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神道はなぜ「敵役」にされたのか/平川祐弘
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    ◆天正遣欧使節は宣伝用だった

     キリスト教の西洋と神道の日本の関係を巨視的に眺めたい。

     ザビエルが来日した1549年から三代徳川将軍、家光の鎖国までの100年を「キリスト教の世紀」と西洋人は呼んだ。宣教師たちは極東の島国の改宗に成功したと大宣伝を本国向けにしたが、その赫々(かっかく)たるローマの戦勝祝賀報告のだしに使われたのが天正遣欧使節で、四人の少年は法王グレゴリウス13世に謁見、歓待を受け、ティントレットの息子ドメーニコが伊東鈍満所の肖像を描いた。

     世間は麗々しく遣欧使節と呼ぶが実体は違う。少年が各地で書き残した礼状は同行イエズス会士が口授した文章で個性はない。イタリア語の理解力は低く、客観的な判断ができたわけではない。ボローニャへの途次、イーモラで休んだとき、日本の地名に似ている「井村だ、井村だ」とはしゃいだ。その程度だ。彼らは日本における宣教成果の西洋向け宣伝用の見世物(みせもの)使節だったのである。

     新井白石は『西洋紀聞』巻下にイエズス会士が九州で「いとけなき子を携来て」ローマへ連れて行こうとしたことにふれ、漢文が達者な利瑪竇ことマッテオ・リッチについても元東洋の穎悟(えいご)な少年をマカオあたりから連れ去り、西洋で教育した上で宣教にまた中国へ派遣したのでないかと疑った。

    日本開国は宣教師たちにとって「夢よ、もう一度」の好機と思われた。1865年、大浦天主堂の門前に浦上の農民があらわれ「サンタ・マリヤの像はどこ?」とたずねた。プチジャン神父は、厳しい徳川の禁教下でキリシタンの信仰は続いた、と知り驚倒した。

     しかし隠れキリシタンは、古野清人が調べたように、信仰のために死んだ祖先を神として敬う「家の宗教」と化しており、彼らの多くはカトリックに戻らない。プチジャンはいらだって帰国、ナポレオン三世に日本改宗のためのフランス軍による占領を進言し皇帝を苦笑させた。

     ◆「新宗教」が布教を妨げる?

     明治7年、横浜でパークス、ヘボン、ブラウン、サトウ、チェンバレンら西洋人日本通が一堂に会して神道について初めて議論し、祖先を祀(まつ)る土着の信仰は「空虚で人の心を動かさない」「文明開化とともに消滅する」と結論した(後にハーンだけがその見方に反対した)。

     だが神道が国家主義の風潮に乗り勢いづくと、チェンバレンはそれを大正元年「新宗教の発明」と断じた。一部宣教師も同調し、今の日本でキリスト教徒が人口の1%を超えないのは、神道が天皇崇拝の国教として、布教を妨げるからだと言い出した。

    それに反し中国はキリスト教宣布の希望の土地で、蒋介石夫妻も入信した。そんなパール・バックも描く中国の良き大地を悪しき日本軍が侵略する、と非難を強めた。宣教師の意見を代弁する米国の『ライフ』誌も親中反日をあおり、世論や米国外交を動かした。

     私は戦争中に「八紘一宇」は「世界のすみずみまでが一つの屋根の下で仲良く暮らす」「人類みな兄弟」という趣旨で習った。宮城遥拝などの儀礼はあったが、神道を教える宗教のクラスはない。そんなだから「国家神道」という言葉を聞いたことがない。

     だが、米国側は神道を熱狂的な日本愛国主義のバックボーンと目し、神風特攻隊の必死の攻撃は天皇を神とする宗教的狂信のゆえとした。それを粉砕すべく米空軍は意図的に明治神宮を爆撃、火炎は天に沖(ちゅう)した。

     ◆人種偏見と結びつく宗教文化論

     昭和20年12月、占領軍総司令部は神道指令を出し、国家(神社)神道の政治的影響力の排除を命じたが、その際、State Shintoの訳語として国家神道は日本語に定着した。翌年元旦、昭和天皇はGod−Emperorは「架空ナル観念」であると宣言した。

    ユダヤ・キリスト教では創造主は人を創る全能のゴッドだが、日本の天皇は違う。神道では人が死んで神になり、神棚に先祖は祀られる。日本では人は死ねば「神去ります」。その神道の神をGodなどと訳すから、誤解は生じた。

     だが「天皇は日本人のゴッドだ」と言い出したのは、日本兵の強固な戦意におびえた人々の解釈で、それがまた米英人の敵愾(てきがい)心を強めた。宗教文化論は人種偏見と結びつきやすい。神道脅威論は黄禍論の一変形かもしれない。

     安倍晋三首相が先進7カ国首脳会議を伊勢志摩で2016年に開催したときも奇妙な批判が出た。しかし神道をこうして敵役(かたきやく)に仕立てたのはおかしくないか。今では米国大統領も明治神宮に参拝する。クリントン国務長官はお祓(はら)いも受けた。

     軍部が日本を泥沼に引きずり込んだ戦争は愚かだが、それでも「日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス」と教えられたことはない。八紘一宇はそんな意味だとする米国側解釈こそ「架空ナル観念」だったのではなかろうか。宗教文化史的誤解はやはり解いておきたい。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわ すけひろ)

    posted by: samu | 産経正論 | 09:54 | - | - | - | - |
    近代の理念や普遍知信仰は崩れた 不合理なものは変えていこう/古田博司
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      ≪「歴史の必然」は間違いだった≫

       現代から見ると、近代という時代には実にヘンな「理念」を人々が信じていた。「歴史の必然」といい、あらすじを決める何者かが歴史のなかに潜んでいると、20世紀日本の代表的知識人、福田恆存までが信じていた。彼は「近代化という仕事は歴史の必然に従っておこっている」(『福田恆存対談・座談集』第二巻)と、語っていた。ところが近代化は東アジア諸国では必然にはならなかった。

       彼らが約束・分業・人権・法治などをすべてスルーしたことは、今日明白である。「歴史の必然」と言い出したのは19世紀のドイツの哲学者ヘーゲルだった。彼は発展途上国の近代化を行う人々に元気を与えたが、もう終わった。実際に歴史を作っているのは、使命感をもった歴史家や歴史学者などの人間である。

       「社会主義の優位」というのもヘンな「理念」である。社会主義経済国からはついに社会主義経済論は生まれなかった。使われたのは19世紀の人で、資本主義経済の研究書を書いたマルクスの経済学であった。「労働価値説」といい、価値を生むのは労働だけだとし、流通は無視された。ゆえに食糧は配給制で、人々が長蛇の列をなした。経済が悪くなると流通部門がつぶされ、運転手や店の売り子が山で採取経済をさせられた。

       

      現代から見ると、あれは「古代経済や中世経済のマルクス経済化」にすぎない。計画経済は名ばかりで需給を考えないどんぶり勘定だし、計画が頓挫すると、すぐに古代や中世に逆戻りした。巨大建造物と破壊兵器をたくさん残したソ連は、今では中進国・ロシアになり、相変わらずみんなでバクー油田を食っている。

