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サンフランシスコ市の新慰安婦像と中国共産党の戦略、日本は総力で反撃考える時期に /ケントギルバート
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    米サンフランシスコ市で、若い女性3人が後ろ手をつなぐ新しい慰安婦像が、同市の公共物となった。中国系などの民間団体が設置した像の市への寄贈を、市議会と中国系のエドウィン・リー市長が受け入れたのだ。リー市長は2016年、韓国・ソウル市の名誉市民になっている。

    新しい慰安婦像の碑文には「日本軍に性奴隷にされた数十万人の女性や少女の苦しみの証拠」などの記述があるという。

     クリントン政権下の2000年、米政府は中国系団体「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)のロビー活動などを受け、米軍や国務省、FBI、CIAなど全米の組織に残る機密文書を再検証する「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班」(IWG)を立ち上げた。

     7年の歳月と3000万ドル(約33億4000万円)の経費をかけて徹底調査が行われた。

     ところが、日本軍が朝鮮で強制連行した女性を慰安婦にした証拠や、慰安婦が性奴隷だった証拠は出なかったのだ。

     リー市長は、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と同様、人権派弁護士出身である。カリフォルニア州弁護士として言うが、「証拠のない事実を主張しない」のは良識ある弁護士の常識だ。

     事実や証拠より、先入観や推測、感情を重視する弁護士は信用できない。弁護士資格を持つ日本の国会議員数人や、国連で暗躍する日弁連の人権派にも前から言いたいと思っていた。

    弁護士の信用を失墜させるな」と。

     弁護士は依頼人の利益を最大限まで追求することが、自身の報酬や評価に直結する職業である。だが、依頼人の利益の追求は、時として対立者の利益を奪うことを意味する。弁護士は法律と論理、事実と証拠に基づいて、それを行うからこそ存在価値がある。

     しかし、倫理意識の低い弁護士は、目的のためなら手段を選ばない。不都合な事実を無視し、証拠のない事実を永遠に主張し、時には証拠の捏造(ねつぞう)までやる。

     関係者の感情を操る「印象操作」もお得意だ。法治国家における社会正義よりも、目先の利益が優先である。映画「スター・ウォーズ」の世界観でいえば、ダークサイド(暗黒面)に堕ちた人々だ。

     韓国系住民が多いニュージャージー州フォート・リー自治区にも慰安婦碑建設の計画がある。ここの区長も弁護士だというから情けない。背後で暗躍する中国共産党は、何十年も前から、日本を貶める総力戦を、米国や国連などの世界を舞台にして戦っている。

     日本はのん気すぎた。もはや政府や外務省の専守防衛では不十分だ。日本の総力をあげた反撃を考えるべき時期である。

     ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。著書に『儒教に支配された中国人・韓国人の悲劇』(講談社+α新書)、『トランプ大統領が嗤う日本人の傾向と対策』(産経新聞出版)、『日本覚醒』(宝島社)など。

    posted by: samu | 政治認識 | 10:27 | - | - | - | - |
    書評『日本は誰と戦ったのか』(KKベストセラーズ)江崎道朗
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      江崎道朗『日本は誰と戦ったのか』(KKベストセラーズ)
      矢板明夫『習近平の悲劇』(産経新聞出版)
      石平『習近平の終身独裁で始まる中国の大暗黒時代』(徳間書店)

      宮崎正弘 書評

      こういう人物が中国の『最高指導者』であることが
      中国ばかりか、世界を不幸のどん底に陥れるだろう


      矢板明夫『習近平の悲劇』(産経新聞出版)
      @@@@@@@@@@@@@@@@@

      日本のメディアの多くが「習近平が権力を掌握」し、「三期目を目指しているため、次期後継者を政治局常務委員に加えなかった」などと分析した。
      表面的な動きだけなぞると、そういう論考もあるのだろうけれども、習近平は権力を固めていない。事実上、軍権を掌握できていない。不満分子が山のようにいて習近平の失脚を狙っているというのが現実の状況である。
      ずばり、矢板氏は指摘する。
      「習による側近政治、恐怖政治に早く終止符を打ちたい各派閥の幹部も、『習降ろし』を始める可能性があり、習の三期目があるかどうかは流動的だ」。
      評者(宮崎)も過日、この蘭で論じたように、トップセブンのうち、習近平派は三人、団派はふたり、江沢民派が一人、そして無派閥が一人という「派閥均衡」の人事であることに留意すべきで、これでなぜ習の独裁体制と言えるのか?
      濱本良一(國際教養大学教授。元「読売」北京支局長)は、党大会に百歳になる宋平が出席した事実などを踏まえ「党指導層が生き残りをかけて生んだ総意」(『エルネオス』、17年12月号)だと分析したが、おそらくこれが真相に近い。
      一部の議論に「習近平が絶大な権力を固めた」などとするものがあるが、これは過大評価でないとすれば、おべんちゃらではないのか。
      こうした分析も、評者近作の『連鎖地獄』(ビジネス社)で展開したばかりである。
      じつは習近平はコンプレックスの固まりであり、肩書きばかりを欲しがり、過去五年間に習近平が着手した「改革」なるものは、すべて、ものの見事に失敗だった。
      政治改革はゼロ、社会は毛沢東の暗い時代へ後戻りし、経済改革には手を着けられず、ゾンビ企業を放置し、軍改革にいたっては大失敗という無惨な結果が、なによりも習近平の無能ぶりをあらわしている。
      しかも中国社会は以前よりぐんと暗くなった。
      国有企業をばっさりとスリム化すれば良いのに、それを李克強首相にやらせず、経済政策決定権を李首相から取り上げた。だから経済改革の一番の要が挫折している。
      通貨改革も、せっかく人民元がSDR入りしていても、習近平は中央銀行総裁の周小川にまかせっきりにせず、外交に到っては、いまも素人の範疇から抜け出せない。劣等感がなせる疑心暗鬼が、ほかの指導者の手柄にしたくないという狭窄な心理に支配され、中国経済の前進を阻んでいる。
      そのことに習は気がつかない。なぜなら彼の周りを茶坊主が囲んでしまったからだ。
      これからの習が直面するのは中国経済の破綻である。
      日本のメディアの多くが「中国経済崩壊論はあたらないではないか」と崩壊論を予測してきた評者らへの批判が喧しいが、中国経済はとうに破綻しているのであり、それを誤魔化しているに過ぎないのが実態である。
      だから矢板氏もこう書く。
      「中国経済は『タイタニック号』のような大きな船であるため、穴がたくさん開いたとしても沈むのには時間がかかる」(45p)。
      そこで「習思想」を党綱領に加えたからと言って、彼が毛沢東と並ぶ指導者であるはずがない。矢板氏は手厳しくこう言う。
      「習思想」なるものは「トウ小平が唱えた『中国の特色ある社会主義』の理論に『中華民族の偉大なる復興』をいった勇ましいスローガンを加えただけで、習のオリジナルは殆どなく、とても思想と呼べる代物ではない」(38p)
      中国報道に携わって北京特派員を十年、さすがにベテランのチャイナウォッチャーだけに、そのへんに蔓延る怪しげな中国観察とは次元が異なる。
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      書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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      FDRのホワイトハウスは共産主義スパイが乗っ取っていた
      コミンテルンの指令で暗躍した奴らに米国は完全に騙された

