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書評/『私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた』(ビジネス社)石平v 矢板明夫/
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    宮崎正弘/書評
    不思議な独裁者、習近平が現代中国にどうして生まれたのか
    あの日中友好ムードが、何故とげとげしい日中関係に陥没したのか

    じつにスリルに富んだ体験談に溢れた本である。
    ともに文革時代を中国で生きて、目の前で起きた惨劇を体験しただけに全ての経験談が迫真に満ちているのだ。
    「子供の時分からこのような密告社会に身を置いていると、結論としては誰もホンネを言わなくなる。嘘しかつかなくなる」(矢板)という実体験が身に染みる。
    誰も信用しない社会は表面上、のっぺらぼうのシステムに見える。
    残留孤児として天津で育った矢板氏は、日本人であることがすなわち「外国のスパイ」だとしていじめにあった。
    ところが田中訪中があって、日中国交回復がなると、途端にちやほやされ始め、その豹変ぶりになんとも言えない違和感を抱く。

    対談相手の石平氏のほうはと言えば、両親は大学教授だったがために「知識青年」として下放され、少年期を石さんは祖父の元で育った。漢方医だった祖父は論語を教え、世間の常識を教える人だった。
    それでも周囲の環境を見ながら育つから、世の中はこんなものだと認識していた。
    毛沢東の写真が掲載された新聞に芋を包んだだけで処刑されたおばさんがいた。肉は配給で週に一度。極貧のなかにあっても、アメリカはもっと貧しいと洗脳され、中国は世界一幸せな国民と信じてきた。
    あの時代、情報が閉鎖され、操作されてきたからである。

    地獄の十年といわれた「文革」が終息し、やっとこさ大学が再開されると、一斉に統一試験が行われたが、高校の先生と現役の生徒と、そして老齢のひとも一斉に試験を受ける有様だった。生徒が合格し、先生が落ちたという悲喜劇もあった。
    日本の映画が解禁されるや『君は憤怒の河を渡れ』と『幸せの黄色いハンカチ』が凄まじいブームとなって、中国では高倉健がヒーローになった。中野良子がヒロインだった。
    当時は日本を批判する社会的ムードは皆無に近く、友好友好と叫んで、すこしでも日本に近付こうという社会風潮になった。
    北京大学をでて「配給された」仕事場が四川大学。そこで教鞭をとることになった石平氏は、本当のことを教えると周りから疎まれ、やがて日本留学中の友人から『日本に来たら』と誘いを受けた。
    じつに衝動的に日本語も出来ないのにふらりと日本に留学を決めたという。

    天安門事件で批判の嵐に直面した中国共産党は、突如『反日』に舵取りを換え、爾後、中国において日本は敵となった。
    無知蒙昧の大衆を統治するには、つねに仮想敵を必要としているからだ。
    なにしろ日本の温泉ブームにあやかった中国で、ならば一儲けと温泉発見のために、日本から専門家を呼び寄せたが、それが『スパイ』とイチャモンをつけられて、まだ一年以上も勾留されている。我が物顔で中国にいた「日中友好屋」も、なぜかスパイといわれ、まだ拘束されている。不思議な国である。
    習近平がいかに無能であるかを、両人はその体験を踏まえて、実例を具体的に挙げて描き出す。じつに示唆に富んでいる。

    posted by: samu | 書評 | 09:27 | - | - | - | - |
    『高山正之が斬る朝日新聞の魂胆を見破る法』テーミス/高山正之
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      宮崎正弘/書評

       

      朝日新聞という巨悪の根源を斬る名刀が冴えわたる
      切支丹伴天連たちは、戦国の世に何をしたのか

      このシリーズも第四弾。巨大メディアが毎日、息を吐くように平気でつく嘘を抉りだし、真実に迫る快著である。
      とりわけ朝日新聞の欺瞞と虚偽とフェイクの作り方、その見破り方など、いつもの高山節が冴える。
      朝日新聞はマッカーサー元帥が押しつけた憲法を「良い」と称賛するICU副学長の談話を利用しているが、ICUとは、キリスト教布教のためにマッカーサーから強要されて、創設された戦後の大学である。
      ところがGHQの意図に反して、卒業生はキリスト教に染まらず、要するに日本ではキリスト教は、上から強圧的に布教しても、末端には普及しなかった。
      なぜか。
      この先はメディア批判ではなく、高山さんの切支丹伴天連批判となる。
      ポルトガルの火縄銃が種子島に漂着した。
      「30年もしないうちに自分たちで工夫して世界最大の鉄砲王国となった。キリスト教も、もう八百万の神がいる。一人増えても気にしなかった」
      のである。
      しかし伴天連の宣教師らの意図は、日本をキリスト教化し、支配権を握り、ポルトガルの植民地に作り直し、富を搾取することにあった。
      「ついでに彼らはその調査費用稼ぎも兼ねて商売をした。日本の美術品の売買とかもあるが、主な商品は奴隷だった。キリシタン大名は乞われるまま、例えば有馬晴信は領民の子供達を召し上げて『インド副王に献呈した』記録がある」(中略)「敵の城主も妻も子も大奥の女も捕らえ、ときには百姓領民も捕虜にして海外に売った。鉄砲の火薬に欠かせない硝石1樽は女50人と交換された。大友宗麟らが出した遣欧少年使節はその旅の先々で日本女性が鎖に繋がれ、秘所を丸出しにして売買される姿を目撃している。切支丹大名は領内の神社仏閣を打ち壊し、僧侶にキリスト教への改宗を迫り、拒絶する者を焼き殺した」
      なんとも凄まじい。
      マッカーサーも、これに倣って神道を敵視し、靖国神社を破壊してドッグレース場にしようとした。
      そのうえ、日本政府の金で2000万冊の聖書を運びこみ、日本に1500人の宣教師を呼び寄せ、しかも日本の金でICUを建てさせ、教育にキリスと教を混入させた。
      しかしながら伴天連には秀吉の時代から懲り懲りだったので、日本での信者は増えなかった。
      一気に読むと清涼飲料10本に値する快著だ。

