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「通州事件80周年 記憶と慰霊の国民集会」藤岡信勝
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    7月29日の「通州事件80周年 記憶と慰霊の国民集会」は、靖国神社の慰霊祭に150人、有楽町新国際ビルでの国民集会に300人という多数の参加者のもと、大きな盛り上がりをみせました。非業の死を遂げた犠牲者の皆様の御霊を慰めることに少しでも役立てば、本当にうれしく存じます。参加・協力をいただいた皆様に心より感謝致します。
    この報告ではまず、事務局長の宮崎正弘氏がメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成29年(2017)7月30日(日曜日)通算第5375号に掲載した概要を転載(一部訂正・加筆)し、次に少し裏話も含めて、この集会に至る出来事の流れを書いてみたいと思います。

    【A 宮崎正弘氏の報告からの転載】

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
    慟哭の「通州事件」から80年が経った
    寸鉄を帯びぬ無辜の同胞が無慈悲に惨殺された無念と慟哭
    *****************************

    7月29日、あの通州事件から80年を迎えた。靖国神社には、主催者の予測をはるかに超えて二倍の人々が参集し、無念の犠牲者に祈りを捧げ、二度とこのような惨劇を繰り返さないことを誓った。
    全員が本殿に昇殿参拝した。参列者のなかには文藝評論家の桶谷秀昭氏、黄文雄氏らの顔もあった。

    ひきつづき会場を有楽町に移し、「通州事件80周年 記憶と慰霊の国民集会」が開催され、会場は満杯。補助椅子を足しても収まりきれない多くの人々が駆けつけた。
    会は佐波優子さんの司会で始まり、最初に映画を上映。未発表のフィルムや証拠文献などかずかすが挿入された初公開のフィルムに見入った。
    https://ja.wikipedia.org/…/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%B…

    国歌斉唱、黙祷につづいて主催者を代表して加瀬英明氏、ジャーナリストの桜井よしこ氏が挨拶した。

    第一部の「事件関係者が語る通州事件の真相」に移り、コーディネーターは皿木喜久氏。事件当日に銃撃を受けながら奇跡的に助かった母が三ヶ月後に産んだ運命の子、加納満智子さん(現在79歳。3か月に80歳)が、その奇蹟の運命を語って会場はしーんとなった。
    また、犯行に及んだシナ兵と遭遇し、撃滅した部隊長の子息、奈良保男氏が登壇し、なまなましい当時の事件の背景や、伝え聞いている真相など、多くの証拠品を提示されながら語った。会場には中国専門家の樋泉克夫氏、また女性ジャーナリストとして活躍する河添恵子氏、福島香織氏らの顔もあった。

    休憩後、第二部に移り、阿羅健一氏、小堀桂一郎氏、北村稔氏、緒方哲也氏、ペマ・ギャルポ氏、オルホノド・ダイチン氏、三浦小太郎氏、そして最後に藤岡信勝氏がそれぞれ貴重な意見を述べた。

    とくに藤岡氏はチベットやウィグル、南モンゴルの夥しい血の犠牲の記憶回復運動とも連携し、今後の運動方針として、この通州事件をユネスコの「世界の記憶」として登録してゆくことなどの説明があった。閉会の挨拶は宮崎正弘が担当した。

    【B 国民集会準備の経過と開催の意義】
     事件80周年のこの日、どうしてこのような国民集会を開くことができたのか。この開催に至るまでの出来事の因果関係を辿ると、いろいろなことが思い出され、重要なことが見えてくる。終了後の懇親会の席で、ゲストの加納満智子様と奈良保男様、そして通州基金の役員の松林利一氏と、たまたま近くの席にすわった。きかれるままに話しているうち、いろいろなことが思い出された。それで、ここにその一端を書いてみようと思う。

     まず、第一に、どうして私が通州事件に着目したかという事情である。
     それについて言うと、すべては紫色の一冊の本との出合いから始まったと言ってよい。 いま、正確な日付けを特定することはできないが、美し国の会議室で開催された、私が担当する講座の折り、入り口で、元つくる会の事務局におられたI氏から勧められたのが、その本だった。『天皇さまが泣いてござった』という不思議なタイトルがついており、著者は「しらべ かんが」という、これも何やら神秘的な名前の方であった。私家版だったが、342ページもある立派な本で、1800円の定価がついていた。
     この本は佐賀県の基山町にある因通寺というお寺の住職・調寛雅氏が、連続講話をされた内容を、語り口のままに掲載したものである。そのテーマは、日本人は大東亜戦争時、いかに不当で残虐な殺され方をしたか、という「日本人の被害の歴史」だった。そして、そのお話の中に、通州事件の現場目撃者である佐々木テンさんの証言を書き取った記録が入っていたのである。
     私は一読して仰天した。通州事件は断片的には知っていたが、事件の凶行が行われる現場をリアルタイムで見ていた日本人がいたとは驚きであった。しかも、そこで語られた内容は、とても口にすることもできないようなものだった。
     私はとにかく、一度基山町の因通寺を訪問しようと思った。実現したのは、2年前の12月15日。それから私は何とかこの証言を復刊して世に出そうと熱望した。それが実現したのが、昨年の7月29日である。その本、ブックレットで自由社から出版した『通州事件 目撃者の証言』は、1万部以上売れている。
     この本の中に、青竜刀で惨殺された老婆が絶命する間際の声を佐々木テンさんが聞き取ったエピソードが出てくる。今回の集会の冒頭でビデオが上映されたが、その中で、プロの女性が読む場面があり、この老婆の声が再現された。「くやしい。仇をとって欲しい」と老婆は言い、息子(多分)の名前を呼び、最後に何と南無阿弥陀仏と念仏を唱えたのだ。
     その念仏が耳から離れず、日本に帰国したテンさんは、お寺に通うようになった。そして、大分の説教所で調師と巡りあうのである。このお坊さんなら、自分を変人扱いせずに受け止めてくれるに違いないと思って、半世紀にわたって秘してきた身の上話をする決断をしたのであった。因果関係を図示すればこうなる。

     断末魔の老婆の念仏→テンさんがお寺に熱心に通う→調師と出会う→調師が著書に書く →私がその著書に接する→ブックレットとして証言の全文を出版する

    このように書いてみると、青竜刀で斬り殺された老婆の無念の思いがテンさんを動かし、それが調師に伝えられ、私がそれを仲介して今の時点で読めるようにした、ということになる。もとをたぐれば、老婆の無念の思いがそれに続く人々を動かし、皆さんの手に渡ったと言える。因果関係とは出来事の系列を示すものだが、そこを貫いているのは、人の強い「思い」なのである。
     但し、この因果系列の中には、調師→私 という向きだけでなく、 私→調師 という逆向きのベクトルも存在することを付け加えておこう。というのは、調師の原稿は書かれてから10年近く出版社が見つからないままお蔵入りしていたのだが、平成9年(1997年)の11月に、自費出版の形で発行された。どうしてこのような形での出版を決断したかというと、そこには、教科書問題、歴史問題が世上論じられるようになった変化が影響していると推定されるのである。実際、同書には、私の名前を出して書いて下さっている箇所もある。だから、お目にかかる機会のなかった調師とは、この件では相互に影響し合っていることになる。平成9年は、まさにつくる会が創立された年である。つくる会がいかに社会の雰囲気を変える一石になったか、このことでも看て取ることができる。
     このような、人と人との出会いの話を申し上げたら、奈良氏と加納氏は、「縁ですね」とおっしゃった。「縁」のほうが日本的であり、「因果関係」よりもしっくりくるかもしれない。

     因果関係の話はあと2系列あるのだが、少々長くなったし、読む方もくたびれると思うので、続きは明日書くことにしたい。 

    posted by: samu | 歴史認識 | 10:30 | - | - | - | - |
    英霊に誓う靖国神社参拝/西村眞悟
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      八月十五日の終戦の日を迎え
      靖国神社に参拝するにあたり、
      次のことを記しておきたい。

      八月に入り、
      テレビ画面で、戦争中の悲惨で残酷な映像を見る日々が続いてきた。
      そして、その戦争の中で、戦死した人々を、
      無意識のうちにも、
      平和な現在とは全く異なる悲惨で異常な時代の犠牲者、
      つまり、現在の我々とは無縁の気の毒な人々として位置づけてしまいがちである。
      しかし、英霊の命は、
      日本を守るために捧げた命である。
      そして、その日本とは、過去現在未来を貫く日本だ。
      従って、英霊は、
      過去のその時点の日本に留まっているのではなく、
      現在の日本と共にあり、
      現在の日本を守っている。
      つまり、英霊と我々は一体なのだ。
      我々も、一旦緩急あれば、英霊と共に日本を守らねばならない。

      英霊の生きた過去を現在とは関係の無い「異常な時代」として片付けるということは、
      過去の実態を直視しないということだ。
      過去を直視しない者は、
      現在の実相を直視することもできない。

      先に紹介したスイス政府が編纂して全スイス国民に配布している
      「民間防衛」のまえがきに次のように書いている。

      われわれは、脅威に、いま、直面しているわけではありません。
      しかしながら、国民に対して、責任を持つ政府の義務は、
      最悪の事態を予測し、準備をすることです。

      その上で、スイス政府は「民間防衛」において、
      核攻撃を受けた際の被害を、
      急襲されたとき、警報があったとき、全員が避難所にいたとき、
      の区別に従って推計し、
      それぞれ、国民の安全率を35%、60%、90%と説明したあとで、
      さらに、核爆弾の規模に応じて、爆発後に、
      避難所(核シェルター)から外へ出ても安全な時間を国民に告げている。

      このように、脅威に直面していないスイス政府といえども、
      「最悪の事態」を予測し、
      核シェルターを造り、核爆弾からの安全対策を国民に説明しているのだ。
      では、
      脅威に直面していないスイスではない
      脅威に直面している我が国政府は、
      政府の義務として「最悪の事態」を予測し、
      そこから国民の安全を確保する準備をしているのか!?

