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「加計」批判にみる危うさ 「証拠主義」無視など「礼節の欠如」が日本にも生じている/竹中平蔵
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    ≪深刻になった「礼節の欠如」≫

     アメリカのコミュニケーション会社ウェーバー・シャンドウィック社などが、面白い調査を行っている。キーワードはシビリティ(civility)、すなわち「節度、礼節」である。

     昨年の調査結果によると、アメリカ人の95%は civility に問題があると認識しており、74%がここ数年で civility が低下したことを指摘している。そして政策に関する問題で、全体の76%の人々が、 incivility(礼節の欠如)が有効な政策論議を妨害していると認識している。

     言うまでもなくこれは、トランプ政権の誕生と結びついている。トランプ流のツイッターでの一方的で扇動的な発言には、エビデンス(証拠)に基づき政策を真摯(しんし)に議論する姿勢が欠如している。

     また、相手の主張に耳を貸しつつ建設的な議論をするという基本的なマナー(礼節)が見られない。しかしこうした姿勢が、今の社会に不満を抱えている人々の共感を呼び、現体制に心情的に反発する社会的な流れを生み出した。

    考えてみれば、日本にも同様の傾向が存在する。その典型が、獣医学部新設をめぐる、一部野党やメディアの偏向した議論・報道だ。政策問題を論じる際に必要な“そもそも論”とは、獣医学部の新設を52年間も認めてこなかったこれまでの政策は正しいのか、なぜこのような現実が生まれたのか、どう是正すべきか、という問題を正面から論じることだ。

     しかし、こうした議論はほとんどなされないまま、決定のプロセスに首相官邸の圧力があったのではないか、というポイントばかりに焦点が当てられた。

    ≪強調されるスキャンダル的視点≫

     政策を決定するプロセスはもちろん重要だ。しかし、政策の“そもそも論”がないままスキャンダル的な視点のみが強調され、成熟した市民社会の常識(civility)を著しく欠くものとなった。

     欠如の最大のものは、「証拠主義」の無視だ。ある主体を批判し責任を求める場合、きちんとした証拠に基づくことが求められる。司法の場では証拠裁判主義、とも呼ばれる。

     しかし今回の批判の出発点となったのは、真偽のほどが明らかではない文部科学省内部のメモだった。これを政府側は「怪文書」と呼び、その後は文書が実在する(本物)かどうかで大騒ぎになった。しかしこの文書が実在するとしても、「本物の怪文書」と言わざるをえない。

    会議に参加した双方が合意した正規の議事録には証拠性があるが、一方的な利害を持つ主体が作成したメモは当然、バイアスがかかっており、証拠性に欠ける。今後は合意に基づいた議事録を作成し、それ以外は証拠性を認めないという常識的なルールを確立すべきだ。

     第2は「立証責任」の転嫁だ。責任を問う場合、その立証責任は問う側にある。何か疑わしいと責任を問われた側が、何もしていないことを自ら立証するのは不可能だ。にもかかわらず、首相や内閣府の関係者は、こうしたむちゃな答弁を強いられた。

     筆者が野党に期待するのは、元文部科学次官がこの問題に登場して政府批判を行ったとき、「あなた自身は学部新設を52年間行ってこなかったことの責任をどう感じているのか」を糺(ただ)すことだった。

     メディアに解明を期待するのは、最終的な決定に至る過程で、抵抗勢力がどのような圧力をかけたのか、という点だ。この点を無視して、一方的に内閣府などへの批判が行われた。しかも、文書が存在するのか、閣僚の発言は矛盾していないかなど論点がどんどんすり替わり、その都度、政府側が何かを隠蔽(いんぺい)しているかのような印象が与えられた。

    ≪政治社会への悪影響を認識せよ≫

     今回のもう一つの教訓として、告示による規制という大きな課題がある。獣医学部新設がかくも長期にわたって行われなかったのは、学部の設置そのものの規制ではなく、設置したいという申請を認めない、という規制があったからだ。異様な措置だといえる。

     しかもこれが、国会で審議される法律ではなく、告示という、いわば一片の通達によって実施されてきた。気がつけば、こうした告示による規制は、極めて多岐にわたる。そしてそれらが「岩盤規制」の重要な部分をなしている。

     しばしば話題になる混合診療の規制や遠隔教育の規制も、告示に基づいている。医学部・歯学部新設の規制も同様だ。告示という手法そのものを全面的に見直すことが必要ではないか。

     冒頭の civility 調査に参加したパウエル・テイト社のジェンキンス氏は、次のように述べている。「アメリカ国民は今や、礼節欠如の高まりが私たちの政治プロセスを傷つけ政府の機能を損ねたという、明確な認識を持っている」

     加計学園批判の最大の教訓は、 civility の欠如が政策論議を歪(ゆが)めるという現象が、日本でも生じていることだ。それが政治や社会に悪影響を及ぼすことに強い問題意識を持たねばならない。(東洋大学教授・竹中平蔵 たけなかへいぞう)

    posted by: samu | 産経正論 | 09:30 | - | - | - | - |
    今の日本にもっとも欠けている「考える」ことを取り戻すには/長谷川三千子
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      「日本人は学ぶよりも考えよう」−7月26日付本欄の古田博司氏のこの提言に深い共感を覚えたのは、私一人ではなかったでしょう。今の日本にもっとも欠けているものを一つだけ挙げるとすれば、それは「考える」ということだ、と言って間違いありません。

       ≪感情論ばかり幅を利かせる昨今≫

       古田氏がご指摘のとおり、「考える」ことが専門の学者の世界においてすら「学びて思わざればすなわち罔(くら)し」と言いたくなるような論文に、お目にかかります。

       他方で「思いて学ばざればすなわち殆(あやう)し」といった論も、世の中にはたくさん出回っている。学ぶことと考えることとの調和を保って知を深めるというのは、なかなか難しいことであって、だからこそ孔子もこのような言葉を残したのだと思われます。

       ただし、本来学ぶことと考えることとは相反するものではありません。どちらも、さまざまのものごとを事柄そのものに即して見極めるということを基本としている。ですから、その基本を忘れない限り、両者は互いにうまく補いあってゆくことができるのです。