      posted by: samu | 書評 | 14:13 | - | - | - | - |
      書評『日本国史 世界最古の国に新しい物語』(育鵬社)田中英道
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        宮崎正弘/書評

        日本はいかにしてキリスト教の虚妄を嗅ぎ分け植民地化にならずにすんだか
        大日如来と誤断したが、キリスト教は太陽さえ神がつくったという宗教なのだ

        前作『高天原は関東にあった』は日本の学界で旋風を巻き起こしても良さそうな問題作である。にも関わらず日本の歴史論壇が、田中氏の衝撃的問題作を無視するか、黙殺にいたるのは、それなりの理由がある。
        つまり、怖いのである。本当のことが白日のしたに晒されることが。
        神武天皇が実在したことは明らかで、左翼学者やマルキストが否定した根拠は出鱈目、巨大な前方後円墳が何を物語るかを忖度するだけでも分かることである。
        ちなみに仁徳天皇陵は、かの秦始皇帝の陵墓より大きい。ピラミッドなど問題ではないほどの規模である。
        本書は白村江、東大寺、維新、三島由紀夫と、日本の長い歴史のなかで起きた節目・節目を、ヒストリー・メーキングとなった出来事として別のアングルから照射しながら、日本文化の根源に迫る。
        田中氏はこう言う。
        「天正18(1549)年、イエズス会宣教師、ザビエルが日本にやって来ました。このイエズス会というのは布教意欲旺盛なキリスト教の一派で、祭壇には銃を置いているという布教軍団です。鉄砲をもたらしたポルトガル人のように偶然漂着したのではなく、日本」(191p)を侵略して植民地化する手先だった。
        ところが上陸した日本ではすでに高い文化があり、不況は難しいと悟る。
        そう、ザビエルたちは「布教軍団」である。
        「キリスト教では絶対的な神がすべてをつくったとしています。日本人は大日如来と同じものとして理解しようと(努力はしたものの)、大日如来は太陽神のようなもので、宇宙の中心とするのが密教の考え方です。しかし、キリスト教は太陽さえ神がつくったと考える」。
        つまり両者には超えように超えられない異質の人生観、自然観があり、それはいずれ衝突する。文明と文化が異なるのだ。
        信長以来の日本人の関心は鉄砲や鉱山技術、そして造船技術にあり、ザビエル等の植民地化という戦略には関心さえなく、信長はキリスト教に好意的だったという背景にも、田中氏は、「いかに日本の植民地化を防ぐかという大義があった」とする。
        南蛮人と彼らを呼んだ文化的な言語感覚からも、多くの日本人が、切支丹伴天連を野蛮な、「侵略者と感じていたに違いない」(197p)

        posted by: samu | 書評 | 11:00 | - | - | - | - |
        書評『メディアは死んでいた』(産経新聞出版)/阿部雅美
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          宮崎正弘/書評
          四十年前、最初の拉致報道は「捏造」、「虚報」と批判された
          この産経記者がいなければ、拉致事件は『失踪事件』として闇に葬られていた