      北朝鮮は、ミサイル四発をグアム島周辺に打ち込む包囲攻撃計画を公表している。
      これに対してアメリカのトランプ大統領は、
      この計画実施を、宣戦布告とみなし、
      あらゆる手段をとる、未だ見たこともない惨害を北朝鮮に与えると公言している。
      つまり、アメリカ大統領は、相手が先に拳銃を抜くのを待ち構えている。
      即ち、
      我が国は、今、脅威に直面し、「最悪の事態」を想定しなければならない時である。
      そして、この「最悪の事態」においては、
      我々は、英霊の思いを我が身に蘇らせて、国を守らねばならない。

      北朝鮮は、グアム島に向けたミサイルを、
      島根、広島そして高知の上空を飛ばすと公言している。
      我が国は、そのミサイルを打ち落とすのか、
      グアム島に弾着してもかまわないと呆然と見送るのか。

      八月十五日の靖国神社そして全国の護国神社では、
      過ぎ去った時代に生きた英霊を追悼するのではなく、
      英霊の守ろうとした日本を、
      我らもまた守ると誓い、
      その誓いを英霊に伝えよう。

      posted by: samu | 歴史認識 | 10:38 | - | - | - | - |
      露清密約の再現、現在の中露対日連携/西村眞悟
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        時事通信で、我が国の深刻な危機は、国内の甘さである、と書いた。
        特に、中共とロシアに関して、伝統的に甘い。
        我が国内には、
        北朝鮮という火病を発症した独裁者をもつ国を、
        中共とロシアが、先輩として国際社会のなかに調和し協調するように
        あやしなだめてくれると期待して頼っている風潮がある。
        しかし、この中露の二国は、そのような日本の期待に応える国ではない。
        ともかく、我が国は、
        近代化に進み始めた我が国の前に立ちはだかった最大の脅威は、
        この二国であった歴史的事実を忘れてはならない。
        そして、その脅威は、現在に至るも何ら衰えていないのである。

        我が国に大きな惨害をもたらした対米戦争は、
        この中国とロシア(ソビエト)の関わり合いのなかで、
        コミンテルンと中国によって招き寄せられたものである。
        そこで、
        この度、「月刊日本」八月号に寄稿した次の原稿を記して、
        中露に対する警戒心を喚起したい。 

        ・・・   ・・・   ・・・   ・・・   ・・・   ・・・   

        明治三十八年五月二十七日、
        我が国で、対馬の人々だけが、我が国の連合艦隊と帝政ロシアのバルチック艦隊が、
        対馬と沖の島の間の海域で激突する空前絶後の海戦を目撃した。
        それは、我が国の命運を決定して世界史を創る瞬間である。
         対馬の北に住む人々が古老から聞いたことは、
        その時彼らは北対馬の山の上から南東海域を眺め、
        被弾したロシアの軍艦が黒煙を上げて燃え上がり沈没して行くのを遙かに遠望して歓呼の声を上げたという。
         そして、その同じ人々が、
        翌日の二十八日、沈没したロシア巡洋艦ウラジミル・モノマフからボートで脱出し、
        対馬の北の殿崎の丘の下の海岸に漂着した百四十三名のロシア水兵達に、
        まず水を与え、彼らを自分たちの家に泊めて介抱したのだ。
         ここに、敵に対する敵愾心だけではなく、
        敵味方を超えて苦しむ者を慈しむ、真の日本人の姿がある。
        そして現在、漂着したロシア兵達が水を飲んだ泉は今も水を湛え、
        その上の道路の山沿いには、
        負傷して佐世保の病院に入院している
        バルチック艦隊のロジェストウェンスキー司令長官を見舞う
        東郷平八郎連合艦隊司令長官と幕僚の巨大なレリーフ像が建っているのである。
        地元の武末裕雄さんら有志が一億円の私財を出して、
        まさに、ロシア兵漂着の丘に、
        我が国の美風である「武士の情け」を象徴する情景を建設したのである。
         明治天皇は、日露戦争に際して、次の御製を詠まれた。
         
         國のためあたなす仇はくだくともいつくしむべき事なわすれそ

        対馬の人々は、この殿崎の丘で、まさにこの御製の心を体現したのだ。
        従って、この丘は、民族の叙事詩を伝える丘となっている。
         
         確かに百十二年前の日露戦争は、
        誇り高い高貴なる明治の叙事詩となった。
        しかし、その叙事詩を生み出した厳しい現実が、
        百年の時空を経て、我が国の周りで再現されつつあることに眼を向けなければならない。大陸のロシアとシナの本質は、百年前と何ら変わっていない。
        そこで、ロシアに焦点を当てて、
        東アジアにおいても、その民族の宿痾ともいうべき南下への願望が甦りつつあることに触れたい。
         他方シナ・中共は、触れるまでもなく、
        露骨に中華意識をむき出しにして我が国の尖閣を侵略して、
        そこを橋頭堡(ミサイル基地と海軍港湾)として台湾と沖縄本島を飲み込み、
        その上で、日本列島そのものを支配下に入れようとしていることは目に見えている。
         
        ところが実はロシアも、北で公然と同じ事をしているのだ。
        既にロシアは、我が国領土である国後と択捉に最新のミサイル基地を建設している。
        これ、南の尖閣に、ミサイル基地を狙う中共と同じではないか。
         しかし、我が国は、安倍総理大臣が
        プーチン大統領をウラジミルと親しげに呼ぶのに安心して、
        プーチンとロシアに対する警戒感を麻痺させている。
         ロシアが、首脳同士の個人的な関係で動くものか。
        プーチンの安倍総理への親しげな姿勢は、
        情報謀略組織であるソ連国家保安委員会(KGB)の将校であったプーチンの演出である。
         
        プーチンは、KGBから「強いソビエト」を目指して政界に入り、
        ソビエト崩壊後の二〇〇〇年(平成十二年)の末に、
        ソビエト国歌のメロディーを復活させる国歌法を制定した。
        そのプーチンの創った「ロシア国歌」は、
        「強いソビエト」を継承するもので、その歌詞には、

        おお、南の海より極地の果てへと広がりし我が森と草原よ・・・
        これ、神に守られた祖国の大地よ!

        とある。
        では、ロシアから見て、「南の海」とは何処の海か。
        それは、ユーラシアの東と西にある海だ。
        西は地中海に出るウクライナ領クリミアの海である。
        そして、東は朝鮮半島の南に広がる海、
        即ちそれは対馬の海、日本を取り巻く海だ。
         
         昨年六月、ロシア海軍と中共海軍は、
        南シナ海で合同軍事演習を行っている。
        そして、まずロシアの軍艦が我が国の宮古島の領海に侵入し、
        中共の軍艦がそれに続いた。
        また、昨年度の我が国の航空自衛隊のスクランブル発進回数は、
        冷戦時代を遙かに超えて、
        対中共軍機には851件、
        対ロシア軍機には301件である。
        つまり、中共軍機は一日に二回以上、ロシア軍機は一日一回の割合で、
        我が国の領空に接近している。
        同時に中共は、南シナ海の南沙諸島に、ロシアは、国後・択捉に軍事基地を造った。
        これはまるで、中共とロシアが、
        南と北から日本を挟撃するために軍事的に連携している状況ではないか。
         
         しかも、この両国は、西方においては、
        中共は、チベットとウイグルを軍事力で強権的に制圧し、
        ロシアは、世界とウクライナを油断させて一挙にクリミアを軍事力で強奪した。
        この中露二国は、
        ともに、相手の虚に付け入って軍事力を行使することを躊躇わない。
         
        そしてこのプーチンが、昨年末に、澄ました顔をして来日し、
        安倍総理の郷里の山口県を訪れて、日露友好を演出し、
        北方領土返還の可能性というニンジンをぶら下げて、
        日本からの資金を釣り上げたというわけだ。
        返還するつもりがあるならミサイル基地など造るものか。
        もはや安倍総理は、
        プーチンをウラジミルとか呼んでいる場合ではない。
        総理は、我が国の国後・択捉にミサイル基地を造るな!
        と靴を脱いで、
        その靴でプーチンの前の机を叩かねばならない。
         
        ここにおいて我々は、現在を知るために、
        百年前のロシアの対日戦略を知るべきである。
        トルストイは
        「監獄に入ったことのない者は、その国がどのような国家か知ってはいない」
        と書いた。
         また、帝国陸軍参謀本部次長、そして関東軍参謀長の要職を務め、
        戦後十一年間シベリアに抑留された秦彦三郎将軍は、
        臨終の近い日に、内村剛介に言った(内村著「ロシア無頼」)。
        「私は生涯ロシア・サービスで一貫し、
        ソ連に長く駐在し、ソ軍の演習にも参加した。
        でも何一つ分かっちゃいなかった。
        敗戦後ソ連の収容所暮らしをするまでは・・・」と。
         