      江崎道朗『日本は誰と戦ったのか』(KKベストセラーズ)
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      多くの機密文書やヴェノナ文書が公開され、FDR政権の内部に深く静かに浸透していた共産主義のスパイらによって、外交政策が決定され、政策は曲げられ、アメリカの国益より国際共産主義運動の勝利が目的に置き換わっていた。
      都合の悪い情報は大統領に伝えず、あるいは重要な機密電報は握りつぶされ、平和工作は妨害された。ホワイトハウスがコミュニストに乗っ取られていたからだ。
      本書の題名が象徴するように、日本がアメリカとの戦争に踏み切らざるを得なくなったのはスターリンの工作により、ワシントンが判断を間違えたからであり、近衛文麿の周辺を囲んだ昭和研究会が旗振り役となってしまったのも、中枢にいた朝日新聞記者がコミンテルンの指令をうけたスパイだったからであり、ソ連のスパイだったゾルゲの暗躍が舞台裏で進行していた。
      すでにこれらの真実はアメリカでも「歴史修正主義」を呼ばれる保守系知識人の間では常識となっている。
      ハルノートは直接的挑発であるが、仕組んだのはスパイのオーウエン・ラティモアだった。
      ヤルタ会議を仕切ったのはアルジャー・ヒスだった。こうした裏面史をアメリカは長きにわたって機密文書化し、国民に触れることを禁じてきた。
      ようやく多くの知識人、勇気あるジャーナリスト等の手によって、真実の歴史に書き直されつつある。その象徴的事件はヴェノナ文書が公開されたことだった。そしてフーバー大統領の回想録「裏切られた自由」の刊行であり、日本語の翻訳も上下巻、渡邊惣樹氏の翻訳で、いま出そろった。
      だが、歴史学界とリベラルなメディアは、「アメリカを裏切った者たちを、あたかも無実の被害者であるかのようにかばい、寧ろ英雄視してきました」(280p)
      まさに日本も同じで、尾崎某が「英雄視」され、ゾル下の愛人が悲恋の主人公扱いされ、手記がベストセラーとなり、日本を裏切った政治家が過大評価されてきた。
      最後の部分で、江崎氏は「スターリンの秘密工作員」から次の箇所を引用する。
      「突き詰めて言うと、1930年代と40年代の共産主義の共謀者たちは、一部の合衆国政府高官らに助けられ、売国しながら逃げ切ったのである。
      相対的にホンの一握りの人々だけが起訴され、有罪判決をうけたが、その他大勢は合衆国と非共産主義世界を何度もモスクワに売り渡し続け、自分たちが引き起こした政策の破壊を後にして、自分たちの行為を何ら説明することなく立ち去ることが出来たのである」
      いや日本でもゾルゲに連座して取り調べをうけても戦後は知らん顔でモスクワへ通って代理人を果たした輩は多い。
      しかし、それよりも、ホワイトハウスが乗っ取られていた歴史的事実を、現在日本の状況に当てはめると、もっとゾッとしないか。
      北京の秘密指令を受けたかのような日本のメディア、外交官、学者、ジャーナリストらが、独裁国家の報道をねじ曲げ、むしろ日本を貶めるような偏向記事やテレビ番組を日夜量産しているではないか。
      FDRのホワイトハウスが共産主義スパイで乗っ取られていたという過去を、現在の日本の中枢にあてはめて比較すると、そのあまりに無惨な自主性の喪失に身震いがする。


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      書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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      なぜ習近平が訪日を嫌うのか。それは戦争を準備しているからでは?
      元中国人民主活動家だった石平だからこと言える「彼らのメンタリティ」


      石平『習近平の終身独裁で始まる中国の大暗黒時代』(徳間書店)
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      第十九回中国共産党大会と、その後のトランプ訪中、習近平の大歓待演出劇以後の状況を踏まえての中国最新報告と近未来予測が本書の骨格だが、論の展開の基調は題名の通りに、いささか暗い。
      そもそも習近平は、どのような妄想に取り憑かれて「神格化」などという途方もない破滅的行動を取るのだろう。そうした夢遊病者のような発想の源泉は何か?
      ちょっと日本人では考えも及ばない論理の組み立て方が、元中国人であったがゆえに著者は独創的解釈を披瀝する。
      なぜ習近平が訪日を嫌うのか。それは戦争を準備しているからでは? という仮説から、民主活動家だった石平氏は彼らのメンタリティを掘り下げる。
      永久政権が達成可能と錯覚するのは一種病気でもあるし、妄執でもある。
      人権派弁護士への弾圧、政敵をつぎつぎと冤罪で失脚させ、軍隊再編に乗り出した。ネット監視団を置かないと不安で仕方がないらしい。暗殺を恐れて、軍内に残存する江沢民派の根こそぎ粛清を狙うようだが、張陽(陸軍大将。政治工作部主任)が首つり自殺してように、この自決は、日本流に言えば「諌死」ととれなくもないと評者は考えている。
      しかし習近平の妄執による独裁は、次ぎに必然的に戦争を引き起こし、世界に破局をもたらすと石平氏は指摘する。
      なぜなら言論空間は窒息寸前、企業活動には党細胞が義務づけられ、外資の経営方針にも党細胞が介入すると、自由市場原理は成立しなくなり、すべてが統制経済の昔に陥れば、社会と経済は締め上げられて、不満の爆発を待つしかない。
      これをすり替えるには日本に戦争をしかけることも躊躇わないだろうと、論理的に帰結するわけだが、こうしたシナリオも実現性を全否定できないほどに、中国の現況は不気味である。
      また北朝鮮を習近平は政治の道具として活用しているのだと分析する。
      「ある意味では、北朝鮮危機のお影で習主席は、本来なら中国に向けられるはずのトランプ政権の矛先をうまくかわすことが出来た(中略)。世界に脅威を与えている北朝鮮の核が、世界の脅威であればあるほど、その脅威が現実的なものとなればなるほど、アジアや世界に対する中国の軍事的脅威は影を薄め、忘れられてしまうからだ」(181p)。
      つまり習近平の軍事的野心を隠すにも、怖れを知らないほどに世界に恐喝を続ける金正恩の核を取り除くのは中国だと宣伝して、自らは経済制裁に協力するふりをしつつも、自らの核を忘れさせ、「隠れ蓑」として活用していると指摘するのである。
       

      posted by: samu | 書評 | 09:38 | - | - | - | - |
      「 731部隊を巡る中国の対日歴史復讐戦 事実の歪曲・捏造阻止へ全容の解明を 」櫻井よしこ
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        『週刊ダイヤモンド』 2017年12月2日号
        新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1209
         

        米国と中国の大きな相違は民主主義体制か専制独裁体制かとの点にとどまらない。米国は呑み込まない国、中国は呑み込む国である。米国は自国の広大な国土に満足しており、それ以上に植民地や国土を拡張しようとは考えていない。中国はすでに広大な土地を手に入れているにもかかわらず、これからも他国の領土領海を奪い膨張しようとする国である。

        もうひとつ大事なのは、米国は歴史を乗り越えようとする国、中国は歴史を恨み復讐する国だということである。

        他国の土地を奪う点についての米中の相違は、米国が植民地だったフィリピンの独立を認め、沖縄をわが国に返還したのに対し、中国はチベット、モンゴル、ウイグルの三民族から奪った国土は絶対に返さないことだ。3民族の国土は現在の中華人民共和国の60%に当たる。加えて中国は現在もインド、ブータン、北朝鮮、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシア、インドネシア、日本などの国土を自国領だとして奪い取りつつある。

        歴史への向き合い方も米中ではおよそ正反対だ。まず私たちはさまざまな想いを込めてバラク・オバマ前米大統領と安倍晋三首相の広島、及びパールハーバー訪問を想い出すことができるだろう。他方中国は、アヘン戦争以来、帝国主義諸国に奪われ続けたという視点に立ち、中華民族の偉大なる復興として、「失ったもの」を取り戻す作業にとりかかっている。その根底をなすのが復讐の想いであり、それを可能にするのが中国共産党の指導力という位置づけだ。前置きが長くなったが、その結果何が起きているかが、今回の当欄で指摘したいことだ。

        対日歴史復讐戦として仰天する非難がまたもや言い立てられ始めた。「中国日報」(China Daily)が11月13日付で、旧日本軍の731部隊が少なくとも3000人の中国人を人体実験して殺害し、30万人以上の中国人を生物兵器で殺害したと報じたのだ。

        また30万人か。「南京大虐殺」の犠牲者30万人は多くの研究によって虚構であることが明らかにされている。慰安婦30万人を旧日本軍が殺害したということも、絶対にあり得ない。だが、中国共産党は右の2つの「30万人被害説」を、国を挙げて主張し、世界に広めてきた。いままた、対日歴史復讐戦として731部隊の犠牲者30万人説が持ち出された。

        中国日報は、黒龍江省のハルビン社会科学院の研究者四人が米国立公文書館、議会図書館、スタンフォード大学フーバー研究室で2300頁に上る資料を発見したと報じている。

        4人のうちの1人、リュウ・リュージア氏(女性)は「細菌戦における731部隊と軍の密接な関係を示す研究資料が大量に含まれている。資料には多くの英語による書き込みがある。誰が何を意味して書いたのかはこれからの研究だ」と語っている。

        リュウ氏は同僚たちとこれまで7年を費やして資料を集めたそうだ。その結論として30万人が731部隊に殺害されたと主張するわけだ。

        731部隊に関する資料の多くは戦後米国に持ち去られた。日本で発表された衝撃的な報告として日本共産党などが盛んに取り上げた森村誠一氏の『悪魔の飽食』が想い出される。

        30万人説を早くも打ち出したリュウ氏らの研究は純粋な歴史研究というより対日歴史復讐戦の一環と見るべきだろう。中華民族の偉大なる復興を目指す習近平主席は自身の体制維持のために、進んで日本を貶める。当然、731部隊に関しても事実の歪曲や捏造が起きるだろう。それを防ぐには、日本人にとって触れられたくないテーマだとしても、研究を進め事実の全容を明らかにすることが必要だ。

        このようなことにこそ、外務省に与えた歴史の事実発信のための500億円を活用することが大事である。

        posted by: samu | 政治認識/中国韓国 | 10:07 | - | - | - | - |
        サンフランシスコは慰安婦問題/八幡和郎
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          サンフランシスコ市に対抗するには彼らの弱みへの攻勢防御が必要だ・・・「カリフォルニア移民拒否は日本国民を憤慨させるに充分なものである(中略)かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がつた時にこれを抑へることは容易な業ではなかった」(『昭和天皇独白録』」〜サンフランシスコ市の人種差別がペリー来航以来、良好だった日米関係を破壊し戦争へ導いた出発点だったことを思いだそう。サンフランシスコは慰安婦問題のでっち上げに荷担するより自分の恥ずかしい歴史を反省すべきだ。

           サンフランシスコ市議会が、怪しげな団体から日韓の合意の精神を踏みにじるような碑文付きの「従軍慰安婦像」の寄付を受けることに対して、大阪市の吉村洋文市長が「サンフランシスコとの姉妹都市関係について解消する」として抗議しているのは正しいことだ。

          しかし、なかなか大阪市の言い分をサンフランシスコというところで理解してもらうのは難しいことだ。

          ...