      ところが、昨今われわれが目にするのは、肝心の事柄そのものを問うことがすっかり忘れ去られ、学ぶことも考えることも放棄した感情論ばかりが幅を利かせている、といった世の中のありさまです。こうした状況を生み出しているのはいったい何なのか。いま典型的な一例をふり返って、その本質を探ってみましょう。

       ≪「日本死ね」の根底にある甘え≫

       1年半ほど前に「保育園落ちた日本死ね!」という若い母親のブログの言葉が大評判になったことがありました。

       その年の流行語大賞も受賞し、選考委員の俵万智さんは次のように述べています−「『死ね』が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。世の中を動かした。そこには言葉の力がありました」。

       ここで注目したいのは、この「言葉の力」という表現です。

       実は、学ぶにせよ考えるにせよ、重要なのは「言葉の力」なのです。十分に考え抜かれ、練り上げられた言葉は、事柄の本質をずばりと人に伝える力をもっている。それを聞き、それを読む人に考えさせる力をもっている。そうした「言葉の力」を軸として、人類は学び考え、知を深めてきたのです。

       もしもこの言葉に本物の「言葉の力」があり、それが流行語大賞を受賞したのなら、こんな素晴らしいことはありません。

      では、その「言葉の力」はどこに発しているというのでしょうか。力の源は明らかに「死ね」−それも「日本死ね」のうちにあります。これがただの「保育園落ちた」だけだったとしたら、流行語大賞どころか話題にもならず「ウチもだよ。悔しいねえ」といった返信があるだけだったでしょう。

       この「日本死ね」について、俵さんは「その毒が、ハチの一刺しのように効い」たと言うのですが、実はここには何の毒もありません。むしろ、いまの日本で一番安心して「死ね」と言える相手が「日本」なのです。うっかりして相手に「死ね」と言うと、自分の方が殺されたり、糾弾を受けたりもしますが、「日本」が相手ならその心配はない。また、いくら「死ね」と言っても本当に日本が死ぬはずはない、とご当人は思っているに違いありません。

       こうした二重三重の安心感にくるまれて自分の憤懣(ふんまん)をぶつけているのが、この「日本死ね」なのです。こんなものは「言葉の力」でもなんでもありません。

       しかもこのような感情的な罵声は、問題を解決するための実質的な議論への道をふさいでしまいます。保育園増設のためには、用地の取得、保育士の養成、保育の質の確保など、難しい問題がたくさんあるのに、そのことが全部忘れ去られて、叫びさえすれば何でも解決してもらえるような錯覚がはびこる。そしてその中で、本当に深刻な問題が見逃されてしまうのです。

      ≪聴力を研ぎ視力をみがこう≫

       「何が少子化だよクソ」という一言がこの母親のブログの中にあります。実はこれこそが「待機児童問題」よりずっと深刻な問題なのです。もしも今のまま少子化が続くと、3200年には日本の人口は限りなくゼロに近づきます。まだある程度の数の若い女性がいるうちに最大限の手を打たないと、本当に日本は死んでしまう。

       ところが、その危機をはね返す主役であるはずの女性が、主役であることの自覚も誇りも持てないまま、ただ報われぬという不満を抱えて生きている−一見すると甘ったれた罵声としか見えないブログの底に、そういう無意識の悲鳴が潜んでいます。この言葉に喝采する人も、ただ反発する人も、その悲鳴を聞き逃してしまう。

       「考える」ことの復権は、そうした聴力を研ぎすまし、事柄そのものを見る視力を養うところから始めてゆくべきでしょう。(埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 はせがわ みちこ)

      posted by: samu | 産経正論 | 18:19 | - | - | - | - |
      安倍政権に提言する「第4の矢」=非課税国債はどうだろう /加地伸行
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        ≪左筋メディアがあおるイメージ≫

         ここ半年の国会は森友・加計の学校認可問題などが中心であったが、国家的課題からすれば、小事である。にもかかわらず、なぜメディアは騒ぐのか。

         老生、2点の背景を感じる。

         まず第1点。安倍晋三首相はこの秋から憲法改正へと進んでいく。それを粉砕するのが、朝日新聞や毎日新聞など左筋の目的である。報道の客観性だの公正性だの、そんなものは始めからない。

         そこで戦略。秋に至るまでの間、安倍内閣の〈悪(あ)しきイメージ〉を演出する。その三文芝居に適当な役者も揃(そろ)った。厚顔な籠池某、〈正義の味方〉面(づら)の前文科省次官の前川某と。彼らは安倍政権の犠牲者という演技をし続ける。

         もちろん場外応援団もいる。例えば東京都議選の最終日、秋葉原での安倍首相の街頭演説に対して罵声を浴びせての「アベヤメロ」コールなど、左筋が昔からよく使う術(て)である。左筋メディアは、組織的動員に依(よ)る意図的行為を「自然発生的」と大嘘をつきつき、〈安倍は黒〉のイメージ作りを続けることであろう。止めることはできない。

        第2点。人々が抱いた〈安倍政権への期待感〉が、現在、いささか期待外れを感じさせている。安倍政権成立直後に放った〈第1の矢、第2の矢〉は良かった。人々は明るさを感じ、支持した。しかし〈第3の矢〉は、期待感という点において効果はなかった。なぜなら、狙いは国家的規模の経済政策であり時間も必要としたため、一般人の〈身近な経済〉への直接的恩恵がすぐには届かなかった。

         そのため、安倍政権への期待外れのようなものを感じさせていた。その雰囲気に逸速(いちはや)く感づいたのがメディアで、その波に乗った。メディアの勘の良さである。

        ≪〈華〉を持たせることが大事≫

         しかし政治は国民のためにある。当たり前のこと。とすれば、安倍政権は、ここで必死になって政策の充実を図るべきである。

         どうするか。顧(かえり)みると、第1の矢、第2の矢に比べて、第3の矢には〈華(はな)〉がなかった。ならば、〈華〉のある〈第4の矢〉を放つべきである。しかし、そのような新政策が有るのか。

         有る。老生がそれを論じたい。と述べると、人は嗤(わら)うことであろう。老生は中国古典学研究者。早く言えば、漢文屋でしかないし、政策を生む政治学・経済学等々とは無縁。さりながら、学はなくとも〈愕(がく)〉はある。「愕」とは「驚く」に加えて「直言する」の意。