      ≪「革命」を賛美する恐ろしさ≫

       「革命正義」という「理念」は「フランス革命万歳」と言っていたオールドリベラリストが世界中に広めた。社会主義革命も含めて革命はみな良いことで、高校や大学の先生でかぶれた者が子供たちに教えたものだから、全学連や全共闘など、「革命の再現実験」をしてみんな不幸になった。先の福田恆存は、天気予報は人に迷惑をかけないが、社会科学の予報を実現すれば社会が大変なことになると、1960年に警告していた。

       日本ではもう済んだことだが、韓国では遅れていて、ロウソク革命で暴虐な政府を倒した自分たちは「革命政権」だと、文在寅政権は信じ込んでいる。本当は学生運動の気分を残した「書生政権」にすぎない。これは大変な未来の誤算を生むことになるだろう。

       

      以上、近代の理念の多くは、文系知識人が生み出した勝手な「公理」から偽の因果ストーリーを導き出したものであり、現代では全然使えなくなっている。ならばどうするか。もっと文系の学問を科学にすればよいのである。

       分からない事柄があったら、まず類型化する。新聞記者とは何だろうかと考える。文章型と取材型がいる。どちらもうまい者は少ない。取材型は取材費がかかりすぎるので長続きしない。そういう人は社内出世コースに乗り、ヒラメ型になるだろう。この類型が分かれば、最近の新聞の取材力低下の理由が分かるというものである。

      ≪真の保守とは≫

       次の科学は伝統的な実証主義だ。関心事についていろいろと記録を集める。森友問題の財務省理財局の「改竄(かいざん)」がよく分からない。役所的には「書き換え」で、民間的には「改竄」だという人もいる。分からないので、文献学で考えてみる。「改竄」というのは「加筆・削除」のことだ。普通、最も古い時代の手書きの写本に、後の時代の人が手を加えて量が増えると思いがちだが逆である。むしろ時代が下るにつれて無駄が削られて少なくなるのである。

       

      座談会の録音起こしなど、はじめは全部記録して大量だが、それでは読み物にならない。編集しなければならない。そうするとまず削る。つまり話し言葉を書き言葉にする編集の始めから、「改竄」は起こってくるのである。森友問題の理財局「改竄」事件は、決裁前文書の編集に問題があったのではないか、と私には思われる。

       3番目の科学的方法は直観と超越である。相撲協会の親方はなぜ100人もいるのか。親方株が105あって、買えれば親方になれるらしい。現役引退後、親方株を買って部屋持ちの親方と部屋なしの親方になり、協会の仕事をして給料をもらう。何かヘンだ。経営と事業が分離していない。これができていないと、経営・財政をめぐって派閥闘争が起こる。ゆえに貴乃花は処分ではなく「粛清」であろう、などと考えるのである。

       ネットの登場で、近代の理念や普遍知信仰は崩れた。グローバリゼーションで世界はサバイバル状態になった。みんなが考えて国家と民族を強くしなければならない。ナショナリズムや右傾化やポピュリズムの問題ではないのである。近代は終わった。不合理なものは変えていこう。現代では国家と民族への所属意識を自己愛に優先させる者こそが、真の保守なのではあるまいか。(筑波大学大学院教授・古田博司 ふるたひろし)

      posted by: samu | 産経正論 | 11:26 | - | - | - | - |
      【正論】前川喜平氏は「教育の中立性」侵すな /藤岡信勝
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        文部科学省前事務次官の前川喜平氏は2月16日、名古屋市の公立中学校に講師として招かれ、全校生徒を対象に「総合的な学習の時間」の授業を行った。テーマは、前川氏の生き方を学ぶというものであった。これについて文科省は3月1日、15項目の質問を名古屋市教育委員会にメールで送り、前川氏を呼んだ授業の狙いなどを問い合わせた。

        ≪文科省調査は合理的根拠がある≫

         この文科省調査について、「教育の中立性を侵すもの」であるとの批判が一部でなされている。また、前川氏自身も、教育基本法第16条が禁じる「不当な支配」にあたる可能性が高いと発言している。

         さらに、文科省調査の背景には自民党議員の照会があったといわれ、与野党で議論となった。15項目の質問は、文科省という役所の品位を傷つけた前事務次官の行動への怒りがにじみ出ているが、一般人にはあまりに執拗(しつよう)で細部にわたるという印象があるだろう。

         しかし、文科省の調査自体を違法であるかのように批判する議論には根本的な問題がある。文科省への批判が「教育の中立性」や「不当な支配」の意味を正しく理解した上でのものとは到底考えられないからである。

         「教育の政治的中立性」について、教育基本法第14条第2項は「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と定めている。

         この規定に照らせば、前川氏の授業について、文科省が調査を行うことは十分な合理的根拠があるといえる。なぜなら、前川氏は天下り問題の責任で辞任した直後から、安倍晋三政権と自民党に反対する立場を公言し、メディアにも登場して公然とした批判を展開しているからである。

         もちろん、退官後、役人の守秘義務に抵触しない範囲で、どのような講演をしようと本人の自由だ。問題はそのような政治的言動の故に社会的注目を浴びている人物が、学校で授業を行うことの是非にある。

        ≪「特定政党反対」の授業は違法≫

         前川氏の言動から見ても、「特定の政党に反対する」話が授業で行われない保証はない。現に右の授業のあと同じ名古屋市のある高校で行われた講演では、参加者が「半分以上がモリカケ問題と安倍内閣の批判」だったと証言している。前川氏が学校の生徒に授業をすることへの懸念を、当該校の校長のみならず、名古屋市教委すらも全く感じなかったとしたら、あまりに不見識である。

         さらに言えば、授業の内容自体に格別の問題はなくても、特定政党への批判で脚光を浴びている人物が学校で授業を行うこと自体、そもそも問題である。だから、今回のことを文科省が調査しないで放置したら、そのことの方が行政当局として怠慢だと指弾されるだろう。今後、安倍政権批判の急先鋒(せんぽう)、「反自民の歩く広告塔」として、前川氏の全国授業行脚がなされるかもしれない。「教育の中立性」を侵しているのは、文科省ではなく前川氏の方である。

        ≪誤った日教組解釈で世間騙すな≫

         教育基本法第16条の冒頭は「教育は、不当な支配に服することなく」と書き出されている。教育基本法は2006年に改正されたが、旧法第10条では、右の引用に続けて「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」となっていた。この「不当な支配」が何を意味するかについて、長い抗争の歴史がある。

         日教組の解釈では、「不当な支配」の主体はもっぱら国家や行政機構であるとされた。その解釈をもとに、日教組は文部省(当時)が学習指導要領をつくることまでが「教基法10条違反」であると主張して、激しいストライキや法廷闘争を展開してきたのである。

         しかし、日教組解釈は誤りである。「不当な支配」の反対概念は「正当な支配」だ。「正当な支配」とは、選挙で選ばれた議員によって構成される立法府が法律をつくり、それを行政府が具体化して実施することを指す。これに対し「不当な支配」とは、そうした法的手続きを経ずに、特定の政治団体、宗教団体などが学校に押しかけて特定の教育方針を強要するようなことを指す。