          慎重にことを運ばねばならない理由は、冷泉彰彦氏が「サンフランシスコ「従軍慰安婦像」への大阪市対応は慎重に」というコラムに書かれているのがよくまとまっている。とくに、以下の指摘は重要だ。

          現在のアメリカでは「あらゆる性的嫌がらせと暴力」は時効を適用せず厳しく批判するという動きが続いています。ハリウッドから、政界に至るまで連日スキャンダルの摘発がニュースになっているのです。これは、性的な問題における人権意識が不十分であった点をこの機会に改善しようという流れであり、あまりにもタイミングが悪過ぎます。

          そのような中で、「性奴隷」という文言を削除させるのは大変に難しいと言わざるを得ません。「人身売買の被害者」で「報酬が借金と相殺される」売春婦という存在は、現在のアメリカでは間違いなく「性奴隷」というカテゴリに入るからです。まして「強制連行ではなかった」が「事実としては人身売買だった」ということを声高に叫んでも、「悪いことには変わりはない」として一蹴されるだけでなく、イメージダウンは避けられないでしょう。

          しかし、そうだからといって黙っておれば、どんどん悪だくみはエスカレートするのも間違いない。

          そういうときは、攻勢防御に限るだろう。こういうときに、われわれは、サンフランシスコが日系移民への差別発祥の地であり、それが、太平洋戦争の重要な原因のひとつだったことを思い出し指摘すべきである。

          以下は、拙著「日本人の知らない日米関係の正体 本当は七勝三敗の日米交渉史 」(SB新書)の関係部分を要約したものなので、是非、読んで理論武装して欲しい。

          「日露戦争で日本が勝って調子に乗りすぎたのでアメリカが警戒し始めた」というようなことがよくいわれますが、単純すぎます。
           それもひとつの要因ですが、大正になって、中国での辛亥革命とアジア諸民族の覚醒、第一次世界大戦、アメリカの国力充実と日本移民排斥、日本での政党内閣の確立と薩長閥の衰退などいろんな動きが複合的に影響し合って、日米蜜月というわけにはいかなくなったというのが正しいと思います。
           まず、日本の国民感情がアメリカから離れたきっかけになったのは、日本人排斥問題でした。
          その前史とも言えるのが、中国人排斥でした。アメリカは幕末のころ、大陸横断鉄道を建設していましたが、それを支えたのは中国人労働者でした。しかし、勤勉である一方で劣悪な生活条件を受け入れる中国人労働者は、白人労働者から強い反発を受けました。
           そして、一八八二年に第二一代チェスター・A・アーサー大統領(在職一八八一〜八五年)が中国人排斥法に署名し、中国人の移住が禁止されたのです。
           日本人移民は独立国だったハワイでは明治初年から盛んでした。そのハワイがアメリカに併合され移ってきたのと、中国人が排斥されたことで、カリフォルニアなどで日本人が増えました。日本人は中国人ほどではありませんが、やはり、白人労働者から目の敵にされました。
           排斥への具体的な動きは、日露戦争直後の一九〇六年に、サンフランシスコ市が日本人学童を公立学校から追い出し、中国人などのための東洋人学校に移したことでした。この措置をセオドア・ルーズベルト大統領は怒り、翌年に撤回させましたが、そのかわりハワイ経由での米本土移民は禁止されました。
           日本としては、こうした制限はプライドを傷つけられるものでありましたが、朝鮮や台湾、満州などへの進出に伴う移住もあり、実害はそれほどなかったので、一九〇八年に林董外務大臣とオブライエン駐日大使との間で「日米紳士協定」が締結され、日本側が移住を自主規制することになりました。
           しかし、一九一三年カリフォルニア州では外国人土地法が成立して、日本人を狙い撃ちに土地所有が禁止され、さらに、会社やアメリカ生まれで米国籍をもつ二世を抜け道にしての保有も規制されていきました。
           そして、さらに、一九二四年には日本で「排日移民法」といわれる法律ができ、南欧やユダヤ人も含む東欧からの移民が制限されるとともに、日本からの移民が全面的に禁止されてしまったのです。政府の反対を押し切っての議会の暴走でした。
           このように、日本人移民の制限は、地方自治体や議会の外交的配慮を欠いた暴走によるものでしたが、日米関係ではこうしたことはよくあることです。
           また、その過程で、国務長官ヒューズと駐米大使埴原正直が相談して議会に提出した、「両国関係に対し重大なる結果を誘致」という言葉が議会から恫喝(覆面の威嚇)であるというプロパガンダを引き起こすという事件もありました。
           こうした移民の制限が、日本人の対米感情を急速に悪化させたことは間違いなく、「カリフォルニア移民拒否は日本国民を憤慨させるに充分なものである(中略)かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がつた時にこれを抑へることは容易な業ではなかった」(『昭和天皇独白録』より発言を現代語訳)とのちに昭和天皇が語るほどのインパクトがあったのです。
           つまり、日本にとって実害はあまりなかったのですが、対米感情を非常に悪化させ、政治家やジャーナリズムが親米であることを難しくした一連の事件でした。
           また、こうしたアメリカの移民制限やオーストラリアの白豪主義は、日本人や中国人が満州のような限られたフロンティアに殺到し、それが日中戦争のひとつの遠因となったという指摘も可能だと思います。

          posted by: samu | 政治認識 | 11:17 | - | - | - | - |
          ここまで白鵬の増長を許したのは誰か/門田隆将
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            ここまで白鵬の増長を許したのは誰か 門田隆将

            果たして、ここまで白鵬の増長を許したのは誰なのか。目に余る横綱白鵬の言動を見て、私はそんなことを考えている。それほど読売新聞が昨日スクープした内容は衝撃的だった。

            〈日本相撲協会が30日午後に東京・両国国技館で開く理事会で、横綱白鵬関(32)を注意することが分かった。

            関係者によると、元横綱日馬富士の暴行問題で28日に八角理事長(元横綱北勝海)が再発防止に向けて講話した際、白鵬関は「貴乃花巡業部長のもとでは冬巡業に参加できない」などと発言し、理事長から力士会などを通して要望するようたしなめられていた。

             相撲協会は、白鵬関が九州場所千秋楽の優勝インタビューで観客に万歳を要求したことなどについても経緯を聞く方針だ。〉

            わずか244字に過ぎないこの記事が伝える意味は重い。理事長が今回の事件を受けて再発防止のために力士たちに対して「講話」という名の「訓示」を与えていた際、力士の範を示すべき横綱が、こともあろうに「貴乃花巡業部長のもとでは冬巡業に参加できない」という“ボイコット宣言”をやってのけたというのである。

            正直、唖然とした。大相撲も舐められたものだ、と思う。日馬富士引退に至った「事件現場」にいて、これを止めることができなかった本人が、そのことを反省するどころか、開き直って、逆に巡業部長である貴乃花親方を「糾弾した」のだ。すさまじい下剋上である。

            しかも、協会トップの八角理事長は、この横綱の反乱に対して「なにを言うか。おまえは自分が言っていることの意味がわかっているのか!」と一喝もせず、「力士会などを通して要望するように」と諭したというのだ。

            今回の日馬富士事件の原因がどこにあったのか、この一事をもってその根本が想像できるのではないだろうか。

            私は、10年前に起こった時津風部屋の新弟子リンチ死事件(2007年6月)を思い起こす。親方も一緒になって新弟子の少年にリンチを加えて死亡させた出来事は、傷だらけの息子の遺体に不審を抱いた家族が大学病院に解剖を依頼したところから刑事事件へと発展していった。

            金属バットで殴り殺された息子の姿は見るも無残なありさまで、「稽古の後に急に亡くなった」という部屋側の説明を鵜呑みにせず、少年の故郷の新潟大学病院に遺体が運び込まれて「初めて明るみに出た」ものだった。

            今回も、貴乃花親方が警察に被害届を出さなければ、事件が隠蔽された可能性は大きい。貴ノ岩がモンゴルの先輩たちに「おまえ、わかっているだろうな」とプレッシャーを受け、さまざまなルートから口封じのためのアプローチを受ければ、「どうなるかわからなかった」からだ。