        それに「愚者の一得」とも言う。中国は古代、小人は相手にしなかった「韓信の股くぐり」説話がある韓信に、参謀が献言した。「知者も千慮に必ず一失あり。愚者も千慮に必ず一得あり」(『史記』淮陰侯(わいいんこう)列伝)と。ここである。老生、これまであっと驚く政策7件を提言してきたが、政治家のだれ一人として反応しなかった。失望したが、今回、安倍政権ひいてはわが国のためという気持ちでその1つを提案する。

         新政策を行うには、予算編成すなわち金銭が必要である。正統的には税収を上げて得るところだが、なかなか困難である。かと言って国債を発行すると、それは借金であるから、利子を付けなければならないし、元金の返済に苦しみ続ける。これが今の状況だ。

        ≪「宝国債」の発行はどうだろう≫

         ならば発想を転換して、全く新しい概念の国債(宝国債と命名しておく)を発行してはどうか。

         こうする。(1)返済は100年後で、その間、利子はなし。(2)宝国債の額面は1万円として通貨としても使えることとする。製作方法は現行の1万円札に黄金色の線を1本いれて、現行の1万円札と区別しておく。(3)宝国債を求めたい人は、銀行に宝国債口座を開き、そこへ買いたい分の日銀紙幣を入金することで、同額分の国債を買ったこととなる。同口座から出金すると、黄金1本線が入った宝国債紙幣が出てくる。(4)相続のとき、非課税すなわち無税とする。これが最大の特色だ。

        資産家は相続税が恐怖である。もし相続時に非課税国債があれば必ず買う。しかもその後、まず出金しない。これまで隠してきた現金の置き場所が、安全な国債口座に移っただけのことだから。すなわち出金は少なく、出回ってインフレになることはないはずだ。

         そして100年。その間、毎日、日本銀行に通貨が帰ってくるが、宝国債を選び出して焼却し続けるとおそらく消えてなくなるので、その元金の返済は不用だ。

         これは決して資産家優遇ではない。彼らの資産を守りつつ無理なくはき出させ、現れた膨大な金額(おそらく毎年5兆円前後)を、まじめに働いている所得の低い人たちに投ずるのだ。例えば東京の高い家賃への補助とか優秀な学生への奨学金とかといったように。

         こういう夢ある政策を実現することこそ、人々が求める政治だと気づいてほしい。孔子でさえ、気づかなかったことに気づかせてくれた弟子に感謝している。「予(孔子)を起(おこ)す(啓発する)者」(『論語』八●(はちいつ)篇)と。(大阪大学名誉教授・加地伸行 かじのぶゆき)

        posted by: samu | 産経正論 | 22:13 | - | - | - | - |
        「メディア不信」広がるだけ 閉会中審査の加戸守行前愛媛県知事めぐる朝日と東京の姿勢
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          昨年の米大統領選をめぐる報道で注目を集めた「フェイクニュース(偽記事)」。世界的な「メディア不信」の原因になっているが、日本国内でも学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐる問題が「メディア不信」に拍車をかけている。今月10日に行われた参院の閉会中審査に参考人として出席した加戸守行前愛媛県知事(82)の発言。インターネットを中心に「報道しない自由」の問題が物議を醸した。

           「行政が歪められた」と主張する前川喜平・前文部科学事務次官(62)に対し、加戸氏は「強烈な岩盤に穴が開けられ、歪められた行政が正された」と真っ向から反論した。これまで前川氏の発言を頼りに政権批判を繰り広げてきた朝日新聞などのメディアが加戸氏の発言を取り上げないことは想像がついたが、朝日と並んで加計問題追及の急先鋒となっている東京新聞は一味違った。

           東京の15日付朝刊「こちら特報部」は加戸氏を取り上げた。「加戸氏は加計問題のキーパーソンなのか」という切り口で、閉会中審査での発言や経歴などを紹介した。

          しかし、記事を読み進めていくと、文部科学省出身で京都造形芸術大学教授の寺脇研氏や、ジャーナリストの青木理氏ら識者の発言として「加計学園の本質とは無関係だ」「『愛媛県にとっては12年間加計ありき』と開き直るような加戸氏の発言はもっと問題視されていい」と厳しい否定的な意見を並べた。

           記事を総括する「デスクメモ」は、加戸氏がマフラーを着けて閉会中審査に臨んだことに触れ、今治産のタオルマフラーは吸水性が高いことを挙げた上で「地元愛の強さは感じた」と本質とかけ離れたコメントを記した。

           また、菅義偉官房長官の記者会見で注目を浴びた東京新聞社会部の望月衣塑子記者は15日の自身のツイッターで、加戸氏が国家戦略特区ワーキンググループで提示した資料について「加戸氏は元文科省の役人で獣医学の専門家でない。資料もエボラ出血熱(MERS)を火星(MARS)と書き間違えている」と指摘した。

           しかし、この書き込みに対し、資料の引用先を誤った上に、MERSはエボラ出血熱ではなく「中東呼吸器症候群」(Middle East Respiratory Syndrome)を指す略語との指摘がネット上で相次ぎ、炎上状態となった。望月記者は翌日のツイッターで「ご指摘ありがとうございます。失礼しました」と誤記を認めたが、その文面からは記者会見で見せる歯切れの良さは見られなかった。

          「こちら特報部」の記事と望月記者のツイッターのいずれも「加戸氏の証言は信じるに足らないものだ」と読者にすり込ませようとした。

           一方、朝日新聞は「報道しない自由」に徹しているかのような報道を続けている。朝日の15日付朝刊は「『加計』問題 晴れぬ疑念」との見出しで、丸々1ページを使ってこれまでの獣医学部新設をめぐる経緯や問題点などを並べた記事を掲載した。

           しかし、10日の閉会中審査の前川氏の発言は何度も触れているのに対し、同じ場で愛媛県における獣医学部新設の必要性を訴えた加戸氏については発言どころか、名前すら記事にはなかった。

           朝日は、その約1週間後の23日には朝刊2面で24、25日に行われる衆参予算委員会の閉会中審査の特集記事を掲載した。ここでも1ページを使って閉会中審査の主な論点を整理して紹介しているが、加戸氏についての記述は一切なかった。

           加計問題を厳しく追及する朝日の紙面に、前愛媛県知事として獣医学部誘致に尽力した当事者である加戸氏の存在がなかったかのように仕上げられた記事は、違和感しかなかった。