        我が国のロシア認識は甘すぎる。
        この認識の甘さ自体が我が国の危機である。
        我々は、
        「西洋の衣を着たタタールであるロシア」
        の本質を見抜かねばならない。

        海将補で元防衛大学校教授の平間洋一氏は、
        ロシア海軍軍令部編纂の史料を発掘し、
        そこに記されている次のロシアの戦略を紹介している(同氏著、「日露戦争が変えた世界史」芙蓉書房出版)。

        「日本に勝利するためには、一・五倍の兵力が必要であり、兵力増強が完了するまで二年間は対日戦争を避けるべきである」、
        「極東でロシアが絶対優位権を確立せんと欲するならば、須く日本を撃破し、その艦隊保持権を喪失せしめなければならない」、
        さらに、
        「対日戦争では朝鮮を占領し、馬山浦を前進基地として日本人を撃破するのみにては不十分で、さらに之を殲滅せざるべからず」。
         
        この日露開戦前のロシアの戦略と見通しは、
        現在のプーチンの描いているものと一致する。
        現在のプーチンが、東の我が国に対してソフトなのは、
        西のシリアとクリミア問題で手一杯で、
        東への余力がないからだ。
        百六十年前のクリミア戦争でくたくたになったロシアが、
        東でアラスカをアメリカに売って金をせしめたのと同じく、
        現在もプーチンのロシアが、東の日本から資金を調達するつもりなのだろう。
        従って、北方領土における日露共同経済開発とは、
        ロシアの主権の下で行われる事業に日本が金を出すカラクリに過ぎない。
        百十三年前の日露開戦前と違うところは、
        現在は中共が力を持っているので、
        ロシアも中共を無視できず中露対日連携に向かうということだ。
        ここで思い浮かぶのは、
        日清戦争の翌年の明治二十九年(一八九六年)に結ばれた
        中露の極秘の対日攻守同盟である露清密約である。
        この密約は、
        ロシアが清の李鴻章に多額の賄賂を手渡し、
        その見返りに満州を獲得して結ばれたのだ。
        我が国は、この密約を知らず、
        九年後に、清がロシアに売った満州から多量の血を流してロシアを駆逐して
        清国領に戻したのだ。
        つまり、清国は、
        自らロシアに売り渡した満州を、
        日本に血を流させて取り戻したというわけだ。
        いずれにしても我が国は、
        この頃言われた次の警句を想起することだ。
         
         ロシア人は約束を破るために約束をする、
         シナ人はそもそも約束は守らねばならないと思っていない。

        posted by: samu | 歴史認識 | 09:46 | - | - | - | - |
        GHQが新聞社16社・通信社3社の事前検閲を廃止し、事後検閲に移行/Pride of Japan
        0

          今日は何の日 7月15日 昭和(1948年) - GHQが新聞社16社・通信社3社の事前検閲を廃止し、事後検閲に移行。


          終戦後、GHQは「人権指令」を発しておきながら、個人の私信にまで検閲を行うという基本的人権の侵害を行った。

          「原子爆弾は国際法違反の戦争犯罪である」という鳩山一郎の談話を掲載した朝日新聞を48時間の発行停止処分にしたことなど、すさまじい言論弾圧を行ったのだ。

          終戦後の昭和20年9月21日、GHQは、日本新聞遵則(日本出版法、プレス・コード)、日本放送遵則(ラジオ・コード)を報道関係者に公表させた。

          そこでは表現活動において触れることを厳禁した30項目(30ヶ条)が設けられた。思想言論のコントロールをするために言論統制がしかれた。

          第1条 SCAP(GHQのこと)に対する批判はいけない
          第2条 極東軍事裁判(東京裁判)への批判はいけない
          第3条 SCAPが日本国憲法を起草したことについての言及と批判はいけない 日本政府があくまでも自身で起草したのだという建前で、占領軍が押し付けた新憲法草案を発表するよう、GHQより強要されたものではなく、両院(衆議院と参議院)でこれを審議させたものとする。
          第4条 占領軍が検閲をしていることに関する言及と批判はいけない 占領軍がこういう検閲をしていることは言論の自由を抑圧しているわけである。ところが、ポツダム宣言は第十条で言論の自由をうたっている。
          第5条 アメリカに対する批判はいけない 東京大空襲をはじめとした無差別爆撃、広島、長崎原爆投下など、数々の虐殺を重ねたアメリカへの批判はいけないというのだ。日本軍の真珠湾攻撃を巧妙に誘導したルーズベルトの陰謀についても語ってはいけないというのだ。
          第6条 ソ連に対する批判はいけない 日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲での略奪・虐殺、樺太での虐殺、シベリア抑留など数々の暴虐行為を重ねたソ連への批判はいけないというのだ。ソ連軍が日本人、特に婦女子に対してどのような暴虐な行為をしたか、その批判もしてはならないというわけだ。
          第7条 イギリスに対する批判はいけない
          第8条 朝鮮人に対する批判はいけない
          第9条 支那に対する批判はいけない
          第10条 他の連合国に対する批判はいけない
          第11条 連合国一般に対する批判はいけない
          第12条 満州における日本人取り扱いについての批判はいけない
          第13条 連合国の戦前の政策に対する批判はいけない
          第14条 第三次世界大戦への言及はいけない 第三次世界大戦が起きたら、敗戦国日本がそれに乗じてのし上がろうとか、言ってはいけないということ。また、ヤルタ密約でソ連に協力させて戦争に勝ったのに、米ソが対立していることを批判してはいけないということ。
          第15条 ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及はいけない 冷戦が厳しくなったらそれに付けこもうなどと、言ってはいけないということ。
          第16条 戦争擁護の宣伝はいけない 大東亜戦争はこういうわけで避けることができなかった日本にとって自存自衛の戦争だったというふうに、日本の戦争遂行を弁護してはいけないということ。ところがマッカーサー重大証言でマッカーサーまでもが日本の自存自衛戦争だったことを認めてしまっている。
          第17条 神国日本の宣伝はいけない
          第18条 軍国主義の宣伝はいけない
          第19条 ナショナリズムの宣伝はいけない 民族主義、国家主義の宣伝もいけない。
          第20条 大東亜共栄圏の宣伝はいけない おまえら日本人は、大東亜を解放したなどという生意気なことをいってはならない、ということ。
          第21条 その他、以上で特記した以外のあらゆる宣伝は禁止 これには何でも入ってしまうどんでもない項目。
          第22条 戦争犯罪人の正当化、弁護の禁止 これがあるため「A級、ないしB級、C級戦犯」に指名された人たちを正当な根拠によって弁護することも一般の日本国民にとっては不可能だった。
          第23条 占領軍兵士と日本女性が性的交渉を持っていることを言ってはいけない。
          第24条 闇市の取引のことを言ってはいけない 占領軍が面倒を見てやっていて、おまえら日本人は、経済面で不都合はないはずだから、闇市場のことなどいってはいけない、ということ。
          第25条 占領軍に対する批判はいけない
          第26条 食糧不足を誇張してはいけない
          第27条 暴力と不穏の行動の扇動 国民が騒ぎ出すような暴力行為や不穏状態を誘導してはいけない、ということ。
          第28条 虚偽の陳述をしてはいけない 嘘を言ってはいけないならばいいが、嘘か本当かは占領軍の検閲官が決めるというふざけたものだった。
          第29条 GHQやその地方支部に対する不適切な言及をしてはいけない
          第30条 真実の報道であっても、時期尚早の発表はいけない 時期尚早かどうかは、占領軍が決める。


          事前検閲から事後検閲へ
          http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-4975.html
          posted by: samu | 歴史認識 | 10:02 | - | - | - | - |
          国の祝日、明治の日・明治節は何故必要なのか/西村眞悟
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            七月十五日午後一時三十分より、大阪護国神社において、
            十一月三日の「明治の日」制定の必要性について話をさせていただいた。

            その話を準備するに際し、
            気になったのは、七月二十日の「海の日」の変遷の経緯であった。
            明治八年七月二十日、
            若き明治天皇は東北と北海道巡幸から最新の英国製洋式汽船「明治丸」に座乗されて、
            東京湾に帰着された。
            よって、その日を記念して七月二十日は「海の日」という祝日に定められた。
            しかし、戦後は「海の日」は祝日から外されていた。
            それが、現在のように、祝日として復活したことに関していささか思い出がある。
            私は、その時、衆議院の内閣委員会理事であった。
            そして理事会は、「海の日」を祝日として復活させる法案を審査にかける決定寸前に至っていた。しかし、その時、社民等の左側から、条件が出された。
            その条件とは、「八月十五日」を「敗戦の日」として祝日にするのならば
            「七月二十日」の「海の日」に同意するというものであった。
            私は、まず自民党の理事から、その左側からの提案に関して意見が表明されると思っていた。しかし、何の発言もない。このままでは、「敗戦の日」が浮上しかねない。
            そこで、私は発言した。
            「世界の何処に、戦争に敗北した日を、祝日にしている国があるのか、馬鹿馬鹿しい」
            これで、議論は終わり、「海の日」だけが、祝日として復活した。
            「海の日」は、明治八年七月二十日に
            明治天皇が「明治丸」で東京湾に入られた日を記念して定められたのだ。
            ところが、だ。
            現在、「海の日」は、明治八年七月二十日の明治天皇の記憶から遊離させられて、
            単なる「休日」として扱われ、「連休」となるように仕組まれている。
            今年で言えば、
            七月十六日の日曜日の翌日である七月十七日が「海の日」で休みという訳だ。
            連休が多ければ儲かると思った観光業界や旅館業界の陳情を受けて
            自民党内の業師がこういう法改正をすんなり通したということだ。
            利を求めて走る、国家観無き戦後の典型的な風潮である。