            協会の隠蔽体質を知り尽くす貴乃花親方が、鳥取県警に被害届を出して、「正当な裁き」(貴乃花親方)を求めなければ、事件の真相は明らかにならなかったかもしれない。

            白鵬が感じたように「お前(貴乃花親方)がいらんことをしなければ、こんなこと(日馬富士の引退)にはならなかったんだよ」というのは、事件を隠蔽したい側から見れば、当然の怒りだろう。

            前回のブログでも指摘したように、今回の出来事は、モンゴル互助会の存在を抜きには語れない。真剣勝負の系譜である貴乃花部屋の力士は、ガチンコ相撲が基本で、そのために貴ノ岩は、モンゴル力士たちがおこなう飲み会に参加することさえ許されていなかった。

            鳥取城北高校出身の貴ノ岩が、同校相撲部の総監督が経営するちゃんこ屋でおこなわれた親睦会に顔を出したことが事件の発端だったことは報道されている通りだ。しかし、普段、飲み会にも参加せず、自分たちにガチンコ相撲を挑んでくる貴ノ岩のことを白鵬や日馬富士が気にいらなかったことは容易に想像がつく。

            29日の引退記者会見で日馬富士が貴ノ岩への謝罪の言葉を一切、口にしなかったことが私には印象的だった。あの暴行が「礼儀や礼節を知らない」貴ノ岩への指導だったという言い分に私は違和感を感じた。本当にそうなのか、と。

            また、モンゴル力士の草分けである元小結の旭鷲山が、貴ノ岩の衝撃的なあの傷口の写真(医療用ホッチキスで9針縫われた写真)を公開しなければ、日馬富士はあのまま引退を決断しなかった可能性もあっただろう。

            旭鷲山は、昨日、モンゴルの大統領補佐官の職を解任されたというから、真実を明らかにすることが、いかに勇気が要ることかを教えてくれる。

            そんな強固な絆を誇るモンゴル力士たちの“常識”からすれば、今年初場所で、結果的に稀勢の里の「優勝」と「横綱昇進」をアシストすることになる貴ノ岩の白鵬に対する14日目の大金星は「あり得ないこと」だっただろう。

            日馬富士の引退会見の席上、自分の指導の至らなさを反省するでもなく、涙を流し、そのうえ、マスコミの気に入らない質問をいちいち封じ込む傲慢な態度を示した伊勢ケ浜親方の姿もまた、私は、今回の事件の本質を暗示していると感じる。

            「貴乃花巡業部長のもとでは冬巡業に参加できない」と言ってのけた白鵬をその場で一喝できなかった八角理事長や、弟子を指導できず、貴ノ岩や貴乃花親方への謝罪もなく、恨みに固まった伊勢ケ浜親方と日馬富士師弟の会見での姿は、「ああ、やっぱり……」という失望を多くの相撲ファンにもたらしたのではないだろうか。

            そして、増長させるだけ増長させ、何かが起こった時には隠蔽だけを考える相撲協会の体質こそ、こんな事件がくり返される真の原因である気がする。野球賭博から始まって八百長相撲が発覚し、場所自体が中止になったあの痛恨の出来事から、まだ「6年半」しか経っていないのである。

            白鵬は、九州場所11日目に嘉風に敗れた際に、「立ち合い不成立」をアピールし、1分以上も土俵に戻らず不服の態度を示し、ファンを呆れさせた。さらに、千秋楽の優勝インタビューで「場所後に真実を話し、膿(うみ)を出し切って、日馬富士関と貴ノ岩関を、再びこの土俵に上げてあげたいと思います」と言ってのけ、万歳三唱までおこなった。

            加害者である日馬富士と、被害者である貴ノ岩がなぜ「同列」にされなければならないのか。「膿を出し切る」という「膿」とは何なのか。なぜ、これほど相撲界が窮地に追い込まれている時に「万歳」を観客に促すことができるのか。

            私には、巡業ボイコット発言も加えて、白鵬がなぜここまで増長しているのか、ということがわからない。協会はなぜ、ここまで「白鵬の増長を許しているのか」ということだ。

            実は、何かあるたびに協会は白鵬に「厳重注意」を与えている。私が知るだけでも、2008年夏場所での勝負が決したあとの朝青龍との睨み合い、2009年夏場所2日前のゴルフ、2011年技量審査場所千秋楽夜に繁華街を歩くTシャツ姿が週刊誌に報じられた件、さらには2016年春場所でダメ押しで相手力士を吹っ飛ばして審判を骨折させた事件など、少なくとも4件はある。

            横綱への「厳重注意」とは、それほど「軽い」ものなのだろうか。少なくとも、白鵬は「厳重注意」を何度与えられようが、反省しているようすはまるでない。そして、ついに現役力士の身でありながら、巡業部長への糾弾まで公(おおやけ)の席でやってのけるまでに至ったのである。

            一般人への暴行事件で引退を選ばざるを得なかった朝青龍事件の時も、「なぜ師匠は弟子の行動を律することができないのか」「相撲界の師弟関係とはその程度のものか」と思ったものだが、その“やりたい放題”の体質は、まるで変わっていない。

            私は、モンゴル勢の相撲が好きである。日本人力士が失ってしまった、あの溢れんばかりの闘志が好きなのだ。それだけに、くり返される不祥事が残念でならない。モンゴル勢を応援して来たファンの一人としても、一連の出来事は無念である。

            相撲協会は、興行を主たる事業とする興行主である。収益を挙げなければならないし、さまざまな制約もあるだろう。しかし、同時に日本の伝統の継承という大きな役割を果たすべき公益財団法人でもある。

            何度、不祥事を起こしても改まらず、力士に範を示すべき現役の横綱が、公然と反乱の言動をすることができるような「体質」を続けるなら、税金をはじめ、さまざまな優遇措置を有する「公益財団法人」の地位を返上し、私企業として出直すことを強く提言したい。



            株式日記と経済展望ブログより(私のコメント)

            今回の日馬富士の暴力事件は、一昨日の30日にも書きましたが、暴力事件の首謀者は白鵬であり、日馬富士は武力の実行役に過ぎない。やった者よりもやらせた方が罪は重いのであり、警察に白鵬は7時間も事情聴取されたが、白鵬を首謀者と警察は見ているのだろう。

            しかし相撲協会は白鵬に対して注意することしかできず、白鵬になめられてる。既に大相撲はモンゴル人に乗っ取られており、モンゴル人力士がいなければ成り立たなくなってる。週刊新潮にも「モンゴル互助会」のことが書かれましたが、大相撲の歴史と伝統を台無しにしかねない問題だ。

            普通の民間団体ならどうしようがいいことですが、文部省所管の「公益代団法人」なのだから、子供たちへの影響も大きく、相撲協会の白鵬の甘い体質は見逃すことができない。今回の事件の首謀者が白鵬であることは間違いなく、貴ノ岩が何十発殴られても止めに入らなかったのは問題だ。

            テレビや新聞は朝鮮人に乗っ取られたように、大相撲もモンゴル人に乗っ取られてしまった。対馬海峡の向こう側はアフリカまで連なる暗黒大陸であり、「株式日記」でもモンゴル帝国の凶暴さを何度か書きましたが、白鵬や日馬富士はモンゴル帝国の末裔であり、相撲協会は到底彼らに太刀打ちができない。

            大相撲を通じて子供たちに礼儀作法を教える場にもなっているのですが、白鵬が行っている行動は大相撲の礼儀に反するものだ。既にテレビやラジオなどでは白鵬を擁護するような「相撲痛」がいるが、関係者は白鵬の威光に恐れをなしてはっきりとは言わなくなっている。

            30日の「株式日記」でも、「メンバーを揃えて貴ノ岩を呼びつけてつるし上げた首謀者は白鵬だ。」とはっきり書いて指摘しましたが、門田隆将氏も同じように指摘した記事でしたので紹介します。しかしながらテレビや新聞の相撲協会よりの報道はひどくて、ネットでも問題の本質がわかっていない人の書き込みが多い。日本人は人が良すぎるから、そこを朝鮮人やモンゴル人につけこまれてしまう。従軍慰安婦のように嘘でも力ずくで押し通してくるから始末が悪い。相撲協会は白鵬に押し切られて乗っ取られるのも時間の問題だ。

            posted by: samu | 政治認識 | 09:45 | - | - | - | - |
            破壊されたバーミアン大仏から見えてくるもの/加瀬英明
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              爆破された貴重な仏教遺跡