          そうだ、メディアは目的と使命を忘れて、死んでいたのだ。
          いや、いま現在もメディアは死んでいる。日本だけではない、世界中の主要メディアに共通の病理である。本書はその問題点を抉り出した。
          十日ほど欧州を旅行し、帰ってきた成田のキオスクでみた新聞に仰天した。まだモリカケをやっている。福田恒存が言ったように「末期的」である。
          メディアは表面のあぶくしか観察する能力がないかのように、裏に潜む真実を伝えず、しかもファクトを意図的にねじ曲げ、イデオロギーに支配された記者や『論説委員』とかが、まったく主観的で、そのうえ検証もしない記事を垂れ流し、フェイクの責任を取らず、読者を騙してきたし、いまも洗脳しようとしている。
          このような世論工作を通じて、有利な印象操作を繰り返し、政治利用の武器としている。いうまでもないがモリカケは安倍首相をなんとしても政権の座から引きずり降ろうそうとする左翼の陰謀的な世論誘導工作であり、トランプにロシアゲート疑惑をふっかけているのも、米国のリベラル左派の印象操作、つまりは世論操作の陰謀である。
          かようにして、メディアは死んでしまったのだ。
          評者(宮崎)は本書をドイツへ向かう機内で読むつもりで鞄に入れたのだが、機中では疲れがでて眠りに落ち、結局ベルリンの宿で、一気呵成に読んだ。
          日本人拉致被害にあった家族会が連帯し救出活動に乗り出したのは、本書の作者、阿部氏の拉致疑惑記事が発端となった。家族会が結成され、全国民が注目し、北朝鮮への怒りが爆発した。
          それまでメディアは「北朝鮮」とは呼称せず「朝鮮民主主義人民共和国」だとか、まるで金日成の宣伝文句「地上の楽園」であるかのような印象操作に加担していた。拉致疑惑は証拠が揃わないためにメディアは報道せず、黙殺してきた。
          1988年3月26日、国会の予算委員会で、梶山静六国家公安委員長(当時)が、「一連の拉致事件は北朝鮮の疑いが濃厚だ」と答弁した。じつは日本政府がはじめて、北朝鮮の犯行に言及したのである。
          ところが、この梶山答弁を報じたのは「産経新聞」だけだった。NHKも朝日も無視した。産経にしても夕刊のベタ記事だった。
          そして万景峯号は自由に新潟港に出入りし、闇ルートで資金を運び続け、朝鮮総連系の銀行が経営破綻したときは、預金者への対応のため日本政府は1兆4000億円近い公的資金を投入した。沙汰の限りである。
          NHKや朝日さえ、拉致を大々的に報道し始めたのは、北の首領様が、拉致を認めたからだった。すなわち2002年9月17日、訪朝した小泉首相に対して、金正日は拉致事件を認め、謝罪した。
          日本のメディアはひっくり返った。
          拉致「疑惑」が、ようやくにして『事実』とわかって、日本のメディアは突如として拉致報道に血道をあげた。
          四十年前、最初の拉致報道は「捏造」、「虚報」と批判された。この産経記者がいなければ、拉致事件は『失踪事件』として闇に葬られるところだったのだ。要するに産経以外のメディアは、これほど無責任なのである。
          蛇足だが、評者は、北朝鮮が認定する前の状況で、収集可能な情報を元に、拉致事件をテーマとする書籍を刊行しようとした。ところが新聞社に所属する身分でもなく、検証が不可能、裏取りが出来ないので、あえて小説として世に問うた(『金正日の核弾頭』、98年。以後『拉致』と改題して徳間文庫)。
          しかし、その時点でも関心が薄く、メディアはさっぱりと拙著を黙殺したのだった。
          ともかく本書は過去四十年にわたっての拉致報道を検証した労作であり、歴史的資料としての価値が大きいとともに、メディアの死角を衝いた、その苦労の汗と努力が行間から湧き出ている。

          posted by: samu | 書評 | 14:04 | - | - | - | - |
          書評『戦国日本と大航海時代』(中公新書)平川靜
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            宮崎正弘/書評

            「朝鮮侵略」などと言われたが、ようやく明かされた秀吉の朝鮮出兵の真実
            キリスト教の野望を潰えさせたばかりか、スペインは日本の脅威に備えた

            おりしも日本政府はユネスコに対して「潜伏切支丹」を世界遺産に登録するように本格的な働きかけをなし、登録が確実視されている。
            熊本県、とくに天草の島西南部と、長崎県の長崎市外海、平戸などに散在するキリスト教会、長崎市内の大浦天主堂など12の教会は切支丹伴天連が禁止された時代を生き延び、マリア像を貝殻などに偽装して「隠れ信者」を集めたという。
            評者(宮崎)はこれらの教会をほとんど見ているが、天草の隠れ教会は岸壁に位置していたり、外海の各地でも美観をほこる場所にひっそりと建っている。この因縁からか遠藤周作文学記念館は、外海の崖っぷちに建つのである。
            しかし、なぜ禁教に至ったかを日本政府は先に国際社会に説明しなければならないだろう。「世界遺産」をこのまま登録されては、日本がまるで時代錯誤的な宗教弾圧国家と誤解されないからだ。