            従って、この度、護国神社で
            「明治の日」復活の話をするにあたり、
            「明治の日」も、「海の日」と同じように、
            民族の記憶から遊離させられて単なる「休日」の話となってはならないと思い、
            冒頭に次のメッセージを作り配布させていただいた。
            ・・・      ・・・    ・・・
            「明治の日」
            を制定することは、
            明治を偲び回顧するためではなく、
            迫り来る国難を克服して、我が日本の存立を確保し、
            誇りある未来を開拓するためである。
            過去は、
            過ぎ去った日付のところにあるのではなく、現在の我々とともにある。
            従って、明治を取り戻すことは、
            明治と現在の連続性を取り戻すことであり、
            我々自身を取り戻すことである。
            「明治の日」
            を祝うことは、
            悠久の太古から天皇とともにある
            祖国と民族と大和魂を取り戻し、
            我々自身の人生を取り戻すことである。

            御民吾 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に 遭へらく 念へば
                           万葉集 天平六年 海犬養岡麿
            ・・・    ・・・    ・・・

            我が国を思いそのアイデンティティーを見つめるとき、
            次の二人の人物の語ったことを思い起こす。
            一人は、先日亡くなった渡部昇一先生
            「皇室と神社は、天皇と神社は
            日本文明を日本文明たらしめている根源である」

            もう一人はフランス人の社会人類学者クロード・レブィ=ストロース
            「日本的特殊性なるものがあり、それは根源からしてあったのだ。
            そして、それらが外部からの諸要素を精錬して、
            つねに独創的な何物かを創りあげてきたのだ。
            われわれ西洋人にとっては、
            神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている。
            日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、そこでは誰もが、
            歴史とも神話とも密接な絆を結んでいられるという点にあるのだ。」

            万世一系の天皇は、
            天照大神の天壌無窮の神勅に基づいている。
            太古の神話に基づく元首を現在に戴いている国家が
            日本以外の何処にあろうか。
            よって、ここに、
            天皇の祖神である天照大神を祀る伊勢神宮の内宮の前に、
            昨年、サミットに参加したG7の首脳が集ったことには
            実は深い文明論的意義があるのだ。

            高貴なる明治
            それは、神話と天皇の国日本の甦りである。
            日本が誕生してから、
            海ゆかば水く屍と、山ゆかば草むす屍と、
            万葉集に歌を残した防人をはじめ、
            多くの先人達が大和心、大和魂を残してきた。
            明治維新と明治とは、
            広大な大気中に散在する電気が 
            避雷針の一点に集中して
            巨大なエネルギーとなって閃光と大音響を発する雷と同じように、
            遥か太古からの我が国の歴史のなかに伝えられた無量の人々の魂と物語が
            明治天皇の基に集中し、爆発して、
            欧米列強の力を跳ね返し近代化を進める巨大な民族の力を生み出した時代である。
            そして、昭和天皇が、
            激動の昭和において貫かれたものは、
            太古からの日本の連続性=明治と昭和の連続性=戦前戦後の連続性である。

            また、このことは明治天皇ご自身の遺された意図そのものである。
            明治三十四年四月二十九日、
            ご誕生になった裕仁親王殿下を裕仁と命名されたのは
            明治天皇である。
            明治四十年一月三十一日、山県有朋が軍の中枢である「参謀総長」に推挙してきた
            乃木希典陸軍大将を、
            参謀総長にはせず学習院院長に任命されたのは
            明治天皇である。
            その時、明治天皇は山県に次のように言われた。
            「近く、朕の三人の孫達が、学習院に学ぶことになるのだ」
            そして、次の御製を詠まれた。
              いさをある人を教えのおやにしておほしたてなむやまとなでしこ
            明治天皇は、次に皇太子となり天皇となる裕仁親王殿下の教育を
            最も信頼する武人、乃木希典に託されたのだ。
            そして、乃木希典は、全身全霊を挙げて裕仁親王殿下に接してゆく。
            大正元年九月、乃木希典学習院長は、
            山鹿素行の「中朝事実」を
            皇太子になられた裕仁親王殿下に渡し、よく読まれるように申し上げ、
            十三日に明治天皇の御跡を追って夫人とともに殉死した。
            翌日、乃木希典殉死の報を聞かれた裕仁親王殿下は、
            「落涙された」
            (昭和天皇実録より、実録に天皇の落涙を記してあるのはここだけである)。
            後年、昭和天皇は、
            「私の人格形成に最も影響のあったのは、乃木学習院長であった」
            と語れれている。
            ここに、明治天皇の思いとそれを受け継がれた昭和天皇を仰ぐことができる。
            また、明治天皇の、
            慶応四年(明治元年)三月十四日に、
            「五箇条のご誓文」とともに国民に発せられた「国威宣布のしんかん」
            そして、昭和天皇の昭和二十一年一月一日に発せられた
            「新日本建設の詔書」と次の御製二首
            ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松そををしき人もかくあれ
            冬枯れのさみしき庭の松ひと木色かへぬをぞかがみとはせむ
            これらは、昭和と明治の連続性を示す詔書と御製である。

            以上の通り、明治と昭和そして平成の連続性を確認し、
            再び、東アジアにおける
            明治の日清戦争と日露戦争の国難に匹敵する国難が迫る現在を見れば、
            我らは、
            明治の魂を甦らせて我が国の輝かしい未来を切り開くことを決意する以外にない。
            ここに、十一月三日の明治天皇のご誕生日を
            「明治の日」
            に戻して明治の志を現在の志とするべき国家的必要性がある。

            posted by: samu | 歴史認識 | 09:38 | - | - | - | - |
            昭和天皇と水際撃滅による本土決戦/西村眞悟
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              昭和天皇の誕生日の翌日、
              やはり「昭和天皇と本土決戦」のことを書いておきたい。
              その上で、末尾に、
              戦後という時代が始まるに直前まで、
              大将から兵卒に至るまでの全ての兵士が
              何を決意したのかを知るための絶好の一書を諸兄姉に薦める。
              歴史を回復し、
              日本を取り戻すために、
              必読書と思うからである。


              まず戦争に臨む二人の人物の言葉を記したい。

              (1)私が一瞬でも、交渉や降伏を考えたとしたら、
              諸君の一人一人が立ち上がり、私をこの場から引きずり下ろすであろう。
              私は、そう確信している。
              この長い歴史をもつ私たちの島の歴史が、
              遂に途絶えるならば、
              それは、我々一人一人が、自らの流す血で喉をつまらせながら、
              地に倒れ伏すまで、戦ってからのことである。

              (2)戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、
              戦はずして亡国にゆだねるは、身も心も民族永遠の亡国であるが、
              戦って護国の精神に徹するならば、
              たとい戦いに勝たずとも、祖国護持の精神が残り、
              我らの子孫はかならず再起三起するであろう。
              統帥部としては、先刻申したとおり、
              あくまで外交交渉によって、目的貫遂を望むものであるが、
              もし不幸にして開戦と決し、
              大命が発せられるようなことになるならば、
              勇躍戦いに赴き、最後の一兵まで戦う覚悟である。

              (1)の言葉は、
              昭和十五年(一九四〇年)五月二十八日のイギリス議会における
              首相ウインストン・チャーチルの演説である。
              この時イギリス軍は、
              一万の戦死者と三万の捕虜をだしながら
              ドイツ軍にフランスのドーバー海峡に臨むダンケルクまで追いつめられ、
              イギリス本土からは、
              あらゆる漁船からレジャー用ヨットそしてボートまでがドーバー海峡を渡り、
              ダンケルクの海岸からイギリス軍兵士を救出していた。
              この時、イギリス政界にはナチスドイツの工作活動によって、
              ドイツと「話し合おう」という有力な勢力があった。
              しかし、チャーチルは、議会で断固としてイギリスは戦うと宣言した。
              そして、伝記作家は次のように書いている。
              このチャーチルの決断によって、
              一年以内に三万人のイギリスの男性、女性、子ども達がドイツの手によって殺害された。

              (2)の言葉は、
              海軍軍令部総長永野修身が、
              昭和十六年十二月一日の御前会議における開戦決定前に述べた覚悟である。

              何故、この二人の人物の言葉を記したのか。
              それは、イギリスと日本と、国は違っても、
              祖国の戦いに臨む思いは同じであると確認したからだ。
              チャーチルは、「本土決戦」の覚悟を表明し、
              永野修身も「最後の一兵まで戦う」と述べた。
              そして、イギリスは勝利し、日本は敗北した。
              従って、チャーチルが言った
              「自らの流す血で喉をつまらせながら地に倒れ伏すまで戦う」
              準備をしたのは我が国だった。