              10月に東京においてアフガニスタンで2001年に無惨に破壊された、バーミアンの大仏を再建する方策を検討する国際シンポジウムが開かれた。

              私はシンポジウムを取り上げたテレビのニュースを見ながら、西洋のキリスト教の歴史と、今日のイスラム教に思いを巡らせた。

              バーミアンはアフガニスタン中央部の盆地にあって、南北交易路の要衝だったことから、9世紀まで仏教王国として栄えた。

              山腹に刻まれた巨大な2軀の大仏立像があったが、イスラム過激派のタリバン政権によって爆破された。

              2体とも、世界的に貴重な仏教美術遺産だった。東西2軀のうち西側の大仏は、高さが55メートルもあった。

              私はタリバンが爆破した瞬間を撮影した映像が、テレビで放映された時も、ヨーロッパの歴史を思った。

              シリアではイスラム国(IS)によって、3世紀に遡るローマ時代の多神教の壮麗なパルミュラ遺跡が、イスラム教を冒涜するものとして、破壊されたことはよく知られる。

              私たちは眉を顰めるが、これらの遺跡を破壊するのに当たって、タリバン政権も、イスラム国も神の意志を代って行っていると、固く信じていたはずである。

              イスラム教の2大宗派による抗争

              今日、中東と北アフリカでは、イスラム教の2大宗派であるスンニー派と、シーア派が、アフガニスタン、イラク、シリアから、リビアまで血を血で洗う凄惨な抗争を繰りひろげている。まったく終わりが見えない。

              10月に、クルド族によるシリア民主軍が、イスラム国の“首都”だったラッカを制圧したが、ISが解体したとしても、今後、シリアに平和が甦ることはないだろう。

              宗教戦争が進んでいるのだから、アラビア半島まで混乱が波及して、サウジアラビアをはじめとする、湾岸産油諸国を呑み込む可能性もあろう。

              私たちはイスラム教が寛容をまったく欠いており、暴力を手段とする“変種”の宗教であると、奇異の眼をもってとらえがちだ。しかし、イスラム教はユダヤ・キリスト教を母胎として生まれたが、キリスト教の再来であると考えれば、“変種”ではけつしてない。

              大英博物館を訪れて

              ローマ帝国によって迫害されていたキリスト教が、ローマ帝国の国教として採用されたのは、後に大帝と呼ばれたコンスタンティヌス1世が、312年にキリスト教徒の助けによって、テレベ河の戦いに勝ったのが切っ掛けとなった。キリスト教化すると、異教となった多神教の神殿や、彫像、列柱が、帝国の全域にわたって破壊された。

              キリスト教は偶像崇拝を禁じたから、ギリシアのアテネ、シリアのパルミュラから、エジプトにあった神殿まで、容赦なく破壊された。

              私はロンドンの大英博物館で案内してくれた学芸員から、展示された多くのギリシア・ローマ時代の神像や、彫像が大きく破損しているのは、キリスト教徒の手によるものだと、説明をきかされた。

              大理石の彫像や、列柱が粉々に砕かれて、キリスト教会を建てるために、モルタルとして使用されたということだった。キリスト教徒は、タリバンや、ISの先駆けだったのだ。

              イスラム教は、まだ若い宗教なのだ。キリスト教より600年後に、開祖マホメッドによって生まれた。

              今日、イスラム世界に起っていることは、キリスト教が300年前まで行っていたことだと、考えればよい。ヨーロッパでは、カトリック(旧教)教徒とプロテスタント(新教)教徒が、2世紀にわたって宗教戦争を戦うことによって、大量の人命が奪われ、ヨーロッパ全土を荒廃させた。

              今日でも、先進国イギリスの北アイルランドにおいて、1990年代にカトリックとプロテスタント住民のあいだで停戦合意が行われたものの、いまだに銃撃戦が発生している。

              「宗教」という言葉は明治になって造られた

              中東に戻れば、イスラム国が倒されたとしても、イスラム過激主義というイデオロギーが、消滅することはない。いくら激しい空爆や、砲撃を加えたとしても、理想主義(イデオロギー)を破壊することはできない。

              このところ、ヨーロッパがイスラムによるテロ事件によって悩まされているが、イスラムがヨーロッパを呑み込もうとしており、まだ始まったばかりのところだと、考えるべきだろう。

              イスラム過激主義は、東南アジアにも拡がりつつある。日本に入国する外国人観光客や、人手不足を補うための研修労働者が増えるなかで、不断の警戒を怠ってはならない。

              日本は幸いなことに、明治に入るまで宗教と無縁だったために、国内の安寧が保たれた。

              「宗教」という言葉は、明治に入ってから新しく造語された、おびただしい数にのぼる明治翻訳語の一つである。それまで日本語のなかには、「宗門」「宗旨」「宗派」という言葉しか、存在しなかった。宗門や宗派は争うことなく、共存――共尊していた。

              キリスト教という寛容を欠き、他宗を認めることを拒む信仰が入ってくると、それまでの日本語では表現できなかったので、「宗教」という新語を造らねばならなかった。

              福沢諭吉が『西洋事情』のなかで明治訳語について、「西洋の新事物輸入するに」あたり、「恰(あたか)も雪を知らざる印度人に雪の詩を作らしむ用の沙汰なれば(略)新日本の新文字を製造したる其(その)数亦尠(またすく)なからず」と、書いている。「宗教」も、その一つだった。

              心を用いる神道は宗教ではない

              日本の在来信仰である神道は信仰であるが、宗教ではない。人がまだ文字を持つ前に生まれ、開祖も、経典も、聖書も、言葉を多用した煩雑な教えも存在しない。

              宗教では、人が中心になっているのに対して、神道は万物のなかに霊力が宿っていて、自然全般が神々しい存在とされている。

              「レリジョン」(宗教)の語源は、ラテン語の「レリギオ」だが、類語の「レリガーレ」は「固く縛る、束縛する」を意味している。神道を宗教とみなすのは、インド人に雪について詩を書かせるようなことだ。

              神道という言葉も、新しい。それまで名がなかったが、仏教が儒教とともに伝来した時に、仏教と区別するために生まれた。

              宗教は言葉から成り立っている。日本は中国大陸や朝鮮半島と違って、冗舌であったり、言葉によって成り立っている論理を、本能的に嫌った。

              日本では太古の昔から言葉が対立を招いて、和を損ねることを知っていたから、「言挙(ことあ)げしない」といって、言葉を多用することを戒めてきた。また「言霊(ことだま)」といって、言葉を用いる時には、よい言葉を発しなければならないと、信じた。

              宗教が言葉を使って組み立てられているのに対して、神道は心の信仰である。人は心を分かち合えるが、論理はかならず対立をもたらす。

              「指導者」や「独裁者」という言葉も、明治に入るまで日本語に存在しなかった明治翻訳語である。天照大御神は最高神として権威を備えていたが、西洋、中東や、中国、朝鮮の最高神が独裁神であるのと違って、つねに八百万(やおよろず)の神々と合議している。日本には、全能の神という発想がなかった。

              神道こそが世界を救う

              「根回し」「稟議」という言葉は、ヨーロッパ諸語にも、中国語、韓国語にもなく、日本語にしかない独特なものだ。今日でも、日本には論理によって人々の上に立つ「指導者」や、「独裁者」が存在していない。

