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まるでスーパーの野菜のよう? 没個性に陥った日本人/加瀬英明
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     この夏は長雨が続いたので、野菜が不作で値上がりしている。

     それにしても、スーパーや、百貨店の地下食品売り場を覗くと、トマトも、茄子も、胡瓜も、ホウレンソウも、みな形が揃っていて、見た目がよい。

     だが、私の学生時代には、野菜の形が揃っていなかったが、このごろの野菜よりも、どれも瑞々(みずみず)しくて、味がよかった。ホウレンソウは茎が赤くて、緑が濃かった。

     いまでは、市販されている野菜は、見た目だけよいが、本来備わっている個性的な味がない。

     人についても、同じことがいえるのではないか。

     民進党の党大会の直前に、NHKで前原誠司氏と枝野幸男氏の討論を見ていたら、前原氏が「安保関連法を見直して、憲法の専守防衛の精神に戻るべきだ」と、主張していた。

     その翌日、民放テレビが防衛省の概算予算要求を取り上げていたのはよかったが、防衛省が島嶼防衛のために、対艦ミサイルの開発に取り組むのを、識者が「射程が長いので、外国を攻撃することができるから、憲法に抵触する」と、批判していた。

     北朝鮮がつぎつぎとミサイルを発射して、日本と周りの海が北朝鮮のミサイル試射場となっている時に、「専守防衛」とか、「憲法に抵触する」と、宣(のたも)うておられるのだ。

     北朝鮮の猖週”は、日本国憲法に抵触するものだが、残念なことに日本国憲法は、北朝鮮を拘束する力がない。

     もちろん、前原氏も、テレビ局に招かれる識者も、この半世紀以上にわたって日本を支配してきた、「良識」を代表している。前原氏も識者も日本国憲法の限界に、気が付かないのだろうか?

     「専守防衛」とか、「平和憲法に抵触する」と叫ぶのは、アメリカが親替りとなって、日本という少年を守り続けてくれると、信じているからなのだろう。

     アメリカ軍の占領下で、マッカーサー元帥が「日本人は12歳だ」と発言した時に、日本の大新聞がこぞって大きく取りあげて報道したが、アメリカの占領が終わってから60年以上もたっているのに、いまでも大多数の日本国民がアメリカに甘えて、まだ12歳で留まりたいと、願っているにちがいない。

     もっとも、日本に猗麌霑憲法”を押し付けたマッカーサーのほうが、11歳だったと考えるべきである。

     今日でも私たち日本人は、「よい言葉を発すると、自分を包む環境がそうなる」と信じる、言霊信仰によって呪縛されている。

     「平和」と揮号された書を飾っていれば、平和になるとか、千羽鶴を折れば、核攻撃から身を守れるといった思い込みである。

     「平和憲法」とか、「専守防衛」といった言葉によって、騙されてはならない。

     8月に入ってから、岐阜県の介護老人ホームで、3人の入所者の老人が死亡し、2人が重傷を負う事件が発生した。老人ホームの名前は、「やすらぎ」だった。また、関東の大型総菜屋で売られたポテトサラダによって、O157感染者があいついだ。店の名は「デリシャス」(美味しい)だった。

     今日、国民を呪縛している「良識」は、非常識なものだ。国民全員が見た目だけがよい、形も、味も没個性な野菜のようになってしまっている。個性ある見識を大切にしたい
    posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:09 | - | - | - | - |
    男女共同参画社会/藤岡信勝
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      西欧と日本を比べると、歴史的に見て女性の人権はどちらがより尊重されてきたか、という問題について、伝統的女権論者やフェミニストの見方はその矛盾が暴露され、根拠がないどころか、まるで事実と反対のことを愚かにも未だに信じ込んでいる、といった体たらくであることを目撃する機会がありました。
       なでしこアクションの山本優美子さんなどのオススメで、慰安婦問題の誤りを正す活動に取り組んで来たわれわれも、昨年の2月、内閣府の男女共同参画社会関連の部局が主催する会合に出席しました。そこは左翼フェミニスト団体と、同じ問題意識を共有しているらしい女性官僚の和気藹々の話し合いの場で、長年、「異分子」の闖入などなしに仲良くやってきたもののようでした。
       この席で面白いことがありました。フェミニスト団体の女性たちは、国連の調査統計だかなんだかを引っ張り出して、日本の女性の町内会長の比率が小さいとか言って、女性の社会参加の度合いがいかに欧米に劣っているかを、悲憤を込めつつ満足気に語っていました。
       ところがその時、会場から手をあげて発言した女性がいて、こういう調査はもともと西欧...人の偏見に基づいていてあまり意味がない、そもそも、日本の女性が欧米の女性に比べて社会的権限が制限されているというのは根拠がない、日本では伝統的に、女性が財布の紐を握っていたのであり、家庭内の権限の配分においても、女性は決して虐げられていたわけではない、という趣旨の発言を堂々と説得力をもっておこなったのです。
       フェミニスト諸氏はこの発言に、鳩が豆鉄砲を食らったようにポカンとして、何が起こったのか一瞬理解出来ないようでした。実際、史実に照らしてみれば、西欧では女性の権利が昔から尊重されてきたなどというのは、真っ赤なウソといえます。
       中世から近代にかけてヨーロッパ人のお婆さんの鼻曲がりの顔を描いた絵がありますが、あれは日常的に絶えず夫から顔を殴られていたために、ああいう顔が有夫の女性の代表見本になったということです。
       さっきの、財布の紐の話に関連づけて言えば、英語に husbandry という単語がありますが、これは「やりくり上手」と訳します。家計のやりくり上手がどうして夫(husbannd)とのみ関連づけられるのかというと、欧米の社会では、財布は夫がもっていて、妻にはお金を支出することについて決定権がない習慣が続いてきたからです。
       これは慰安婦問題と重要に関わる論点で、女性が銀行口座を開くことなど西欧社会では想像も出来ないことでした。最近でさえ、主婦が銀行口座を開こうとするとかなり面倒なことを要求されるらしいです。この情報は、フランスで日本企業の現地工場の役員として居住したことのある人から教えられたものです。
       ところがどうでしょう。日本軍の将兵を相手に営業していた戦地遊郭の女性は、郵便貯金の口座をつくり、大金を貯金していたのです。終戦時には、韓国で10軒もの家を買えるほどの貯金をしていた女性もいました。こういう立場にいた「慰安婦」と呼ばれた女性を、「性奴隷」と定義するなど、とんでもないフェイク・ヒストリーです。
       藤木俊一氏は、この話を、「郵便貯金通帳を持った『性奴隷』」という標語でまとめています。こういう短いフレーズにしておくと流通しやすくなります。今度発足した「真実の種」を育てる会は、こういうことを1個1個、「単位化」して登録・集積するようなことをしていくことになると思います。
       それにしても、左翼系の学者が執筆した歴史教科書には、江戸時代の「女大学」などを引用して、いかに女性が虐げられていたかが書かれています。近代日本の知識人は、何によらず、「近代的で進んだ西欧vs遅れた封建的な日本」という図式で全てのものごとを理解しようとしました。時代遅れの現在のフェミニストもその名残りです。
       そう思っていたところへ、歴史問題でかねてから興味深い発信をされているフェイスブック・フレンドの上野貴寿氏が、「レディー・ファースト」について、従来の解釈の間違いを指摘する投稿をしました。以下、引用します。