          東京や朝日の報道について、日大法学部の岩井奉信(ともあき)教授(政治学)は「政権批判をしている読者には、勢いづく材料になる」と指摘。また、「多様化しているメディアの中では、いろんな意見や書き方があっていい」としながらも、「新聞が宅配文化の日本では1社しか読まない人がほとんど。国会に参考人として呼ばれるのは意味があるのに、加戸氏の証言を取り上げないことは公平中立の報道の立場からはいかがなものか」と疑問を呈した。

           「行政が歪められた」という前川氏の発言が大きく取り上げられている一連の加計問題。新聞、雑誌メディアには、それぞれの「色」があってもよいだろう。しかし、自社に都合の悪い証言をした人についておとしめるような記事を掲載したり、無視するような扱いをし、問題を「歪めている」のはメディアの方ではないか。(政治部 今仲信博)

          posted by: samu | 産経正論 | 10:57 | - | - | - | - |
          現行憲法はわが国にとっての自主憲法ではない/・佐瀬昌盛
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            『読売新聞』が5月3日(憲法記念日)に憲法問題で安倍晋三首相インタビュー記事を掲げると、わが国のメディアに騒ぎが持ち上がった。首相は3年後の2020年までには憲法改正を実現し、同年中にはその施行を目指す方針を表明したからである。

             安倍首相は従来、ほとんどタブー視されてきた憲法9条問題に踏み込み、しかも1項、2項を残したまま、新しく別個に自衛隊の存在を何らかの形で規定する方針である旨を語った。

            ≪「断腸の決断」には同感する≫

             5月18日付の『朝日新聞』では、安倍首相の9条新3項導入意向について編集委員が「それで(自衛隊を)統制できるなら私は※賛成だ。必要最小限の武力で専守防衛に専念する組織と書けばよい。憲法で位置づけるのは、自衛隊の行動にフリーハンドを与えるのではなく、政治によって縛ることだ。しかし、本当に遵守できるのか、※疑問がある」(※引用者)と書いている。

             これはいったい賛成論なのか疑問論なのか。先の※箇所は仮定の上での「賛成」であり、後の※箇所は結論としての「疑問」らしいから、結局、この記事を書いた記者は安倍首相の9条1、2項に新3項を加える考えに疑問を感じているのだろう。しかし、このような珍文が登場したこと自体、安倍改憲構想に軍配が上がったことを物語るのではあるまいか。

            他方、『読売』では5月30日に斎藤隆・元統合幕僚長が登場。9条3項案について、安倍首相のこの提案は「まずは不毛な自衛隊の『違憲』論に終止符を打つという判断ではないか。『理想を追い求め、何もなし得ないなら意味がない』という断腸の決断だったと推測している」と書いている。同感である。

            ≪「書き換え」こそが首相の本心≫

             いずれにせよ問題は現行憲法9条2項の今後の取り扱いにある。安倍首相は−本心はどうかは怪しいが−同項維持論を唱えている。これに疑問を唱える与党議員は少なくない。それはそうだろう。

             自民党が平成24年4月に発表した日本国憲法改正草案では、現行憲法9条1項に若干、修正が加えられた新1項が設けられ、新2項は「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」となり、現行憲法2項の交戦権否定は消滅している。そのうえで「第9条の2」が加わり、そこでは5項にわたって「国防軍」に関する規定が設けられることになっていた。

             ここで再度、斎藤隆氏の発言に戻る。同氏は「自衛隊は『陸海空軍』とは切り離された特殊な存在であり続ける可能性はある。しかし、根拠規定が明記され、合憲と整理された後に、軍隊とは何か、自衛隊とどう違うのかなどのかみ合った議論につながっていくのではないか」と語っている。そうだろうか。

            これまでの習性に照らして、国民は「のど元過ぎれば熱さ忘れる」にも似て、現行9条2項残存プラス新3項追加型と、現行2項書き換え型のいずれが望ましいかといった議論を忘れてしまうのではないか。

             そこへいくと高村正彦自民党副総裁の指摘はおもしろい。『産経新聞』6月6日付で同副総裁は語っている。「総裁は本当は戦力不保持の9条2項を削除した方がよいと考えているんでしょう。総裁に聞いていないが、聞かなければ分からないようでは副総裁は務まらない」

             私もまた、安倍首相の本心は現行9条2項そのものの書き換えにあるのだろうと思う。なぜ安倍首相はその本心を隠そうとするのだろうか。推測するに、安倍首相は心中ひそかに、戦後最長の政権維持記録を持つ佐藤栄作首相以上の在任記録という美酒が飲める日を夢見ているのかもしれない。が、それは間違っている。

            ≪9条2項は改変されるべきだ≫

             安倍首相は祖父・岸信介首相を範とすべきだろう。佐藤首相について人々が思い浮かべるのは、その最長期政権と沖縄返還、そして非核三原則の提供ぐらいであろう。が、憲法改正問題では沈黙を守った。他方、岸首相は現行日米安保条約の生みの親であるうえ、退任後は「自主憲法制定国民会議」の初代会長に就任、今日の同会議の礎を築いた。

            最後に現行憲法9条2項について私見を述べる。同項は改変されるべきである。それを私は田久保忠衛、西修、大原康男、百地章ら諸氏とともに『国民の憲法』要綱として発表した(産経新聞社、平成25年)。そこでは9条に代わって16条を設け、こう規定した。

             国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため、軍を保持する。

             2 軍の最高指揮権は、内閣総理大臣が行使する。軍に対する政治の優位は確保されなければならない。

             3 軍の構成および編制は、法律でこれを定める。

             現行9条1、2項はともに跡形もない。これが正解だと思う。現行の日本国憲法はわが国にとっての自主憲法ではないからだ。(防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛 させまさもり)

            posted by: samu | 産経正論 | 17:41 | - | - | - | - |
            「正道」示した渡部昇一氏を悼む/平川祐弘
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              「日本が人民民主主義国にならなかったことは僕らの生涯の幸福ですね」「近隣諸国が崩壊し、何十万の難民が舟で日本へ逃げてきたらどうします」「大陸へ強制送還するより仕方がない」。今春そんなテレビ対談をした。それが渡部昇一氏との永の別れとなった。