         さらに、06年の改正では、「教育は、不当な支配に服することなく」の続きが、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」と変更された。法治主義をうたったこの文言は、私の右の説明と同じことを条文化している。改正は、日教組解釈の余地をなくすために行われたのである。

         前川氏の文科省在職中にこの改正はなされたのだから、改正の趣旨は理解しているはずである。氏はこの改正に内心反対で、在職中は「面従腹背」でやり過ごしたのかもしれないが、退職したからといって、無知を装って、破綻した日教組解釈を振り回し、世間を騙(だま)すことは許されない。猛省を求めたい。(ふじおかのぶかつ)

        posted by: samu | 産経正論 | 13:50 | - | - | - | - |
        正論「日本型リベラル」の真相は何か/竹内久美子
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          「日本型リベラル」と呼ばれる人々をご存じだろうか。共産主義、社会主義が失敗に終わり、所詮は絵空事でしかなかったと判明した今でも、その思想にしがみついている人々。日本に特有の存在である。

           思想に沿わなければ妨害する

           単にしがみついているだけなら、個人の自由だ。問題なのは彼らが、自分たちの思想に沿わせるために、思想に沿わない事柄に対し妨害行為をとるということだ。

           こういう「日本型リベラル」は、政治や文系の研究分野にのみ存在すると思われているようだが、そうではない。私が長年学んできている、動物行動学、進化生物学の分野にも存在する。しかもその言論活動の活発さのために、あたかもこの分野を代表する考えであるかのようにとらえられており、大いに迷惑している。

           ここではこの分野の大半の人間は「日本型リベラル」ではないことを明言したうえで、なぜ日本には特殊とも思える考えの人々が存在するのかを考えたい。

           その前に、私が関係している分野における実態を見ていただこう。「日本型リベラル」の研究者は科学的事実よりも思想を優先させるために、こんな“捏造(ねつぞう)”をする。以下はメディアに頻繁に登場する、ある人物の発言だ。

           「人間の歴史上、婚外交渉がながらく重要な働きをしてきたのか、現在でも実際にしばしば精子間競争の状況があるのか、くわしいことはよくわかりません」

           精子間競争とは卵(卵子)の受精をめぐって複数のオスの精子が争うこと。人間ではたいていの場合、浮気において起こる。つまりこの発言によれば、人間では過去はともあれ、現在でもしばしば浮気が行われているかどうか、詳しいことはよくわからないというのである。

          そんなわけないじゃないか、浮気なんて日常茶飯事だ、と多くの人が思うだろう。「キンゼイ報告」をはじめとする、どんな性の実態調査であっても、皆一様に浮気はかなり頻繁に行われていることが示されている。しかし浮気などというものはあってはならないという思想のもと、こんな“捏造”がまかり通るのである。

           人間を研究することを許さない

           さらに、同じ人物による隠蔽(いんぺい)の例を挙げるとすると、カンジャール族という流浪の民の研究の紹介である。カンジャール族では女の子が生まれると「やったあ」と大喜びになるが、男の子だと皆がっかりする。なぜか。女の子は将来、大道で歌や踊りを披露してお金を稼ぐからである−。

           何かおかしい。その程度の理由で大喜びできるだろうかと、原著論文を読んでみると、カンジャール族の主たる収入源は売春だった。さらに言えば、それくらいのことをしなければ、流浪の民が生きていくのは不可能だということである。

           だが「日本型リベラル」の研究者にとって、売春などあってはならない、売春は女性差別の最たるもの、として隠しておきたいのだろう。

           「日本型リベラル」の研究者たちはまた、人間を研究することを許さないとして長年、研究妨害を続けてきた。そのため、日本では人間の研究が著しく出遅れてしまった。人間について明らかにされることが、よほど都合が悪いのだろうか。

          テストステロンのレベルが低い

           さて、ようやく本題に入るとする。共産主義、社会主義では何より「貧富の差がないこと」や「平等」が重要視される。どちらも反論の余地のない、「政治的に正しい」主張のように思われる。しかし、こういう思想に強く惹(ひ)かれる男がいるとしたら、そこにはこんな理由が隠されているのではないだろうか。

           自分は稼ぎが多くない。稼ぎのいい男が女にモテるのはけしからん。自分は男としての魅力に欠け、女が寄り付かない。こういう自分にも「平等」に女を分け与えよ!

           共産主義、社会主義とは要は女にモテない男にとって、このうえなく心地よい響きを放つ存在なのではないだろうか。

           そしてわざわざ「日本型リベラル」と名づけられるほど、日本に共産主義、社会主義に惹きつけられる人間(特に男)がなぜ多いかだ。それはまず日本人の男が、欧米やアフリカ系の男と比べ、男性ホルモンの代表格であり、男の魅力を演出する、テストステロンのレベルが一般的に低いため、普通は彼らほどには男としての魅力がないからではないだろうか。

           だから日本人の男のなかでも、テストステロンのレベルが比較的高い男は、男として魅力的で浮気もしがちになるだろう。

           しかし、テストステロンのレベルが比較的低い男は、男の魅力に欠けるし、浮気もしない(浮気したくても女に相手にされない)。この後者の男たちが、共産主義、社会主義にこのうえなく惹かれ、「日本型リベラル」と呼ばれる特有の存在となる可能性がある−それが真相ではないだろうか。(動物行動学研究家 エッセイスト・竹内久美子 たけうち くみこ)

          posted by: samu | 産経正論 | 11:41 | - | - | - | - |
          明治の精神的苛烈さは廃れたか/・新保祐司
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            ≪維新150年に欠落した視点≫

             今年は、明治維新150年の記念すべき年である。明治の精神についてさまざまな視点からの振り返りが必要であろう。なぜなら、今日の日本人に欠落しているものの多くがそこにあるからである。

             昭和43年の明治維新100年のときには、産経新聞に明治の青春と日露戦争を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』が連載され、朝日新聞には幕末維新期を描いた大佛次郎の『天皇の世紀』が連載されていた。雑誌などでも明治維新の精神史的意義をとりあげた特集があり、明治の精神への回顧も深いものがあったように思われる。

             しかし明治150年の今年は、明治に対する振り返りがさまざまに行われているのは事実であるが、それが精神史的な深みを持ったものであるかは疑問である。今日の価値観や常識を突き破ってしまう精神の姿に震撼(しんかん)されることを避け、現在的な視点から分析したり解釈したりしているにすぎないようである。明治維新の激動期に噴出した精神的エネルギーを、今日的な通念が許容する範囲で整理しているだけのような気がする。

             明治維新の精神的苛烈さに、こちらが打ち砕かれてしまうようなとらえ方をしなければ、明治維新から何も学べないのではないか。

            そのようなことになっている原因は、根本的にいえば現代の日本人が明治維新というものをもはや理解できなくなっているのではないか、ということである。例えば、明治維新の精神の典型である吉田松陰について、今日散見される奇妙な解釈を考えるとき、そのような思いを禁じ得ない。