      ◆上野貴寿氏のタイムラインから引用

      【レディーファーストという習慣があります。女性に先を譲るという習慣です。しかし、この習慣は女性を囮にする「女性蔑視」から生まれた習慣です。

      治安の悪い西洋では、ドアを開けて中に入ろうとした瞬間にドアの中の暴漢に襲われるというのが日常茶飯事でした。

      その暴漢から逃れるために女性を囮にして先にドアをくぐらせ自身の安全を図ったという習慣が慣習化したものです。

      元々は女性を優先したわけでもなんでもなく、女性を盾にした結果生まれた習慣です。

      日本では女性は三歩下がって影も踏まずと言われましたが、これは暴漢が襲ってきても先を歩く男性が死に物狂いで暴漢と戦い、後ろに離れて付いてきている女性には被害が起きないように守るための習慣でした。

      大陸と島国では価値が真逆です。しかし、レディーファーストを何か女性を持ち上げる紳士の行動だと勘違いしている人が多いようですが、レディーファーストとは女性を暴漢の盾とした習慣の名残なのです。

      そして日本の女性は三歩下がって影も踏まずという習慣を女性蔑視の様に非難する人がいますが、これも女性を守る為の行動だったのです。】

       私も「レディファースト」については、ちらっとこのように考えたこともありましたが、こう説明されると、なるほどと思います。今、日本の政界では「ファースト」ばやりですから、多くの人の興味を引く可能性もあります。
       ただ、これについて、私は次の2点ほどの検討課題をあげて、保留にしたいと思います。

       ,海硫鮗瓩正しいことを裏付ける資料を公表していただきたいこと
       他方で、Give the wall.という表現も英語にあります。道を女性と二人連れで歩くとき、
        女性に壁側を歩かせるというもので、危険は男性が負うべしという格言として理解し
        てきました。この理解は正しいでしょうか。正しいとしたら、欧米の社会でも両面が
        あったということも視野に入れるべきではないか、とも思います。   (以上)

      posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:52 | - | - | - | - |
      経済状況/2017.8
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        posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:14 | - | - | - | - |
        【北海道が危ない・特別編】
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          産経新聞の連載「異聞 北の大地」(産経ニュースでは「北海道が危ない」で掲載)の筆者、宮本雅史編集委員が案内役として同行し、外国資本に買収された北海道の森林や水源地などをめぐる特別ツアー(産経新聞社主催)が7月23、24の両日開催された。

           8市町村を中型バスで走破し、2日間の総移動距離は約900キロに達した。住宅地、ゴルフ場跡地、大学、山林など10カ所以上を訪ね歩き、外資による「国土侵食」が加速している事実を確認した。

           ツアーは記事と連動した新しい試み。募集期間は実質20日間と短かったが、最終的に計20人が応募。定員を満たし、出席率は100%だった。

           年齢層は30〜70代と幅広く、職業も、自営業、公務員、地方紙社長、住職、タクシー運転手、主婦などさまざまだ。国会議員も「個人」で申し込み、山谷えり子元拉致問題・領土問題担当相、山田宏参院議員が駆けつけた。男女の内訳は男性13人、女性7人だった。

           ■謎の大型アンテナ 

           23日午前8時半、羽田空港を出発し、午前11時前に最初の目的地である新千歳空港に近い千歳市内の中国人専用別荘地に到着した。

           別荘地は高台にあり、航空自衛隊千歳基地が一望できる。基地まで直線距離で5キロ。安全保障上、極めて重要な場所だ。

          ここに中国人名の表札がある住宅17棟(敷地面積約6500平方メートル)が建っている。この一角は家具・インテリア大手の「ニトリ」の子会社が中国人向けに分譲し、2010年に完成したが、不気味なほど人気がない。

           千歳市は誰が住んでいるのか把握していない。たまに中国人が泊まりにくるが、ほぼ空き家状態が続いているという。

           ツアー一行は公道から別荘地を観察した。目をひいたのは、中庭にあった大型アンテナだ。

           衛星放送視聴用のアンテナとみられるが、不自然なたたずまいといえる。参加者らは「本当にテレビ視聴用なのか」と首をかしげていた。

           ■苫駒大の「中国化」

           次に向かったのは苫小牧市内にある苫小牧駒澤大学だ。苫駒大は中国と関係の深い京都市の学校法人に無償で移管譲渡することを決めた。この学校法人の理事の1人が中国共産党員であると指摘する駒大関係者もいる。移管譲渡は国の認可が必要だが、このままでは苫駒大が「中国化」する可能性は否定できない。

           公道にバスを止め、一行は15ヘクタールもの敷地を誇るキャンパスや野球グラウンドを眺めた。

          参加者からは「かつて東京都小平市の朝鮮大学校は『トランジスタラジオの製造工場』と偽装して移転した。苫駒大も、朝鮮大学校の二の舞になるのでは」との意見が出た。

           ■「ゴルフ場が…」

           3カ所目は、登別市上登別町にある中国風テーマパークの跡地だ。周囲が森林で、通行量も少なく、外からは中の様子がほとんど見えない。中国系企業が70ヘクタールも買収しており、2018年の稼働を目指し、太陽光パネルの設置を進めている。

           一行は重機が見える入り口で、掲示されている看板を確認した。すると、新たに73ヘクタールの森林に宅地を造成する計画があることが判明した。

           工事期間は「平成29年7月3日から平成30年6月30日まで」と記されていた。この付近は豊かな水源地だ。太陽光パネルができ、宅地ができれば森林内で「自活」できる。工事は着々と進んでいる様子だった。

           続いて訪れたのは、伊達市内の山林内にあるゴルフ場「トーヤレイクヒルゴルフ倶楽部」跡地だ。2010年に中国資本が買収したが、ほぼ手つかずで放置されている。一行は廃墟のようなクラブハウス周辺を歩き、給油施設のみが稼働している実態を確認した。中国人の出入りがあるのは間違いなさそうだ。

          宮本編集委員は「ゴルフ場は開墾する必要がないから利用しやすい。宅地、農地にも転用でき、水の確保も容易だ。『自給自足の自己完結型集落』、すなわち中国人による『自治区』になる可能性がある」と解説した。

           ■洞爺湖畔の温泉で夕食

           初日の最後の視察地である洞爺湖町では、不動産投資を展開する中国関連企業が買収した同町月浦地区の温泉施設跡地に足を踏み入れた。森林を含め7・7ヘクタールもの土地が買われた現場だ。

           跡地駐車場に一行が到着すると、測量の際に使用したとみられる紙の印が残っていた。中国系資本の「侵食」の加速化を目の当たりにした瞬間だ。

           洞爺湖畔の宿泊先では、宮本氏を囲んだ夕食会も行われ、リラックスした雰囲気で参加者が親睦を深めた。

           山田宏氏は「今日は1人1人が志を持って参加したと知り、感服した。みなさんの国を愛する思いは大事にしなければならない。法案をつくってなんとしても対応したい」とあいさつ。

          山谷えり子氏も「米国では外国資本が土地を自由に購入できないようにしている。何年もこの問題に取り組んでいるがまだ結果が出ていない。一刻も早く対応していきたい」と語った。

           ■中国人青年が凝視

           2日目最初の視察先は、喜茂別町の中国人専用ゴルフ場「一達国際 Private Golf 倶楽部」だ。奥深い山の中にあり、石が敷き詰められた砂利道を進んだ。

           入り口付近でバスを降りると、「これより先、私有地につき関係者以外立ち入り禁止」の赤い看板が目に入る。視察中、中国人らしき青年が運転する乗用車が通過、山奥に突然登場したわれわれを奇異の目でみつめていた。