            日本は当初、キリシタンバテレンに寛大だった。
            本書はかかるべくして書かれた、正当な歴史書である。あの大航海時代に、世界を荒らし回ったスペインとポルトガル。しかし日本は世界最強のスペインの侵略を跳ね返したばかりではなかった。スペインは植民地化し軍事拠点としていたフィリピンで厳重に武装を固め、日本からの攻撃に震えながら備えたのだ。
            こうした真実は長きにわたって歪められて解釈されるか、無視され続けた。
            近年、キリスト教の宣教師たちが侵略の先兵だったことは広く知られるようになった。貿易の利を吹聴しつつ、ホンネはキリスト教の武装集団を日本国内に組織化し、いずれ国家を転覆して日本をまるごとキリスト教の植民地にする。日本に運ばれる珍品は、ときに彼らが倭寇も顔負けの海賊行為を働き、ほかの貿易船から盗んできた。ようするに南蛮船とは海賊船と同義語でもあった。
            異教徒の宣教師が日本に上陸して布教を始めたのは九州が最初だった。大友氏、島津氏、そして長州では大内氏がめずらしくもあった異教に寛容だった。なにしろデウスと日本の神様が似ているという故意に歪曲された解釈がまかり通ったからだ。マリアは観音様に模された。
            いくつかの領内では仏教寺院が破壊され、仏僧らは強く抗議していた。にもかかわらず信長はキリスト教の布教に異様なほど寛容だった。

            信長は比叡、石山ならびに伊勢の一向一揆に手を焼いており、この当面の敵に対応するためにキリスト教を利用しようとした。
            信長が派手に演出して正親町天皇も列席した「馬揃え」(軍事パレード)は、お祭りだったという浅薄な解釈があるが、この馬揃えには宣教師のウォリヤーノ(イエズス会インド管区巡察師)も招かれていた。驚くべし、天皇と異教宣教師が同席したのである。それ以前に正親町天皇は、伴天連追放の綸旨をだしていたにも拘わらず。
            平川氏は、これを「このパフォーマンスは諸大名向けというに留まらず、まさに天皇とイエズス会の上に信長が君臨するというメッセージ」だと解釈する。
            「ザビエルが来日してから、わずか40年にして、日本のキリシタン人口は約20万人あるいは30万人に達したといわれている。この勢いに気をよくしたイエズス会は、切支丹大名を支援して日本をキリスト教国に改造することを構想していた」。
            そのうえ日本人を拉致し、アジアからインドへ奴隷に売り飛ばして巨富を稼ぎ出した。戦国大名の何人かをキリスト教で洗脳し、当該藩内では寺院を打ち壊した。まさにキリスト教の野望、とどまるところがなかった。
            あまつさえキリスト教になった大名を煽動して、シナ侵略の手先につかえば、日本の武士の戦闘力は高いから、きっと役に立つと述べている宣教師らの本国への報告文書が、次々と発見されている。
            秀吉は早くからその脅威を認識していたが、全面禁止に到らなかったのは、かれらが運んでくる文明の利器、世界情勢に関する鮮度の高い情報が必要だったからである。
            しかし「朝鮮出兵によって日本は、朝鮮および明国の軍隊と干划(かんか)を交え、それと前後して、世界最強といわれたスペイン勢力にも服属を要求するなど、強硬外交を展開した。朝鮮出兵という、日本による巨大な軍事行動は、スペイン勢力に重大な恐怖心を与えた」
            フィリピンに駐在したスペイン提督はマニラに戒厳令を敷いたほどで軍事大国としての日本の存在は以後、世界史に登場することになる。
            フロイスやヴァリヤーノよりも強烈な野心を研いで日本侵略の野望を捨てなかったのはコエリョだった。コエリョは日本準管区長であり、日本における信者獲得実績を誇大に報告して成績を上げることにも夢中だった。
            「コエリョは大量の火縄銃の買い付けを命じるとともに、有馬晴信や小西行長などの切支丹大名に反秀吉連合の結成を呼びかけた」うえ、「フィリピンの総督や司教に対して援軍派遣を要請した」
            むろん、コエリョの要請をマニラのトップは拒否した。戦っても日本の軍事力に勝てるという自信がなかったからだ。

            家康の時代になっても、キリスト教宣教師らは野望を捨てていなかった。
            家康に巧妙に近付き、御追従と嘘を繰り出しつつ、何としても布教権を獲得しようと多彩な工作を展開した。
            日本をキリスト教国に仕立て直し、スペイン国王の支配下におく企みは進行した。ただし、「日本の強大な軍事力を前にして、武力による征服は不可能と悟った」がゆえに、「布教による日本征服」という遠大な方針に切り替えたのだ。
            メキシコやインディオを残虐な方法で殺戮し、植民地支配を拡げてきたスペインは、フィリピンまで征服し、次のシナ大陸進行の橋頭堡を確保するために日本を征服するという基本構想をすてた。
            臨時フィリピン総督なったビベロが、日本各地をまわって、「要塞堅固な城郭に驚嘆し」(中略)「日本の軍事力の強大さ、強硬な日本外交を肌身に染みて感じていた」からに他ならない。
            つまり「日本を征服するどころか、逆にマニラが日本によって征服されるのではないかとすら恐れていた」。
            家康は新興勢力だったイギリスとオランダを重宝し、かれらが「布教を条件としない」のであれば、貿易を認める。それが平戸と出島だった。
            こうして明らかとなってきたことは、秀吉の正確な国際情勢の認識と対応の迅速さであり、戦後、日本の歴史学が閑却した朝鮮出兵の真実が明らかになったことである。
            また秀吉のあとを継いでキリストの布教に潜む野心を把握していた?川は布教の許可には慎重な態度を崩さず、一方で折から台頭してきた英国とオランダの情報を分析してバランスを取り、とくにオランダを貿易で徹底利用した。
            当時の日本の指導者には歴史を冷静に客観的に判断できる、確かな目があったことである。