            ≪今の日本人に松陰が解るか≫

             『天皇の世紀』の中で大佛次郎は吉田松陰を見事に描いているが、「大獄」の巻の中で「外国人、つまり昔の夷狄の一人のG・B・サンソム」と書き、そのサンソムの松陰観を「野火」の巻で次のように引用している。サンソムは、英国の外交官で、日本研究家としても知られ、著作に『西欧世界と日本』などがある。

             「日本歴史を書いたG・B・サンソム卿が松陰のことを叙して『吉田寅次郎、彼は当惑させられる性格の持主であった。彼の伝記を粗略に読むと、彼が愚か者で、狂信的で無能であったとの印象を受ける。彼は高邁(こうまい)な理想、雄大な構想、野心的計画で充満していたが、大小を問わず着手したすべてのことに失敗した。それは常識の欠如に基づくといえよう。外国の研究者がなぜ彼があれほどまで同時代人の心に強い影響を及ぼし、また後世の人から法外に賞讃されたかを理解するのは、この点で容易なことではない』としている」

            大佛次郎は、その前で「サンソムが、なぜ松陰が同時代人の心に強い影響力を及ぼしたのか外国の研究者にはほとんど理解しにくいと言ったのは当然なのである」とした上で、「日本人ならばこれが解(わか)るとも最早言いえないのである」と恐るべきことを指摘した。これは、昭和45年頃の執筆である。

             日本人の歴史学者そのものが「サンソム」化していきつつある現在、また「外国人」のような日本人が増えてきつつある今日、ますます松陰の精神について「これが解るとも最早言いえないのである」という事態になっているのではあるまいか。今日世上に見られる松陰についての見当外れの見方は、何か政治的な底意も感じられるが、根本的には、このような無理解が原因のように思われる。

            ≪歴史と思想の「坩堝」に飛び込め≫

             大佛次郎の『天皇の世紀』を高く評価した小林秀雄が、ちょうど大佛次郎が上記のように書いた頃、江藤淳との対談で吉田松陰について語っていた。昭和46年に行われた対談には、昭和45年11月25日の三島由紀夫の自決をめぐって激しいやりとりがある。小林は「三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう」ととらえている。そして、江藤が三島について「一種の病気でしょう」と言ったことに対し「それなら、吉田松陰は病気か」と激する。「日本的事件という意味では同じだ」と言うのである。

            大佛次郎の記述や三島由紀夫の自決から、あと2年でもう半世紀になる。ちょうど東京オリンピックの開催される年である。吉田松陰の精神史的意義について「日本人ならばこれが解るとは最早言いえないのである」という状況にますますなっていくかもしれない。しかし、吉田松陰が解るということが、日本文明を立たせる柱の一つなのである。

             まずわれわれ現在の日本人は、明治維新の「坩堝(るつぼ)」のような精神の激動を理解することができる精神の勁(つよ)さを失ってしまったのではないかという自省から出発すべきである。外側から眺めているのでは何もつかめないであろう。

             「畏(おそ)れ戦(おのの)きて」明治の精神に対すべきである。そして、その歴史と思想の「坩堝」に飛び込み、忍耐強く潜水して、その底にあるものを掴(つか)み取って浮上しなければならない。それが、日本文明を支える土台を構成するからである。(文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 しんぽゆうじ)

            posted by: samu | 産経正論 | 09:10 | - | - | - | - |
            肌を通じた外圧の痛覚を取り戻せ/小川榮太郎
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              1854(安政元)年、ペリーの来航によつて、日米和親条約が締結された。この大きな外圧に当時の日本人はどう反応したか。これは、日米安保による戦後の平和といふ「地上の楽園」が事実上終焉(しゅうえん)してゐるのに、それに即応できずにゐる今の日本人にとつて、熟考に値する主題と思はれる。

              ≪「腰抜」ではなかった幕府の対応≫

               最も対極的な反応として、幕府と吉田松陰のそれを簡潔に振り返つてみよう。松陰は幕府の交渉を手紙でこう書いてゐる。「幕府の腰抜(こしぬけ)侍が頻(しき)りに和議を唱へ候こと、誠に一砲丸をも発せざる前にかかること申出るは、かの弱宋の小人原にも劣りたる識見、実以(もっ)て口語に絶したる業に御座候」

               では、実際の幕府の対応は「腰抜」であつたのか。内実を見ると、さうは言へない。充分及第点を与へられるものであつた。交渉を専ら担当したのは、老中の指令を受けた応接係であり、首席は大学頭、林復斎である。

               例へばこんなやりとりがある。ペリーは、日本が漂流民を保護せず、扱ひが非人道的だと非難し、かう言ふ。「貴国の国政が今のままであっては困る。多くの人命にかかわることであり、放置できない。国政を改めないならば国力を尽くして戦争に及び、雌雄を決する準備を整えている。我が国は隣国のメキシコと戦争をし、国都まで攻め取った」

              それに対して林は「戦争もあり得るかもしれぬ。しかし、貴官の言うことは事実に反することが多い。(略)我が国の政治は決して反道義的なものではない。我が国の人命尊重は世界に誇るべきものがある。この三百年にわたって太平の時代がつづいたのも、人命尊重のためである」(加藤祐三氏『幕末外交と開国』)として、詳細な反論を続けてゐる。恫喝(どうかつ)に狼狽(うろた)へてゐる様子は全くない。国是を主張して堂々たるものだ。

               交渉の全貌を見ても、戦後の土下座外交、或(ある)いは対米従属に比べ対等との印象は強い。通商の要求も突つ撥(ぱ)ねてゐる。漂流民保護と薪水の提供ならば文字通り人道的にも不可とするに当たるまい。

              ≪松陰は開戦も覚悟していた≫

               片務的最恵国待遇をアメリカに与へてゐるが、全体に日本側は双務性に拘(こだわ)り治外法権も認めてゐない。列強とアジアとの最初の双務的国際条約だつた。が、その陰で問題を含む譲歩が散見される。

               例へば、下田港でのアメリカ人の行動範囲である。ペリーは長崎の出島のやうな待遇は困る、港から10里ぐらゐまでは自由に歩けるやうにして欲しいと主張する。林は抗するが、下田港から7里四方を遊歩地とすることになつた。林らとしては通商の拒否、双務性の確保、調印者が応接係で幕府や朝廷ではないなどの「勝ち点」を稼いだ上での譲歩にすぎないといふ感覚だつたであらう。これはしかし、われわれ日本人の性善説といふ民族的資質の陥穽(かんせい)ではないか。

              このペリー来航に幕府と対極的な反応をしたのが、松陰だ。松陰は、この時点で日欧軍事力差を認識してをり、西洋兵学を全面的に導入することを主張してゐる。にも関はらず一方でペリー来航に際してかう言つてゐるのである。

               「夷人幕府に上(たてまつ)る書を観(み)るに、和友通商、煤炭食物を買ひ、南境の一港を請ふ等の事件、一として許允(きょいん)せらるべきものなし。夷等(えびすら)来春には答書を取りに来らんに、願ふ所一も許允なき時は、彼れ豈に徒然(とぜん)として帰らんや。然れば来春には必定一戦に及ぶべし」