           ゴルフ場は210ヘクタール(東京ドーム45個分)もある。塩漬け状態のゴルフ場を2011年に中国企業が買収したが、開発計画の全貌など詳細はは明らかになっていない。

           ゴルフ場付近はやはり豊かな水源地だ。一行は羊蹄(ようてい)山の雪解け水が湧く京極村の「道の駅」にも立ち寄り、名水を堪能した。道の駅は中国人や韓国人の観光客でにぎわっていた。道の駅内の灰皿にはビニールシートがかけられていた。売店の女性店員によると、中国人観光客らがゴミを灰皿に突っ込んで使えなくしてしまうからだという。

           次に訪れた赤井川村では、270ヘクタール(東京ドーム58個分)あるキャンプ場を公道から視察した。このキャンプ場はシンガポール企業が昨年買収した。貴重な水源地の森林が「まるごと」外資に購入された典型例といえる。

          同村でも、一行は驚きの事実を発見した。キャンプ場そばの森林も、新たに買収された形跡を見つけたのだ。

           そばの森林にはキャンプ場のロゴマークの入った看板が立てられており、「私有地につき立入禁止」の文字が掲げられていた。

           参加者たちは「これほど森林を購入する目的がわからない」「やはり自治区をつくるつもりではないか」などの声を上げた。

           ■必要不可欠な法規制

           最後の視察地は小樽市の観光名所「平磯公園」そばの日本料理レストランだ。この場所は小樽市街、米軍艦船が出入りする小樽港が一望でき、「重要眺望地点」にも指定されている。この場所を中国系企業が購入し、昨年6月からレストランの営業を始めた。

           3方を崖と森林に囲まれているため、中の様子はよくわからない。一行は車窓からレストランを眺めたが、営業している雰囲気はなかった。 

           一行は今回のツアーで、想像以上に「国土侵食」が進んでいる実態を目の当たりにし、改めて法規制の重要性を痛感していた。

           アンケートでは、「産経新聞しかできない企画だった」「大変な社会問題なのに世間は無関心過ぎる」「次回は対馬ツアーを希望」といった意見があった一方、「国、政府の無策ぶりに驚いた」との感想もあった。

          宮本編集委員は「これは『武器を持たない戦争』だ。われわれは武器を持たない戦争を仕掛けられている。政府の責任は重い」と繰り返し警鐘を鳴らした。

           ツアーでは宮本編集委員の著書「爆買いされる日本の領土」(角川新書)をガイドブックとして使用した。(新プロジェクト本部 山本雄史)   

               

          posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:29 | - | - | - | - |
          【裁判闘争記】「慰安婦=性奴隷」説の上告人に最高裁で勝訴確定/桜内文城
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            昨日(6月30日)、何の前触れもなく最高裁判所第一小法廷から簡易書留で自宅に「決定」が届いていました。開封すると、主文として「本件上告を棄却する。本件を上告審として受理しない。上告費用及び申立費用は上告人兼申立人の負担とする。」との記載がありました。

            この瞬間、2013年6月14日に内容証明郵便が届いて以来、4年余りにわたり司法の場を舞台とした「慰安婦=性奴隷」説をその著書の中心的命題とする上告人(原告・控訴人)吉見義明中央大学教授との闘いにおいて、「これは捏造」と発言した私の勝訴が確定したのです。

            弁護団の皆様をはじめ、日本、そして日本人の名誉と尊厳を守るために共に闘っていただいた全ての皆様に心より感謝申し上げます。

            この裁判が提起されたのとほぼ同じ時期(2013年7月)に米国カリフォルニア州グレンデール市に慰安婦像が設置されました。その碑文には“In memory of more than 200,000 Asian and Dutch women who were removed from their homes in Korea, China, Taiwan, Japan, the Philippines, Thailand, Vietnam, Malaysia, East Timor and Indonesia, to be forced into sexual slavery by the Imperial Armed Forces of Japan between 1932 and 1945.”「日本軍に強制的に性奴隷にされた20万人以上の(主にアジア各国の)女性」と刻まれていますが、設置を決める市議会の公聴会での意見陳述の場で推進派は吉見義明中央大学教授の名前を挙げており(2014年、山崎澄夫、「すべては朝日新聞から始まった『慰安婦問題』」p.55)、その影響力の強さが伺えます。

            確かに、彼の英訳本「Comfort Women: Sexual Slavery in the Japanese Military During World War II」(p.29)には、”First, the military comfort women system was a system of military sexual slavery.”「第一に、軍用慰安婦制度は、軍用性奴隷制度だった。」という無限定かつ断定的な記述の他、慰安婦の数について“It is estimated that the total was between fifty thousand and two hundred thousand women.”「全部で5万人から20万人の間と推計される。」との記述もあります。彼の英訳本が慰安婦像の碑文の根拠とされた可能性は否定できません。

            それだけではありません。提訴後(2014年8月5日)、朝日新聞が自ら誤りを認めた1992年1月11日朝刊の記事「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」等の資料を朝日新聞に提供したことを訴状にも記載しています。すなわち、『日本軍「慰安婦」問題に関しては、1992年1月11日、防衛庁(当時)防衛研究所図書館において、「慰安婦」の募集、慰安所の設置・管理等に日本軍が深く関与していた資料を、原告が初めて発見して発表したことで、「慰安婦」問題に関する日本政府の責任が明らかになり、このことが今日にいたる日本軍「慰安婦」問題の浮上のきっかけとなった。』と自らが慰安婦問題の火付け役であることを自慢しているのです。

            このように、彼はこれまで20年以上にわたって、朝日新聞への資料提供や英訳本の出版等を通じて、「20万人の性奴隷」という嘘と捏造を日本国内のみならず世界中に撒き散らすことによって、日本人の名誉と尊厳を著しく貶めてきました。それだけでは飽きたらず、彼は、更に、今回の裁判を通じて、日本の裁判所に慰安婦が「20万人の性奴隷」であったと認めさせようとしたのです。しかし、昨日の最高裁での私の勝訴確定によって、その策謀は挫折しました。

            そもそも慰安婦は「性奴隷」ではありません。国際法上、奴隷は禁止されており、その犯罪構成要件は明確です。要するに、奴隷とは所有権の客体であって、当然、民法上の権利能力がありません。従って、もし慰安婦が性奴隷であったならば、売春契約を締結することすらできなかったはずなのです。だからこそ私は「慰安婦=性奴隷」説について「これは捏造」という真実の発言をしたまでです。どれだけ彼が「慰安婦=性奴隷」説を半生を懸けた中心的命題としようが、「慰安婦=性奴隷」説が捏造であることは明らかです。

            4年余りという長きにわたる裁判の感想ですが、昨年9月の東京高裁での最後の意見陳述の一部を再掲してこれに代えます。「訴状及び準備書面において、控訴人は『研究者の名誉』という言葉を何度も繰り返してきた。実は、被控訴人も、分野は違えど博士号を有する研究者である。しかし、訴状及び準備書面を見る限り、控訴人は研究者として最低限の基礎的素養を意味する博士号を取得しているようには見受けられない。控訴人は、偉そうに『史料批判』という研究者らしい言葉を繰り返したが、その実、自らの仮説に都合の良い史料のみをつまみ食いしただけではないか。ましてや、本日、事実審の最後の最後の意見陳述においても嘘と捏造を繰り返すような者は、断じて『研究者』の名に値しない。仮りにも『研究者』と称するならば、法廷で嘘と捏造を繰り返し、その歪んだ政治的イデオロギーを訴えるよりも、文献で自らの学説を主張すべきだったのではないか」と。

            彼らは、このような反論のブログをも更に訴えてくる可能性があります。控訴審でも、一審判決に関する私のコメントで更に名誉が毀損されたと主張しているほどです。そもそも彼らが訴えてこなければ反論の必要もないのに、一体、何を言いたいのでしょうか。