              ≪武骨なオピニオン・リーダーに≫

               氏は極貧の学生生活を送った人だが、正直で明るい。86歳になっても書生の初々しさがあった。

               大学生だった昭和20年代、朝日新聞や岩波書店にリードされた論壇は資本主義は邪道で社会主義が正道であると説いていた。共産党の野坂参三は皇居前広場を埋め尽くしたデモ隊に向かい、「第一次大戦のあとソ連が生まれ、人類の6分の1が社会主義になった。第二次大戦のあと人民中国が生まれ、人類の3分の1が社会主義になった。この次の革命の際は…」とアジった。

               あのころ講和をめぐる論戦が『文芸春秋』誌上で交わされた。全面講和論とはソ連圏諸国とも講和せよ、という一見理想主義的、その実は容共左翼の平和主義的主張で、私は南原繁東大総長のそんな言い分が正しかろうと勝手に思い込んでいた。それに対し米国中心の自由陣営との講和を優先する吉田茂首相を支持したのが慶應の小泉信三塾長で、朝鮮半島で激戦が続き米ソの話し合いがつかぬ以上、全面講和の機会を待つことは日本がこのまま独立できずにいることだ。それでよいか、という。その小泉氏に上智の学生だった渡部氏は賛意の手紙を書いた。すると小泉氏から返事が来たという。

              この話は示唆的だ。戦後、昭和30年代末までは小泉氏こそがわが国の一代の師表(しひょう)だったが、昭和40年代末からは武骨な渡部昇一氏が、それと知らぬ間に日本のオピニオン・リーダーとして後を継いだ。渡部氏ほどの偉者(えらもの)は東大にはいなかったと私は観察している。

               和漢洋の読書量で氏に及ぶ人は地球上に見いだし難かったのではないか−この素直な愛国の大学者は、当たり前のことを言うことで正道を示した。日本の文部省が教科書検定で華北に対する「侵略」を「進出」に改めさせた、と新聞テレビは騒いだが、それが誤報で「万犬虚にほえた」と指摘したなどその一例である。

              ≪神代から続く皇統の誇りを説く≫

               そんな真っすぐな言論人だったから『朝日新聞』の狙い撃ちに遭った。新聞が扇動し過激派が連日、上智大の教室に押し寄せる。だがたじろがない。その前に竹山道雄がやはり『朝日』の狙い撃ちに遭ったが、そんなアカ新聞まがいの意図的な人身攻撃をするうちに『朝日』は信用を落とした。

               英語史家として傑出したが、渡部氏が大学者たる所以(ゆえん)は古今東西の知識を存分に生かしたことだ。頭脳は明敏で溌溂(はつらつ)と回転した。判断のバランスも概(おおむ)ねよくとれていた。氏が学問的新天地を開いたのはキリスト教化される以前の西洋と比べることで日本の宗教文化の特質を理解したことにある。その観点から古代史を説くから氏の比較文化史は面白い。「神代から続く皇統」の「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」である日本を論じて秀逸だ。

              ところが西洋には言語を意思伝達の道具としか考えない一派があり、米国の学術誌が渡部氏を非難し、私が氏のために英文で弁じたことがある。渡部氏は皇統百二十五代が日本の誇りである所以を説く。その男系の歴史を踏まえ、拙速な女性天皇容認論を排する。雅子妃の「適応障害」でも皇室の本質から論点を指摘する。その時はこれぞ忠君愛国の士と感じた。

              ≪冷笑するような御厨氏の記述≫

               今回の天皇の公務軽減の有識者会議に氏は病身をおし松葉づえをついて出席、摂政を置かれることを提言した。今の天皇様はもう十分外回りのおつとめは果たされた。これからはご在位のまままず祭事(まつりごと)のおつとめをお果たしください、というのが私どもの意見である。杉浦重剛が若き日の昭和天皇に講義した『倫理御進講草案』にも「神事を先にし、他事を後にす」とある。この優先順位の提言が間違いとは思えない。この主張のインパクトが大きかったのは筋が通っていたからではないか。

               有識者会議の論点は当初は「譲位か、ご在位のままお休みいただくか」であった。それが整理の過程で「譲位は一代限りか、恒久的にすべきか」に替わり、ある意味で予想通りの、特例法の制定により今回決着をみた。すると御厨貴氏が『文芸春秋』7月号に退位に反対した渡部昇一氏、櫻井よしこ氏、平川を冷笑するような「『天皇退位』有識者会議の内実」を書いた。

              私に関しての記述はおぼえのない発言が書いてある。速記録もあるのだから確認できるはずだ。座長代理ともあろう人がこんな失礼なオーラル・ストーリーを拵(こしら)えるのか。だが同じ調子で渡部氏も悪く書かれたのだとするなら故人に気の毒だ。

               陛下のご意向なるものが新聞の1面に出る。翌日、宮内庁が否定するがテレビでは田原総一朗氏がとりあげる。こんなリークの繰り返しが続くマスコミ文化に、わが皇室も侵されてゆくのだろうか。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわすけひろ)

              posted by: samu | 産経正論 | 17:21 | - | - | - | - |
              日本に覚悟を迫る秩序の分岐点/葛西敬之
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                世界は今、21世紀の安定的な秩序への分岐点に立っている。

                 1990年代以降、ソ連崩壊の解放感のなかで、西側自由主義国の間では「歴史は終わった」「国境はいずれ消滅する」「これからは軍事力は要らない」という神話が一世を風靡(ふうび)した。しかし20年あまりを経た2016年、英国民は欧州連合(EU)離脱を支持し、米国民はトランプ大統領のアメリカ・ファーストを選択した。それは、21世紀も国際社会の構成単位は依然として国民国家であり、平和と安定を維持するのは核抑止力による勢力均衡である、という認識に根ざしているように思う。

                 ≪米中関係に移行した国際政治≫

                 一方、一党独裁の国家資本主義中国はグローバリズムに「便乗」して外国資本と先進技術を取り込み、経済的急成長と軍事大国化を果たした。そしていまなお核兵器・ミサイルの増強を続けるとともに海洋に進出し、宇宙・サイバー分野でも攻撃力を高めている。

                 20世紀の「米ソ冷戦」あるいは「冷たい平和」は1947年からソ連崩壊の91年まで半世紀に及んだ。当初はソ連が勢力拡大を仕掛け、それを米国が阻止するという攻守関係であったが、60年代のキューバ危機を転機に、核戦力における米国の優位をソ連が認めざるを得なくなり、その上で偶発的衝突を避けるための仕組みが整えられることになった。