              しかし、戦後の我が国の風潮は、
              敗北して歴史を奪われたが故に、
              この「血で喉をつまらせながら地に倒れ伏すまで戦う」覚悟を
              祖国の精神を後世に伝えるための尊い決意であることを没却し、
              狂信的な軍国主義か集団発狂かのレベルで一笑に付すのである。
              しかし、チャーチルが軍国主義の狂信者ではないように、
              我が国の本当の「本土決戦」を決意した当時の国民も狂信の徒ではない。
              然るに、
              昭和四十二年封切られ、一昨年の平成二十七年に再び封切られた
              我が国の終戦の日の八月十五日に関する映画「日本の一番長い日」は、
              あまりにも皮相的で軽薄で、
              真の「本土決戦思想」の本質は全く描かれていない。

              そこで、昭和天皇と、
              この「本土決戦」を見つめたい。
              これこそ「身も心も永遠の亡国」か
              それとも「護国の精神」を維持するか、
              我が国の運命の境目だったからである。
              そして、国民に対する放送において、
              「國體を護持し得て」
              と宣言され、
              「確く神州の不滅を信じ」
              と国民を励まされた
              昭和天皇こそ、我が国の運命を決せられた御一人である。

              結論から言うならば、
              真実の「本土決戦思想」は、
              レーニンの唱えた「敗戦革命戦略」、即ち、
              我が国を「敗戦から革命へ」という
              共産主義革命路線に雪崩れ込ませて共産化するという危機から切断し、
              チャーチルと永野修身が唱える
              「祖国護持の精神」を残すために戦おうとするものであった。

              昭和天皇は、二度、壊滅に瀕した首都東京を眺められ都内を巡回された。
              一度目は、大正十二年九月、関東大震災の時に、摂政として、
              二度目は、昭和二十年三月十日のアメリカ軍の東京大空襲後の時に、天皇として。
              この二度目の時に、政府は
              天皇陛下に長野県松代に造った長大な地下壕のなかに造営した
              「皇居」にお移りいただきたい旨申し出た。しかし、
              天皇陛下は、東京に留まる、とその松代の皇居への移転を拒否された。

              昭和十九年七月にサイパンが陥落し、
              我が国の首都東京はアメリカ軍の爆撃圏内にはいる。
              そして次に、フィリピン戦線での日本軍の敗北が決定的になって、
              アメリカ軍の本土侵攻が可能となってきた。
              そこで、陸軍省は、統帥部に計らず、
              サイパン陥落の頃から東京から長野県の松代の地下に
              大本営および政府関係機関また放送協会を移動させ、
              さらに皇居を造営してそこに天皇陛下も移っていただく大疎開の突貫作業に入った。
              そして、東京大空襲をうけて、
              天皇陛下に、ほぼ完成した松代の地下皇居に移っていただこうとしたのである。
              しかし、前記の通り、
              天皇陛下は、お移りにならなかった。
              最後まで、国民とともに危険な東京に留まろうとされたのである。

              仮に、天皇陛下が松代に移られたら、
              大本営も政府機関も松代に移ったであろう。
              では、本土防衛戦は如何なる場所で行われたのか。

              それは、房総半島と相模湾から上陸したアメリカ軍主力が
              長野県の手前の中部山岳地帯に入ったところである。
              そこまでの間でも住民を巻き込んだ徹底的なゲリラ戦を展開して消耗させたうえで、
              山岳地帯に入ったアメリカ軍を膠着状態に陥れたときに、
              松代の大本営の背後にある日本海からソビエト軍が上陸すれば、
              日本の共産化が実現する。

              これが当時、陸軍省内部にいた「親ソ連派軍人」の狙いであった。
              これら親ソ連派軍人は、
              「シナ事変の最中に陸軍省の各部局に入り込んできた召集将校たちであり、
              その正体は右翼を装った転向共産主義者であった。」(大東亜戦争と本土決戦の真実」家村和幸著)

              このように、大本営も皇居も松代の内陸部に移すということは、
              上陸してきた敵を国土深く侵攻させて住民と共に徹底的な戦いをすることになる。
              この皇居の移動を、きっぱりと拒絶されたのが
              昭和天皇である。
              昭和天皇は、最後まで、敵が上陸してくる海が見える東京の「水際」に留まり、
              国民と共にある、と表明されたのだ。
              御自身の身の危険のことは一切考慮されていない。

              そこで、ここから、
              天皇陛下の御決意とともに、
              陸軍の対上陸作戦思想が如何に変わったかをみなければならない。
              即ち、
              後方で上陸軍を迎え撃って持久戦を展開するという
              「後方配備」の思想から、
              敵が上陸する水際で直ちに決戦を挑み、
              「最後の一兵になるまで戦う」という
              「水際撃滅」の思想に転換したのである。

              この水際撃滅の思想は、
              軍隊は、日本民族再興の基盤である国民を戦いに巻き込まずに守りとおし、
              軍人は最後の一人に至るまで戦って死ぬというものだ。
              これは何も狂信的ではない。
              松代に後退して内陸で国民を巻き込んで戦う
              そしてソ連の侵攻を待つ、という方が狂っている。

              ドイツ軍司令官ロンメル元帥も、連合軍のノルマンディー上陸直前に言っている。
              「勝負はこの海岸で決まる。
              敵を撃退するチャンスは一度しかない。
              それは敵が海のなかにいるときだ。」

              昭和二十年六月、参謀次長通達「本土決戦根本義の徹底に関する件」に言う。
              「いやしくも戦況苦難の故をもって当面の決戦を避け、
               後退により持久を策するが如き観念は、
               本土決戦の真義に反するものなり」

              そして、この思想に基づき、帝国陸海軍は
              「自らの流す血で喉をつまらせながら、地に倒れ伏すまで戦う覚悟をして」
              我が国の水際の陣地構築の突貫作業に入った。
              その上で、
              昭和天皇は、
              我が国の運命をかけた瞬間を乗り切っていかれ、
              帝国陸海軍が戦いをやめて消滅した後にも
              たったお一人で、
              日本が日本であり続ける根源の姿、國體、を守り抜かれたのだ。

              そこで、冒頭に記したように、
              諸兄姉に、
              是非次の本を読んでいただきたい。
              この本は、
              日本陸軍の最後に確立した水際撃滅思想の本質を、
              元寇に次ぐ我が国の二度目の壮烈な本土防衛思想として位置付ける書であり、
              我々の誇りを喚起してくれる書である。
              著者は、陸上自衛隊の中佐(二等陸佐)で、
              現在は、「日本兵法研究会」を主催する家村和幸氏である。

              書名 「大東亜戦争と本土決戦の真実」
              著者 家村和幸
              発行者 奈須田若仁
              発行所 並木書房
                 〒104−0061 東京都中央区銀座1−4−6
              筺。娃魁檻械毅僑院檻沓娃僑
              FAX 03−3561−7097

              posted by: samu | 歴史認識 | 11:36 | - | - | - | - |
              時代は、戦艦「三笠」が戦った時に回帰している/西村眞悟
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                四月二十一日は、午後六時から埼玉県大宮で、
                我が国と周辺諸国X・Y・Z(自衛隊における仮想敵国の符丁)について講話をすることになっていた。それで、昼食を横須賀のドブ板横丁でとり、
                その後、日露戦争における連合艦隊旗艦「三笠」を久しぶりに訪れて挨拶し、
                原子力空母ロナルドレーガン(10万1500トン、全長333メートル)がいるのを確認してから埼玉に向かった。
                以下、横須賀の情景と埼玉の大宮における話の概略を記してご報告とする。

                海を背にして立つ東郷平八郎提督の銅像の背後に
                連合艦隊の旗艦である戦艦「三笠」が「日の丸」と「Z旗」を掲げて係留されている。
                「Z旗」を掲げているということは、
                「三笠」は、明治三十八年(一九〇五年)五月二十七日、
                敵艦見ゆとの警報に接し、鎮海湾から対馬北東海域に向けて連合艦隊を率いて、
                国家の運命を背負って、ロシア帝国バルチック艦隊の迎撃に向かう時の旗を、
                今も、掲げているということだ。
                その「三笠」を見上げて船内に入れば、
                我が国の歴史における帝国の興廃をかけた劇的な一瞬が、
                そこに凝縮されて今も留まっているような思いがする。
                フランスのドゴールが
                イギリスのアジア支配の根拠地であるシンガポールの陥落(一九四二年二月十五日)
                の報に接して言ったように、
                二十世紀が、日本が数百年にわたる白人の世界支配を打ち破った世紀だとするならば、
                その三十八年前の一九〇五年五月二十七日に、対馬沖で、
                ロシアのバルチック艦隊を撃滅して日本の興廃を決した戦艦「三笠」は、
                やはり二十世紀最大の世界史を創造した劇的な船である。
                戦後の一時期、
                東京の万世橋の駅前に立つ旅順閉塞作戦の英雄広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像が、
                勝者の占領軍・GHQにおもねる卑しい日本人たちによって
                自主的に破壊されて撤去された終戦後の情けない風潮のなかで、
                よくぞ「三笠」は残ったと、その存続に尽力した人々に感謝する。
                「三笠」は日本とアメリカの双方の心ある人々の尽力によって存続できた。
                しかし、広瀬中佐の銅像を撤去した同じ卑しい風潮のなかで、
                戦後しばらく、心無い者たちが、
                「三笠」の甲板上にダンスホールを建てていたことも記憶すべきである。