              自然を尊んで、自然が神々だとする信仰はエコロジーであり、今日の人類にとってもっとも進んだ教えである。

              私は神道が、世界を救うと信じている。この和の信仰を国際化して、全世界にひろめたいと願っている。

              posted by: samu | 政治認識 | 10:07 | - | - | - | - |
              金融理論の貧困がデフレを招く/田村秀男
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                【ビジネスアイコラム】金融理論の貧困がデフレを招く 伝統に固執 視点を変えられぬ日
                 ■伝統に固執 視点を変えられぬ日銀
                 アベノミクスが始まって以来もう5年だが、肝心の脱デフレのめどが立たない中、「日銀理論」に固執してきた白川方明前日銀総裁時代までの日銀主流グループが息を吹き返している。日銀理論とは貨幣の供給によってインフレをコントロールできない、という見方だ。
                 典型は元日銀金融研究所長で法政大学客員教授の翁邦雄氏だ。氏は26日付の日経新聞朝刊で「日銀がマネタリーベース(資金供給量)を増やすだけで物価が上がるという直接的な波及経路はない。日銀は将来の物価が上がるという『期待』を生むとしたが、多くの国民はマネタリーベースとは何かを詳しくは知らないだろう。だからインフレ期待も生まれない」と言い切った。
                 中央銀行がおカネをじゃんじゃん刷れば、物価は必ず上がると岩田規久男日銀副総裁らリフレ派エコノミストは主張するのに対し、翁氏ら日銀理論派は一般国民がそう思うはずはないと断じるわけだ。
                 黒田東彦総裁の日銀は年間で最高80兆円もの資金を追加発行しながら、5年間という中長期間でも継続的にインフレ率をプラスに持っていけない。物価動向は異次元緩和前とほとんど変わらないのだから、なるほど、論争の軍配は日銀理論派に上がりそうだが、ちょっと待てよ。このマネー論争は土俵、すなわち問題設定を間違えているのではないか。
                 金融資産市場が実物市場である国内総生産(GDP)を圧倒する金融資本主義の現代において、中央銀行資金がGDPの主要素である物価に直接作用するとは考えにくい。中央銀行資金は金融機関に供給されるのだから、カネの資産市場である金融市場に向かうのは当然だ。物価がうんぬん、とばかり口角泡飛ばしても平行線をたどる不毛論争になってしまう。
                 現実に即した視点とは何か。まず、米国に目を転じればよい。米連邦準備制度理事会(FRB)は2008年9月のリーマン・ショック後、3次にわたる量的緩和政策をとり、短期間でドルの発行量を2倍、3倍と急増させた。ドル資金は金融市場に注入され、当初は紙くずになりかけた住宅ローン証券化商品の相場を支え、次には米国債相場を押し上げて長期金利を下げ、最終的に株価を押し上げた。個人や年金の金融資産の多くは株式関連であり、株価の上昇は家計の懐をよくする。企業は株式市場で有利な条件で設備資金を調達できる。FRBがカネを大量発行すれば実需が好転し、物価を押し上げ、日本のようなデフレに陥らずに済んだわけだ。もし、FRBが日銀理論に毒されていたら、とんでもないデフレ不況になって世界を巻き込んだはずだ。
                 日本では家計が保有する金融資産の大半は現預金で、株式関連資産の比率はわずかだ。企業も平成バブル崩壊に懲りて、株式を中心とする財テクはご法度だ。つまり、米国のような量的緩和の実物経済への波及効果はゼロではないとしてもかなり薄い。
                 異次元緩和の唯一と言ってもよい効果は円安だ。円安は企業収益をかさ上げし、株価を押し上げるのだが、株が上がっても上記の理由で家計消費が増えるとは限らない。円安で企業の輸出が増えるとGDPが好転するのだが、円安は断続的だし、先行きは不透明だから、企業は慎重で増えた収益を設備投資や雇用よりも、内部留保の積み増しに充当する。実需が増えないのだから、物価は上がらないのは当たり前だ。
                 日本の停滞を決定づけるのは増税と緊縮財政だ。アベノミクス第2の矢は「機動的財政出動」と銘打ったが、財政出動は初年度だけで、14年度は消費税増税と公共投資などの削減に踏み切った。以来、税収が増えても民間に還流させない緊縮財政を基調にしている。政府が民間需要を萎縮させるのだから、物価が上がるはずはなく、デフレに舞い戻りだ。
                 脱デフレ失敗は黒田日銀自ら招いた面がある。黒田氏は消費税増税実行を安倍晋三首相に迫り、金融緩和だけで脱デフレを実現できると大見えを切った。その背後にはリフレ派、日銀理論派とも「金融理論の貧困」があることを見逃すべきではない。(産経新聞編集委員 田村秀男)
                posted by: samu | 経済認識 | 10:02 | - | - | - | - |
                加計学園問題は朝日新聞の社運を懸けた闘いだった/ 森 清勇
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                  「安定的な政治基盤の下、政策をひたすら実行せよというのが総選挙で示された国民の意思」であると述べ、北朝鮮問題、少子高齢化問題などを挙げ、これを成し遂げるために知恵を出し合って憲法改正する必要があると述べた。

                   しかし、野党は先の国会終盤から閉会中審査まで開いた加計学園問題を引き続き問い質すとしている。安倍政権打倒を狙っているのであろうが、所信表明で首相が述べたように民意は日本の安全や将来の在り方に焦点を移している。

                   加計問題を論議するにしても、獣医学部新設を半世紀以上も認めなかった岩盤規制が日本の現在と将来に及ぼしている影響に論点をもっていくべきである。また、加計問題を奇貨として、岩盤規制に限らず、緩和し過ぎた弊害などについても論戦すべきである。

                   筆者は既に、JBpressで「加計学園問題の審議はもう不要、安全保障論議を! 行政は歪められたのではなく正された、前川喜平氏こそ問題の中心」を公開しているので参考にしてほしい。

                  確認すべきは文書の出所

                   国会では前川氏が持ち出してきた文書を中心に論戦が繰り返されてきた。しかし、「何時、誰が、なぜ・・・」書いたか、即ち5W1Hが確認されていない。萩生田光一官房副長官などが記述内容の誤りも指摘している。

                   野党の従来の質問は思い込みや印象操作的なものでしかなかった。しっかりした議論をするためには、国家戦略特区ワーキンググループの議事録や関連の閣議決定文書などを根拠にすべきである。

                   「WiLL」2017年9月号は加計学園問題の「総力特集」で、「ウソで吠えたてたメディアの群れ」として、個人論考や対談など数本を掲載している。その中に居島一平司会の「虎の門ニュース」があり、阿比留瑠比氏と百田尚樹氏の対談が掲載されている。

                   阿比留氏が「前川氏は八千万円と言われる退職金満額を受け取って、やめた後に、自分の文書を三社ほどに持ち込み、書かせて、自分で『この文書は本物だ』と、マッチポンプしているとも言われます。どうしてこんな人間を信用できるのでしょうか」とある。

                   前川氏が指摘した文書が文科省から見つかったというだけでマスコミが炎上し、文書の真贋や5W1Hについては誰も確認しなかった。国会で貴重な時間を使って論議するには、お粗末すぎた。

                  阿比留氏が「私は直接聞いていませんが」と断りながら、「朝日新聞の幹部たちは、倒閣運動をしていることを隠していないそうです。聞くところによると『うちが倒れるか、安倍政権が倒れるかの勝負だ』のようなことを言っている」と書いているところからは、社運を懸けた闘いであることが分かる。

                   疑惑があると追及する証明は、追及する側にある。ところが、加計問題に関しては、奇妙なことに、質問する側は疑惑があると騒ぎながら、出所の明らかでない文書以外の確たる証拠を出さないままに責め立て、政府側に「悪魔の証明」をせよと迫るばかりである。

                   これでは堂々巡りするだけだ。論戦を進め、早急に決着させるためにも、疑惑があると主張する野党側が証拠文書を出してくる必要がある。

                  加計問題に社運を懸ける朝日?

                   阿比留氏は朝日新聞記者2人と酒を飲んだ官僚から聞いた話として、「(記者が)『いやあ、加計学園報道で部数が伸びました』と喜んでいたそうです」とも語っている。

                   ここで、いくつかの報道から朝日新聞の発行部数を見てみよう。2014年10月2日付「週刊文春」は日本ABC協会の調査として2013年8月の約756万部が、翌年8月は725万部となり、1年で30万部以上落としたとしている。

                   朝日が慰安婦報道の誤報を認めたのは2014年8月であり、同年11月27日付「週刊新潮」は「この3か月間で727万部から25万部も部数を激減」と述べ、2016年7月14日付同誌では650万部を切ったとしている。

                   「SAPIO」2016年9月号によると、朝日記者が公称は660万部であるが押し紙(残紙)が25〜30%と語っている。このことからすると、実際の購読者は概略460万となる。「本当?」と疑問もわくが、これには多くの著書もあるブロガーの鈴木傾城氏が答えてくれる。 

                   氏のネット報道(2016年4月11日)「朝日新聞は、押し紙問題を一面トップで報道して責任をとれ」によると、「朝日新聞の正確な発行部数は『よく分からない』。日本ABC協会『新聞発行社レポート 半期』(2015年7月-12月平均)によると朝日新聞の朝刊販売数は671万部になっていると言われている。しかし、それはあくまでも公称である。実売はそんなものではなく、300万部に満たないのではないかと言われている」とある。

                   「責任をとれ」というのは、押し紙を販売店に押し付けて購読者を多く見せかけ、広告料(最盛期の3分の1以下の600億円程度?)を稼いでいるのではないかとの指摘である。

                   読売新聞に大きく水をあけられるばかりでなく、300万部ともなれば後続の毎日新聞や産経新聞などに急追される状況でもあろう。正しく部数増への巻き返しは社運を懸けた取り組みに違いない。

                  ちなみに、獣医学部新設問題で閉会中審査の第1回目が7月10日開かれ、誘致の中心人物であった加戸守行前愛媛県知事が参考人として出席し、第1次安倍政権以前から誘致してきた経緯などを語り、「歪んだ行政が正された」と証言した。

                   ところが、一般記事(詳報は除く)での加戸発言報道は、読売68行・産経50行に対し、朝日は0行であった(「産経新聞」7月12日付)。また筆者が上記JBpress記事で述べたように、朝日は前川氏の写真6枚を使用したが、加戸氏の写真は0枚であり、加戸氏を完全に無視したも同然の紙面であった。

                   総選挙期間中の(森友・)加計問題記事についてみても、読売48行・産経0行に対し、朝日は1172行(同上紙10月26日付)と桁違いの紙面構成である。また、憲法改正に関しても読売379行・産経217行に対して、朝日は1459行を使って不要論を展開している。