            ともかく信長がキリスト教の宣教師を保護し、布教を認めた背景を理解するには、当時の政治学的な状況を勘案しなければならない。信長の行く手を阻んだのは比叡であり、雑賀であり、しかも寺社勢力は武装していた。信長自身は法華経を信じていた。比叡の軍事力を殲滅するには新興宗教の力が必要だったうえ、かれらがもたらした火縄銃という、新兵器の魅力も大きかった。
            秀吉が前期にキリスト教に寛大だったのは、信長の後継として、外国からもたらされる文明の利器と、マニラを経由して入ってくる国際情勢のニュースだった。しかし宣教師らを通じて得た情報とはキリスト教の布教の裏で、日本の美女をおびただしく拉致し、売春婦として西欧に運んだことであり、また同時に一神教の凶悪な侵略性だった。
            切支丹伴天連の大名だった高山右近は、領内の寺社仏閣を破壊する凶暴性を示し、やがてキリスト教徒が日本を侵略する牙を研いでいることを秀吉は知って追放に踏み切った。
            家康はもともと浄土宗の信者である。
            三河時代から一向一揆の反乱に手を焼いて、大樹寺に助けられて以来、浄土真宗をいかに政治に取り入れるかに腐心し、同時に家康はスペイン、ポルトガルとは異なった一派が勢力を拡げている事情を英国人ウィリアム・アダムスとオランダ人のヤン・ヨーステンから知った。それゆえキリスト教の布教を認めず、しかし貿易のために英国には平戸を解放し、オランダ人も通商だけに専念するとする理由で長崎出島の活用を許した。
            布教は御法度だったが、天草では反徳川の不満分子が反乱を起こしたため、これをようやくにして鎮圧し、以後は「鎖国」として、キリストを封じ込めたのである。
            明治政府は、文明開化を鮮明にしてキリスト教の布教も許さざるを得なくなったが、同時に防波堤が必要であり、国内のナショナリズムを高めるために日本古来の神道の復活を奨励し、薩摩や水戸では過激な廃仏毀釈がおきた。かようにして宗教とは政治とが一体となれば、イランのような狂信的イスラム国家を産むように、政治と宗教は切り離すことが近代の政治のテーマとなった。
            いずれにせよ、本書は今日までのキリスト教を誤解してきた迷妄を打ち破る快心作ではないかと思う。

            posted by: samu | 書評 | 09:57 | - | - | - | - |
            書評『沖縄はいつから日本なのか』(ハート出版)/仲村覚
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              宮崎正弘/書評

              ペリーは日本に来る前に沖縄に寄港し、そのあとも沖縄へ寄港していた
              明治維新はペリーの沖縄来寇から始まり、廃藩置県の最終処分(沖縄県)で終わった

              仲村覚『沖縄はいつから日本なのか』(ハート出版)
              @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

              沖縄の歴史に関して、現代日本にはまともな解説書も歴史探究書もない。学校で教わる沖縄の歴史はウソのオンパレードである。
              あるのは、デマゴーグ大江健三郎が書いた『沖縄ノート』とか。要するに沖縄は独立国家であり、沖縄は日本の大東亜戦争の犠牲にされた、それゆえヤマトンチューを恨んでいるとか、沖縄は独立王国だったのだから独立してしかるべきである、とか。
              沖縄の二紙(『沖縄タイムズ』と「琉球日報」)は極左で、主張は極左冒険主義的であり、背後に中国の世論工作があるかと思えるほどに反米であり、つねに反政府であり、それが民意だと誤解したらトンデモナイ。沖縄の民衆は沖縄二紙とはまったく違う考えを持ち、基地反対とかいって騒いでいるのは本土からやってくる外人部隊である。
              沖縄は一貫して日本なのである。
              本書はそのことを証明する「真実の沖縄史」であり、記述は簡単明瞭だが、力強い。
              ところが左翼による洗脳工作が教科書にもおよび、多くの日本人が沖縄の実相を誤解している。GHQの洗脳工作の残滓はいまだに強烈な影響力を発揮して、沖縄の理解を真相から遠ざけている。すなわち沖縄二紙を基軸とする左翼のプロパガンダは、あたかも南京大虐殺、慰安婦強制連行のプロパガンダと同様に悪質なのである。
              真実はこうである。
              「琉球が明や清の属国であったことは一度もありません。琉球人は、中国語を母国語として話したこともありませんし、中国に税金を納めていたこともありません。琉球に中国の役所があったこともありません。清の時代に、漢民族のように辨髪を強制されたこともありません。明や清は、単なる貿易相手国」でしかなかったのである。
              もっと重要なことは、「沖縄は日本で最も大陸文化の影響を受けていない地域」(68p)。
              沖縄に伝わる音楽でも、そのことは証明されている。『日本民族の魂の原点』が残っているとも仲村氏は言う。
              沖縄がイメージとして「外国」のように扱われたのは薩摩の政策だった。薩摩が意図的に沖縄を外国のようにみせて、通商を独占する合法性を得たと同時に、幕府への発言力を担保できた。パリ万博に出展したときも、薩摩の勲章は「薩摩琉球」であった。
              ペリーは日本に来る前に沖縄に寄港し、そのあとも沖縄へ寄港した
              明治維新はペリーの沖縄来寇から始まり、廃藩置県の最終処分(沖縄県)で終わった