                次に、原子力空母ロナルドレーガンが、
                海上自衛隊横須賀総監部の対岸のアメリカ海軍の岸壁に泊まっているのを確認した。
                その本体はほとんど見えず艦橋の上部だけが見えた。
                出撃はまだか、と思いもする。
                手前の総監部の岸壁には、ヘリ搭載型護衛艦という名のヘリ空母「いずも」(1万9500トン、全長248メートル)と護衛艦「むらさめ」が係留されていた。
                「いずも」は、ミッドウェー海戦で、敵空母「ヨークタウン」を撃沈して一矢を報いた
                山口多門提督が乗っていた殊勲の空母「飛龍」(全長227メートル)とほぼ同じ大きさである。
                我が国も、早急に、正真正銘の空母機動部隊を保持して
                東アジアの海洋の平和を守らねばならない時代に入っていると思った。

                そして、横須賀を後にして埼玉の大宮に向かう。大宮で話せと戴いた議題は
                「これからの日本〜対中国、北朝鮮、韓国、ロシア〜」
                つまり「日本とX・Y・Z」である。

                (1)日本とX・Y・Zを文明圏として観れば
                日本と西のユーラシア大陸の東にある中国、朝鮮、ロシアの間にある
                日本海、玄界灘、そして東シナ海は、太平洋より広い。

                ロシア人は、約束は破るものだと思っているので、破るために約束をする。
                シナ人は、そもそも約束は守るものだと思っていない。

                日本人は「嘘をつくな」と子供に教える。
                即ち、日本は、嘘をつくことは悪いとする文明である。
                大陸側は「騙されるな」と子供に教える。
                即ち、大陸側は、嘘をつくことは悪くないとする文明である。
                それ故、
                X・Y・Zの兵法の基本は、
                敵(異民族)を撃滅するために「敵を騙すこと」であり(孫子)、
                日本の兵法の基本は、
                天皇の下の和を回復するための「誠」である(闘戦経)。

                このロシアとシナの密約が、
                明治二十九年(1896年)の露清密約だ。
                これは、日清戦争後のロシアの三国干渉の後、
                清の李鴻章とロシアのロバノフ外相・ウィッテ蔵相との間で交わされた密約で
                日本が、ロシアか清か朝鮮を攻めれば、
                ロシアと清は共同して日本に対抗することを約した攻守同盟であり、
                さらに、ロシアが李鴻章に渡す巨額の賄賂を以って
                ロシアの満洲における鉄道施設と銀行設立(鉄道と銀行による征服)の対価とした、
                つまり、李鴻章は満洲をロシアに売却した。
                現在、李鴻章の子孫は、名前を変えてアメリカで富豪として生活している。
                この露清密約は、
                ロシアの満洲から朝鮮半島への南下を促進して日露戦争の原因となる。
                しかし、我が国はこの密約を知らず、
                日露戦争において、血を流してロシアを満洲から駆逐した。
                そのおかげで、清はロシアに売却した満洲を何食わぬ顔をして取り戻したのである。
                まことに、
                十九世紀末の三国干渉と露清密約は、「東亜百年の禍根」である。
                そして、現在、
                ともに西太平洋に進出しつつあるこのロシアとシナの間に、
                また、百二十年前の露清密約と同じ「対日攻守の密約」の匂いがするではないか。

                (2)仮想敵国としてのX・Y・Z
                二〇一五年九月二日、
                仮想敵国Z=ロシアのプーチン大統領は、
                仮想敵国X=中共の習近平主席の主催する「対日戦勝七十周年軍事パレード」に参加し、プーチン大統領と習近平主席は、
                北京の天安門上で仲良く軍事パレードを見物した。

                そのロシアは、我が国の領土である北方領土の不法占拠を続けている。
                そして中共は、我が国の領土である尖閣を奪おうとしており、
                さらに、琉球共和国独立構想を掲げて沖縄本島までをも飲み込もうとしている。
                さらに、ロシアは、
                我が国の固有の領土である北の国後と択捉にミサイル基地を建設している。
                中共は、我が国の南のシーレーンが通る南シナ海に軍事基地を建設している。
                即ち、我が国の南北の海洋に、ロシアと中共は、同時に軍事基地を建設している。

                平成二十八年度の我が国航空自衛隊のスクランブル発進は千百六十八回であり、
                その発進の七十パーセントが対中共空軍機、
                三十パーセントが対ロシア空軍機である。
                中共とロシア海軍は、昨年六月、南シナ海で合同軍事演習を行い、
                同時期、我が国の宮古島沖領海をロシアと中共の軍艦が相次いで侵犯した。
                このスクランブル発進回数は、一日三回の密度であり、既に冷戦期の密度を超えている。
                つまり、我が国の北と南の空域は、
                中共とロシアに挟撃されているかの如き緊張下にある。

                ロシアの、国後・択捉におけるミサイル基地建設は、
                オホーツク海をロシアのSLBMを搭載する潜水艦の聖域にするためだ。
                そして、中共の南シナ海における基地建設と東シナ海の尖閣領有への行動は、
                南シナ海と東シナ海全域を中共の海にするためだ。
                そして、ロシアと中共の両国は、
                我が国の東に広がる広大な西太平洋を中ロの海にしようとしている。
                つまり、中ロ両国は、海洋国家である我が国の
                「海洋の航行の自由」を奪おうとしている。
                これ、恐るべき動き!ではないか。
                やはり、Xの中共とZのロシアは、友好関係を築けるような行動はしていない。
                これらは、仮想敵国にとどまらず、既に現実の顕在敵国である。

                そして、仮想敵国Y=北朝鮮は、周知のとおり核とミサイルの開発を急いでいる。
                アメリカのティラーソン国務長官は、
                過去二十年におよぶアメリカの対北朝鮮政策の誤りを認めた。
                我が国も、北朝鮮に巨額資金の提供を約束した平壌宣言に象徴される
                対北朝鮮政策の誤りを認める必要がある。
                そのうえで、日米両国の対Y共同対処を実施すべきである。
                北朝鮮に対する影響力に期待して、
                北朝鮮の非核化に関して中共に任せようとする風潮があるが、
                これは強盗に町内防犯パトロールを任せるようなものである。

                Yではないが、政情混沌としたなかで、北朝鮮への接近の動きのある韓国に対しては、
                昨年に公表された筑波大学大学院教授の古田博司氏の次の論考に従うべきである。
                「庶民である日本国民は、
                あくまでも『助けず、教えず、関わらず』の非韓三原則で対処し、
                彼らの騒ぎに巻き込まれないように、対岸の火事を見るがごとくし・・・
                日本からの援助を求める韓国内の声に耳を貸してはならない(産経新聞朝刊、平成二十八年二月十日)。」

                (3)我が国はいかに対処すべきか
                それは
                「平和を望むならば戦いに備えよ」
                という古代ローマの軍学者の言葉に尽きる。
                即ち、我が国は、今こそ、
                平和のために戦う覚悟をせねばならない時にきている。

                現在、北朝鮮の核ミサイルだけがクローズアップされて、
                中共の核ミサイルやロシアの核ミサイルのことには目が閉じている。
                しかし、既に見てきたように、我が国にとって、
                既に実戦配備されている中共の核ミサイルやロシアの核ミサイルが、
                北朝鮮の開発中の核ミサイルに勝る現実的脅威なのだ。
                従って、我が国は、
                ソ連が突きつけてきた中距離核弾頭ミサイルであるSS20に対して、
                同じく核弾頭ミサイルであるパーシング兇鯑佑つけて、
                「相互確証破壊」の体制を構築して対抗した
                一九七七年九月の西ドイツ首相のシュミットのように、
                X・Y・Zの核弾頭ミサイルに対抗する核弾頭ミサイルを
                X・Y・Zに向けて配備する必要がある。
                同時に、敵ミサイル基地撃破能力と敵ミサイルの迎撃能力を
                保持しなければならないことは、もちろんのことである。

                このようなことは、憲法上できない、
                というのが「戦後体制」であることは分かっている。
                同時に、
                憲法を守って国が滅びて多数の国民が殺されることは、
                断じて許されないこともわかっている。
                従って、いざとなれば、憲法改正など間に合わないのであるから、
                総理大臣は、
                昭和二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」は、
                占領軍が占領中に書いたものであるから無効であると宣言し、
                「日本国憲法」に拠らずに事態に対処すべきである。

                即ち、気が付けば、時代は、
                戦艦「三笠」が戦った時に、
                回帰している。
                そのとき、
                「日本国憲法」などは無いが、もしそれに基づいて日本が戦わなかったならば、
                我が国は滅ぼされ我々は日本人として生まれていなかったことは確実だ。
                この単純明快なことに目覚める時だ。

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                中学校の歴史教育で、「聖徳太子」が復活/藤岡信勝
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                  中学校の歴史教育で、「聖徳太子」が復活した。文部科学省が2月に公表した中学校の次期学習指導要領改定案で、現行の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」に変更したことについて、文科省が現行の表記に戻す方向で最終調整していることが関係者への取材で分かったとして、20日付けの産経新聞が伝えた。

                   2月14日、改定案が公表されてから、私たち「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーは直ちに行動した。役員会を開き、断固として闘うことを決定した。理事で、この問題の専門家である高森明勅氏を講師とする検討会を開いた。私は産経新聞に依頼して、正論欄に書かせてもらった。何年ぶりだろうか。「聖徳太子を抹殺する指導要領案」と題する拙文は、2月23日付けの産経新聞に載った。櫻井よしこ先生も、『週刊新潮』にこの問題を書いて下さった。