            今回の最高裁判所での勝訴確定を受けて、できるだけ早い時期にこの裁判の発端となった外国人記者クラブで記者会見を開いて裁判の結果を報告したいと考えています。「慰安婦=性奴隷」説について「これは捏造」という同じ場所での発言について、「慰安婦=性奴隷」説を中心的命題とする著者が名誉毀損として損害賠償請求訴訟を提起してきたが、返り討ちにした旨の会見になろうかと思います。ぜひご期待ください。

            最後になりますが、裁判は確定したものの、彼らは慰安婦問題に関する組織的な活動を止めようとはしません。日本人の名誉と尊厳を守るため、政治家として、これからも微力を尽くして参る所存です。今後ともどうか宜しくご指導の程お願い申し上げます。

            posted by: samu | 頑張れ日本 | 22:34 | - | - | - | - |
            百年前の日本人の義侠心と遺徳を甦らせる/西村眞悟
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               平成二十二年(2010年)四月二十二日、イスラエル建国六十二周年記念式典に出席する為にイスラエルを訪問した。その旅の途上、エルサレム近郊で、モサドという通称をもつイスラエル諜報特務庁長官を務めたナホム・アドモニ氏に会った。
               アドモニ元モサド長官は、夫人のニーナさんを同行していた。その理由は、私が日本人であるからだった。元長官との話が一段落した後、夫の横に座っていたニーナ夫人が私に言った。
                七十年前、七歳の時、両親に連れられてシベリアから満州を経て船で敦賀に着いた。  そして神戸に移り、日本の人たちに大変親切にしてもらった。そのことを忘れたことはない、感謝にたえない、日本人にお礼を言いたい、と。今は亡き父母とともに日本にいた七歳の時の情景を回顧する美しいニーナ夫人の目に涙がたまっていた。ニーナ夫人は、ナチスのユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れるヨーロッパからシベリアを経由して満州から日本に逃れてきた幼いユダヤ人達の一人だったのだ。
               この時、我が国の関東軍と政府は、ヨーロッパを逃れてシベリア東端のソビエト・満州国境で足止めされていた大勢のユダヤ人達の満州通過の便宜を図り、ある時は特別列車を仕立てて満州を通過させて、上海のアメリカ租界や日本への渡航を支援した。そのユダヤ人の総数は二万人に達するといわれている。
               この我が国のユダヤ人救出に関して特に有名なのは、ハルビン特務機関長であった樋口季一郎大佐であるが、樋口に限らず、当時の我が国の首脳、即ち、後のA級戦犯全員は、全てユダヤ人救出に積極的であった。何故なら、我が国は、「八紘一宇(世界は一つの家)」を国是として、満州においては、「五族共和」を掲げていたからである。そして三国同盟を口実に、我が国にユダヤ人迫害を要請し、我が国のユダヤ人救出を非難してそれを止めるように迫るナチスドイツに対し、例えば、東条英機将軍は、同盟はしたが属国ではないとドイツの要求を一蹴し、板垣征四郎将軍や荒木貞夫将軍そして文民の廣田弘毅は、我が国の国是は「八紘一宇」であり人種差別はしないと明言したのだった。
              もちろん、駐リトアニア領事館の杉原千畝領事が、外務省の訓令に反して、(その当時から現在に至るも、我が国外務省は外国の圧力に弱い、 昔はナチスドイツ、今は中共と北朝鮮の圧力に弱い)、昭和十五年七月から八月の間に、約六千名のユダヤ人 にビザを発行して彼らをヨーロッパから脱出させて命を救ったことは有名である。
               しかし杉原より以上の数万のユダヤ人難民を関東軍が救ったことを日本人なら知っておくべきである。
               また、ナチスドイツのユダヤ人迫害以前に、 第一次世界大戦勃発後にシベリアに追い詰められた難民、さらに、ソビエト革命の暴力と無秩序のなかでの難民を救出した日本政府と日本人のことを、日本人なら知っておくべきである。
               そのなかで、ボルシェビキと反ボルシェビキの闘争のなかでシベリアに追い詰められたポーランド人孤児達合計七百六十五名を大正九年と十一年(1920年と22年)に日本赤十字と日本軍が救出して東京と大阪に送って保護し治療して健康を回復させて、横浜港と神戸港から彼らの母国ポーランドに送り届けたことはよく知られている。
               この時、シベリアには、日本ともに、アメリカ、イギリス、フランスそしてイタリアの軍隊が出兵してボルシェビキの勢力がシベリアに及ぶことを阻止していた(シベリア出兵)。
              しかし彼ら欧米の諸国はポーランドの孤児達を救出せず、日本政府と日本軍だけがポーランドの孤児を救出したのだ。これが、今に続くポーランドの親日の原点である。

               ここでさらに知っていただきたいのは、このロシア革命期の闘争のなかでシベリアに追い詰められて孤立無援となったロシア難民の子供達八百人の命を救った日本人船長と貨物船「陽明丸」の地球を三分の二周する劇的な航海の物語である。
              何故、日本人がこのロシアの子供達を救ったドラマが今までベールで覆われたように知られなかったのか。それは、未だ解明されていない。しかし、2009年9月26日、ロシアの古都、サンクトペテルブルグの歴史文化児童図書館で「ロシア絵本と篆刻との融合 あるアバンギャルト展」という個展を開いていた日本人女性北室南苑さんと、日本人の船長とその船を探しているオルガ・モルキナという女性の出会いによって、約百年前の閉ざされた歴史の霧の奥からロシア難民の八百人の子供達を救った日本人船長と貨物船が浮かび上がってきたのだ。

              そのオルガ・モルキナという女性こそ、百年前に日本人船長に助けられて日本の貨物船でロシアに帰った子供達の孫であった。オルガの祖父母は、その時、同じ日本の船に乗って祖国へ帰った子供だったのだ。オルガは、祖父母が言っていた船長の「カヤハラ」という名と、船の「ヨウメイマル」という名を、個展会場で北室南苑さんに告げて探して欲しいと真剣に訴えた。
               彼女は、この船長の子孫にお礼を言いたい一心で北室さんに頼んだ。何故なら、この船長と船がなければ、自分はこの世に生まれていなかったからだ。
              北室さんは、日本に帰国してから、運命の糸に引かれるように、隠されている歴史の闇から、「カヤハラ船長」と「ヨウメイマル」を探り当て光のなかに引き戻してきた。そのひたむきな探求は、女性らしく、まるで、隠れた恋人を探すかの如きけなげさである。
               1918年、暴力と無秩序のサンクトペテルブルグからウラルに夏期居留疎開した八百九十五名のロシアの子供達は、激化した内戦に巻き込まれて故郷に帰れなくなり両親に会えなくなる。そして翌年の1919年、子供達は故郷とは反対の6000キロ離れたウラシオストクにシベリア横断の旅の末にたどり着く。
               しかし、シベリアに出兵した日本軍と東に攻め寄せる赤軍との大規模な軍事衝突の危険性が高まるに至り、子供達を保護してウラジオストクに避難させてきたアメリカ赤十字社は、子供達をウラジオストクから船で太平洋を渡って帰郷させることを決意する。しかし、アメリカ赤十字社の母国アメリカ政府も船会社も、またシベリアに出兵していたイギリスやフランスの政府も船会社も、その船を出すことを拒否し、唯一、日本の船長と船だけが、彼ら約八百人のロシアの子供達を、太平洋と大西洋を越えて、さらに機雷が漂い施設されたバルト海に入って、ロシアのサンクトペテルブルクに帰郷させることを引き受け、それを実行したのである。