              さて本書で評者(宮崎)が初めて知った事実がある。
              ジョン万次郎は薩摩が保護し、大抜擢したことは誰でも知っているが、万次郎が上陸したのは沖縄県糸満市大度濱海岸であった。万次郎以下三人だった。かれらは七ヶ月も勾留され監視されていたが、島津齋彬が英語を操る日本人がいると聴いて鹿児島へ呼びよせ、以後の大活躍が始まる。
              この同時期に琉球には英語を操る通詞がいた。牧志朝忠という言葉の天才だった。シナ語、フランス語も駆使し、ペリーが沖縄に来寇したときの通訳である。ペリーは、牧志の英語力に舌を巻いたほどだった。
              ところが齋彬の急死によって事態は一変し、反齋彬派が琉球王府内で勢力を回復し、牧志らは冤罪で捉えられ拷問された。十年の流罪を言い渡されるが、薩摩は英語教師を必要としていたため、牧志に薩摩からの呼び出しがあった。釈放され。その薩摩へ向かう舟から飛び降りて自殺した(謀殺説も有力)。これにより琉球王府は貴重な國際感覚をもった人材を失った。
              ところで本書はアマゾン国際政治部門で、第一位をつけ、多くの注目を集めていることは悦ばしい。

              posted by: samu | 書評 | 17:38 | - | - | - | - |
              『渡部昇一の世界史最終講義』(飛鳥新社)高山正之 解説対談
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                宮崎正弘/書評

                 

                朝日新聞批判が基調だが、歴史観のゆがみを糺す発言が随所に
                アメリカはじつに品性のない国で、中国と共通する理由がある

                これは渡部昇一氏の一周忌に前に、単行本に収録されていない高山氏との痛快対談を軸として力強く論理が展開される「朝日新聞が教えない歴史の真実」である。
                随所に紹介される朝日新聞の出鱈目ぶりは、二人の読者ならば当然のことゆえに、目新しくはないが、それでも読み進む裡に清涼飲料が不要になる。
                すかっと爽やか、ワタヤマコーラ!
                アメリカは武士道が分からないから原爆を日本に平然と落とし、東京大空襲をやってのけ、無辜の人々を殺害した。インディアンを大殺戮してきた無慈悲のメンタリティが連綿と続いていた。
                自分たちのしでかした大虐殺を隠蔽するために、中国と組んで、「南京大虐殺」とかの架空の話をでっちあげた。
                騎士道が育たない国の民は極悪非道なのだ。アメリカの浅薄な歴史観がなぜ造られたかを振り返りながらも、二人は本質の議論に突入していく。
                渡部 「戦争すれば景気が回復すると、アメリカのリーダーは思いこんだわけですね。もうひとつ、工場を外国へ移転する習慣がついてしまった」
                高山 「奴隷工場のつもりで中国に進出したんです。米国と中国の共通点として、国家の本質に『奴隷経済』がある」
                実際にメイフラワーが東海岸に着く前にアメリカには奴隷市場があった。以後244年間、奴隷売買をつつけていたのが米国なのである。
                しかし高山氏が続ける。
                「経済成長で国内の労働コストが高くなり、製造業でこき使う奴隷が枯渇した。困った米国が世界を見渡すと、かつての自国とまったく同じ構造の国がありました。中国です」(中略)「だから習近平だとか胡錦涛、江沢民というのは、米国と手を組んだ奴隷工場の工場長、中国人奴隷を監督するボスですよ、これが米中蜜月のスタートでした」
                この発言をうけて渡部昇一氏が答える。
                「労働力があるところへ工場を建てれば良いという、安易な行動をとった。それが中国を大国にしてしまった」
                いまや奴隷で肥った国同士が決闘する時代を迎えつつあるとき、本書の指摘は本質を突いているのではないか。