               交渉拒否、開戦の主張だ。よく知られてゐるやうにこの後松陰は下田に停泊中のアメリカ船に乗り込む。その目的は通説では海外渡航となつてゐるが、川口雅昭氏の『吉田松陰』は、博引旁証(ぼうしょう)によつて「墨夷膺懲(ぼくいようちょう)」、つまりペリー暗殺が目的だつたのではないかと推量してゐる。さうなれば開戦になつた公算はある。松陰が手紙で書いた開戦の主張とも合致する。

              ≪国家の存亡を賭けて答えを出せ≫

               一見、幕府が合理的、松陰は無謀・軽挙・狂気に見える。が、さうだらうか。幕府の理性的な詰めの中での小さな譲歩は、修好通商条約の大きな譲歩に繋(つな)がり、穏便な外務省外交と強硬な軍事的突破の激しい往復となる日本近代史の序奏となつた。譲歩と爆発を繰り返す日本は、世界から見ると狡猾(こうかつ)な打算と強奪の国に見えることになる。彼我の肖像の大きな相違が日本近代史の破局の背後にあつたのは間違ひない。

              今も、世界は「非合理な情念」に満ちてゐる。中国の国威発揚と日本圧服への情念、北朝鮮による核・長距離ミサイル開発、露のプーチン氏4選−強力で反日・侮日的な軍事独裁政権が日本の近海に勢揃(ぞろ)ひした。その最中、日本では安定してゐた安倍政権が森友・加計問題での一部メディア発の倒閣運動で、苦戦を強ひられてゐる。

               幕府の「常識」には見えてゐなかつたが、松陰が肌を通して痛覚として感じてゐたものは何だつたのか。私には即答できる解はない。が、日本人が今、七十余年ぶりに、国家の安寧と存亡を賭けてその答へを出すべき秋(とき)に至つてゐることは確かだと思はれる。(文芸評論家・小川榮太郎 おがわえいたろう)

              posted by: samu | 産経正論 | 09:40 | - | - | - | - |
              メディアの「偽報道」に注意せよ/ジェームス・E・アワー
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                ≪誤解を生む6つのニュース≫

                 沖縄県名護市の東側にある3つの小さな地区の住民、日本に駐留する米軍操縦士、法律を順守している沖縄駐留の海兵隊員、1930年から40年代に「性奴隷」に関与したとされた旧日本兵の子孫、何人かの日本人学者から違憲と呼ばれる自衛隊員、そして日本を軍国主義に戻したいのだと非難される安倍晋三首相−これらに共通するものとは何だろうか。

                 私のような外国人オブザーバーには、偽りのニュースとはいわないまでも、これらは国内外のメディアの日本に関する間違った報道により、誤解を生じている代表的な6つの例であるように思う。

                 まず名護市についてだが、日米の当局者たちは1996年、宜野湾市にある米海兵隊普天間飛行場を名護市東側にある海兵隊のキャンプ・シュワブ内に移転することに同意した。(新しい基地の設置であると、誤って報道されることもある)この移転は、普天間の騒音と危険を減少させ、辺野古、豊原、久志3地区の住人にとって歓迎とはいかないまでも、受け入れ可能なものである。

                しかし、沖縄や日本本土のメディアは、ほとんど3地区を訪れたこともないどころか、あたかも沖縄県民の大方がこの移転に反対であるかのように報道している。もし彼らが移転阻止に成功するなら、代替案は普天間を今までどおり残すということになるだろう。

                 次に米軍の操縦士に関してである。日本での飛行を可能な限り安全にするため、米軍は維持管理と訓練に大変な努力を払っているものの、実際には少数の事故が発生している。当然ながら、そのたびに事故に対する謝罪やいっそう努力するという誓約がなされるが、人口密集地での着陸を避けるため、最大限の努力を尽くす勇敢で熟練した操縦士の頑張りは、ほとんど報じられることがない。

                 少なくとも何件かの事故は、操縦士が地上にいる住民の被害を避けようとして、自分の生命を危険にさらしたものである。敵から日本を守るために、彼らはいつでも最大限の犠牲を払う用意がある。彼らが守ろうとしている人々ができる限り安全であるために、積み重ねられている訓練と努力は高く評価されるに値しよう。

                ≪センセーショナリズムを優先≫

                 海兵隊員についても同様である。沖縄には非常に多くの若い米軍兵士たちが駐留している。海外で働くのに最も適した人材を見つける努力が行われたうえで、兵士たちは専門的で信頼性のある任務をこなしている。

                 20歳ほどの若い日本人やアメリカ人がいつも完璧だとはいえないが、たった一回でも犯罪があってはならない。沖縄に駐留する米海兵隊の大多数は日頃、善い行いをしても、そうした報道はほとんどされない。アメリカ人による犯罪件数は同年齢の沖縄の人と比べても同様に低いが、ひとたび犯罪が海兵隊員によるものとなれば、センセーショナルに報道される。

                 慰安婦についてはどうだろう。

                 入手可能な証言によれば、戦時中に中国大陸やその他の地域で民間の受託業者が売春宿を経営していたが、日本人や(当時は日本国民であった)朝鮮人の女性はそのサービスに対して、時として兵士に払われるよりも高い報酬を受けていたし、彼女らは拉致されて連れてこられたのでもなかった。

                 しかし90年代に日本の大新聞の報道などにより、朝鮮人女性は40年代に(慰安婦行為を)強制されたと誤って伝えられ、韓国や国連の委員会などで、日本軍は合法的売春を許すより、性奴隷を組織的に推進したと強い不満が燃え上がったのだ。

                 

                ≪自由には正確さの責任が伴う≫

                 では自衛隊に関してはどうか。

                 日本国憲法の原案では、戦後の日本は「たとえ自衛のため」であっても軍隊を保持してはならないとされた。しかし、日本政府に草案が示される前に米国側によって削除され、国会を通過するときは、自衛のための戦力は、将来にわたり法的に正当化されるように芦田修正が加えられた。

                 日本の最高裁は自衛権は認められると判決を下しているが、いまも多くの日本の法律家が自衛隊は違憲であると主張する。それは自衛隊やその家族に対して、不当な批判であることは明白だ。

                 最後に安倍政権の動向である。安倍首相は安保関連法を成立させて、アメリカやオーストラリア、東南アジアなどの友好国などから歓迎された。しかし日本の一部メディアは、特に自衛隊の法的正当性を明白にするために、日本国憲法にその存在を書き加えようとすることを指摘し、安倍首相が危険なまでに右寄りに動いていると主張している。

                報道の自由は強力な民主主義の基本になるが、自由には責任が伴う。メディアは犯罪を報道し、国家の安全保障に対する危険性を警告する権利と責任がある。しかし、時として営業目的のためにニュースを作り上げようとする気持ちが、誤ったニュースを回避する気持ちに勝ることがあるように思える。報道の自由には正確な報道をする責任がなければならない。

                 

                posted by: samu | 産経正論 | 18:23 | - | - | - | - |
                明治維新のアジア史的「意味」/平川祐弘
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                  ≪日本を文明史的に方向付けた人≫