              数年のユーラシアの荒野で難民逃亡生活を続けていたロシアの子供達にとっては、「ヨウメイマル」での大航海が終生忘れ得ない幸せな思い出となり、ヨウメイマルとカヤハラ船長の名は、八百名の子供達のそれぞれの子孫達に語り伝えられ、「『ウラルの子供達』子孫の会」代表のオルガ・モルキナは、そのカヤハラ船長の子孫に会って救われた子供達の子孫を代表して一言でもお礼を言いたいという長年の願いを抱き続けていたのだった。
               その船長は岡山県出身の茅原基治(昭和十七年八月十八日死去、享年五十七歳)、その船は陽明丸、と、奇蹟のように歴史の闇から浮かび上がったのだ。北室南苑さんの一念がなければ、決して浮かび上がらなかったであろう。まことに、北室さんは、船長と船の名とともに、日本人の誇りと先人の遺徳を甦らせたのである。

              次の書は、著者の北室さんの隠された恋人となった茅原基治船長捜索の手記であり、本年百年を迎えるロシア革命の実相を伝える歴史書であるとともに、我ら日本人の崇敬すべき先人の遺徳を甦らせる、魂のこもった書である。
               是非とも、一読されたい。

               書名 「陽明丸と800人の子供たち・・・日米露をつなぐ奇跡の救出作戦」
               編著者 北室南苑 発行所 並木書房

              posted by: samu | 頑張れ日本 | 22:23 | - | - | - | - |
              百田尚樹氏の講演中止 ウラに何があったのか 一橋大の大学祭実行委の男子学生が“圧力”を語った
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                一橋大学(東京都国立市)の大学祭「KODAIRA祭」で予定されていた作家の百田尚樹氏(61)の講演会が中止された問題で、実行委員会の男子学生(20)が産経新聞の取材に応じた。言論の自由を重視し、反対派とも話し合いを重ねて開催の道を探ったが「何かあった場合に責任をとれるのかと迫られ、何も言えなくなった。講演を聞いてみたい個人の思いは、大学祭成功のため封印した」と胸中を語った。

                 男子学生は百田氏の講演会発案者の一人だった。大学祭は今月10、11日開催し、講演会は10日に行われる予定だった。中止に至るまでの騒動と、今も波紋が広がり続けていることについて「これほどの騒ぎになるとは思っていなかった。だんだん怖くなった」と話す。

                百田氏に対しては、「講演依頼を受けていただいたにもかかわらず、主催者側の都合で大変失礼なことをしてしまった。おわびしたい」と述べ、今後、直接会って説明をするため予定を調整しているという。

                 男子学生によると、実行委員会の中で百田氏の講演会企画が具体化したのは昨年12月ごろ。百田氏には「現代社会におけるマスコミのあり方」と「現代の日本の若者をどう見るか」、「作家としての半生」という演題案を提示、最終的にマスコミについて語ってもらうことが決まった。

                 当初から百田氏の思想信条を語ってもらう予定はなかったとしたうえで、男子学生は「演題から外れた発言は慎むようお願いしていた。誰かを傷つける内容で盛り上げようなど思ってもいなかった」と強調する。

                舌鋒(ぜっぽう)鋭い百田氏の社会的なイメージについても、「マスコミを通して過度に誇張され、独り歩きしている部分があるのではないかと感じた。講演会を通して、自分の見たもの聞いたものをもとに人物像を判断することが一橋大生ならできると思った」と語り、質疑応答の時間も予定した。

                 副学長をトップとする学内組織に企画を説明、承認されたが、時期を同じくして反対意見が寄せられるようになった。

                 反対の動きは、主に3つの方向から起きたという。一橋大の大学院に在籍する学生が代表を務める、研究者やNGOらでつくる団体「反レイシズム情報センター(ARIC)」は、百田氏が在日外国人に対して差別的な発言を繰り返してきたとして、差別は許さないとする署名約1万人分提出。大学院生が中心の「講演会中止を求める一橋生有志の会」は開催反対の署名とともに、反差別規定をつくるべきだと求めた。教員からも反対の声は上がり、実行委には「一橋大の品格をおとしめる」「中止しろ」などのメールが届くようになったという。

                さまざまな形で中止を求める声が寄せられても、「表現の自由は民主主義の根幹だという信念を持っていた。中止は考えていなかった」と男子学生。開催の道を探るべく反対派との折衝にあたり、警備体制強化の検討を重ねていたが、心は疲弊していった。

                 5月下旬、ARICと2回にわたり話し合いを実施。外国籍の学生を伴って臨んだARICのメンバーは、席上で「講演開催の事実や内容にショックを受け、自殺する人が出たら賠償責任を取れるのか」「講演をきっかけにヘイトクライムが起きて負傷者が出たらどうする」などと詰め寄った。「責任を追及されると、もう何も言えなくなってしまった」

                 実行委は今月2日に中止を発表した。圧力に屈したのかという問いには、男子学生は「中止は学生自治で決めたこと。何を圧力というのかとらえ方次第」とし、「言論の自由を軽視したわけではない。実行委として、安全にKODAIRA祭を実施する務めを果たすことを優先した。決断は正しかったと信じている」と話した。

                一橋大学

                 明治8(1875)年、森有礼(ありのり)が開いた商法講習所を前身とする日本で最も古い社会科学系の国立大学。商業学校から大学への昇格や、東京帝国大学への統合反対のため教職員と学生、同窓会が一丸となって闘った歴史を持つ。学生の自由を重んじる校風で、卒業生には石原慎太郎元都知事や竹中平蔵元金融担当相らがいる。

                posted by: samu | 頑張れ日本 | 17:35 | - | - | - | - |
                「THAAD」導入こそ実行すべき/部谷直亮
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                  「イージス・アショア」は百害あって一利なし 「THAAD」導入こそ実行すべき 6月2日 部谷直亮

                  以前より弾道ミサイル防衛強化の手段として俎上に上がっていたのが、「THAAD」(終末高高度防衛ミサイル:Terminal High Altitude Area Defense missile)と「イージス・アショア」である。

                  ?各種報道で「イージス・アショアは、THAADより迎撃範囲が広く、少ない配備数で済むほか、洋上で警戒任務を続けるイージス艦の負担を減らせる」(ニューズウィーク、5月13日)、「コスト面の利点」がある(日本経済新聞、5月22日)などと伝えられ、イージス・アショアを推す声は多い。

                  ?だが、本当だろうか。以下では本当にイージス・アショアにTHAADを上回る効果があるのかを検証したい。

                  THAADとイージス・アショアの違い

                  ?そもそもTHAADとイージス・アショアとはどのような違いがあるのだろうか。

                  ?THAADは車載型で自由に動け、イージス艦から発射するSM-3ミサイルよりも低高度、パトリオットPAC-3ミサイル(地対空誘導弾)よりも高高度で迎撃を実施し、導入すれば3段構えの防衛が可能となる。ただし、日本全土をカバーするには3〜4基が必要となり、しかも1基1000億円以上となる。

                  イージス・アショアとは、イージス艦から弾道ミサイル防衛機能を抜き出して地上に配備したものである。基本的には固定配備となり、SM-3を発射してミッドコース(弾道ミサイルの放物線の頂点付近の速度が遅い時点)で迎撃する。日本全土をカバーするには2基必要で、1基700億円以上とされる。

                  ?こうしてみると、確かにイージス・アショアの方が費用対効果が良いように見える。だが、それだけで決めてしまってよいのだろうか。以下ではイージス・アショアが抱える3つの問題を指摘したい。

                  戦略的縦深性のないイージス・アショア

                  ?イージス・アショアの第1の問題は、システムが基本的にイージス艦と同じであるため、SM-3では迎撃困難な弾道の場合、もしくは迎撃に失敗した場合、いきなりPAC-3になってしまうということである。PAC-3は射程が短いので防衛できる範囲が極めて狭く、またPAC-3での迎撃時には弾道ミサイルが相当高速になっているために迎撃の可能性は低下する。