                   つくる会は声明文を作成し、FAX通信で流した。ネットからこの件について意見を書いている人の文章を借用して、資料集を作った。パブリックコメントをするときの参考資料である。国会議員に対しては、会の声明、高森氏の解説文、資料集をセットにして封書で送...った。こうした働きかけもあって、心ある人々は一斉に動き出した。

                   聖徳太子以外のその他の問題、公民的分野の問題もある。それらを含め、あらためて会の見解をもう一度まとめ、3月7日、文科大臣に申し入れた。そのあと、文科省記者クラブで記者会見を行った。朝日の記者は熱心に質問したが、翌日の朝刊で記事にしたのは産経だけ。「つくる会『聖徳太子守れ』 指導要領案変更取りやめの要望」という見出しがついていた。産経は社説でも、聖徳太子問題を取り上げていた。

                   3月15日、文科省のパブリック・コメントが終了した。その直後から16日までの間に、文科省が歴史用語の変更は断念したらしいとの情報を私は得ていた。22日には自民党の文科部会が行われる。この場に文科省の担当者を呼んで、問い詰めることになっていた。新聞はこの時の文科省側の回答をもとに記事にするだろうとよんでいた。それより一足先に報道された。ともかく、この問題で行動し協力したすべての方々に心よりお礼を申し上げる。ありがとうございました。、

                   ただ、産経の記事で気になるところがある。「文科省は小中ともに聖徳太子の表記に統一し、中学では日本書紀や古事記に『厩戸皇子』などと表記されていることも明記する方向で調整している」と書かれている。歴史上の特定の人物の呼称について、出典まで引用して別の呼称も書くように学習指導要領で強制するのはかつて例がなく、話が細かすぎる。文科省は未練がましく「厩戸」の文字をどうしても残したいようだ。日本国家誕生の物語を否定する将来の改訂の足がかりを残そうとしているかのようで、賛成できない。この話は朝日新聞にも出ているから、文科省側から意図的にリークしたのかもしれない。

                   このほかにも、目標の記述の仕方や、公民的分野の問題はどうなるのか、3月末の文科大臣告示で公表される改訂学習指導要領から目が離せない。

                  posted by: samu | 歴史認識 | 17:47 | - | - | - | - |
                  中学校の歴史・公民教育/藤岡信勝
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                    つくる会が文科大臣に提出した要望書の全文です。聖徳太子以外の問題点と、公民的分野の問題点にもふれています。(以下、引用)

                                       平成29年3月7日
                    文部科学大臣 松野 博一 殿

                    新しい歴史教科書をつくる会

                    中学校の歴史・公民教育は、教科・分野の目的に立ち返って見直して下さい
                          −学習指導要領改訂案に関する要望書−

                    ●はじめに
                    文部科学省は2月14日、次期の小・中学校用学習指導要領改訂案を公表しました。3月14日まで国民からのパブリック・コメントを求め、3月末までには最終版を確定するとのことです。当会は中学社会の歴史及び公民の教科書の改善を推進してきましたので、その立場からこの両分野について以下の見解をまとめ、文科大臣に提出いたします。なお、個別の項目に関しては、別にパブリック・コメントとして提出します。

                    ●歴史教育を破壊する「聖徳太子」の抹殺
                    指導要領案は、中学社会歴史的分野の「内容の取扱い」の項で、「厩戸王(聖徳太子)」と書くように指示し、日本の歴史上最も重要な人物とさえいえる「聖徳太子」の名前をフェイドアウトさせる方針を示しました。これは小学校とも連動した一貫した方針で、小学校では「聖徳太子(厩戸王)」として、小学校段階から「厩戸王」の呼称に慣れさせようとしています。

                    歴史学界の一部では、約20年前に「聖徳太子虚構説」なる学説が唱えられました。しかし今日では、その説は学問的に否定されて過去のものとなっています。戦後の古代史学界では「大化の改新はなかった」という学説など、「なかった説」が時々提唱されては消えてゆくというケースが見られました。「聖徳太子はいなかった」という説もそのような運命をたどろうとしているとき、これを学習指導要領公認の学説として全国の教育機関に押しつけるとは信じがたいことです。          

                    なぜこのような変更をするのか、その理由を文科省は説明していませんが、以下の批判に答える形で、聖徳太子の名前(次いで実体)を抹殺する理由を明確に説明していただきたいと思います。

                    世上、聖徳太子を抹殺する理由として、聖徳太子という名は100年後に創作されたものであり、だから聖徳太子なる人物は実在しなかったと主張されています。しかし、歴代天皇の御名は漢風諡号という謚(おくりな)で呼ばれるのが慣例であり、虚構論の筆法では歴史上のすべての天皇が存在しなかったということになります。

                    このように、論理的に破綻し学術的にも論破された学説が一部でもてはやされるのは、この学説が日本の古代史の骨格を解体し、聖徳太子を民族の記憶から消し去ろうとする反国家的メンタリティに親和的だからではないでしょうか。実際、律令国家形成の出発点となった聖徳太子を抹殺すれば、日本を主体とした古代史のストーリーはほとんど崩壊します。

                    学習指導要領は歴史学界の一部の空気に従う必要など全くありません。仮に歴史学界の学説がどのように展開しようと、歴史教育は国民としての自覚(ナショナル・アイデンティティ)を育てることを目的とし課題とする仕事であるからです。

                    以上の理由で、指導要領改訂案にある聖徳太子の扱いは従来通りとして下さい。

                    ●聖徳太子を消した特定の教科書に追随する指導要領改訂案
                    ここでさらに問題点として指摘しておきたいのは、指導要領の新方針は、驚くべきことに、最も左翼的と見なされる歴史教科書が実行していることに追随し、追認するものとなっていることです。

                    現行版の歴史教科書のうち、学び舎の教科書は、大きな文字で「厩戸皇子」という見出しをつけています。聖徳太子の肖像もなく、一方で隋の皇帝煬帝(ようだい)の肖像画はしっかり掲載されています。この教科書は今回の文科省の方針を先取りしていたといえます。これを今後は文科省の方針として、しかも「厩戸王」という呼称で押しつけられます。ついでに言えば、学び舎の教科書が平成27年に検定に合格したことについて、教科書検定審議会歴史小委員会の委員長をつとめた上山和雄氏は、「学習指導要領の枠に沿っていない」と評価し、政治的な配慮で特別に合格とされたことをにおわせています(朝日新聞、平成27年4月24日)。しかし、「学習指導要領の枠に沿っていない」教科書は本来検定不合格となるべきものです。学び舎教科書の合格をめぐる疑惑を、この際改めて問題にせざるを得ません。

                    「日本を取り戻す」ことをうたって登場した安倍政権のもとで、学び舎の教科書で展開された反日的な国家否定の歴史観が教育行政にも入り込んでいることは、国民にとって重大な警告です。

                    ●民族の言葉を放逐する「歴史用語革命」の危険
                    学習指導要領案の歴史的分野には、このほかにもいくつかの問題点があります。
                    第一に、「聖徳太子」以外にも、「大和朝廷」、「元寇」、「鎖国」という歴史用語が駆逐の対象となりました。文科省は、今回の改訂で、日本民族の重要な語彙の一部をなしてきた歴史の伝統的な用語を人工的・外科手術的に削除する、「言葉狩り」あるいは「歴史用語革命」とでもいうべき路線に踏み出したようです。これはゆくゆく、歴史の共有という点で世代間の断絶をもたらす由々しい結果を招くでしょう。この「革命」はとりあえずやめておくべきです。

                    第二に、目標記述の混濁化と改悪が見られます。今回、歴史的分野の目標に前書きのようなものが付けられ、「グローバル化する国際社会」という現状認識が語られています。しかし、この認識はすでに時代遅れで、世界は今やグローバル化の抑制とナショナリズムの興隆に向かっていることは誰の目にも明らかです。そもそも、時事評論的な特定の現状認識を学校の教科や分野の目標の中に持ち込むことが根本的な間違いです。歴史教育は本来の目的に即して充実させていくべきです。また、従来の4目標を3目標に縮約したため、一つのアイテムにあまりに多くのものを盛り込みすぎており、焦点のわかりにくい混濁した目標と化しています。特に、従来の目標の第1項の末尾が、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」という明快な表現を、長い一文の途中に押し込め、最後の締めくくりを「国際協調の精神を養う」としたのは、重大な改悪です。歴史教育の目標は現行版に戻すべきです。

                    第三に、個々の部分でも、いろいろと問題があります。その一つは、「市民革命」について、初めて欧米の国名を挙げて取り上げるべき素材を例示したのですが、そこで挙げられているのはアメリカの独立革命とフランス革命であり、日本の近代立憲君主制の見本となったイギリスの市民革命が抜けています。自由主義的な市民革命観を脇に置いて、暴力革命を礼賛するかのような市民革命観を称揚する危険があります。また民主主義が強調され、ギリシャから日本の戦後の「民主化」まで筋を通そうとしているようですが、ここにも上記と共通する傾向が読み取れます。

                    ●公民教育に「家族」「地域社会」「公共の精神」を入れることを求める
                    公民的分野の改訂案については、大きく評価できる点があります。内容Dには「領土(領海,領空を含む。)、国家主権、国際連合の働きなど基本的な事項について理解すること」と記されています。同じ文言が現行版でも「内容の取扱い」部分にありますが、「内容の取扱い」から「内容」に昇格したのです。また、改訂案では、北方領土、竹島、尖閣が明記されました。これらの変更は、国家主権と領土に関する教育を重視しようとする動きとして歓迎します。