                今、21世紀を展望すると、国際政治の第一正面は太平洋に移り、米ソの関係は米中関係に移行したと見ることができる。しかし、この新しい関係においてはいまだ米ソ間に存在したような現状維持の相互容認は存在せず、新興の中国は専ら軍事力強化と勢力圏の拡大により米国を凌駕(りょうが)しようと志向しているように見える。

                 ≪核抑止が機能したキューバ危機≫

                 ソ連が米国優位の下での勢力均衡受容に方向転換したのは62年のキューバ・ミサイル危機からである。それまでソ連は現状変更・勢力拡大を策し続けていた。そしてその延長線上でキューバを傀儡(かいらい)国家化し、米国を射程に収める中距離核弾頭ミサイル配置を進めた。

                 これが既成事実化すれば米国の核抑止力優位は失われ、ソ連の次なる冒険を誘うことになる。ケネディ大統領が全面核戦争も辞さずという構えのもとにソ連の船団を封鎖したとき、世界中が凍り付いた。結局、最終段階でフルシチョフが屈服し、ミサイルや核兵器を積んだ船団は大西洋で方向転換を行ったのである。

                 核兵器を保有し、捨て身で使う覚悟ある者だけが核兵器を使うことなく、平和を手にすることができるという核抑止力の定理が機能したケースであった。

                今日の中国はキューバ・ミサイル危機までのソ連と近似する立場にあり、アメリカの優位に挑戦する構えを見せている。当時のキューバに当たるのが北朝鮮である。この20年間、北朝鮮は核兵器とミサイルの開発を続け、実験を繰り返してきた。米国や同盟国、国際社会は一貫してこれを非難し、核兵器開発を中止するよう圧力をかけてきたが、実効性を持たなかった。それは中国が北朝鮮を説得するふりをしつつ時間を稼ぎ、資金的・技術的にそして精神的に支援し続けたからだと見るほかない。

                 北朝鮮は中国にとっては日米韓に向けた槍(やり)の穂先であり、62年のソ連におけるキューバの位置づけである。キューバのミサイル危機は直接ソ連が手を下したものであり、ソ連が手を引けば消滅したが、北朝鮮は表面的には自らの手による核兵器・ミサイル開発であり、必ずしも中国の言う通りにはならない可能性もある。今や北朝鮮は水爆を完成し、それを運搬する大陸間弾道ミサイル(ICBM)技術も1年以内には保有すると見る向きもあり、世界はまさに核拡散抑止のデッドラインに立っていると言ってよい。

                ≪実効性ある決意が平和に繋がる≫

                 ここであらゆる手段に訴えてでも北朝鮮を止めることなしに21世紀の平和と安定はあり得ない。トランプ政権が「実力行使なしに平和は達成されない」、そのための「あらゆる選択肢がテーブルの上にある」、軍事力行使の「レッドラインは引かない」と宣言し、いかなる手段に訴えてでも北朝鮮の核兵器・ミサイル能力を除去する決意を表明したことは、20年に余る問題の先送りから目覚め、実効性のある行動を取る決意を固めたものと理解すべきだと思う。

                 この決意が韓国内世論を安定化させ、潜在的な当事者であるロシアの動きを牽制(けんせい)すれば、最終的には中国の覇権志向抑制と対北朝鮮影響力行使に繋(つな)がるだろう。そしてキューバのミサイル危機と同様の平和維持効果を果たすことになる。

                 「米国は百パーセント同盟国とともにあり、同盟国を守る」という宣明は「日本は百パーセント米国とともに行動する」という覚悟を求めるものでもある。近現代史を振り返るならば、今日の日本は幕末・明治維新の欧化革命、米ソ冷戦下での日米同盟選択に続く3度目の選択の岐路に立っているのだと思う。(かさい よしゆき)

                posted by: samu | 産経正論 | 22:17 | - | - | - | - |
                韓国大統領選は「左偏向教育」の結果 「自由主義」後退が心配だ/西岡力
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                  韓国の新大統領に文在寅氏が当選した。日本では、日韓関係の悪化を心配する声が高まっている。しかし、私が心配するのは韓国の反共自由民主主義体制の弱体化である。それが進めば韓米同盟が崩れ、日本の安保にも悪影響を与えるからだ。

                  ≪新政権は左派運動勢力の指令塔に≫

                   次点となった「自由韓国党」の洪準杓候補は選挙最終日、ソウル徳寿宮前で「今回の選挙は韓国の自由民主主義体制を守るための内戦だ」と声をからして叫び、支持者らは韓国国旗である太極旗と米国国旗の星条旗を激しく振って賛同の声を上げた。車道を埋め尽くしたのは年長者ばかりだった。

                   洪候補の絶叫を聞く前、私は徒歩5分の距離にある光化門広場で文在寅陣営の演説を聞いた。聴衆は、幼い子供を連れた夫婦など、若い層がかなり多い。元警察庁長官や退役将軍らが「文候補は従北左派ではない。自分たちが保証する。いまだに相手候補をアカ呼ばわりする洪陣営は時代錯誤だ」という演説を続けた。文候補はテレビ討論で北朝鮮を「主敵」と規定することを最後まで拒否したが、支持率は下がらなかった。

                  前回、朴槿恵大統領当選の原動力になったのは50歳以上の高齢層の圧倒的な支持だった。ところが今回、文候補は50歳代でも得票率1位だった。洪候補が1位だったのは60歳以上だけだ。1980年代に大学に入学した世代が今50歳代中盤となったことがその理由だ。ある保守派リーダーは今回の選挙を「世代間の争い」だとして次のように語った。

                   「今回の大統領選挙は若年層の反乱という意味がある。彼らは全教組などから大韓民国の現代史の成功の基盤である自由民主主義や法治、市場経済を否定する左偏向教育を受けた。今回の結果は80年の光州事件以後、継続している37年間の左偏向教育の結果だ。新政権は各界に布陣した左派運動勢力の指令塔になるかもしれない」

                  ≪親日勢力を指弾していた文氏≫

                   80年代、韓国の学生運動活動家らは左傾民族主義を媒介にして急速に北朝鮮に近づいていった。いわゆる主体思想派が韓国の左派運動の中核になるのがこの頃だ。彼らは韓国の現代史を徹底的に否定する「反韓史観」に心酔している。ソウル大学の李栄薫教授はその歴史観を次のように要約する。