                  ?一方、THAADであれば、イージス艦によるSM-3での迎撃失敗後に、もう1段階の防御網を設定できる。

                  ?こうした点を加味すると、特に北朝鮮や中国が多種多様な弾道ミサイル戦力を強化していることに鑑みれば、本当にイージス・アショアで良いのか疑問が残る。むしろ、迎撃の縦深性を高めてくれるTHAADを導入するべきではないか。

                  (中略)

                  ?かといって、6個高射群を抱える空自にも余裕はないし、陸自がわざわざイージス運用可能な人員を育成する余裕も意義もない。空や陸がやるのも筋違いであるから、負担を考えれば避けるべきだ。

                  ?THAADであれば、元々が米陸軍の装備なので陸自が管理・運用することは可能であるし、陸自のミサイル戦力強化の嚆矢にもなる。負担がかかる点は同様だが、陸自にとってイージスシステム導入よりは楽であろうし、米陸軍との関係強化にもつながる。

                  ゲリラコマンドに脆弱なイージス・アショア

                  ?イージス・アショアの第3の問題は、ゲリラコマンドからの脆弱性である。停泊中のイージス艦も同様だが、対物ライフルやドローンでSPYレーダー等に穴を開けられれば無効化されてしまう。長距離から迫撃砲で襲撃されれば抵抗しようがない。

                  ?有事には特殊部隊が真っ先に襲撃してくるだろうし、イージス・アショアを炎上させれば、日本国民に与える心理的な効果も大きいだろう。相手が中国であれば巡航ミサイル攻撃も同時に行ってくるだろうが、弾道ミサイル防衛中のイージス・アショアはイージス艦と同じく防空能力が相当低下するので、これを迎撃するアセットも必要だ。

                  ?もちろん、陸自等が十重二十重に守ることは可能だが、政経中枢施設、陸海空自衛隊の重要拠点(弾薬庫、港湾)、在日米軍、重要インフラ(原発等の発電所等)の防衛すらままならず、警察との連携も進んでいない状態で、十分な戦力を回せるかはかなり怪しいし、負担が増える。イージス・アショアを守って、原発が特殊部隊に襲撃されれば何の意味もない。

                  ?イージス・アショアをどこに配備するかも問題だ。イージス・アショアははっきり言ってかなり巨大であり、それなりの用地が必要だ。しかも、イージス艦と同様のシステムのため、強力な電磁波による健康被害(筆者は気にしないが)などを主張する住民反対運動が起きる可能性も考えられる。

                  ?他方、THAADであれば、こうした問題は低減できる。イージス・アショアに比して小型なので警護もしやすく、すぐに移動できるので、安全な地域やトンネル等への避難も可能である。移動式なので、巡航ミサイルも狙いにくい。

                  やはりTHAAD導入を図るべき

                  ?このように見てみると、3段階での防衛を可能とするTHAADと、これまでどおりの2段構えしかできず、海自の人的負担をそれほど減らすものでもないイージス・アショアのどちらを導入するべきかは明白だろう。

                  ?THAADの価格が問題ならば、1基で関東のみ、2基で関東・関西のみを防衛するという形にしてもよい。

                  ?どちらにせよ、国民の多額の血税を投入し現場に負担をかける以上、それが日米同盟強化という論証の難しい美名だとしても、これ以上のミサイル防衛強化が乏しい防衛費の中で、そもそも実施すべきかどうかの再検討を行うべきだろう。

                  ?そもそも費用対効果を言うならば、弾道ミサイル防衛偏重の予算投入こそ見直されるべきである



                  株式日記と経済展望ブログより(私のコメント)

                  日本の防衛問題ですが、日本は島国であるので直面する脅威はミサイル攻撃であり、航空機からの攻撃だろう。まず第一波でミサイルが飛んできて主要な防空施設を破壊する。第二波で航空機による攻撃で主要軍事施設を破壊する。だから第一波のミサイル攻撃をいかに撃退するかの問題になりますが、アメリカのMDシステムしか対抗手段がない。

                  ミサイルでミサイルを打ち落とす方法ですが、かなり高価なシステムになることは間違いがない。5月13日もイージス・アショアについて書きましたが、一基700億円くらいする。THAADシステムは一基1000億円だそうですが、いかに金持ちの日本でも躊躇するような金額だ。

                  しかし北朝鮮が連日派手にミサイルを打ち上げているので、日本としてはなんとかしなければなりませんが、一番手っ取り早い方法としては日本の核武装して中距離ミサイルや巡航ミサイルを持つことであり、報復能力を持てば一番安上がりだ。しかし日本は核武装も中距離ミサイルも開発は禁止されてる。

                  専守防衛手段しか取れないのならば、アメリカからMDシステムを買うしかない。だからアメリカが北朝鮮をなかなか攻撃しないのは、日本にMDを売り込むためではないかと書きましたが、アメリカから買うものでは軍需兵器しかないわけであり、アメリカにしても高価なMDを買えるのは日本ぐらいしかない。

                  北朝鮮に対して有効ならば中国やロシアに対しても有効であり、MDは日本の防衛手段の主軸になる。しかし一度に大量のミサイルが飛んできたら対抗手段がない。アメリカ自身もICBMの迎撃実験で成功しましたが、軍需産業にとってはミサイル防衛システムは宝の山であり、だから北朝鮮を泳がせている。

                  日本政府も北朝鮮が日本を攻撃すると宣言している以上は、防衛予算を増やしたりアメリカから高価な武器を買い込んでも、国民からの批判も少ないでしょう。北朝鮮のおかげで海上自衛隊も空母もどきの大型護衛艦を作ったり、イージス艦を大増強できた。しかし肝心の自衛隊員の確保がままならず、定員を割ったままだ。

                  日本は島国なので陸上戦力はさほど必要ではなく、航空自衛隊や海上自衛隊が主力であり、それらは多くの人員は必要ではない。しかしゲリラ攻撃や国内大規模テロには陸上自衛隊が必要になる。しかしMDでは蚊帳の外ではなく、THAADシステムを陸上自衛隊が担うことになるだろう。

                  軍事兵器は使わないに越したことはなく、軍備の主な目的は相手を威嚇して攻撃的野心を封じることであり、高価であってもその目的が達成できるものならば安い買い物になるだろう。できれば日本も攻撃用兵器を持つことが一番の防衛手段なのですが、色々な事情があって難しい。

                  MDには、イージスやTHAAD以外にもレールガンやレーザービーム兵器などがありますが、実用化はまだまだ先だ。先日には日本版GPS衛星が打ち上げられましたが、地域限定のGPSでは軍事転用も可能であり、数センチ単位で目標を定めることができるそうです。ミサイル防衛でもこれらのGPS制御が有効になるだろう。

                  posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:02 | - | - | - | - |
                  渡部昇一さんの至言 「諸国民」とのつきあい方/湯浅博 
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                    葬送の聖歌が流れていた。聖イグナチオ教会の大きな主聖堂の天窓から、幾筋もの春の光が差し込んでくる。それは、敬虔(けいけん)なキリスト教徒である上智大学名誉教授、渡部昇一さんにふさわしい追悼のミサであった。バイオリン奏者の次男、基一さんが奏でるバッハの無伴奏曲が心にしみる。

                     出がけに、出版社から届いた遺作『知の湧水』(ワック)を持参していた。参列に向かう電車の中で読んだのは、冒頭の「護憲派に見る知的貧困」の一節である。着物姿の遺影は、いつもの笑みをたたえているが、悲願の憲法改正を見ることなく帰天されたのは心残りだったかもしれない。