                    しかしながら、冒頭の「1目標」には、新たに「グローバル化する国際社会」という文言が登場しました。歴史的分野のパートでも指摘しましたが、グローバリズムの時代から各国の国家主権が角逐するナショナリズムの時代へ世界全体が動きつつあるように見える今日、周回遅れの文言には違和感を感じざるを得ません。

                    このグローバリズム礼賛の姿勢と関連するのでしょうが、今回の改訂案を見ると、公民教育には、家族論や地域社会論、そして社会形成の基礎となる「公共の精神」についての教育は不要であると文科省は考えているようです。平成23年の東日本大震災を経験した日本国民は、地域社会と家族の大切さ、公共の精神の重要さについて改めて感じるところがあったはずです。にもかかわらず、指導要領案には「家族」「地域社会」「公共の精神」という3つの言葉は全く存在しないのです。

                    しかし、振り返れば、平成10年版指導要領までは、必ず「家族」「地域社会」という言葉が存在しました。平成10年版では「家族や地域社会などの機能を扱い、人間は本来社会的存在であることに着目させ」と記されていました。また、平成18(2006)年、教育基本法が改正され、第2条「教育の目標」で「公共の精神」と「郷土を愛する」ことが謳われました。また、第10条,任蓮嵒稱譴修梁召諒欷郤圓蓮∋劼龍軌蕕砲弔い涜莪豕租責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせる」と規定され、改めて家族の重要さが確認されました。

                    従って、改正教育基本法に則る立場から、とりわけ改訂指導要領案の2箇所を次のように修正することを要望します。下線部は修正箇所です。

                    1、目標(3)に「公共の精神」を入れること
                    「(3)現代の社会的事象について,現代社会に見られる課題の解決を視野に、公共の精神に基づき、主体的に社会に関わろうとする態度を養う……」  

                    2、内容A「(2)現代社会を捉える枠組み」のアの(イ)に「家族」「地域社会」「公共 の精神」を入れること
                    「(イ) 家族や地域社会などの機能を扱い、人間は本来社会的存在であることに着目させ、公共の精神、個人の尊厳と両性の本質的平等,契約の重要性やそれを守ることの意義及び個人の責任について理解すること。」

                    私たち「新しい歴史教科書をつくる会」は、以上のことを文科省に強く要望し、さらに状況によって行政担当者との公開討論を要求します。教育は国家百年の計にかかわる重要問題です。文科省はこの度提示した新たな政策について、国民への説明責任を果たさねばなりません。 (以上)

                    posted by: samu | 歴史認識 | 09:08 | - | - | - | - |
                    「 なぜ日本史から聖徳太子を消すのだ 」櫻井よしこ
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                      『週刊新潮』 2017年3月9日号
                      日本ルネッサンス 第744回

                      聖徳太子は、その名を知らない日本人など、およそいないと言ってよいほどの日本国の偉人である。だが、文部科学省が2月14日に突然発表した新学習指導要領案によれば、その名が子供たちの教科書から消されることになりそうだ。
                       
                      聖徳太子は新たに「厩戸王(うまやどのおう)」として教えられるというが、神道学者の高森明勅氏が「厩戸王」の事例をアマゾンで調べたところ皆無だったと書いている。皆が親しんできた名前を消して、殆ど誰も知らず、アマゾンでも一例も出てこない名前に変えるとは、一体どういうことか。名は体を表す。聖徳太子という英雄を日本民族の記憶から消し去ろうとする愚かなことを考えたのは誰か。
                       
                      周知のように聖徳太子は数え年20歳で叔母、推古天皇の摂政となった。現代風に言えば成人前後の年頃の青年が日本国を主導する総理大臣に就任したのである。その若さにも拘わらず、英邁なる聖徳太子は責任をひとつひとつ立派に果たした。
                       
                      神道の神々のおられるわが国に、異教の仏教を受け入れるか否かで半世紀も続いた争いに決着をつけ、受け入れを決定したのが聖徳太子である。キリスト教やイスラム教などの一神教の国ではおよそあり得ない寛容な決定である。
                       
                      603年には「冠位十二階」を定めて、政治権力の世襲という従来の制度下にあっても、個人の能力や努力によって登用される道を開いた。これは後の世にも強い影響を与え、身分制度を超越した人材登用の精神につながった。
                       
                      604年には「十七条憲法」を定めて、政治は民の幸福を願い、公正で透明な価値観に基づかなければならないという日本国統治の基本を作った。民を想う穏やかで慈悲心に支えられた統治の哲学は、同時代を生きた隋の皇帝煬帝の、幾十万の民を奴隷として酷使し死に至らしめた非情なる統治の対極にある。

                      価値観の源流
                       
                      607年には「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)無きや」という、あの余りにも有名な親書を小野妹子に持たせ、隋に派遣し、遂に隋と対等な関係を築いた。
                       
                      以降、日本は中華文明に属することなく、日本独自の大和文明を育んだ。大和文明はその後、天武天皇に受け継がれ、聖武天皇によってより強固な日本統治の基本となった。いま、日本と中国の価値観はおよそ何から何まで正反対だ。私たちは、日本が日本であることに、もっといえば中華的価値とは全く異なる日本的価値の社会で暮せていることに感謝しているのではないか。その価値観の源流が聖徳太子である。
                       
                      中国は軍事力、経済力で既存の国際法や世界秩序に挑戦し続けている。国際法を中国式に解釈し、覇権国の道を一直線に突き進む。国内においては政府批判を許さず、人々の自由を制限し、弾圧し、国家統治における不法、不公正を基本的に放置したままだ。
                       
                      この異形の大国、中国と、私たちはいま、価値観を軸に対峙しているのではないか。であればこそ、日本の子供たちに日本文明の核を成す価値観を教えることが日本人として誇りを持って生きることの基本になる。日本文明を理解し、その長所を心に刻み、相手に対する思いやりを育み、日本人としての自信を深めることが欠かせない。そのために聖徳太子は忘れてはならない人物である。
                       
                      だが、文科省は、わが国の国柄を形成するのに計りしれない貢献をした聖徳太子の名を変えるというのである。理由は「聖徳太子」は没後に使われるようになった呼称で、歴史学では一般的に「厩戸王」と呼ぶ、従って「史実」を正しく教えるために変えるのだと説明する。ならば歴代天皇の呼称もすべて変えなければならない。聖徳太子だけ突然、変えるのはおかしい。
                       
                      また2月27日に「産経」が社説で書いたように、諡(おくりな)(死後に与えられる名)がダメなら「弘法大師」の名前も変えなければならない。そんなことをすれば子供たちだけでなく大人も社会も日本は大混乱だ。歴史の語りつぎも出来ようはずがない。
                       
                      自民党参議院議員の山田宏氏が指摘した。

                      「聖徳太子は日本が中国の属国にならない道を選び、慎みと思慮深さを基盤とした日本の国柄を育む第一歩を踏み出した人物です。そうした日本の善さを定着させた人物でもあります。だからこそ、日本人は聖徳太子に尊敬と親愛の情を抱き、お札にまでしたのです。日本人の誇りの源泉である太子の名を消し去って、その誇りを薄めていく狙いがあるのではないでしょうか」

                      文科省は伏魔殿か
                       
                      文科省の作った教育の枠組みの中で、長い年月、日本史は片隅に追いやられていた。ようやく2020年から、小、中、高と、学習指導要領が改訂されるが、高校の日本史は現在、選択科目にすぎない。必修科目は世界史なのだ。日本の子供たちは小学校6年生で初めて日本史を教えてもらう。それも1年間で45分の授業を68時限である。これではスカスカの歴史教育にならざるを得ない。スカスカ教育の上に、慰安婦や南京事件の例に典型的に見られるような、捏造され曲解された内容が跋扈したのである。
                       
                      アーノルド・トインビーは、自国の神話、即ち歴史を忘れる民族は滅びるという言葉を残しているが、日本では忘れる以前に満足に教えてもらえない時代が長く、今日まで続いているのである。
                       
                      左派陣営に蹂躙されてきたこの反日教育が幾世代も続いた末に、安倍晋三氏が首相に、下村博文氏が文科大臣になって以後、ようやく改善されてきたと思っていた。だが、いままた、日本を貶める意図しか見えてこないような学習指導要領が、突如、提案されている。文科省は伏魔殿か。根っからの反日組織か。
                       
                      山田氏が語った。

                      「文科省の官僚も問題です。加えて教科の内容に特定の人々の意見を反映させる仕組みがあります。文科省の下に国立教育政策研究所が、その下に教育課程研究センターがある。同センターには調査官がいて、社会と歴史について、各々、小学、中学担当の調査官が配置され、彼らの意見が反映されると見られています。どんな人物が配置されているのかも、調べる必要があるでしょう」
                       
                      かつて元インド大使の野田英二郎氏が教科書検定審議会委員となり特定の教科書を排除すべく多数派工作をした。氏は北朝鮮のテポドンミサイル発射実験に抗議したと、或いは北朝鮮の拉致疑惑を強調しすぎると日本政府を非難した人物だ。偏った人物を受け入れる素地が文科省にはあるのだ。ひとまず、私たちは文科省に聖徳太子を厩戸王へと変えることへ抗議しようではないか。

                      posted by: samu | 歴史認識 | 11:58 | - | - | - | - |