                  「日本の植民地時代に民族の解放のために犠牲になった独立運動家たちが建国の主体になることができず、あろうことか日本と結託して私腹を肥やした親日勢力が、アメリカと手を結んで国を建てた。そのせいで民族の正気がかすんだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。解放後、行き場のない親日勢力がアメリカにすり寄り、民族の分断を煽(あお)った」

                   文在寅氏は今年1月に出した対談本(『大韓民国が聞く』)で次のように語っている。

                   「親日勢力が解放後にも依然として権力を握り、独裁勢力と安保を口実にしたニセ保守勢力は民主化以後も私たちの社会を支配し続け、そのときそのとき化粧だけを変えたのです。親日から反共にまたは産業化勢力に、地域主義を利用して保守という名に、これが本当に偽善的な虚偽勢力です。

                   (親日勢力清算の)もう1回の機会を逃したのは1987年6月抗争(大規模な街頭デモにより大統領直選制が実現)のときでした。それ以後、すぐに民主政府が樹立していればそのときまでの独裁やそれに追随した集団をしっかりと審判して軍部政権に抵抗して民主化のために努力した人々に名誉回復や補償をしたはずであり、常識的で健康な国になっていたはずです。しかし、盧泰愚政権ができて機会をまた逃したのです。私が前回の大統領選挙で国民成長ビジョンを提示して腐敗大掃除という表現を使ったではないですか。腐敗大掃除をしてその次に経済交代、世代交代、過去の古い秩序や体制、勢力に対する歴史交代をしなければならないのです」(翻訳・傍点筆者)

                  「すぐに民主政府が樹立していれば」という表現に注目したい。現行の韓国憲法下で最初に行われた大統領選挙の結果生まれたのが盧泰愚政権だが、今年1月の時点で文在寅氏はその政権を「民主政府」とは思っていなかった。

                  ≪左派大統領しか認めない危うさ≫

                   文在寅氏は5月9日夜、党関係者に対して「自信を持って第3期民主政府を力いっぱい、推し進めていく」と語った。文在寅氏は現行憲法下で誕生した7人目の大統領だが、自分は3番目だと言うのだ。その言葉を生放送で聞きながら私は、新大統領は金大中氏、盧武鉉氏だけが民主政府で、韓国の主流勢力を代表する盧泰愚、金泳三、李明博、朴槿恵各氏は違うと言いたいのではないかという疑問を抑えることができなかった。

                   以上のような分析は的外れで、新大統領の本心を見誤っているのであれば大変うれしい。大統領就任後、現実政治に直面して選挙戦での主張をやわらげたり撤回したりすることもよくある。韓国現代史の成功の延長線上で文在寅政権が成功することを祈っている。(モラロジー研究所教授、麗澤大学客員教授・西岡力 にしおかつとむ)

                  posted by: samu | 産経正論 | 22:24 | - | - | - | - |
                  産経正論/国民の大多数が好感する自衛隊が学界では「違憲」/西修
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                    ≪再認識した平和安全法制の意義≫

                     北朝鮮をめぐる緊迫はいつまで続くのだろうか。北朝鮮からわが国に向けて弾道ミサイルが発射された場合、迎撃が可能なのか、もし撃ち落としもれがあったときにはどのように対応すればよいのか、多くの国民が等しく抱く不安であろう。内閣官房が「国民保護ポータルサイト」で、「弾道ミサイル落下時の行動について」を開設したところ、アクセス数が急増しているという。国民の安全保障に対する危機意識がようやく高まってきたということだろうか。政府は、核兵器に備えるシェルターの建設、整備などにも力を入れていかなければならない。

                     北朝鮮有事へ対処するため、先般来、海上自衛隊の護衛艦と航空自衛隊の戦闘機が、米国の原子力空母、カール・ビンソンを主力とする打撃群と緊密な共同訓練を実施した。また今般、海上自衛隊の護衛艦「いずも」に対して、米海軍補給艦への「武器等防護」任務が初めて与えられた。

                     これらの行動をみるに、わが国の防衛のためにともに活動している国が武力攻撃を受けた場合、限定的な集団的自衛権の行使を可能にした平和安全法制が、昨年3月から施行されていることの意義が再確認される。政府には、共同訓練などを通じ、同法制で認められた諸活動の運用にいかなる問題点があるのか、十分な点検をし、国民の生命と安全を保持するために、遺漏なき方策を講じていくことが求められる。

                    ≪本質の議論を避ける憲法審査会≫

                     それにしても、日本国憲法が施行されてから70周年を迎え、また自衛隊の発足から約63年を経るというのに、いまだ自衛力(自衛隊)の保持の合・違憲性が未決着なのは異常だ。

                     自衛隊違憲説が憲法学界の多数説とされ、共産党をはじめとする一部の政党や、有識者、メディアのなかにも根強い違憲論がある一方で、世論の圧倒的多数が自衛隊の存在を支持している。内閣府が平成27年1月に実施した世論調査では、自衛隊の防衛力を、「今の程度でよい、増強した方がよい」の合計が89%、「日米安保条約が日本の防衛に役立っている」が83%、そして「自衛隊に対する好印象」が92%におよんでいる。

                     いったいこの矛盾をいかにして解消すべきか。憲法できちっと解決しなければならないと考えるのが通常であろう。

                     本来、この問題は両院に設置されている憲法審査会で積極的に議論されるべきである。にもかかわらず、設置されてからすでに約10年を経ているのに、いっこうに行われる気配がない。自民党が憲法改正項目の絞り込みに向けて、民進党などへ提起しているのは、参政権の保障(一票の格差是正等)、緊急事態(議員の任期延長等)、基本的人権(環境権、教育無償化等)などであり、平和主義については、国際平和協力関係のあり方を検討課題としている。本質が違うのではないか。第9条そのものが問われるべきである。

                    ≪自衛力の合法性を確立せよ≫

                     私は、第9条に関し、2段階で国民投票にかけるのがよいのではないかと考える。

                     第1段階は、自衛力の保持の必要性を問うことである。自衛力の保持すら憲法違反であるとの解釈が多く存在するかぎり、議論が前に進まない。まずそのネックを取り除くことから始めなければならない。そのためには、憲法改正国民投票法附則第12条にある予備的国民投票制を整備、活用することを提案したい。