                     弔辞を述べた元東京都知事の石原慎太郎さんによる「混迷の世界で、あなたを失ったのは痛恨の極み」という呼びかけは、2人に通底する「国を思う心」からであろう。2人は戦勝国の占領政策基本法というべき日本国憲法を、日本人がこのまま護持していてよいのかを世に問うてきた。

                     占領下の昭和23年の雑誌「社会思想研究会月報」11月号に、交流のある後の都立大学教授、関嘉彦さんが「戦争放棄」に疑問を提起し、新憲法を自由に議論させるべきであると書いた。早速、占領軍の事前検閲に引っかかり、英語で「削除」と朱で書き込まれたことが占領基本法であることを証明している。

                    大学人としての渡部さんは、専門分野の英語学を超えて、戦後の論壇に自由主義の気概を示してきた。世間は彼を「保守の論客」「知の巨人」とたたえた。

                     渡部さん自身は、とうにメディアが使う右翼と左翼、保守とリベラルの対立構図を否定し、むしろ「全体主義と自由主義の闘いである」と位置づけていた。東西冷戦期から左の全体主義に傾斜した論壇で、少数派の言論人として孤高の闘いを続けてきたのだ。

                     渡部さんは病の床で、安倍晋三首相の憲法改正への意欲を聞いたであろうか。首相は憲法改正に向けた議論の停滞にしびれを切らし、「2020年に新憲法施行」との決意を表明した。自民党内も緊急事態条項の挿入に傾斜し、憲法9条の“本丸”に踏み込もうとしない。この流れを一気に引き戻そうとしたのだろう。

                     安倍首相は戦争放棄の9条1項と、戦力と交戦権を否認する2項をそのままに、自衛隊の存在を「3項」として明記する意向を示した。首相の真意は2項削除にあると思われるが、そこを迂回(うかい)して3項の挿入だけにとどめたのは、「実現可能性」を優先したとしか思えない。

                     いまとなっては、渡部さんがこの提案をどう思われたかは分からない。安倍提案をベースに、政治家たちが「国を思う心」を持って、どこまで2項に切り込めるかが問われてくるだろう。

                    渡部さんは先の安保法制をめぐる騒ぎの際に、「デモのありかたが韓国風になってきた」と感じていた。首相の肖像を侮辱するようなことは60年安保反対闘争にはなかったし、議場内でプラカードを抱えた反対党議員のやり方は韓国国会そっくりだと思う。

                    そして、憲法前文がいう「平和を愛する諸国民」を信頼し、「われらの安全と生存を保持しようと決意した」とは何事かと怒る。どこに生存を外国にまかせる国があるのか。隣の諸国民は「敵性の顕(あらわ)な国々」ではないのか。そして彼は、安保法制を否定した憲法学者に「日本の安全保障が日本が占領下にあった時と同じでよいのですか」と繰り返し問いかける。

                    渡部さんは前文がいう「諸国民」とのつきあいについて、「君子ノ交リハ淡クシテ水ノ如(ごと)ク」あるべしと推奨している。至言である。聖堂を後にすると、午後の陽光を浴びたサツキの淡いピンクが目にしみた。4月17日、心不全のため死去。享年86。(ゆあさ ひろし)

                    posted by: samu | 頑張れ日本 | 09:45 | - | - | - | - |
                    猪苗代から飯舘村そして東京/西村眞悟
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                      六月二日に大阪から福島空港に飛び、そこから車で北磐梯を経て猪苗代町に入り、
                      その夕方、猪苗代湖と右手に磐梯山を一望するホテルで、
                      田母神俊雄元航空幕僚長とともに、
                      表題に「支那討つべし」と掲げる演説会の弁士として語り、
                      次に、夜は、参加者と懇親会で賑やかに国家を語り合い、
                      翌日の三日は、ホテルのバイキング式朝食時に、
                      田母神閣下や宿泊の演説会参加者らと一時間ほど昨夜の続きで語り合い、
                      別れて、猪苗代から飯舘村に向かい、
                      飯舘村内を見て回り、村役場を訪れ、
                      郷社の綿津見神社に参って多田宮司に挨拶して帰路につき、夜、大阪に戻った。

                      私は、会津そして奥羽越列藩同盟と縁があるのではないかと思える。
                      まず、学生時代、京都の大文字山麓の学生寮にいた私は、
                      一週間のうち数度は、永観堂の南の「会津藩士の墓地」と黒谷を散歩していた。
                      幕末、京都守護職となった会津藩主松平容保は、
                      黒谷に本陣を置き、京都の治安と御所を護って京都守護職の務めを果たした。
                      黒谷の墓に眠る会津藩士たちは、
                      その職務を果たすなかで死亡した遙か会津から来た武士たちである。
                      禁門の変では、長州藩は御所に大砲を打ち込んで御所に向かって攻めてきたが、
                      会津は御所を護って長州を撃退した。
                      この禁門の変で戦死した会津と長州の武士たちは、
                      会津は黒谷に葬られ、
                      長州は黒谷の南東三キロの東山霊山に葬られた。
                      天皇のおられる御所を護った者と、
                      御所に大砲をぶち込んだ者と、
                      どちらが讃えられるべきか。
                      私は学生時代から会津武士を讃えた。
                      その学生時代の昭和四十年代前半のころから今に至っても、
                      会津藩士の墓は訪れる人は少なくひっそりとして苔生している。
                      ところが、長州藩士の墓のある霊山は、
                      今や観光地になっていて墓地に入る観光客から入山料金をとっている。
                      司馬遼太郎の功績、大である、に過ぎない。
                      しかし、再び幕末のように、
                      我が国を取り巻く風雲が急を告げ、
                      我が国家存立のために、戦後からの脱却が喫緊の国家的課題となった今、
                      甦るべきは、会津士魂である。

                      そして、平成二十三年の東日本大震災から三ヶ月後の六月に、
                      猪苗代の高士 医師の野崎 豊先生から、
                      猪苗代に来て国家を語れ、との依頼を受け初めて会津藩を訪れたのだ。
                      その時のホテルには、
                      福島第一原発近くの双葉町から八百名の人々が避難して住まわれていた。
                      その頃、菅直人内閣が、典型的な左翼手法で、福島第一原発を「悪」と決めつけ、
                      「反原子力発電」を掲げて支持拡大を狙い始めた頃であった。
                      私は、その猪苗代の会場で、
                      原子力発電は、国家にとって必要であると主張した。
                      すると、「双葉町避難民自治会代表」と語る初老の方が「発言あり」と挙手をされ、
                      次のように語られた。

                      我々は、第一原発の放射能の為に、
                      住む家から退去させられてここに来ているのだ。
                      この我々の前で、
                      原子力発電が日本に必要だと、
                      言い切られたことに敬意を表する。
                      我々も、原子力発電が日本に必要だと思う。
                      だから町に原子力発電所が建設されることに納得したのだ。
                      それを何か!
                      マスコミは我々がカネを貰えるから原発が建ったようなことを言っている。
                      極めて不本意である。

                      私こそ、この方に敬意を表した。
                      そして、その後、懇親会の席で、この方に質問した。
                      数百名の皆さんのなかで、
                      放射能による健康障害を訴えている人がおられますか。
                      すると、
                      一人もおりません。
                      むしろ、皆、元気になっています、
                      私の体も元気になったことに、女房も驚いています、
                      と答えられた。

                      (東京に向かうために中断、以上、四日に記す)