                   外国でお札には大統領や皇帝の肖像が選ばれるが、日本で最高額紙幣に登場するのは、昔は聖徳太子で今は福沢諭吉の一万円札である。この選定は興味深い。二人は日本が進むべき文明史的方向を示した人物であった。

                   聖徳太子(574〜622)は日本人の目を大陸の文化に向けた。英語でいえば Japan’s turn to China の指導者である。607年に遣隋使を派遣し、漢訳仏典など漢字文化の学習を奨励した。日本人は爾来(じらい)、千数百年間、漢文を習った。

                   東アジアの知識層は四書五経を尊び、堯舜が徳で天下を治めた古代中国を文明の範とした。そんな儒教を学んだ日本は中国中心の華夷秩序に収まるかに見えた。しかし政治的には「日出る国」の日本は独立で、中国と宗属関係にあった半島地域とは違った。

                   福沢諭吉(1835〜1901)は漢文も達者だが、維新前に三回西洋に渡航し、オランダ語も英語も解した。漢籍でなく英書により近代文明を学ぶ必要を説き、和漢の学者を「その功能は飯を喰う字引に異ならず」と揶揄(やゆ)した。

                  福沢の『学問のすゝめ』はなんと350万部売れた。戦後、左翼は福沢が「脱亜入欧」を主張したと難ずるが、日本人が語学的に「脱漢入英」したのはまぎれもない歴史的事実だ。今後私たちが「脱英入漢」へ逆戻りするとすれば−そうなるとは思わないが−日本が中華人民帝国の属国となるときだろう。

                  ≪漢民族に民主制は適さないのか≫

                   1868年、日本が目を西洋に転じたのは Japan’s turn to  the West という文明史的方向転換で、明治維新は狭義には幕府崩壊、大政奉還、王政復古、五箇条の御誓文などを、広義には廃藩置県、殖産興業、富国強兵、憲法発布、議会選挙などの近代国家の建設をいう。孫文の言葉「明治維新は中国革命の第一歩」は、そんな新日本が中国に及ぼした刺激を示唆している。日露戦争でロシアの東方進出を阻止したからこそ、独立を望むアジアの留学生は続々と来日したのだ。

                   1911年の辛亥革命で清朝は倒れ、中華民国にも代議政体が成立するかに見えた。だが維新はならず、漢民族に西洋民主制は適さない、という初代大総統・袁世凱は自分を大皇帝に推挙させようとした。1949年成立の人民共和国も、無産階級専政の実質は毛沢東独裁で、大躍進や文化大革命の大悲惨もその専制ゆえに生じた。

                  天安門で民主化運動を弾圧した小平も、現在の習近平氏も、中国に西洋的政治体制は合わないといい一党独裁を正当化しようとする。だが漢民族は近代市民社会を形成する力がないほど無能とでもいうのか。

                   新中国が他の新興国と同様、開発独裁の時期を必要としたのはわかる。一党支配下で殖産興業、富国強兵は確かに進んだが腐敗もまた進んだ。人民大会堂の建物は開設したが肝心の議会選挙は行わず、憲法は形骸化し、言論自由の制限はますます厳しい。このまま軍事大国化してよいのか。テレビで日本の司会者は、北京を代弁する中国人教授に問いただしてもらいたい。中国には法治より人治がふさわしいのは本当か、と。

                  ≪寛容な言論空間が民主化育てる≫

                   民主制は西洋以外の土地でも機能する。日本では大正デモクラシーがあったからこそ戦後の民主化も順調に進んだ。なにをもって民主主義というか。議員が選挙で選ばれ、与野党の政権交代が平和裏に行われる。政府批判の新聞も罰されない。そんな基準で測れば台湾は漢民族が主体だが、今や民主制が定着している。

                  ではなぜ日本や台湾には政権批判勢力が存在し得るのか。明治以来、反対党が存在し得た背景には政治的寛容を認めた先賢の智慧がある。150年前の慶應4年3月14日、京都紫宸殿で五箇条の御誓文が出たと同じ日、田町の薩摩藩邸で西郷隆盛と勝海舟の間で江戸城開城が決まった。平和的解決であってみれば、徳川勢の存在を完全には無視できない。尊皇攘夷を唱えて天下を取った側も薩長幕府は作らず、西洋に範を取り中央集権の新政府を発足させ、開国和親の路を選んだ。

                   維新後、福沢と並んで読まれた人は中村正直である。昌平黌の儒者は幕府留学生として渡英し、英国で民主主義を発見。ミルの On Liberty を研究、洋学者として帰国した。中村訳ミル『自由之理』は自由民権や国会開設運動の教科書となるのだが、旧幕臣・中村の著作が広く読まれた明治日本には寛容な言論空間があった。

                   台湾でも大陸渡来の国民党、蒋介石の長男・蒋経国総統は、多数派の台湾人を完全には無視できない。台湾本省人の李登輝氏を副総統に抜擢(ばってき)し、漸進的民主化を進めた。その結果、台湾の新聞は自由に語り出し、国民党と民進党の総選挙による政権交代も可能となった。明治日本も今の台湾も民度が高い。それもあって西洋起源の民主制も根づいたのだ。民主化こそ自由を望むアジア人の夢である。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわすけひろ)

                   

                  posted by: samu | 産経正論 | 18:13 | - | - | - | - |
                  産経正論/半島危機に過去の「教訓」生かせ/島田洋一
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                    ≪示唆に富むキューバとイラク≫

                     「核の脅威」への対処をめぐって世界を揺るがした1962年のキューバ危機と2003年のイラク戦争は、アメリカの対北朝鮮政策を考えるに当たり、とりわけ示唆に富む。

                     ソ連がキューバに核ミサイルを搬入・設置中との情報がケネディ大統領に届いたのが1962年10月16日早朝。「世界を震撼(しんかん)させた13日間」が始まった。11月6日の中間選挙までわずか3週間という時期であった。以後、米統合参謀本部は一貫して、キューバの軍事施設に対する全面空爆を主張する。ミサイル基地のみを標的とした「外科手術的爆撃」では、キューバ空軍による報復でフロリダなどにかなりの被害が出かねない。

                     核ミサイルの実戦配備までまだ2週間はかかるとみられ、今なら通常戦力だけで作戦を遂行できる、先送りするほど核戦争の危険が増すとテイラー統参本部議長は強調した。当初これに同調したロバート・ケネディ司法長官は、キューバが「先に手を出した」形を作るため、米艦の撃沈などの秘密工作を行うよう進言している。

                    一方、政権内の「ハト派」は、先制攻撃はキューバ内のソ連軍将兵(約4万人)に多数の死傷者を生む、西ベルリンで報復を招くなどを理由に、海上封鎖で核ミサイルの追加搬入を阻止し、「キューバ不侵攻宣言」およびトルコに配備済みの米核ミサイルの撤去を交換条件に妥協的解決を図ることを主張した。ケネディは概(おおむ)ねハト派の意見を容(い)れ、ただしソ連が取引に応じない場合、ミサイル基地に限定し外科手術的爆撃を行うとの方針で臨む。フルシチョフが取引に応じたため、危機は終息した。