                     同条は「国は、(中略)憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題について、(中略)必要な措置を講ずるものとする」と定めている。この予備的国民投票は、国会が憲法改正を発議するにあたり、世論の意思を把握するための諮問的な国民投票であるとされる。自衛隊違憲論を解消し、自衛力の存在の合法性を国民の意思として確立することが何よりも肝心である。もっとも、この投票で自衛力の存在が否定されることになるかもしれない。そのときは日本国の消滅に値し、日本国民の覚悟が試される。

                    予備的国民投票で、自衛力の存在の必要性が認められることになれば(私はそうなると確信するが)、第2段階として、いかなる自衛力を保持することが適切か、各党が広く国民各層の意見を聴取し、国会で現実的な改正案を作成すべく力を結集し、国民に提起する−こういう手続きを踏むことが、第9条改正にとって最善なのではないかと考える次第である。

                     このような2度にわたる国民投票は手間がかかるとの指摘も予想される。けれども、第9条の改正という、戦後を画してきた、またわが国の安全にとってもっとも重大な条項の改正であることに鑑みれば、慎重な手続きをとることこそ意義があると思われるが、いかがだろうか。

                     ともあれ、現今の国際情勢は、第9条を放置したままにしておくことが許されないという認識を、国民全体で共有することが最重要である。(駒沢大学名誉教授・西修 にし おさむ)

                    posted by: samu | 産経正論 | 11:03 | - | - | - | - |
                    正論/国民の大多数が好感する自衛隊が学界では「違憲」/西修
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                      ≪再認識した平和安全法制の意義≫

                       北朝鮮をめぐる緊迫はいつまで続くのだろうか。北朝鮮からわが国に向けて弾道ミサイルが発射された場合、迎撃が可能なのか、もし撃ち落としもれがあったときにはどのように対応すればよいのか、多くの国民が等しく抱く不安であろう。内閣官房が「国民保護ポータルサイト」で、「弾道ミサイル落下時の行動について」を開設したところ、アクセス数が急増しているという。国民の安全保障に対する危機意識がようやく高まってきたということだろうか。政府は、核兵器に備えるシェルターの建設、整備などにも力を入れていかなければならない。

                       北朝鮮有事へ対処するため、先般来、海上自衛隊の護衛艦と航空自衛隊の戦闘機が、米国の原子力空母、カール・ビンソンを主力とする打撃群と緊密な共同訓練を実施した。また今般、海上自衛隊の護衛艦「いずも」に対して、米海軍補給艦への「武器等防護」任務が初めて与えられた。

                       これらの行動をみるに、わが国の防衛のためにともに活動している国が武力攻撃を受けた場合、限定的な集団的自衛権の行使を可能にした平和安全法制が、昨年3月から施行されていることの意義が再確認される。政府には、共同訓練などを通じ、同法制で認められた諸活動の運用にいかなる問題点があるのか、十分な点検をし、国民の生命と安全を保持するために、遺漏なき方策を講じていくことが求められる。

                      ≪本質の議論を避ける憲法審査会≫

                       それにしても、日本国憲法が施行されてから70周年を迎え、また自衛隊の発足から約63年を経るというのに、いまだ自衛力(自衛隊)の保持の合・違憲性が未決着なのは異常だ。

                       自衛隊違憲説が憲法学界の多数説とされ、共産党をはじめとする一部の政党や、有識者、メディアのなかにも根強い違憲論がある一方で、世論の圧倒的多数が自衛隊の存在を支持している。内閣府が平成27年1月に実施した世論調査では、自衛隊の防衛力を、「今の程度でよい、増強した方がよい」の合計が89%、「日米安保条約が日本の防衛に役立っている」が83%、そして「自衛隊に対する好印象」が92%におよんでいる。

                       いったいこの矛盾をいかにして解消すべきか。憲法できちっと解決しなければならないと考えるのが通常であろう。

                       本来、この問題は両院に設置されている憲法審査会で積極的に議論されるべきである。にもかかわらず、設置されてからすでに約10年を経ているのに、いっこうに行われる気配がない。自民党が憲法改正項目の絞り込みに向けて、民進党などへ提起しているのは、参政権の保障(一票の格差是正等)、緊急事態(議員の任期延長等)、基本的人権(環境権、教育無償化等)などであり、平和主義については、国際平和協力関係のあり方を検討課題としている。本質が違うのではないか。第9条そのものが問われるべきである。

                      ≪自衛力の合法性を確立せよ≫

                       私は、第9条に関し、2段階で国民投票にかけるのがよいのではないかと考える。

                       第1段階は、自衛力の保持の必要性を問うことである。自衛力の保持すら憲法違反であるとの解釈が多く存在するかぎり、議論が前に進まない。まずそのネックを取り除くことから始めなければならない。そのためには、憲法改正国民投票法附則第12条にある予備的国民投票制を整備、活用することを提案したい。

                       同条は「国は、(中略)憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題について、(中略)必要な措置を講ずるものとする」と定めている。この予備的国民投票は、国会が憲法改正を発議するにあたり、世論の意思を把握するための諮問的な国民投票であるとされる。自衛隊違憲論を解消し、自衛力の存在の合法性を国民の意思として確立することが何よりも肝心である。もっとも、この投票で自衛力の存在が否定されることになるかもしれない。そのときは日本国の消滅に値し、日本国民の覚悟が試される。

                      予備的国民投票で、自衛力の存在の必要性が認められることになれば(私はそうなると確信するが)、第2段階として、いかなる自衛力を保持することが適切か、各党が広く国民各層の意見を聴取し、国会で現実的な改正案を作成すべく力を結集し、国民に提起する−こういう手続きを踏むことが、第9条改正にとって最善なのではないかと考える次第である。

                       このような2度にわたる国民投票は手間がかかるとの指摘も予想される。けれども、第9条の改正という、戦後を画してきた、またわが国の安全にとってもっとも重大な条項の改正であることに鑑みれば、慎重な手続きをとることこそ意義があると思われるが、いかがだろうか。

                       ともあれ、現今の国際情勢は、第9条を放置したままにしておくことが許されないという認識を、国民全体で共有することが最重要である。(駒沢大学名誉教授・西修 にし おさむ)

                      posted by: samu | 産経正論 | 11:54 | - | - | - | - |