                posted by: samu | 書評 | 18:29 | - | - | - | - |
                書評『真実の中国史 1840−1949』(PHP文庫)宮脇淳子著、岡田英弘監修
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                  嘗て本書はビジネス社から刊行され好評だった。題名に印された年号のようにアヘン戦争から、中国共産党が天下を簒奪したところまでを扱う。近現代史である。
                  司馬遷が『史記』を著すのは、秦の始皇帝が没し、その王朝が衰滅し、権力が別の前漢となった時代である。
                  中国史書の原点というべき書物が、以後の中国の歴史書の鋳型を造った。つまり歴史は次の王朝になってから編纂される。ということは史実とはかけ離れた、史観の歪曲あるいは改竄された考え方が主軸に置かれる。
                  したがって現代中国史を書くのは次の王朝を待つしかないが、現時点で言えることは中華人民共和国も中華民国も、共産党と国民党が一卵性双生児であるように、史観が接近する。
                  両国の政権はともに孫文が『国父』という位置づけを共通させている。
                  台湾台北には「国父記念館」があり、中国南京には孫文を祀る「中山陵」がある。孫文の生まれた家は広東省中山に残り、元帥府は広州市に残り、上海には記念館もある。しかし、孫文が国父という位置づけは正しいのか。かれはペテン師ではないのか。

                  1911年に「辛亥革命」なるものが成立し、清王朝が黄昏のなかに消えても、孫文の唱えた『三民主義』による政府は成立せず、実態は袁世凱の天下だった。孫文は共和制にもっていき国会を開設し、議論するようなシステムを夢見ていた。

                  宮脇さんは言う。
                  「孫文は、袁世凱による一つの政党と、自分たちが率いる政党ということで、政党政治を考えていました」
                  シナにあって実現したためしがない民主国家の建設を標榜したのは西側のスポンサーに口実が必要だったからだ。
                  つまり孫文はフィクサー的な調停役、当時の国民党を引っ張っていたのは宋教仁だった。孫文は邪魔な宋を袁世凱が暗殺するように仕向けた。
                  「間違いなく袁世凱は独裁者です。彼は自分の思うような政治をしたかったのです。そうでなければ生き残れないからです」。
                  そこで実権もなにもかもを失った孫文はまたもや日本に亡命する。じつに無責任男である。それが中華民国の草創期の実態だった。
                  「袁世凱は日英仏独露との間に2500万ポンドの五国借款を成立させ、この金で武器を買い、軍隊を整え、議員を買収する。そして1913年の議員の選挙によって正式の大総統に就任します。(中略)すぐに国民党を解散させて、国民党議員の資格を剥奪し、大総統の権限を勝手にどんどん拡大させていきます。これが新約法」(238p)であり、合法を表看板として本物の独裁となったのである。
                  日本から援助をむしり取り、技術を導入し、その金で軍事大国となったパターンは袁世凱にあるというわけだ。
                  ただし袁世凱は、教養人でもあり漢文古典に通じた知識の高い軍人だった。

                  毛沢東は同様な方法で天下を取った。1949年10月1日の天安門に並んだのは共産党のほかに民主諸派七つの『連合政府』だった。その後、毛沢東はじわりじわりと他派を粛清し、権力を固めてゆくのである。
                  習近平は政敵を排除して、かたちのうえで憲法を改正して、合法的な独裁者のポストを得た。袁世凱も毛沢東も、その独裁への道のりは、合法という狭き門を一応くぐり抜けるプロセスを必要としたという意味でも共通である。

                  posted by: samu | 書評 | 14:08 | - | - | - | - |
                  『幕末史 かく流れゆく』(中央公論新社)中村彰彦/
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                    宮崎正弘/書評

                    「幕末」とはいったい何時始まって、何時終わったのか?
                    歴史作家の冷徹な眼を通して激動の時代を客観的に振り返ると

                    幕末の激動期のことは多くの作家が書いた。主流は薩長の勝利史観を基にしての西?、大久保、木戸という「維新の三傑」が主役だが、ときに脇役の龍馬、晋作が大活劇を演じた小説もあり、あるいは先駆的役割を果たした吉田松陰、武市瑞山、あるいは傍流でしかない新撰組やら田中新兵衛らが主人公の短編小説も花盛りだった。
                    敗者となった?川慶喜を持ち上げるひともいれば、榎本武揚を、勝海舟を過大評価する向きもあった。しかし個人をあまりに英雄視し、カリスマ扱いすると、作り話が肥大化して、史実とは大きくかけ離れた噴飯ものの時代小説に化けたものもあった。
                    史家はと言えば、明治維新を是としてフランス革命になぞらえる試みやら、講座派とか、マルクス主義歴史観で裁断する硬直的な明治維新論も一時期は流行ったが、いまは顧みられない。
                    大政奉還、版籍奉還、地租改正、憲法制定、議会開催の決定を単に近代主義の進歩過程だとイデオロギー的に説く所論も、出版動向をみると少なくなった。
                    学閥の従来的解釈をはなれて、最近の若い書き手の評価には異色のものがでてきた。つまり従来の特定史観による一方的で浅薄な解釈は、執筆者の出身地、学閥、個人的好みによって多彩であってもまちまちであり、それぞれは薩摩に過剰に肩入れしたり、長州がつねに主役の物語になったり、司馬遼太郎に到っては龍馬が維新の立役者となった。
                    感情移入がはげしく、最近は逆に会津史観が登場し、西?をけちょんけちょんにけなす作品から、あるいは皇国史観のイデオロギー色が濃すぎて、内訌で自滅した水戸藩の悲劇を物語る作家もある。
                    ときに史実をハナから無視した乱暴な論法も目立つようだ。