                   これらの数字からみても、朝日は国の安全や人命よりも加計報道に社運を賭けている一端が伺える。

                  Fランク大学の乱立

                   岩盤規制とは1980年代以降、経済成長の観点から多様な分野で規制緩和が行われた中で、役所や業界団体など既得権益を持つ関係者の強い反対にあって、緩和や撤廃が容易にできない規制で、医療・農業・教育・雇用などの分野に多くあるとされる。

                   過去半世紀の間、国際社会ではライフサイエンス分野で多くの変貌を遂げている。SARSや鳥インフルエンザ、口蹄疫、BSEの発生など、人間と動物の関わりにおける新たな疾患は世界的課題である。

                   創薬プロセスでは、実験動物などを用いた臨床研究など、獣医学の知見が求められている。再生医療分野などにおいても、中大型動物の開発・管理を担う人材が不足しているとされる。ペットも増大している。

                   こうした構造変化を反映して、動物治療の獣医師の外に製薬会社等に勤務する獣医師数の需要が増大している。

                   しかし、半世紀以上にわたり獣医学部新卒者は16大学、930人に抑えられてきた。東日本に10大学735人(79%)、西日本に6大学195人(21%)で、四国にはない。東日本所在の私大は1割前後の増員のため、益々東日本に偏っている。

                   こうした閉鎖社会で、日本のライフサイエンスが欧米のレベルから大幅に遅れてしまっている現実が明らかになった。参考人の加戸氏がこうした実態を明らかにした後でも、そのことへの対処が論議されないところが不思議である。

                  加計学園の獣医学部新設で数十人を増やすにあたっては、需給問題を含め大騒動している。しかし、医薬分業で薬学部は一遍に入学定員が6000人増となり、大学も2倍近く増えたが、当時、薬剤師の需給は問題にされなかった。今後は何万人という薬剤師過剰が深刻になる状況にあるという。

                   少子化の時代に突入しているが生涯学習や天下りなども関係してのことか、大学は増え続けた。小泉純一郎政権下の地方分権推進で、大学設置基準が緩和され、1991年以前の私立大学372から、現在600超で、大学全入時代である。

                   一方で、半数近い大学で定員割れが生じているという。入試の倍率が低く、不合格者が極端に少ないか全くいないため、偏差値が算出できない大学(や学部)は「Border Free」と分類され、Fランク大学と呼ぶらしい。

                   真に必要な獣医学部などは半世紀以上も規制で新設されない一方で、Fランク大学などが増え続け、湯水のごとく補助金が浪費されている現実をどう見ればいいだろうか。

                  行政を歪めている「告示」

                   このように視点を広げると、岩盤規制と同時に、緩和され過ぎた規制の見直し議論も必要ではないだろうか。

                   コメの生産調整は会社が田畑を購入して事業出来ないとする岩盤規制に発しているとされる。また、都市の開発が進み、バス停留所を動かす必要が生じても簡単には動かせない。規制も千差万別で、規制によって社会が円滑に機能していることもあれば、阻害要因となっていることもある。

                   インターネットで検索してみると、赤信号の話なども出てくる。これは国会で決めた道路交通法や同施行令で規定されているので、撤廃などは法令の改正が必要となる。

                   ところが、件の獣医学部の規制は「法律」でも「政令」でもなく、文部科学省が独自に決めた「告示」(平成15年文部科学省告示第45号)による規制である。

                   法令等に詳しい人は、この告示が岩盤規制の元凶であるとされることから、正攻法としては、告示を廃止させるように法改正をすればよかっただけの話ともいう。また、文科省は平成27年9月18日にこれを改正しており、安倍内閣でこの改正をつぶせばよかったという話もある。

                   もっと大きなアミカケをすれば、学校教育法の改正で、獣医学部を全国どこでも自由に作れるように新設規準の書き込みなども考えられるという。

                  確かに「法改正」「新設規準の書き込み」など言うは易いが、文書化する過程において既得権益を有する者が立ちはだかって抵抗し、また政治家を動かして改正に反対したりするから、今回の様な国家戦略特区などを案出することが必要になってくる。

                   今年4月千葉県成田市に38年ぶりに(国際医療福祉大学)医学部が新設された。これも国家戦略特区によって岩盤規制に風穴を開けた結果である。

                   ところが、この時も獣医学部新設で問題になっている告示「大学、大学院、短期大学及び高等専門学校の設置に係る認可の基準(平成15年文科省告示第45号)」を廃止することなく、別途「内閣府・文科省告示第1号」を発出して、わざわざ第45号は「適用しない」とした。

                   これほど頑強な岩盤規制に52年ぶりに風穴を開けたのが、今回の加計学園が運営する大学に獣医学部を設置することであった。

                   国会で議論すべきは、加計問題を奇貨として、他にどのような岩盤規制があり、その影響がどうなっているかであろう。いまこそ、国会が再点検して、妥当性を満天下に明らかにして、特定団体が既得権益に群がる悪弊を一掃すべきではないだろうか。

                  おわりに

                   岩盤規制が一部の既得権益者たちによって死守されている現実が明らかになってきた。また、緩めすぎた規制緩和で、参入者が増大して競合が激しくなり、経営難に陥る場合や、Fランク大学の林立のように、国費が浪費される状況が現出している。これらはほんの一例で、多岐にわたっていよう。

                   こうした中でも、安全保障は国家の存続、並びに国民の幸福と安寧を保証する最大の関心事である。それは憲法が提供すべきものであるが、残念ながら、日本の憲法にはその条項がない。

                   憲法9条は「平和を愛する諸国民」を前提にしており、その結果として日本に危害を及ぼす状況などはないとみて、「自分の国を自分で守る」手段などを放棄している。

                   しかし、現実の国際社会は危機や脅威に満ちており、激動が予測される。なかでも中国は世界最強の軍隊を創って国際社会の頂点に聳え立つと明言しており、中華民族の偉大な復興を目指して、尖閣諸島から沖縄までも辺疆(中国流の国境)に組み入れようとしている。

                   日本は自国を守る意思と能力を厳として示さなければならない。70年以上にわたって日本人から意志と能力を奪ってきた9条こそが最強の岩盤である。

                   今こそ、この岩盤に穴をあけて先へ進まなければ、日本の存続さえ危うくなるであろう。

                  posted by: samu | 政治認識 | 10:24 | - | - | - | - |
                  このまま“モンゴル互助会”問題はウヤムヤになるのか/門田隆将
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                    日馬富士(33)=伊勢ケ浜部屋=が本日(11月29日)午前、日本相撲協会に引退届を提出し、受理された。巡業中の10月25日に鳥取市内で同じモンゴル出身の幕内貴ノ岩(27)=貴乃花部屋=に暴行したことが明らかになった11月14日から2週間余の決着劇である。

                    ついに「この日が来た」という思いと、問題の本質である「モンゴル互助会」問題は、結局、ウヤムヤのまま終わるのか、という二つの思いが私の中では交錯している。

                    27日にあった横綱審議委員会では、協会に対して、日馬富士に厳しい処分をすることを求めており、会見に応じた横綱審議委員会の委員長である北村正任・毎日新聞社名誉顧問が示した厳しい姿勢で、日馬富士もある程度、覚悟はしていただろう。

                    しかし、決定打になったのは、ついに明らかになった貴ノ岩のケガの状況である。モンゴル力士の草分けである元小結・旭鷲山が昨日公開した貴ノ岩のケガの写真は衝撃的だった。「ああ、これはひどい」「日馬富士もこれではこらえきれまい」―医療用ホッチキスで止められた10針の痛々しい頭部裂傷は多くの人にそう思わせた。

                    そして、本日、日馬富士はさっそく引退届を提出した。もはや「致しかたなし」というほかない。しかし、同時に「これで事件の本質が隠されてしまうのか」ということが気にかかる。

                    それこそ「モンゴル互助会問題」にほかならない。事件の詳細が次第に明らかになってきた時、多くの人はこんな疑問を持たなかっただろうか。モンゴル力士の間では、これだけ有無を言わせぬ「上下関係」があって、「果たして本場所でガチンコ相撲をとることは可能なのだろうか」という根本的な疑問である。

                    なぜ、あそこまで貴乃花親方は頑なだったのか。貴乃花親方は、なぜ、これまで貴ノ岩をモンゴル力士の飲み会に参加させなかったのか、ということだ。

                    記録を調べてみたら一目瞭然だが、モンゴル力士になって考えてみたら、すぐにわかることがある。たとえば白鵬が優勝街道をひた走っている時、もし、自分が白鵬を破って優勝争いをしている日本人力士を「アシスト」するようなことがあれば、どうなるだろうか。