                     さて現下の北朝鮮情勢と比べてみよう。まず北の核ミサイルは独自開発かつ本国への設置であり、第三国への「持ち込み」核の撤去というキューバ型の取引が成り立つ余地はない。一方、独自開発だけに、北の基地にロシアや中国の支援部隊がいる可能性はなく(いれば安保理決議違反)、米側にとり攻撃のハードルはその分低い。

                     ≪軍事力の全面発動が犠牲減らす≫

                     フロリダへの報復被害を抑えるため軍事施設全般への空爆が必要という論理は、フロリダをソウルに置き換えれば、今日にも当てはまる。ケネディから「撃ち漏らし」の可能性を問われた統参本部議長は「100%はあり得ない。必要な期間波状攻撃を繰り返すのみ」と答えている。軍の回答としては、それ以外にないだろう。

                    なお韓国の在留外国人は約200万人。6割近くがソウルおよび近郊に住み、中国人が最も多くベトナム人、アメリカ人と続く(2016年。韓国法務省)。中国の対韓投資額も増えている。半島有事に際し、中国は北に「火の海にする」対象は米軍基地に限るよう強く要求するだろう。

                     ケネディもニクソン同様、ホワイトハウス内の会議を秘密録音していた。「まずは海上封鎖」との意向を大統領が示して退室後、軍首脳らが「小出しにやれば大失敗する」「のらくらやるな。ミサイルを除去しに行けが結論だ」と不満を口にする様子が記録されている。統参本部は、北朝鮮に関しても「軍事力を発動するなら全面空爆で」との立場を取るだろう。

                     2003年3月17日、サダム・フセイン親子に「48時間以内の国外退去」を求めた「最後通告」演説において、ブッシュ(子)大統領は、「戦争で確実なのは犠牲だけだ。しかし、被害と戦争期間を減らす唯一の道はわが軍の力の全面発動である」と述べ、その通り全面攻撃を行った。

                    当初計画では南北からイラクを挟撃するはずだったが、北のトルコが米軍の基地使用を拒否したため、南のサウジアラビアの基地が圧倒的重要性を持つに至った。ブッシュは回顧録に「我々がかつて行った最重要の要請だったが、NATO(北大西洋条約機構)同盟国たるトルコはアメリカを見捨てた」と憤りを記している。

                     一方、サウジからは、今度は湾岸戦争時(1990年)のように「サダムを生き延びさせることはないのか」と覚悟を問う照会があった。「今回は片を付ける」とチェイニー副大統領が確約し、サウジの納得を得たという。

                     ≪尖閣諸島防備を一段と強めよ≫

                     朝鮮有事に関し、アメリカは韓国にトルコの影を見ているだろう。その分、日米の緊密な意思疎通と協力が一層重要となろう。

                     なお、キューバ危機が進行中の10月20日、中国軍が東西2カ所でインドに侵攻した。虚を突かれたインド軍は潰走する。ガルブレイス駐インド米大使は日記に、「ワシントンは完全にキューバ一色だった。一週間に亘(わた)り、一片の指示もないまま、私は戦争への対応を迫られた」と記している。ケネディがようやくネール首相宛てに「全面支持」書簡を書いたのが28日(キューバ危機終息の当日)。武器を積んだ米軍機がインドに到着し始めたのが11月2日。すでに中国は占領地を固めていた。

                     歴史の教訓は明確である。朝鮮有事に際しては、尖閣諸島周辺の防備を一段と強めねばならない。(福井県立大学教授・島田洋一 しまだ よういち)

                     

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                    必見 本日の産経新聞「正論」、キューバ危機より説き起こす/西村眞吾

                     

                    産経新聞朝刊「正論」は、
                    朝鮮半島情勢に関して、
                    福井県立大学の島田洋一教授が執筆している。
                    まことに、見事である。
                    この島田さんの「正論」は、
                    流動する国際情況の歴史と地政学的つながりのなかに現在の朝鮮半島危機を位置づけ、
                    この現在の危機を、
                    歴史から抽出した「キューバ危機」と「イラク戦争」と「中共のインドへの軍事侵攻」
                    との関連性の中で捉え、
                    立体的に眼前に見えるが如く解説したものである。

                    特に、一九六二年十月二十日、
                    アメリカのホワイトハウスと全軍が、キューバに集中し、
                    デフコン2(準戦時体制)が発動されて
                    戦略爆撃機が核爆弾を搭載して二十四時間飛行し、
                    世界が核戦争勃発かと震え上がっていたときに、
                    中共が
                    中印国境の東西両面から、突如インドに侵攻して不意を突かれたインド軍が潰走し、
                    インド領内の占領領地を確保したとの指摘は、
                    実に見事だ。
                    この中共の、「力の空白」、「関心の空白」を必ず突くという
                    火事場泥棒専門のロシアも負ける不意打ちの性癖(これが孫子の兵法)、
                    これが、本「正論」において日本国民知るところとなったのは、
                    まことに有意義だ。
                    今、朝鮮半島危機と同時に、尖閣と沖縄と台湾が危機なのだ、
                    このことを広く日本国民が知るからである。

                    時あたかも、
                    この「正論」が掲載された同紙の一面には、
                    「南北首脳会談 合意」
                    との大見出しがあり、
                    その見出しの下の写真では、金正恩が笑顔で韓国の特使と握手している。
                    四月下旬、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩が会談することが決まったという。
                    これに関しては、
                    度々引用する平成28年2月10日の産経新聞の
                    古田博司筑波大学大学院教授の「正論」にある
                    見出し、「南北の政略劇にだまされるな」
                    本文、「金大中・盧武鉉政権時代の国家支援と秘密支援の蜜食いが体質化し、
                    その後もオドシとタカリを繰り返すようになったのである。」
                    とだけ記せば充分だろう。
                    現在の文在寅大統領は、この国家支援と秘密支援の実務担当者である。
                    彼ら「南北首脳」は、
                    午前中は、鬼を憎むような顔で罵り合っていても
                    午後はケロリと天使を抱くような笑顔で握手できるのだ。
                    かつて、
                    今となっては懐かしい朴槿恵大統領が、
                    朝から晩まで日本の悪口を言っているとき、
                    特定失踪者調査会の代表をしている朝鮮専門家の荒木和博氏に、
                    「あの朴さん(義父と士官学校同期)の娘、
                    いずれ日本に経済支援を求めることになりそうなのに、
                    あれだけ日本の悪口を言っておれば、
                    日本に頼めないじゃないか。
                    心配してやるよ。」
                    と言うと、荒木さんはニヤリと笑い、
                    「全然心配いりません」
                    と言って私の腕に腕を回して私の腕を引き寄せて、
                    「昨日まで怖い顔をしていても、
                    今日になればこのようにして、
                    『ねえ、西村さん、古い付き合いじゃないですか、助けてよ』と
                    ニコニコして言える人たちなんです。」
                    と、いうことだ。
                    朝鮮半島に、何度も、何度も、欺されていてはならない。
                    個人はともかく、特に国家は欺されてはだめだ。
                    注目点は、
                    米韓合同軍事演習が実施されても、首脳会談が実施されるか、である。
                    アメリカのトランプ大統領は、文大統領が渋ろうと、韓国軍が小規模参加でも、
                    断固として大軍事演習を実施しなければならない。
                    そして、アジアを守る眼目は、昨日の時事通信で強調したように、
                    日米合同軍事演習の開始である。

