか?
                      人類の歴史は、自分の命を賭けてでも守らなければならないものが存在し、そのために命を賭けて守る行動をとる人たちがいたからこそ人類の歴史は今日まで続いてきたのである。
                      世界史の中で幾百、幾千の戦争があり、多くの命が失われてきたが、その歴史の積み重ねの中に日本という国もまた存在しているのである。もし仮に、私たちの歴史の過程で、命を賭けて守るという行為をしない時代があったとしたら、日本という国は今日存在していなかったかもしれない。
                      より具体的に考えてみよう。先の大東亜戦争の時代を私たちの祖先が戦うことを拒否していたとしたら、間違いなく日本は地球上から消え去っていた。日本は戦いに敗れたとは言え、200万余の陸海将兵が戦陣に倒れ、玉砕し、特攻を敢行したからこそ連合国は日本を恐れ、軍隊の無条件降伏を条件にポツダム宣言を出したのである。
                      もしそのとき我が国が国民を挙げて戦うことをしていなかったら、我が国は米国に蹂躙され、日本という名前さえ消されていたかもしれないのだ。
                      私たちの祖国日本の2600年に及ぶ歴史は、常に危機に際して、自分の命以上に大事なもののために、自らの命をなげうって戦ってきた歴史の連続であったといえよう。そういう意識を奪われてしまった戦後の日本人に対して、そういう死生観があったことを教えてくれたのも「文化防衛論」であった。
                      実は、このような考え方、死生観は今日の我が国にも存在している。自衛隊員は任官するに当たって宣誓をするのであるが、その内容がまさにこれに合致しているのである。参考までに全文を紹介しよう。

                      宣誓 「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感を持って専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います。」

                      このように自衛官は、自らの職務を全うするためには「危険を顧みず、身をもって責務を完遂」するのである。彼らは職務達成のために命を賭けることを誓っている。
                      ここで矛盾が生じる。
                      人の命は大事だと言うが、では自衛官の命は大事ではないのか?
                      答えは簡単である。人の命は守るべき最終の価値ではないということだ。命を擲ってでも守るべき価値が他にあるのだということを教えてくれているのだ。三島氏は、己の行動を通じてその価値を見せてくれた。それが昭和45年11月25日の行動であった。


                      最後に−国防思想とは何か?
                      国防思想とは、守るべき価値を提示し、守るべき方法に着目し、自己犠牲を必須とする守るための行為を為すだけの自覚を植え付けることであろう。
                      三島氏は文化防衛論において、守るべき価値を文化と規定した。
                      しかしその文化は単に「目に見える」形としての文化ではなく、「目に見えない」人々の意識や行為をも含んだものである。
                      文化とは、一朝にしてできあがるものではなく、人々の長い長い時間の連続の果てにできあがるもので、その時間をふくめて文化は守られなければならない。そして時代と共に揺れ動く風潮の中で、天皇の存在が軸となって反動と復元を繰り返し、日本のあるべき姿を作り上げてきた。
                      だからこそ、守るべき最終の価値とは「天皇」なのだ、との結論にいたる。
                      守るべき価値とは、自分の命を賭けてでも守らなければならないものである。その意味においてもそれは「天皇」であった。
                      私たちの祖国日本の歴史もまたそれを教えてくれている。日本人としての自覚を断たれて=断弦=しまった今日、私たちは、日本の復元力の源泉として、再び文化防衛論に注目すべきであろう。
                                    (ささきとしお氏は三島研究会幹事。軍事研究家)

                       (この文章はメルマガ「三島由紀夫の総合研究」からの転載です)。
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                      posted by: samu | 講演会 | 10:53 | - | - | - | - |