                    そんなことが果たして許されるだろうか。飲み会で、携帯電話をいじっていたら、数十発殴られ、頭をなにかで叩かれ、10針も縫うようなケガをさせられるのである。

                    いや、そもそもガチンコ相撲の貴乃花部屋に所属する貴ノ岩のことを日馬富士や先輩力士たちは、気に入らなかったのではないか。その体質こそが、貴乃花親方の怒りであり、今回の暴行事件で膿を出そうともせず、臭いものに蓋をしようとする相撲協会への貴乃花親方の“ガチンコ相撲”だったのではないか、ということだ。

                    この問題がここまで大きくなった本質こそ、そこにあるような気がしてならない。八百長相撲が発覚し、場所自体が中止になった2011年春場所から、すでに6年半。また、時津風部屋で親方も一緒になったリンチで新弟子の少年が死亡する事件が発生してから10年余が経つ。

                    果たして、八百長やリンチは根絶したのだろうか。相撲ファンの一人として、長年、大相撲を見つづけた私は、とても、首を縦にふることはできない。貴乃花部屋には、「10の訓示」がある。その冒頭の二つが以下である。

                    一、力士道に忠実に向き合い日々の精進努力を絶やさぬ事
                    二、人の道に外れないよう自身を鍛え勝負に備える事

                    これは、オールドファンで、二子山勢を知る好角家なら、すぐにわかるものだ。理事長も務めたかつての二子山親方(元横綱若乃花。昭和30年代に“栃若時代”を築いた名横綱)から伝わるガチンコ相撲、すなわち“真剣勝負の系譜”ならではの、いわば二子山勢の「家訓」でもある。

                    大相撲が、本来の真剣勝負の系譜に戻ることができるのか。日馬富士引退でも幕を引いてはいけない「本質」がそこにある。

                    posted by: samu | 政治認識 | 10:53 | - | - | - | - |
                    「首相の関与」は無理筋だった? 森友問題で一変した朝日新聞の責任論/『田中秀臣』
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                      森友学園問題は、会計検査院が11月22日に調査報告を国会に提出したことで再び国民の注視を浴びることとなった。森友学園が大阪府豊中市に新設予定だった小学校用地の売却額が評価額よりも低く行われたことについて、会計検査院の報告は主に2点に集約できる。

                       一つは、用地の地下に埋まっているごみの量が、国土交通省大阪航空局が当時推計した量の約3〜7割であった可能性があり、十分に調査されていなかったこと。もう一つは、その不十分なごみの埋設量をもとに計算された財務省近畿財務局のごみ処理の単価の基礎となるデータや資料が廃棄されたため、会計検査院が会計経理の妥当性について十分な検証ができないと公にしたことである。不十分なごみの埋設調査と、ごみ処理の費用計算の不透明性という二つの事実が、改めて国民に印象を強くした出来事であるだろう。
                      森友学園問題の真相については、筆者も含めて何人かの論者は、一部マスコミや野党、そして無視できない数の国民が思うような安倍晋三首相や昭恵夫人の「忖度(そんたく)」や「関与」はないものだと主張してきた。むしろ財務省近畿財務局という一地方部局の担当者の交渉ミスが原因であり、それに加えて公的データや資料の保管・廃棄ルールに不備があったという、財務省の問題とみなすのが妥当であろう。違法性の問題というよりも行政のミスのレベルというのが結論である。
                       森友学園問題がこれほど過大な注目を浴びてきた背景には、一部マスコミの「印象報道」ともいうべき流れがあることがはっきりしている。例えば、最近大学教授らの情報公開申請が大阪地裁で認められ、財務省近畿財務局は森友学園が設置する予定だった小学校の設置趣旨書を開示した。そこに記されていた、森友学園が新設を計画していた小学校の名前は「開成小学校」であり、首相や昭恵夫人の名前や関与は一切記載されていなかった。
                       これは多くの国民にとっては意外な事実だったろう。なぜならマスコミや野党は、森友学園の籠池泰典前理事長が安倍首相や名誉校長だった首相夫人の「ブランド力」とでもいうものを利用して、さまざまな利益を得ようとしていたという印象を伝えていたからだ。特にそのことが関係官僚たちに、首相や首相夫人と「懇意」である籠池氏に利益を供与する「忖度」をさせたという、マスコミや野党の批判の根源にもなっていたのではないか。
                      だが、実際には籠池氏の小学校には首相や首相夫人とのつながりを明らかに示す資料はなかった。だが、この森友学園問題が政治的に大化けする過程で、マスコミは籠池氏の発言をろくに検証することもなく、そのまま報道し続けた。その中で、あたかも新設小学校が「安倍晋三記念小学校」ではないかという印象を垂れ流すことに貢献したことは明白である。
                       例えば、朝日新聞は5月9日の記事で「籠池泰典・前理事長は8日夜、取得要望書類として提出した小学校の設立趣意書に、開設予定の校名として『安倍晋三記念小学校』と記載したことを朝日新聞の取材に認めた」と報じた。この記事によって籠池氏と安倍首相との「つながり」の濃さを信じてしまうというミスリードに陥った国民も多かっただろう。テレビなどもこの記事に似た報道を連日垂れ流し続けた。
                      森友学園問題を取り上げた2017年4月2日付の朝日新聞社説
                       もちろん、朝日新聞はこの一方の当事者の発言を事実検証もせずに垂れ流した責任を取る気はさらさらない。むしろ最近では、どうも安倍首相への「忖度」が無理筋だと思ってきたのか、社説などでは、財務省のミスを追及する責任が首相にある、と論調を変化させている。
                       例えば、12月1日の社説「森友問題審議 無責任すぎる政府答弁」では、「責任は財務官僚にあり、自分は報告を信じただけ。そう言いたいのだろうか。だとすれば、行政府トップとして無責任な発言というほかない」と書いている。これは以下のように書き換えることができるだろう。
                       「責任は籠池泰典氏にあり、自社(=朝日新聞)は発言を信じただけ。そう言いたいのだろうか。だとすれば、言論の府としての新聞として無責任な発言というほかない」
                       実は朝日新聞と似たような報道を毎日新聞もしている。以下は毎日新聞の公式ツイッターでの発言である。
                       

                      「首相がすべきなのは、自身の関与がなかったとしても周辺に『そんたく』がなかったか徹底調査すること」。加計・森友問題の報道に関わってきた記者は指摘します。

                       これまで散々「首相の関与」をあおってきた末のこの発言にはあきれるしかない。
                       だが、無責任な報道姿勢が改まることはないだろう。例えば、自民党の和田政宗議員が12月1日朝のブログで、「新しいメモ」でもないものをいかにも森友学園の不正を追及する新資料が発見された、といわんばかりの記事を掲載していると批判している。これはささいな問題に思えるかもしれないが、この種のミスリードの蓄積が「安倍首相は謙虚ではない」「安倍首相は人格的に好ましくない」といった印象へと導いていくのかもしれない。森友学園問題も加計学園問題についても、首相から発生する問題はいまだみじんも明らかになっていないのにである。
                      「われわれは知らず知らずに心の中で魔女裁判を行っているのではないか?」。このようなことを書くと毎度出てくるのが、安倍擁護をしているという批判である。経済政策や安全保障を含めて重大な問題がある中で、あくまで責任が全く明示されていない問題に過度にこだわることの愚かさを指摘しているのである。朝日新聞や毎日新聞に代表されるような無責任なマスコミの報道姿勢を追及することは、政権の政策ベースでの批判と矛盾することはない。実際に安倍政権の経済政策だけでも、前回の論考で消費税増税シフトを批判したように問題はある。報道によってミスリードされている世論の「魔女裁判」的状況の解消を願っているだけなのである。
                       日本銀行の岩田規久男副総裁はかつて『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(2011年、東洋経済新報社)の中で、天声人語はいったい何が議論の本位なのか明示することなく、それを明示したとしても十分に論じることもなく終わってしまう悪い文章であると批判していた。まさに同意である。今回の森友学園問題も、いったい何が具体的な問題なのかわからないまま、「忖度」という議論になりえないものを延々と十分に論じることなく、一方だけの発言を恣意(しい)的に垂れ流していく。そのような朝日の報道姿勢が、そのメーン商品である天声人語にも明瞭だというのが、岩田氏の批判からもわかる。
                       岩田氏は、当時話題になっていた大相撲力士の野球賭博問題を絡めて以下のように書いている。
                       

                       多くの日本人の責任の取り方は、福澤(諭吉)の言うように自己責任を原則とする個人主義とはかなり異なっている。自己責任を原則とすれば、裁くべきは法に照らした罪であり、世間が騒ぐ程度に応じて罪が変わるわけではない。メディアは力士が野球賭博をすると大騒ぎするが、普通の企業の社員がしても記事にもしないであろう。しかし、どちらも法を犯した罪は同じであるから、メディアがとりたてる程度で罪の重さが変わるわけではなく、同じように自己責任をとるべきである。

                       つまり法によらずに、メディアが「罪」をつくり出す風土にこそ現代日本の病理がある。
                      posted by: samu | 政治認識 | 09:52 | - | - | - | - |