                    さて本書である。
                    どの藩にも人物にも肩入れせず、史実は史実として、客観的に通史を描くと、全体の幕末像がみごとな輪郭を描く。
                    まさに、題名のように幕末の歴史は「かく流れた」のだ。
                    資料読みとして知られる中村彰彦氏はデビュー作が佐川官兵衛であり、その後、新撰組もたくさん書いたことでしられるけれども、小説ではたしかに会津贔屓だが、理論では徹底的に客観的、中立的である。
                    薩摩の暴走と陰謀、長州の短慮、冒険心、水戸の思想偏重などをさらりと片付け、本書はその折々の事件を、その歴史的な意味を再評価し、大事件と脇役とをみごとに振り分け、歴史の深淵をのぞかせてくれる。
                    立項目は多彩だが、その叙述はきれいに時系列となっており、歴史作家の多くが見落としがちだった節目節目の人事交代、事件処理、欧米列強の動きと要人のクライマックスにおける発言などのなかから「歴史を動かした要素」を基軸に措えなおしてみせた。
                    従来ありがちな「勤王」「佐幕」とか、『開国』か『攘夷』かという二元論ではなく、すべてが政局の流動かとともに輻湊したのだ。
                    そして著者はいうのだ。
                    「幕末」というのなら「幕初」と「幕央」はなぜないのか。幕末は明治政府の発足でおわるというのが通説だが、ではいつから始まったのか。
                    著者は幕政の衰えが顕著となった「天保12年の幕府命令撤回」という「事件」から幕府の衰退が始まり、つまりは『幕末』がこのとき開始され「西南戦争」の決着をみて、終わったという史観を披露する。
                    ひさしぶりに「読書をした」という感想である。

                    posted by: samu | 書評 | 23:00 | - | - | - | - |
                    書評/『朝日リスク』(産経新聞出版)桜井よしこ x 花田紀凱
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                      宮崎正弘/書評

                      影響力はなきに等しいまでに落?した朝日新聞の権威
                      それでも尊大な朝日はいつまで経営が維持できるのだろうか?

                      「アカが書き、やくざが売って、バカが読む」。最近は『朝日を読むとバカになる』という標語が国民の間に浸透してきた。
                      それほど朝日はバカの集まりになった。
                      元『週刊朝日』の編集長だった川村二郎氏も『学があっても、バカはバカ』(ワック)を上梓されたが、朝日新聞記者の救いようがない体質について糾弾している。ほかにも永栄潔氏、長谷川熙氏ら朝日OBが。。。。。
                      書店へ行くと朝日批判が目白押し、韓国批判本と並ぶほどに多い。
                      世の中、確かに変わって朝日が恐れられ、裁判という強迫を前に泣き寝入りしたケースもおびただしく報告された時代が嘘のようになってきた。
                      朝日がねつ造した記事は、自ら誤りを認めて謝罪した吉田清司の嘘証言以下、枚挙にいとまがない。
                      最近は早期退職を募集したら、退職金が7000万円とかで、もはや退職した方が有利と希望者が殺到したというニュースもある。えっ、7000万円? 朝日が小川栄太郎氏を訴えた金額より多いじゃん。
                      それなのに朝日読者がまだ推定で500万弱いるらしい。押し紙を含めての数字だろうが、なに地方都市のビジネスホテルへ行くとロビィにうずたかく積まれているのは朝日新聞で「無料でお持ちください」と表示してある。ちなみにほかの新聞は有料である。
                      さて本書は、桜井よしこ女史と花田「月刊HANADA」編集長とが、ゲストに門田隆将、堤堯氏らを招いての対談と鼎談、そして座談会からなり、メディアの行使する「筆の暴力」がいかにすさまじく、またいかに戦えばよいかについて縦横無尽の討論が展開されている。
                      なにしろ門田氏は元『週刊新潮』のデスク、朝日批判はお手の物、『朝日の天敵』と呼ばれたのは堤堯・元『文藝春秋』編集長だ
                      この二十年ほど、評者(宮崎)は堤氏と酒席をともにする機会が多いが、絶対に「アサヒビール」は頼まない人である。天敵といわれたからには新聞と関係がなくとも、ほかの銘柄のビールを飲むほどに徹底的である。
                      内容は一言。「面白き、やがて哀れなるかな 朝日新聞」。

                      posted by: samu | 書評 | 09:37 | - | - | - | - |