                      六月二日の夕刻、猪苗代のホテルで会った田母神閣下は、
                      五月二十二日の東京地裁の判決を不服として高裁に控訴してから来られた。
                      それは、よかった、と私は言った。
                      このような公訴権濫用に近い政治的意図のある捜査を受け継いだ裁判に於いて、
                      地裁の「事実認定」が誤っておれば、
                      控訴するのが当然である。

                      猪苗代の野崎 豊先生は、
                      毎年この時期に、田母神閣下と私を招いて、
                      「支那討つべし」との題で演説会を開催されてる。
                      また、ここは、田母神閣下の故郷である郡山から近いので
                      郡山の田母神小学校や高校の同級生も来られる。
                      しかし、昨年は、閣下が東京拘置所のなかにいたので私だけだった。
                      それで、本年は、閣下が郷里の皆さんへのご無沙汰を回復するために
                      出所してから振りかえれば笑いをさそう拘置所内での生活などから始めて、
                      パレスチナから北朝鮮問題、
                      さらに国産ジェット戦闘機の開発問題まで、
                      縦横に話されてから、懇親会となった。

                      私は、朝鮮半島情勢だけに関心が集中している我が国の視野狭窄と、
                      米中そして露への「他人任せ」の意識に警報を鳴らした。
                      即ち、歴史上、朝鮮半島問題の背後にいるのは、
                      シナ、ロシア、そして、やはりアメリカである。
                      十九世紀後半から二十世紀半ばまで、我が国はこの三国と順次戦った。
                      朝鮮半島が日清・日露の戦争をつくり出した。
                      そこで、忘れてはならないのは、次の警句と密約である。

                      ロシア人は、約束を破るために約束をする。
                      シナ人は、そもそも約束は守らねばならないとは思っていない。

                      明治二十九年(一八九六年)、日清戦争の翌年、
                      ロシアと清国(李鴻章)は、対日攻守同盟という密約を結ぶ。
                      その内容は、
                      日本が清国を攻めればロシアが助ける。
                      ロシアが多額の賄賂を李鴻章に渡し、
                      清国(李鴻章)は、満州をロシアに売り渡す。
                      我が国は、この密約を知らず、
                      この密約に基づいて満州に雪崩れ込んできたロシアを
                      日本は血を流して満州から追い出し、
                      清国は、売り渡した満州を日本のお陰でただで回復した。
                      巨額賄賂をロシアからもらった李鴻章の子孫は、
                      今は名を変えてアメリカで大富豪として生きている。

                      現在も、朝鮮半島の背後にシナとロシアがいる。
                      そして、
                      シナは尖閣を奪いにきており南シナ海に軍事基地を建設している。
                      ロシアは国後と択捉にミサイル基地を建設した。
                      その上で、シナとロシアの海軍は、
                      昨年の六月、南シナ海に於いて合同で軍事演習をした。
                      また昨年度の我が国航空自衛隊機のスクランブル発進数は、
                      過去最多の一一六八回であり、
                      その内、対シナ八五一回、対ロシア三〇一回。
                      シナ軍機は、一日に二〜三回、
                      ロシア軍機は一日一回、
                      我が国領空に接近している。
                      北朝鮮の豚のように肥って笑っている三代目の
                      打ち上げるミサイルだけに関心を集中していてはならない。
                      背後にいる既に核弾頭ミサイルを実戦配備している
                      シナとロシアが真の脅威である。
                      さらにトランプのアメリカは、
                      我が国か、シナとロシアか、何れに転ぶか分からない。
                      ここにおいて、我が国は、
                      覚悟を決めて独自の国防力を増強しなければならない。

                      以上の話の後に、懇親会に入った。
                      その懇親会の最後は、
                      私の希望で、田母神閣下の歌う「航空自衛隊の歌」となった。
                      知る人ぞ知る、「高校三年生」のメロディーで、
                      あーあー、ああーあー、航空自衛隊ぃ〜ぃ、
                      僕ら、これは、これでも、これは、これ!
                      という歌である。
                      一年に一一六八回のスクランブル発進(つまり、実戦)をこなしながら、
                      この歌を歌い合う自衛隊!
                      やっぱり明るく頼もしい組織だ。

                      翌日三日、既に記したように飯舘村を訪れた。
                      平成二十三年四月三十日に、飯舘村を初めて訪れてから毎年訪れている。
                      その時のことは平成二十三年五月一日付け時事通信(627号)「飯舘村を救え」をご覧頂きたい。
                      この初めての訪問時の飯舘村の放射線量値は、
                      細川牧場3・5〜6・2マイクロシーベルト
                      飯舘村役場0・4マイクロシーベルト
                      この時は、放射線治療専門のドクターも一緒だった。
                      このドクターに「30分ほどここに立って深呼吸してください」と言われて、
                      私と同行の田母神閣下は細川牧場の馬を眺めながら立っていた。
                      そして、三十分ほどしてからお互い見合って、
                      私が「なんか、元気になったように思うなあ」と言うと、
                      閣下が、にやりと笑い、「そう、そう、その通り」と言った。
                      よって、先に書いた二ヶ月後の猪苗代のホテルでの
                      双葉町避難民自治会会長の、
                      「元気になった」との説明に
                      まさに納得することができたのだ。

                      この度の飯舘村役場前は、0.26マイクロシーベルトだった。
                      この放射線量は、今私がいる大阪の堺と同じだ。
                      飯舘村は、大震災直後から今まで、一貫して安全であった。
                      しかし、現在に於いても、
                      附近に隣接する他の村や町の田では田植えが行われているのに、
                      飯舘村の田には草が生え水も入れられていない。
                      さらに広大な田が太陽発電のパネルに掩われている光景を見ると心が痛んだ。
                      豊かな山野と広大な田園をもつ飯舘村から
                      村民を追い出して疲弊させた菅直人内閣の罪、万死に値する。
                      帰路、郷社の綿津身神社に参拝し
                      大災害以来、村民が去ってからも、一貫して唯一人留まって
                      飯舘村を離れなかった
                      多田 宏宮司にお会いすることができた。
                      住民が去った後には、
                      健康そうに肥った猪と猿が増えていたと、以前、宮司から聞いていたので、
                      宮司に、猿や猪のことを尋ねると、
                      猿は人が多くなったので姿を消したが、
                      猪は相変わらず我が物顔に歩いていると答えられた。

                      三日深夜に帰宅して、
                      四日は東京の「新しい歴史教科書をつくる会」の懇親会に出席し、深夜また帰宅した。
                      その懇親会で、私は次の通り挨拶した。

                      我が国の「歴史教科書」の最大の嘘は何か。
                      それは、昭和二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」を
                      「日本人が書いた」と記していることだ。
                      日本人が書いたのではない、GHQのアメリカ人が書いたのではないか。
                      国家の根本規範である憲法を誰が書いたのか、
                      この要点において
                      「嘘」を子ども達に教える国に未来があろうか。
                      「日本国憲法」は日本人ではなく
                      アメリカ人が書いたという「真実」を
                      子ども達に教える歴史教科書をつくろうではないか。
                      そうすれば、子ども達の方が、
                      その教えられた瞬間に、
                      この「憲法」は無効だという結論に達するであろう。
                      そうなれば、「無効」なものを「改正」して、どうする、ということになる。
                      その時、我が国は、「日本」を取り戻し、戦後から脱却する。
                      「憲法九条」は「無効」だ。
                      九条をそのままにして、
                      そこに「自衛隊」を加えれば「改正」になるのか。
                      では、問う。
                      九条には「交戦権はこれを認めない」とある。
                      交戦権を認められない自衛隊が、どうして自衛権を行使するのか。

                      以上、

                      posted by: samu | 頑張れ日本 | 10:10 | - | - | - | - |