                    キューバ危機、
                    それは、一九六二年(昭和三十七年)、
                    丁度私が中学二年の時だった。
                    その時、地理の授業で海軍兵学校出身の山崎卓三先生が
                    キューバとアメリカの地図を黒板に書いて次のように言った。
                    「これは、アメリカの喉元にソビエトがナイフを突きつけたということだ」
                    この山崎先生の言葉は、未だに忘れない。
                    それ故、昨日の時事通信で、
                    ロシアのプーチンが、国後、択捉にミサイル基地を造ったことを
                    「我が国の喉に短刀を突きつけたに等しい」と書いたのだ。

                    この山崎卓三先生は、終戦時、駆逐艦の士官だった。
                    授業中、小樽をアメリカ軍機から守った時の情況を説明して、
                    俺たちが弾幕を張ったので、敵さんの落とした爆弾は街に落ちずに海に落ちた、
                    と言い、「小樽の街は俺たちが守ったのだ」と締めくくった。
                    終戦の時、舞鶴に戻る際、
                    日本海から「ロ助の方に、残った機関砲弾を撃ちまくった」と言っていた。
                    士官の中には、このまま南方海域に行って海賊になろうという者もいたとも言っていた。
                    しかし、艦長が妻子のある兵隊もいる、と言って舞鶴に入って陸に上がったという。
                    中学高校の授業中のことで、覚えているのは、このことだけだ。
                    なお、卒業後、
                    「小樽の街は俺たちが守った」の話が出たとき、
                    山崎先生は言った。「小樽に好きな人がいたんや」と。
                    今後の義務教育教育改革とは何か。
                    自衛隊のOBを多数、
                    地理や歴史や社会の先生に採用して、
                    子供達に時々、教科書以外の血湧き肉躍る話を聞かせることだ。

                     

                    posted by: samu | 産経正論 | 17:55 | - | - | - | - |
                    国家を強くする「常識」を持とう/古田博司
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                      常識のない私まで常識について語らなければならない時代になっている。ということは、日本人に常識がなくなってしまったのではなく、常識まで論理的に語らなければよく分からない時代になってしまったということだ。

                       でも元の常識で考えてほしい。大相撲の協会の理事選挙、なぜ選挙人の親方が101人もいるのか。ディズニー映画の「101匹わんちゃん大行進」じゃあるまいし。常識的におかしくはないか。

                       安倍晋三首相はなぜ韓国のオリンピック開会式に行ったのか。もう社会主義経済なんかやっていない、ただの独裁国を欽慕(きんぼ)する空想社会主義者の“文在寅ルーピー政権”を国益のために説得しに行ったのである。これが常識であり行っても無駄だというのは、私の意見にすぎない。

                      ≪自分たちの文化を育てない韓国≫

                       じつは常識には、国家も民族も絡んでいるのである。国家というのはハード、民族というのはソフトだと思うと分かりやすい。民族が50以上ある中国では、いったいだれが中国人なのかよく分からない。そこで、「中華民族」などというウソをつく。

                      民族とは何かといえば、「因果のストーリーを共有する人々」のことである。因果のストーリーとは、歴史、文法、常識などのことをいう。こうなればこういう行動を取るとか、こう喋(しゃべ)ればうまく通じるとか、「こうするとこうなる」式の因果のストーリーである。これを豊かにするのが文化だ。刺し身はこう切ると日本料理が美しくなるとか、そういう体得の集積である。

                       韓国はこれがダメだ。もともと宗主国文化を主の文化として、自分たちの文化を育てない。チョゴリだってチェゲジメグチ(蒙古文語)、壁掛けのメドゥプはシナの結芸(チェイー)、シナ料理の火鍋子(フォクォツ)は神仙炉(シンソンノ)に化けている。

                       その上、1970年代に文教部主導で、「われわれは中国文化を受け入れそれを模倣するに留(とど)まらず、またそれに同化しわが文化の本当の姿を失うことはなかった。わが民族は中国文化を受容し、それを民族と国家の繁栄に適切に、再び創意力を発揮し、新しい文化を創造してきた」(韓国教育開発院『高等学校世界史』国定 79年)と、また自己チュウのウソを全国に教え広めてしまった。

                       これが、「受容すればわれわれのものだ」という、いわゆる「ウリジナル」へと発展していくのである。剣道も茶道も孔子様までウリ(自分たち)のモノと言ってはばからなくなった。

                      ≪サバイバルについて行けるか≫

                       だから文教政策は大事なのである。藤原正彦さんが「愚かなる小学校英語」(『週刊新潮』)で諭している。2020年から小学校の英語が教科に格上げされる。教科書が作られテストが行われ、通知表に成績がつく。でも、小学校教諭で英検準1級以上を持つものは1%もいない。また教師の過労死が増えるだけ。それで子供の頃から英語をうまく操る人への憧れと劣等感を育むだけ。常識で分かることを論理的に言わなければならない。

                       会社でも銀行でも、官庁でも大学でも相撲界でも、いま上の方の人たちに物の分からない人が増えている。物が分からないというのは、時間の変化、時代の推移が分からないということだ。近代は終わったし、資本主義はグローバル段階に入ったのである。ネットでモノ・ヒト・カネが自由に速く動く。かつてそれで国境も消えると言った人たちがいた。ところが常識では逆だ。世界経済はさながらサバイバルの様相を呈し、失敗した国家はどんどんダークサイドに落ちていく。

                      ≪新時代の「因果のストーリー」を≫

                       国家はマネジメントの単位となり、国民の国家に対する依存度は増している。こんな時代に民族の「弱った腕を強くし、よろめく膝をしっかりする」(イザヤ書35−3)のは当たり前ではないか。ナショナリズムとか、右傾化の問題ではないのである。

                      私がよく、「国家理性」という言葉を使うのもそのためだ。アングロ・サクソンという民族のすごいところは、「国益」ということで大多数がちゃんと動くことである。ユダヤという民族のたくましいところは、異民族が行きかうあんな廊下のような地形で、紀元前に追い出されたのに、もう一度戻ってきて、今度は「生存」という国家理性を持ったことである。

                       そのハードがアメリカとイスラエルという国家であり、グローバル化したサバイバルの世界で、両者が緊密になっていくのは新時代の「因果のストーリー」である。

                       では、日本の国家理性は何か。天皇陛下の存在から学んで「永続」が良いと思う。古代イスラエルにヒビという民族がいた。モーセとヨシュアの軍に負けて、井戸など水専門の奴隷にされてしまうが、ユダヤ教を受け入れて200年後、神の家も置かれる有力なギベオン人として再生した。歴史の「因果のストーリー」は「今」に教訓として使える。(筑波大学大学院教授・古田博司 ふるたひろし)

                      posted by: samu | 産経正論 | 23:10 | - | - | - | - |